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第20話「特殊な人」

 蛇口から水が流れる音と食器がかちゃかちゃ、と音を立てるのが聞こえてくる。今、流しで一真君と麻莉さんが食器を洗っている。

 俺だけ何もしないのは悪い、というのが一真君の弁で、あたしは毎日片付けはしてるから、というのが麻莉さんの弁だった。

 そして、することない私と三柴先生は向かい合う形で座っている。

 逃げる隙はなさそうだ。まだ時間に余裕があると言えば余裕はあるけど、早くしないと太陽が傾きすぎてしまう。しかも、今は三柴先生だけでなく一真君もいるからたぶん逃げ出すのが一番困難だと思う。

 本当は午前の時点で私は逃げているつもりだった。だけど、意外にも三柴先生には隙ができなくてずっと逃げることが出来なかった。

 結局、途中で逃げるのは諦めて昼食を作るのを手伝ってしまった。

 でも、このまま逃げないわけにもいかない。昼食の後の今なら少しくらい隙が出来るんじゃないかと思ったけど、

「金崎さん、どうやって逃げようか、って考えてるわねー。大丈夫よー、私はあなたを逃がしたりするつもりはないわよー。それに上原君も同じように思ってるはずよー」

 隙はなかった。何故かはわからないけど考えが読まれてしまっていた。今まで自殺をしようとしていた人と話をしたことがあるらしいから、観察力とか洞察力がいいのかもしれない。

 本当に、面倒くさい。どうして、こういう人に目を付けられてしまったんだろうか。逃げたくても逃げることができない。

 とりあえず、悪いのは私が死のうとしていたのを止めた彼だ。彼が私のことを止めていなければ私が今ここにいることなんて絶対になかった。

 はあ、とため息をつく。

「何でため息をついてるのかしらー?どこか行きたい場所があるのかしらー?もしそうなら行ってもいいわよー。ただし、行く場合は私もついていくことになるけれどねー」

「行きたい場所があるのは確かですけど、私は一人で行きたいんです」

「そう、それなら金崎さんを外に出すわけにはいかないわねー」

 三柴先生はその理由を言わない。それを言わなくても私がわかってるのを知ってる、というのもあるんだろうけど、この場に麻莉さんがいる、ということの方が大きそうだ。

 この人は二人きりでいる方が言葉にする量が多い、ということは今日の朝の時点で知らされているからそう思う事が出来た。経験からなのか、無意識に深く関わることはできるだけ第三者に聞かれないようにしているみたいだ。

 私は三柴先生から顔をそらして外の景色を見る。

 今日は、少し雲の量が多かった。太陽は隠れていないけど、時間が経てば隠れてしまうかもしれない。

 まあ、今日逃げることができなくてもよかったのかもしれない。太陽の見えない状態で死にたくはない。

 そのとき、ちょうど太陽が雲に隠れて少し暗くなった。

「あ、太陽、雲に隠れちゃったね」

 突然、横から声が聞こえてきた。少し驚いて声のした方を見てみればそこにはいつのまにか麻莉さんが座っていた。

 よく見てみると一真君も向い側の三柴先生の隣に座っていた。食器を洗うのは終わったようだ。

「ねえ、千智ちゃん、って空を見るのが好きなの?」

「別に、そうでもないですけど」

「じゃあ、なんで空をじっ、と見てたの?」

「ただ、今の天気が気になっていたので見ていただけです。それ以上の意味なんてないです」

 正確には天気ではなくて太陽が出ているか出ていないか、だ。天気は太陽が出てさえいれば雨でも構わない。むしろ、そんな天候を望んでいる。

 本当は雲一つないくらいがいいんだけど、あんまり高望みがすぎるといつまでたっても死ぬ事が出来そうにないから太陽が出ている、というところで妥協をしている。

「天気を気にしてる、ってことは今日は何かあるの?」

 なんでそんなことを聞いてくるんだろうか。そうは思っても無下にすることもできない。下手に突っぱねて余計に興味を持たれても困る。

 だから、適当に嘘をつくことにした。

「……そんなもの、ないです」

「ふーん、そっか。まあ、なんとなく天気が気になることってあるよね。ん、ごめんね、ちょっとしつこいくらいに質問しちゃって」

 麻莉さんは納得するように一度頷くと、私に謝ってきた。どうやら、質問をしすぎた、という自覚はあったようだ。

「そういえばさ、一真君はどうしてここに来たの?汐織先生に用事があったから来た、っていう感じでもないよね」

 突然、麻莉さんは一真君の方へと話題を振った。純粋に、興味を持っていたから聞いた、といった感じだ。私に質問しすぎたことはそれほど気にしていないのかもしれない。私も変に気にされても困るから気にされたくはない。

