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第15話「見慣れない朝の景色」

「金崎さん、おはよー」

 リビングに入った途端に三柴先生の間延びした挨拶が聞こえてきた。

「おはよう、ございます」

 家の中で誰かに挨拶をされたのなんて初めてのことだった。私は戸惑いながらも三柴先生に挨拶を返す。

 それから、私は部屋の中へと視線を巡らせた。

 机の上にはフレンチトーストの乗せられた皿とベーコンエッグの乗せられた皿が置いてある。そこからは、甘い匂いと香ばしい匂いが漂ってくる。起きた時の匂いの正体はこれのようだ。これが朝食なんだろう。

 置いてあるのは当然一人分ではなく三人分だ。

 そんな光景をこの家の中で見るのは初めてのことかもしれない。私が物心ついた時には私の分の作り置きだけがあるような状態だったから。

「なにそんなとこで突っ立ってんだよ。早くこっちにきて座れよ」

「金崎さん、早くしないと冷めちゃうわよー」

 すでにテーブルの席についている彼と三柴先生が扉の前で立ち止まっている私を呼ぶ。

 私は初めてみる光景に戸惑いながらも二人に近づいて席に着く。そこは、偶然にも私がいつも座っている席だった。

 いつもの場所からいつもと違うものを見るのはとても奇妙な感覚を私に植え付けた。

「それじゃー、いただきましょうかー」

 そう言ってから三柴先生は両手を合わせていただきます、と言う。彼も手を合わせて、小さな声でいただきます、と言う。

 一瞬だけ、私はどうしていいのかわからなくなってしまった。だけど、すぐにいつものようにすればいいんだ、と気づくことが出来た。

 一緒に食事をする人がいてもいなくても食事の前の挨拶はするべきことなんだから。

 そう思ってから、私も二人と同じように手を合わせて小さな声でいただきます、と言った。

 こうして誰かと一緒に食事の挨拶をするのも初めてだった。

 やっぱりなんだか不思議な感じだ。この感じはなんなんだろうか。

 そんなことを思って、私はそのまま動きを止めてしまう。

「金崎さん、もしかして、嫌いなものでもあったかしらー?」

「え?……あ、そんなことないです」

 三柴先生の悲しげな声で我に帰る。それから、三柴先生の悲しげな瞳に後を押されるようにフレンチトーストを口へと運んだ。

 その途端にふんわりとした食感とともに甘い味が口の中に広がった。ほとんど噛む必要がないほどやわらかい。

 見かけは普通に作ったものとほとんど変わらないはずなのに……。私の作ったものの数倍は美味しいかもしれない。

「どう?美味しいかしらー?」

 三柴先生がこちらをじっ、と見つめてくる。

「……はい、美味しいですよ」

 口の中のものを飲み込むと自然とそんな言葉がこぼれた。

「それはよかったわー。上原君はどうかしらー?」

 本当に嬉しそうな笑顔を浮かべると今度は一真君に感想を求める。

「そうだな。……まあ、美味しいな」

「まあ?まあ、ってどういうことかしらー?」

「……すごく美味しい、ってことだよ」

「うんうん、そうやって素直に言えばいいのよー」

 更に嬉しそうな表情を浮かべる。私は、三柴先生は本当に素直な人だな、と思いながらベーコンエッグも食べてみる。

 思っていたとおり、こちらもとても美味しかった。玉子がちょうどいい硬さで焼けている。それに味付けもいい。料理が上手なんだな、と思った。

「あ、金崎さん、それはどうかしらー?」

「え?お、美味しかったですよ」

 いつの間にかこちらを見ていたことに少し動揺しながらも私はそう答えた。それだけで三柴先生の笑顔は眩しいくらいのものとなる。そしてその笑顔のまま一真君の方を見る。

「上原君もベーコンエッグ、食べてみてくれるかしらー?」

「……」

 彼は黙ったままベーコンエッグを口に運んでいく。

「美味しいかしらー?」

「……ああ。……美味いな」

