見たくないモノ
――人には基本、見たくないものがある。
それは大失敗したテストの回答であったり、女性にとっての体重計であったり、動物の死体であったり。
大勢の者が避けるもの、一部の者が避けるもの。人によって一緒で、人によって違ったりもする。
僕、三守 七緒にもそれは存在し、そしてそれは、おそらく人とは違う。
……僕にとってのそれは、影だ。
真っ黒な影、靄ともいえるそれは、人の形であったり、動物の形であったりする。それは、時には道路の真ん中に佇むように存在し、時には線路の上に存在し、そして時には突然目の前に現れたりもする。
一般的に幽霊といわれる部類の存在なのだろうソレは、おそらく何かしらの意思のようなものがあるのだろう。
それが未練か、なにかまではわからないが、アレは何かしらの目的のために行動を起こす。
そう……例えば今、目の前で談笑している少女たちに手を伸ばしているように。
……どうしようか。
そう考え、すぐに答えを出す。基本的に、アレに目を付けられていい影響があることはない。そして、僕はそうなるのを見て見ぬふりはできない。
幸いなことに、アレの手は、廊下に存在するロッカーから伸びている。今までの経験上、こういったタイプのモノは基本的に決まった場所から動けず、閉鎖された空間からも出れないはずだ。
つまり今回の解決案は、開きっぱなしのロッカーを閉めればいい。
何食わぬ顔で歩いて行って、ロッカーに近づき、ゆっくりと閉めて、そのまま離脱する。完璧だ。
脳内シミュレーションを数回行い、実行に移す。まずはロッカーに近づく。そこで、もうすぐアレの手が少女たちに届きそうなことに気が付いた。慌ててロッカーに近づき、閉める。
バタンと、目立たずの意味とは真逆の、大きな音が鳴る。やってしまったと思ったときにはもう遅い。
ふとあたりを見れば、注がれる視線、視線、視線。
「あ……えと……し、失礼しました!」
その注目に耐え切れず、よせばいいのに声を上げ、走ってさらに悪目立ち。
注がれる視線から逃げるように……というか逃げた。
///-///
視線から逃げ、向かったのは食堂。昼休憩なので、食事をする生徒は多い。
少し息を切らしながら、ひとまず空いている席に座る。そして一息つき、先ほどのことを考える。
あれはない。ありえない。音を出してしまったのはまぁしかたない。でもそのあとの対応はない。
こちらに視線を向けてきた彼らの脳内をシミュレートしてみよう。何あいつキモイ……やめよう、一人目でこれじゃ心が折れる。
幽霊が見えるというおかしな体質のせいで、僕は時々、いやしょっちゅう挙動不審になる。
それで、小中学校では散々な目にあってきた。そのせいで、人と関わるのが苦手になってしまった。
いや、店員や何度も話したことがある人などは大丈夫なんだ。初対面だと、何がダメとかいろいろ考えてしまってかなりのネガティブシンキングで考えすぎてうまくしゃべれなくて――
「――あの」
「うひゃい!?」
急に声をかけられて驚いて変な声が出てしまった。
奇声を上げながら振り向いた先には、先ほど談笑していた少女たちの一人が。
なんだろう。まさか先ほどの奇行を馬鹿にしに来たのだろうか。
そんなネガティブなことをまた考えていれば、少女がふと、あるものを差し出してきた。
「これ、あなたのですよね?」
「え?」
少女の手には、一つの学生手帳が。開かれている部分にはしっかりと僕の顔写真も乗っていた。
ポケットを探り、確かに入っていたそれがないことを確認する。
「は、はい……僕のです」
そう、ぼそぼそと小声で言えば、よかったと、ふわりとした笑顔を向けてくれる。
「お昼を食べるときに困るんじゃないかって、急いで追いかけたんです」
間に合ってよかったと、また笑う少女に、なんとかありがとうと告げ、それを受け取る。
それを確認した少女はまた笑い――
『タノシソウダネ』
ぞくりとした。寒気がした。いやな予感がした。
「あの、もしよかったらなんですが」
「ごめん」
「え? あ、ちょっと!」
何か言いかけた少女にそれだけ告げ、急いでその場を去る。向かう先は校内のトイレ。
備え付けられている洗面台の前に立ち、鏡を確認する。