「……お前には関係ないことだ」

「なんだか冷たいなあ。しょうがない、別の人に聞くよ。……汐織先生は何か知ってるでしょ」

「ノーコメント、ということにしておくわー」

「む、……じゃあ、千智ちゃんは?」

 一真君にも三柴先生にも答えてもらえなかった麻莉さんは最後に私の方を向く。諦めが半分、すがるようなのが半分ずつ瞳には浮かんでいる。まあ、当然ながら私は、

「答えたくないです」

 と答えた。別に、彼がどうしてここに来たのかわからない、というわけではない。嫌なほど彼がここに来た理由はわかっている。それは、私が逃げていないか見に来るためだろう。

「……汐織先生も千智ちゃんも一真君がここに来た理由を知らないんじゃなくて、言いたくないだけなんだね。みんな、あたしのことを退け者にするんだ?」

 わざとらしく悲しげに言っている。とは言ってもこの場にそんなことで動揺したり、同情したりする人はいない。

「まあ、そうだな。事情を知らない奴にわざわざ教えようとは思わない」

「うわっ、即答されちゃったっ。んん?でも、事情を知ってれば話す、ってこと?」

「さあ、どうかしらねー。まあ、そう簡単に知ることができることだとは思わない方がいいわよー」

「それなら、その事情がわかるまで三人のうちの誰かを尾行するよ!」

 そんな問題発言をしてから、一真君、三柴先生、私、の順番に顔を見ていく。何を、してるんだろうか。

「……千智ちゃんが一番、尾行するの簡単そうだなぁ」

 麻莉さんはもう一度、私の方を見るとそう言った。

「そういうことは、やめてください」

 既に付きまとって行動を制限するような人が二人もいるから尾行するような人が一人増えたところで実質的にはほとんど何も変わることはないような気がする。だけど、麻莉さんが、というのは安心できない。愛理さんがそうするのよりはましなんだろうけど、それでも、気になってしまうから精神的な疲労が大きそうだ。

「むぅ、つれないなぁ。……本当は恥ずかしがってたりするんじゃないの?」

「……川里さん、やる前に言っておくけれど尾行は犯罪よー」

 なら、勝手に人の家に泊まるのはどうなんだろうか。そう言おうとしたけど、麻莉さんの前でそれを言うのは色々と危ない気がする。

「それもそうだよね……」

 諦めたような空気が麻莉さんの周りを覆う。だけど、素直に安心はできない。何故なら、最近会った人たちは諦めが悪い、という傾向にあるから。

「じゃあ、その代りに……抱きついちゃおうっ」

「えっ?」

 私は麻莉さんの宣言通り、抱きつかれて、しかもソファーの上に押し倒されてしまう。私は麻莉さんの予想外の行動に驚いてしまい抵抗が出来なかった。今までおとなしかったからこういうことをするとは思ってなかった。やっぱり、麻莉さんは愛理さんの妹だ、とあまり納得したくなかったことに納得してしまう。

「な、なにするんですか!」

 身の危険を感じて逃げようとはするけど、愛理さんと同じで思ったよりも力が強く暴れるだけは逃げることができない。というか、なんで落ちないんだろうか、ソファーの上から。

「ふっふっふー。千智ちゃんが喋らない、っていうんなら千智ちゃんを落として、あたしに惚れさせちゃえばいいんだよ。うん、そうすれば、話したくなるよね」

 なんだか発言まで危なくなってきている。

「そんなことありません!というか、二人とも助けてください!」

 本当は誰かの助けなんて借りたくないけど、この場合は仕方がない。このまま、状況に流されるわけにはいかない。だけど、

「ごめんなさいー。止めると今度はわたしが襲われそうだからやめておくわー」

 三柴先生の声はすでに少し離れたところから聞こえてきた。

「まあ、ある条件をのんでくれるって言うんなら助けてやるけど。……どうするんだ?」

 ある条件っていうのはたぶん、というか十中八九死ぬのをやめろとかそういうことだと思う。

「そんな条件、のみませんよ。それをするくらいなら自分で逃げます!」

 ついそんなことを言ってしまう。

「そうか、わかった。じゃあ、俺は何もしない。……まあ、頑張ってくれ」

 彼はそれだけ言った。もう、これ以上話しかけてくるような様子はない。

 でも、何となくだけど、もう一度助けて、と言ったら助けてくれるような気がする。でも、だからと言って助けてもらおうとは思わない。一度言ったことを言いかえるようなことはしたくない。

