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第11話「今更の自己紹介」

 午後六時を過ぎた。ここの診療時間はその時間までのようで六時前になると子供たちの喧噪は収まっていき、今では美沙都さんと愛理さんが後片付けをする音しか聞こえてこない。

 一人目の患者が来てから患者が途切れることはなかった。

 子供がたくさんいればそれらをすべて静かにさせるのは無理なことなのだろう。絶えず、子供の泣き声や騒ぐ声が聞こえていた。

 だけど、美沙都さんの前では子供たちも静かになった。何人か注射を受けるような子がいたのだけれど誰もが嫌がることも泣き出すこともなかった。その光景はまるで何か魔法のようなものを見せられているような感じだった。

 美沙都さんは子供が好きなんだ、ということが伝わってきた。

 とても忙しそうなのに美沙都さんはずっと笑みを浮かべていた。それは、子供を相手にする時は笑顔を浮かべていたほうがいい、という打算的なものではなくて自然に浮かんだ、という感じのものだった。

 いつもの私ならそんなこと気が付くことはないけど、ここから動けず見えるものがそれしかなかったから気が付いてしまった。

 気が付くのが嫌、というわけではない。そういうことに気がつくことの出来た自分が意外だと、思った。でもそれと同時にそれを知ったところでどうなるのだろうか、とも思っていたのだ。

 と、不意に片づけをしている美沙都さんとも愛理さんとも違う三つ目の足音が混ざった。私は反射的に顔を上げた。

 そうすると、奥の方から一真君が来るのが見えた。どうやら、裏口の方から入ってきたようだ。

 その彼に最初に声をかけたのは片づけがほとんど終わったらしい美沙都さんだった。

「あら、お帰り、一真。あなたに言われたとおり、千智ちゃんが逃げないように見ててあげたわよ」

「千智?……ああ、そいつの名前か」

 彼は美沙都さんの口から私の名前を聞いて疑問に思ったようだが、すぐに納得したようだ。それが、私の名前だということに。

「あなたたち、お互いにまだ自己紹介をしていないんでしょう?二人とも名前は知ってるでしょうけど、一応しておいたらどうかしら」

 美沙都さんはそう言いながら私と彼を向きあわさせる。

「俺の名前は上原(かみはら)一真(かずま)だ」

「金崎千智です」

 お互いに無表情なまま名前を告げる。私も彼もあまり名前に興味がないようだ。どちらかが興味を持っていたのなら出会った時点でそのどちらかが自分の名前を告げていたはずだ。