 返事をしてから変な間があったけどなんだったんだろうか。さっきみたいに、まあ美味いな、とでも言いそうになったんだろうか。

「その変な間はなにかしらー。……私の作ったもの、本当は美味しくなかったのかしらー」

 今まで浮かべていた笑顔はすぐさま沈んでしまい代わりに暗い表情が浮かぶ。

「あ、いや、そう言う訳じゃない。……まだ、口の中に食べ物が残ってたから喋れなかっただけだ」

 彼はうろたえたように答える。

「それは本当かしらー?」

「ああ、本当だ」

「美味しい、って言ったのも本当のことかしらー?」

「ああ、そうに決まってるだろ。先生の作った料理は美味かった」

「そう、よかったわー」

 三柴先生はそう言って笑顔を浮かべた。一真君は少し疲れたようなため息を小さく吐いていた。三柴先生はそれに気づいたようで今度は面白がるような笑みを浮かべていた。もしかして、彼が言葉に詰まっていた理由もわかっているんじゃないだろうか。

 でも、私は彼の姿がなんだか面白くて気がつくと小さく笑ってしまっていた。

「……お前、そうやって普通に笑えるんだな」

 意外そうな表情を浮かべた彼にそう言われる。

「私が笑うの、そんなに意外ですか?」

 私は何故彼がそう思うのかわからなくて首を傾げてしまう。

「ああ、意外だ。お前は笑わないどころかほとんど表情が変わってないからな」

 結構ひどいことを言っているが、でも言われてみれば確かにそうかもしれない。驚くことも少ない。それに、思い返してみれば笑うのなんて何年振りだろうか。

「私が笑ってるの、変ですか?」

 つい、そんなことを聞いてしまう。

「変なわけないだろ。つか、お前は平然と死ぬだとか言ってるような奴だからそうやって笑ってると安心するな」

「そうかしらー?私は仕事上、何人か自殺をしたい、って言う人と話したことがあるけど皆、人の前では無理して笑ってたわよー」

「それはそいつらが普通の奴だったからだろ?何日か一緒にいてわかったけど、こいつ、普通じゃないぞ」

 何故だか失礼なことを言われてしまう。でも、普通とは違う、っていう自覚はある。それがプラスのものなのかマイナスのものなのかは置いておいて。

「……そうかもしれないわねー。昨日は金崎さんには脅されたりしたけど、自殺しようとしてる子でそんなことをする子はいなかったわねー」

 三柴先生は彼に同意する。三柴先生の経験からの折り紙付きで。

 私自身が認めていることとはいえ、なんだかこう、釈然としない。

 でもまあ、いまさら他人からどう見られているのか気にする必要なんてないだろう。だから、そう思った私は、二人の言葉は気にしなかったことにして朝食の続きを食べ始めた。

「……金崎さん、ってマイペースねー。あんまり周りのこととか気にならないでしょー?」

 フレンチトーストを口の中に入れる前で止める。

「そうですね」

 そう答えるとすぐにフレンチトーストを口の中に入れる。

「なんでそんなあなたが死にたいなんて思うようになったのかしらねー」

 唐突に三柴先生の口調に真剣なものが含まれるようになった。仕事熱心なのかな、と思いながらも彼女の質問は聞かなかったことにして無言で食事を進める。

「先生、早く食べないと学校に遅れるんじゃないのか?」

 いつの間にか蚊帳の外にはじき出されていた一真君がそう言う。彼のお皿はいつの間にか半分くらいしか残っていなかった。

「……それもそうねー。金崎さん、ごめんなさい。食事のときにするような話じゃなかったわねー」

 気にしなくてもいい、というふうに私は首を振っておく。伝わったかどうかはわからないけど。

 その後は無言で朝食は進んだ。

 初めてなことと久しぶりなことばかりで戸惑っていたはずの私はいつの間にかいつも通りを取り戻していた。人間、慣れるのは結構早いのかもしれない。朝食を食べながら私はそんなことを思っていた。

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