「もう、千智ちゃんを助けようとする人はいないよ。ほらほら、おとなしく諦めてされるがままになっちゃいなよ」

 言いながら麻莉さんが私に抱きつくのをやめて私の顔が見れるように覆いかぶさるような体勢になる。

 それでも、依然として私の体の動きは不自由だ。でも、こうして少し身体に自由が戻ってきたことでどうにか逃げることができそうだ。

 私は体をひねらせる。

「わっ!」

 そうすることで麻莉さんが私の上から落ちた。そのまま床の上まで落ちて少し鈍い音が聞こえたけど、確認する暇はなかったし、確認しようとも思わなかった。

 また捕まってしまう前に麻利さんから距離を取る。

「い、たたた……。千智ちゃん、ひどいよ」

 背中の方をぶつけたのか背中をさすりながら立ち上がって再びソファーに座っている。

「いきなり抱きついてくるあなたが悪いんですよ!」

 愛理さんに抱きつかれたとき以上の身の危険を感じたから逃げることが出来た後でもまだ落ち着かない。

「……じゃあ、しょうがない、諦めてあげるよ」

 麻莉さんが諦めたことを公言する。けど、だからと言って安心することはできない。

「だから、ほら、座って座って」

 そう言いながら麻莉さんが叩いているのは麻莉さんの隣のスペースだ。絶対に座ろうとは思わない。

 でも、よく見てみると一真君の隣が空いているのに気がついた。三柴先生はどこに行ったんだろうか。

 私は三柴先生の姿を探すために周りを見回してみた。すると、出入り口の扉の前にいるのを見つけた。

 三柴先生と麻莉さんの間で何かあったんだろうか。三柴先生が妙に麻莉さんのことを警戒しているような気がする。

「三柴先生、なんでそんな所にいるんですか?」

「あ、わたしのことは気にしなくてもいいわよー。ほら、早く川里さんの隣に座ってあげた方がいいんじゃないかしらー?」

 そう言われて麻莉さんの方を見てみると何かを期待するような瞳でこちらを見ているのに気がついた。彼女の栗色の大きな瞳が輝いているような気がする。そこから私が感じることができるのは危険、だけだ。

 わざわざ危険の中に飛び込んでいくつもりはない。かと言って立ったままでいるのも疲れる。

 だから私は麻莉さんの誘いは完璧に無視をして一真君の隣に座ることにした。

「……あれ?千智ちゃん、あたしのこと見捨てちゃうの」

「最初から見向きもしてません」

「それは残念だなぁ。やっぱり力尽くで行くのは駄目だね。……まあ、今日のところはこれくらいで諦めとくよ。その代わりこれからはじわじわいくからね」

 どんなことをしてくるんだろうか、と疑問に思ったけど考えないようにしておいた。どうせ想像することができないだろうし。

「汐織先生!そんな所にいないで座ったほうがいいよっ。ほら、あたしの隣が空いてるからっ」

「わたしは遠慮しておくわー」

「そんなに恐がらなくても大丈夫だよ。さっき千智ちゃんにしたようなことはしないからっ。こんなことをするのは会ったばっかりの人だけだよ?初めて会ったとき以来、あたし汐織先生に抱きついたりしてないでしょ?」

 会ったばかりの人にしか抱きつかない、っていうのはどうなんだろうか。

「それは確かにそうなのだけれどねー。あなたがそういうことをしてる所を見ると隣に座る気が失せてしまうのよねー」

 そう言いながら三柴先生はこちらに戻ってくる。

「というか、考えてみれば女教師に抱きつく女生徒なんて前代未聞よねー」

「あっ!なんで汐織先生はわざわざそっちの椅子に座ってるの!」

 三柴先生が座ったのはキャスター付きの椅子だった。麻莉さんとの距離は一番離れているかもしれない。

「今日は川里さんに対しては危険しか感じないから近づくのはやめておくわー」

「今日は?……ということは、明日ならいいんだっ?」

 何故か麻莉さんの声がそこで弾む。

「……なんだか、金崎さんに会ったせいかテンションがハイになってるわねー。数日くらいは離れておくべきかもしれないわねー」

「だめだよ、そういうことしたら。……そんなことされたら、たぶん、欲求不満とかで汐織先生のこと襲っちゃうよ?」

「それは、絶っ対にやめてほしいわねー」

 心の底からそう思っているらしく言葉には力がこもっていた。まあ、私も同じ気持ちを持ってるから言葉に力がこもる気持ちはよくわかる。

「はあ……」

「どうしたんだよ。いきなりため息なんかついて」

 私を助けない、と言ってからずっと黙っていた一真君が私のため息をついたのを聞いてそう言った。

「……なんで、昨日と今日、二日続けてあんな感じの人に会ったのか、と思っただけです」

 あんな感じの、というのは麻莉さんのことだ。それと、昨日あったあんな感じの人は言うまでもなく愛理さんのことだ。

「さあな。……つか、そんなこと俺に聞くなよ。俺が知るはずないだろ」

「まあ、それは確かにそうですけど……」

 なんだか誰かに言わないと気が済まなかったのだ。

「……」

「……」

 そのまま私たちの会話は途切れてしまう。私はそうだけど、彼もあまり話をする方ではないようだ。

「汐織先生!絶対に千智ちゃんにやったようなことしないからあたしの隣に座ってっ」

「だから、今日はやめる、と言っているでしょー?あんまりしつこいとあなたをこの部屋に出入りできないようにするわよー」

「それはやめてっ!」

 そんな感じに騒がしい二人の声だけが部屋の中にはあった。

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