「……」

「……」

 私も彼も向かい合ったまま黙る。私も彼も会話をしようというつもりはない。

 私はもともと誰とも話をしたくない。彼はどうしてかはわからないけど私が死のうとするのを止めたいだけ。私と彼の間に会話は必要な時だけにするもの、となっているのだ。

「一真、詳しい話をしてくれるんだったわよね」

 美沙都さんの言葉に彼は私から顔をそらす。

「それは、あのとき急いでたから適当に言った言葉だ。詳しい話も何も、こいつが自殺しようとしててそれを俺が止めたことくらいしか言えることはない」

「あら、そうだったの。……それで、一真はこれからこの子をどうするのかしら?」

「絶対に自殺しようと思うのをやめさせる。……でも、まあそれを完全に達成すんのは難しそうだから、学校くらいは行かせる」

 少し妥協してしまったような感じだけど、それでも絶対に自分の言ったことは成し遂げる、という心意気を感じた。私としてはその心意気をすぐさまに捨て去ってほしい。

「一真はああ言ってるけど、千智ちゃんは学校に行くつもり、あるのかしら?」

 今度は美沙都さんは私の方を向く。

「絶対に行きません」

 答えなんてそれしかない。なんで死ぬつもりなのに学校になんて行かなくてはいけないんだ。それに、もし死ぬつもりがないとしてもあんなつまらない場所には行きたくない。

「……そんなこと言うなら引きずってでも連れてくぞ」

「じゃあ、私、家にこもってます。あなたが私のことを諦めるまで」

「お前に俺がいつ諦めたのかなんてわかるのか?それに、どうせ、あの崖のところには絶対に行くんだろ?だったら、あそこで待ってれば絶対にお前を捕まえれるよな?」

 言い返せるもんなら言い返してみろ、とばかりにこちらを見てくる。私は言い返す言葉が見つからなかった。だけど、このまま彼の言うことに頷くのも嫌なので睨みつける。

 そうしたら彼も睨み返してきた。彼の青色の瞳が光っているように見えた。けど、最初に会ったときのように怖いとは思わなかった。

 そのまま、十数秒の間私たちはピクリとも動かなかった。動きだしたのは美沙都さんが声を出してからだった。

「ほらほら、二人ともそんな剣呑な雰囲気を出してるんじゃないわよ」

 その言葉を合図にして私も彼もお互いを睨みつけるのをやめる。その代わりに私は彼から視線をそらす。彼は顔をそらす。

「でも、千智ちゃん、家にこもるなんてよくないわよ。一真みたいに学校に行け、とかは言わないけど、わたしのところに来るぐらいはしてほしいわね」

「ここに来る理由なんてありません」

「あら、それは残念ね。だったら、一真に引きずってでも連れてきてもらうしかないかしらね」

 どうせ私が家に引きこもってしまえば私を連れ出す方法なんてない。彼は諦めない、と言ったがどうせいつかは諦めてしまうのだ。ただ、彼のやる気からすると何カ月かは待たなくてはいけないかもしれない。

 それは、嫌だった。自分の生きていることに意味を感じられず、つまらないから死にたい、と思ったのだ。家に引きこもるなんてつまらないこと、絶対にしたくない。

 だからといって、あの場所以外で死ぬのも嫌だ。あまり何かを求めるようなことをしなかった私の人生、どうせ終わらせるのなら自分が選んだ場所がよかった。

 でも、それをしようと思えば彼が絶対に邪魔をするはずだ。

 いや、考えてみれば、運が良ければ、というよりも結構高い確率で明日には死ぬ事が出来るかもしれない。

 彼は学校に行かなければいけない。昼休みがあるから彼は太陽が昇った頃にはあの場所に行けるんだろう。だけど、彼に学校を休む、という気がなければ一時頃にはもう彼はあの場所からいなくなっていなければならない。その時間帯でも私が望む条件はきっちりと果たされている。

「家にこもってる私をどうやって引きずるんですか」

 だから、今度はそうやって険を込めた言葉を返すことが出来た。

「まあ、確かにそうね。……ふふ、けど、うちの弟をなめてもらっては困るわね」

 どこか自信に満ち溢れた表情を浮かべる。

「一真はピッキングができるのよ。だから、家に隠れようとしたって意味ないわよ」

 その言葉が信じられなくて私は反射的に一真君の方を見てしまう。

「それは、犯罪だろ!」

 彼は私の視線には気がつかなかったようだった。けど、彼の言葉から美沙都さんの言葉が本当なのだとわかる。

 ピッキング、って鍵穴に針金なんかを入れて開けるんだろうか。ピッキングについての知識なんてあるはずがないからわからない。だけど、彼の前で家の扉なんて意味がない、ということだけはわかった。

「つか、こいつを無理やり入院させるとかそういうことはできないのか?」

 私は絶望的な気持ちになってたけど、どうやら彼自身はピッキングによって鍵を開けるつもりはないようだ。その代わりに今ここで私を自由に動けないようにしたいようだ。

「うーん、精神科の方に見せても異常無しって言われるでしょうから無理やり入院、っていうのは無理だと思うわね。まあ、正攻法で行くなら千智ちゃんの親に千智ちゃんが自殺をしようとしてる、ってことを教えるのがいいんじゃないかしら?」

「けど、それってこいつの親が信じてくれなかったら意味がないんじゃないか?」

「それはそうかもしれないけど、信じてくれるか、信じてくれないかなんて実際に伝えてみなければわからないでしょう?もし、信じてくれなかったとしたら、その時はその時に別の方法を考えればいいわ。わたしは一真がピッキングで鍵を開ける、っていうことでいいと思うけれどね」

