第28話「彼が料理する姿」
キッチンで一真君が包丁を動かしている音が聞こえてくる。私はそんな彼の後ろ姿を彼が淹れてくれたお茶を飲みながら意外な気持ちで見つめる。
彼がお粥を作る、と言ったとき私はもう既に炊いてあるご飯を鍋で煮て塩で味付けをするだけのものかと思っていた。
でも、今の彼の後ろ姿を見る限りでは結構、本格的に作るつもりのようだ。
材料を切り終えたのか包丁の動く音は聞こえなくなった。そして、彼がまな板を持ち上げ鍋へと材料を入れていったのが見えた。
ガスコンロに火が入れられる音が聞こえる。それから、彼の姿が死角に入って見えなくなる。
一分くらいして彼は何種類かの調味料を持って再び私の視界の中へと戻ってきた。
鍋の中へと調味料を入れている。時々、おたまで鍋の中をすくって味見をして更に調味料を少しずつ足していっている。
何度か味見をしたところで満足できる味になったのか、おたまを置く。それから、聞こえてきたのは水道から水が流れる音だ。たぶん、具がある程度煮えるまでの間に洗えるものは洗っておくようだ。まあ、そんなのは料理の基本なんだけど。
少しゆっくりめの速度で洗い物を片付けた彼はまた死角へと消えた。そして、また視界の中に戻ってきた彼は炊飯器の釜を持っていた。
彼は釜の中に入っているご飯を鍋へと入れていく。どうみても、一人分のご飯の量ではなかった。どうやら、ある程度の量を作って置いておくつものようだ。
そういえば、具がかなり多いような気がしてたけどこういうことだったのか。
一人で納得している間に彼は鍋にフタをしていた。あと、何分かで完成するのだろう。
そして、彼はその何分かの時間も無駄にはしない。
わずかな時間の間に彼は食器を準備している。
普段から料理を作っているんだろうか。ずいぶん、手際がいい。
カチャカチャ、と食器同士がぶつかる音が聞こえてくる。その音には何か感じるものがある。
どうやって言葉にすればいいのかはわからないけど、嫌なものではなかった。
料理が出来るまでの間に出来ることをすましてしまったらしく彼は動きを止める。
聞こえてくる音はガスコンロから火が出る音だけだ。
「……千智、何か他にほしいものとかあるか?」
突然、彼が私の方へと振り向いた。彼がこちらに振り向くようなことは全然予想もしていなかったから少し驚いてしまった。だけど、その驚きは表に出る暇もなくひいていった。
「……じゃあ、お茶の、おかわりを、ください」
彼の姿を見ながら飲んでいつの間にか空になっていた湯呑を持ち上げ彼に言う。
「それ以外には?」
言いながら彼は私の方へとやってくる。
「別に、ないです」
「そうか、わかった。……お粥はもうちょっとできそうだからもうちょっと待ってくれよ」
そう言って彼は私の手から湯呑を取りキッチンの方へとゆっくり戻っていく―――と、思ったら鍋の方から煮えたっている音が聞こえてきて彼は慌ててコンロへと駆け寄った。そして、コンロの火を消す。あまり表には出てないけど、なんとなくその姿はほっとしているように見えた。
少しだけ、その姿が面白い、と思ってしまった。
彼は私がそんなことを思っているとはつゆ知らず鍋のふたをあける。その途端に白い湯気が立ち上り美味しそうな匂いが辺りに広がった。彼はおたまで鍋の中のお粥をすくい、お椀の中へと注ぐ。
視覚と嗅覚からの情報で私は自分のお腹が空いていることを思い出した。その途端に「くー」という小さな音が聞こえてきた。
そういえば、私は朝から何も食べてなかった。それならお腹が減るのも当たり前か、と思っていると彼がこちらへと来ていた。手にはお椀とスプーンを持っている。
「悪いな、待たせて」
言いながら湯気の立つお粥の入ったお椀とスプーンを私の前に置く。それから彼はすぐに踵を返してキッチンの方へと戻ってしまう。
どうしたんだろうか、と思ったがすぐに思い出した。そういえば、私は先ほど彼にお茶のお代わりを頼んでいたんだった。
彼が急須にお湯を入れて私が渡した湯呑にお茶を入れている。こぽこぽこぽ、という音もまた、何か感じるものがある。あえて言葉にするなら居心地のよさ、に近いようなものだろうか。よくわからない。
