第23話「あの崖へ…」
ピッピッピッ、という音が聞こえてきた。
私は緩慢な動きで体を起こし、時計のアラームを止めた。暗いからわからないけど時計は今が四時であることを二つの針を使ってあらわしているはずだ。
一応、確認のために私は布団の中から出て部屋の電気をつけようと思った。けど、立ち上がった途端に少しだけ体がふらついた。少しだけ、体がだるいような気がする。昨日の疲れがまだ残っているんだろうか。
そんなことを思いながらも私は部屋の電気をつけた。時計を確認すると今が四時二分であることを指していた。時計のアラームが鳴ってから少し時間が経っていたようだった。
それよりも、早くここから出よう。三柴先生がこんな時間に起きるとは思わないけどいつ起きるかわからないから早く行動を起こしたほうがいい。思い立ったが吉日、という言葉もあるし。
とりあえず、私は最後の挨拶のような感じで部屋の中を見回した。この部屋を出ればもう私がここに来ることはないだろう。私は死んでしまうのだから。
そう思ったけど、感傷的な気持にはならなかった。まあ、当然か。逃げるための自殺ではなく、私の望んだ自殺なのだから。
特に大きな感情を抱くこともなく私は自分の部屋に背を向けて部屋の電気を消した。それはまるで、部屋の所有権を捨て去っているような、そんな感じだった。
私はゆっくりと扉を開けて真っ暗になった部屋の中から出て行った。
夜とも早朝とも言い難い時間帯の外はとても静かだった。この世の中のすべてが寝静まってしまっているかのように物音ひとつ聞こえてこない。
だけど、この辺りは住宅街だからか街灯の数が多い。だから、それなりの明るさはあった。
そんな住宅街の中を私は一人で歩く。
寂しいだとか、怖いだとかそんな感情は抱かない。だけど、物足りないな、とは思った。光がなく、音がなく、動きがない。それでは物足りなさすぎる。
そして、同時に思ってしまう。やっぱり、夜ではなく、昼に死にたい、と。
空を見上げてみる。そこには真っ黒なものが浮かんでいるだけだった。
曇っているのだろうか。それとも、ただ単に星の光が街灯の光に負けてしまっているだけなのだろうか。それなら、別にいい。だけど、曇っている場合は昼までには晴れてほしい。
そうでなければ、昼になっても薄暗いままになってしまう。そんな状態では私は死ぬことはできない。
私は明るい中で、陽の光の中で死にたいのだ。
けど、いくらそう思ったところで私が出来ることなんて高が知れている。というか、天候に対して私が出来ることなんかが存在するんだろうか。
存在するなら是非とも誰かに教えてほしいものだ。
まあ、そんなものあるはずなんてないんだけど。そんなものがあればとっくに天気予報の必要性なんてなくなってしまうだろう。天気を自分の思ったとおりに出来るなら予想する必要なんてないんだから。
……そんなことはどうでもいい。今重要なのはこれから晴れていくのか、それとも曇ったままなのか、ということだ。
天気予報を見てきてた方がよかったかなあ、と思う。と言っても何でそれを見ればいいのか見当もつかないが。新聞は当然ながらまだ届いていないし、テレビでやっているかどうかもわからない。
はあ……。なんだか最近は思い通りにいかないことが多いような気がする。正確には、彼に出会ってから。
なんで、あんな人と関わってしまったんだろうか。
そこに、理由なんてないんだと思う。もし理由があるとすれば、あそこで、偶然彼と出会ってしまった、ただそれだけのことだ。それ以上の理由なんてあるはずがない。
……ついてないな、私。
ざわざわざわっ……。
周囲から木が風に吹かれて葉をこすらせる音が聞こえてくる。私が家を出た時よりも風が強くなってきている。天気が崩れてきている、という証拠だ。
このまま、雨が降ったら嫌だな。
濡れるのが嫌だ、というのもあるけど、一番の理由は太陽が見えなくなる、ということだ。
「っ!」
狭い道を歩いていると細い木の枝が腕に当たって小さな切り傷が出来た。少し血が滲んできているのが見える。
ここは、あの崖の場所へと続いている道だ。考え事をしながら歩いているとこの道の入口のところまでいつの間にか来ていた。
彼がここに来る確立が高いことを考えるとすぐに立ち去った方がいいんだろうけど、別の場所に行こうと思ってもどこに行けばいいのかわからなくなってしまった。周りの地理がよくわからないと無意識で歩くことも、意識を持ったまま歩くこともままならない。
そこで仕方なく私は崖の方へと向かうことにしたのだ。
まあ、周りは木で覆われているのだ。隠れる場所くらいあるだろう。そこに隠れて太陽が出るまで待っていればいい。
そう考えながら前へと進む。整備されていない道なので歩きにくい。私はよくこんな道を見つけたものだ、と思う。
と、不意に強い風が吹いてきた。私が飛び降りようと思っているあの開けた場所についたのだ。
私はゆっくりと崖の端っこの方へと近づいていく。まだ太陽が昇ってもいないのに落ちてしまうわけにはいかない。だから、足の運び方も慎重なものになってしまう。
強い風が吹いている。前に来た時よりも波の音が大きい。海が荒れている、ということだろうか。
空を見上げるとそこに見えるものは、何もない。いや、そうではない。何もないように見えるように黒色の雲が一様に広がっている。
今にも雨が降ってしまいそうな曇り空だった。
それを見た途端に私はその場に座り込んでしまった。
このまま晴れるなんてことは絶対にないだろう。よくて、雨が降らず曇ったまま、という状態だと思う。
「……はあ」
ため息が漏れてしまう。自然までもが私の邪魔をするんだろうか。
でも、死に方を拘らなければ今すぐにでも死ぬ事はできるのだ。それをしない理由は、今まで何度でも思ってきた。
生きていることがつまらないから、つまらない終わり方はしたくない。それが理由だ。
私は地面の上に横になる。やっぱり、空はどんよりと曇っている。
なんで、こんなにも思ったようにいかないんだろうか。光がなければ私の翼は現れない、というのに。