「それは犯罪だ、って言ってるだろ……。でもまあ、信じてくれるか、くれないかなんて考えることなんかじゃないよな。……というわけだから……千智、電話番号を教えてくれ」

 そこでようやく今まで会話に加わることの出来なかった私に声をかけられる。と言っても電話番号を聞かれただけだ。

「嫌です」

 端的にそれだけ言う。教えるつもりなんて毛頭ない。

 そういえば、途中で妙な間があったけどなんだったんだろうか。私の名前を忘れてしまっていたんだろうか。まあ、どうでもいいことだけど。

「どうしてだよ」

「それはこっちの台詞です。どうして私があなたに電話番号を教えないといけないんですか?」

「それは、お前の親にお前が自殺をしようとしてるってことを伝えるために決まってるだろ。俺たちの話、聞いてなかったのか?」

「聞いてましたよ。この距離で話が聞こえないほど私の耳は悪くないですから」

「だったら、なんで―――」

「私は伝えてほしいなんて一言も言ってないです。今までほとんど私に構ってくれたことがないから私が自殺することなんて気にしないと思いますけど、万が一、ってことがあるかもしれないですから。邪魔される、なんていうのは嫌です」

 彼が何かを言う前にまくし立てるように言う。


「気にしない、ってそんなことあるはずないだろ!」


 全く予想していなかった彼の大きな声。私は驚いてびくっ、と体を震わせてしまう。

「……っと、ごめん。冷静さを、失っちまったな」

 私に謝るため、というよりは自分自身に言い聞かせるように言った。それから、私から少し距離を取ってしまう。

 彼がどうしてあんな大きな声を上げたのか、どうして、私から距離を取ったのかその理由がわからなくて私は首を傾げてしまう。

 いや、彼が私から離れてくれるのは嬉しいことだ。私から離れる、ということはそれ以上何かを言うつもりがない、ということだからだ。だけど、それがあまりにも唐突すぎたから疑問に思ってしまう。

「千智ちゃんは、一真のことが気になるのかしら?」

 途中から私たちの話を聞いているだけだった美沙都さんがそんなことを言ってきた。

「別に、そんなことないですよ」

 そうは言いながらも私は彼の方を見てしまっている。

 彼は無言でどこかを見つめている。その少し虚ろな青い瞳が私が持つ彼の印象とかけ離れていた。

 何故だか、そんな雰囲気を醸し出す彼のことが気になってしまう。

「そんなこと言いつつも視線はわたしではなくて、一真の方に行ってるのね」

 くすくす、とおかしそうに笑われてしまう。

 私は自分の言ったことがこれ以上嘘にならないように、と美沙都さんの方を見る。

「そんなに無理してわたしの方を向かなくてもいいのよ?」

「無理なんてしてないです。彼のことなんてどうでもいいんですから」

 そう、そうだ。私にとって彼はどうでもいい存在だ。だから、彼のことを気にすることなんてない。

「千智ちゃんがそう言うなら、そう言うことにしといてあげるわ」

 美沙都さんはそう言ってから黙ってしまう。私から話すことなんてないし、一真君は未だにどこかを見つめているだけで言葉を発する様子はない。だから、必然的にこの場は沈黙に支配されてしまう。

 愛理さんが向こうの部屋で片付けをしている音だけが聞こえてくる。

「先生、片付けが終わりましたからあたし、あがりますねー!」

 少ししてから愛理さんがこちらの部屋に顔を覗かせてそう言った。

「ええ、お疲れさま」

「先生もお疲れ様です。……千智ちゃんも、ばいばい」

「え、はい、さようなら」

 そうして、愛理さんは帰っていってしまった。愛理さんは私たちの醸し出している雰囲気が気にならないんだろうか。それとも、気を、使ってくれたんだろうか。

 どちらにせよ、また、沈黙が訪れる。もう、愛理さんが片付けをする音はない。聞こえてくるのは、時折、この診療所の前の道路を走る車のエンジンの音くらいなものだ。

 私は、こうしているのが暇になってゆっくりと瞼を閉じる。別に寝るためじゃない。思考を巡らせるためだ。何を考えるか、なんてのも考えてないけど。

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