「……いただきます」
それよりも、彼の作ったものを冷やしてしまうのは悪いような気がしたから彼が戻ってくる前に一口くらいは食べておこう、そう思って彼の作ってくれたお粥の前で手を合わせた。
スプーンを手に取りお粥をすくう。それを息を吹きかけてできるだけ冷まし、口の中へと運んだ。
思ったよりもお粥は熱かった。それに驚いて飛び上がりそうになったけどなんとか我慢する。ただ、そのかわりに目の端に涙が滲む。
「……なにやってんだよ。熱いもの食べる時は気をつけろよ」
呆れたように言いながら彼が湯呑を置き、それと一緒に水の入ったコップを置いた。
私は水の入ったコップを手に取り熱さでひりひりする舌を冷やすために水を口の中に含む。
「……あ、ありがとう、ございます」
コップの中の水を飲みほしてからお礼を言う。まだ、舌はひりひりするけどなんとか我慢できる程度のものだ。
「やっぱり、お前って変な奴だよな」
私の正面の席に座りながらそんなことを言ってくる。
「そう、ですか?」
彼にそう言われるのはこれで二回目だったような気がする。いや、三回目だったかな?まあ、どっちでもいいや。
「ああ、今日の朝は俺達から逃げようとしてたくせに今は素直に俺と一緒にいるんだからな。まあ、調子が悪いから逃げる気がない、って、いうんなら納得するけどな」
実際のところはどうなんだ?と彼は聞いてくる。
そういえば、起きてから今までの間、逃げよう、とこれっぽちも思っていなかった。その代りにあるのが、彼と離れたくない、という思いだった。
本当に逃げたいと思っているなら、少しくらいは逃げよう、と思うだろうし、彼から離れたくない、なんて思うはずがない。
そういえば、部屋から彼が出ていきそうになったとき、私は不安を感じたりしていた。
なんだか今日の私は私らしくない。人から離れたくないとか、人が離れていくのを不安に思うだとかは今までの私にはありえなかったことだ。
「おい、なに、ぼーっとしてるんだよ。やっぱり横になってた方がよかったんじゃないのか?」
少し厳しい彼の声。私の思考はその声によって中断されてしまう。
「そんな必要はないです。ちょっと考え事をしてただけですから」
「……なに考えてたんだよ」
「風邪が治ったらどうやってあなたから逃げようか考えてただけです」
私が今までと違う自分のことを考えていた、とは言いづらくて適当に嘘をついた。たぶん、彼はこの嘘は信じるはずだ。
「そうかよ。でも、今すぐどうやって逃げるのか、ってのを考えてたら縄で縛って逃げれないようにするつもりだったけどな」
やっぱり信じてくれたようだ。そのことに何故か私が思っていた以上の安堵を感じた。
けど、彼が後半に言ったことは本当にやるつもりだったんだろうか。彼なら本気でやりかねないような気がする。
「まあ、そんなことどうでもいいな。それよりも、早く食えよ。そろそろ食べやすい温度になってるんじゃないか?」
「そうかも、しれませんね」
私はそう言って再度お粥をすくい息を吹きかける。さっきみたいになるのは嫌だったから出来るだけ冷ましておく。
これくらいでいいかな、と言うところですくったお粥を口の中へと入れた。
今度は熱くなくちょうどいい温かさだった。
「あ……、美味しい、です、すごく」
半ば無意識にそんな言葉が漏れていた。それほどまでに彼の作ったこのお粥は美味しかった。特別な味付けがしているわけでもないのに。
「それは朝から何も食ってないからじゃないのか?」
そうなんだろうか。彼の言うとおりな気もするし、そうでもないような気もする。
けど、こうして考えたところで答えが出るわけじゃない。
「そうかも、しれませんね」
だから、適当にそう返しておく。それから、食事を進めることにする。
彼は私の対面に座ったままこちらを見てきている。少し食事をしづらいけど、そこまで気になるほどでもない。
お互いに無言なまま私だけの食事は進む。
食事を終えると彼に風邪薬を渡され、それを飲まされた。それから部屋へと戻され寝かされた。