「そりゃ、あれだけ注目を集めたら幽霊の注目も集めるよな」
鏡に映る自分の背後に存在する、黒い影を見ながら、自嘲気味につぶやく。
『タノシソウ』『サビシイ』『ワタシモハナシタイ』
頭に響く妙な声。それはどんどん大きくなり、それに従い、体がだるくなってくる。
重い足取りで保健室へ向かい、早退の申請をする。申請が受理され、荷物をまとめて学校を出る。
昼真っただ中の、暑い夏の日差しに焼かれながら、移動する。向かう先は自宅ではなく、とある場所。
鉛のように重い体にむち打ちながら鳥居をくぐり、長い階段を上る。登り切った先に存在するのは、一つの社。
伸び放題になった雑草を踏みしめながら、社へと近づく。賽銭箱の横をすぎ、罰当たりといわれるかもしれないが、扉を開けて中に入る。
社の中に存在するのは、一つの仏像。その隣に、鞄を枕に横になる。
「またお世話になります」
そうつぶやき、僕は目を閉じた。
目が覚めれば、眠りにつく前のだるさはすっかり消えていた。
「ありがとうございました」
起き上がり、隣の仏像に手を合わせて拝む。
以前偶然で見つけたこの無人の社だが、この仏像からはなにか、温かい光のようなものが流れてくる。
それは、人に取り憑くような幽霊にとって苦手なもののようで、仏像の周囲にいれば幽霊は寄ってこないし、自然と離れて行ってくれる。
ふと、そういえば先ほど雑草が生えていたことを思い出す。ギブアンドテイクが基本の世の中。自分にできることがあるならやっておきたい。なので定期的に、ここの掃除をしている。
「また掃除しに来ます」
そう告げて、社を出て、帰路につく。
///-///
社を出れば、時刻はもう夕方。日が落ちるぎりぎりの時間だ。
少し急ぎ歩いていれば、途中の公園でふと目に留まるものがあった。
「……子供?」
公園の砂場で遊んでいる子供。普通ならおかしなところはないのだが、その時の僕は妙に気になった。
その子供はもう日が落ちそうだというのに、一人で遊んでいる。周囲に保護者の姿はない。
「君、もうそろそろ帰らないといけない時間じゃないの?」
思わず声をかけてしまう。
「……?」
声をかけられた子供は、不思議そうにあたりをきょろきょろとする。まるで声をかけられたのが自分ではないと思っている様子。
「君だよ、君」
「……?」
またきょろきょろとして、そして人差し指で自分を指す。そうそうきみきみと頷けば、ぱぁっと明るい笑顔を向けてきた。嬉しそうにこちらにかけてきて、一言。
「お兄ちゃん。あそんで!」
「え?」
「あそんで、お願い!」
困惑していると、せかすように手を引いてくる。いやだからもう帰る時間だというのに。
しかし、子供の顔からは絶対に遊ぶという意思が伝わってくる。しかたないと、ため息をつく。
「すこしだけね。ちょっと遊んだら帰るんだよ?」
「うん! じゃああれであそぼ!」
元気よく返事をする子供に手を引かれながら、僕は公園の中へと入っていく。
それから、ブランコで遊び、シーソーで遊び、ジャングルジムで遊んだ。子供が本当に楽しそうにするので、僕はなかなか終わりを切り出せないでいた。
「ほら、もうこんなに暗い。そろそろ帰らないと、お母さんやお父さんを心配させるよ?」
そして、公園を照らすものが街灯のみとなったとき、やっと切り出せた。
「……ん、わかった」
子供は聞き分けがよく、ようやく帰る気になったらしい。
「楽しかった。ありがとうお兄ちゃん!」
「ん、それはよかった。それじゃ――」
「――じゃあね!」
さすがにこのまま放りだすのは気が引けるので、家まで送ってあげようか。そう告げようとしたときだ。
子供が、消えた。
「……あぁ、そういうことか」
少し放心し、そしてすぐに察す。
夕方、黄昏時ともいうだろうか。その時間は、一部の幽霊にあることが起こる。
真っ黒な影だったそれに、色がつくのだ。特別意思の強いモノがその時間だけ、生前の姿をとる。
後から聞いた話だが、この公園の近くで、一人の子供が死んだらしい。そして、その少しあとから、遊具がひとりでに動くなどの怪奇現象も起きていたと。
……おそらく、あの子はただ遊びたかったのだろう。そして満足して、消えた。
「……帰ろう」
踵を返し、公園を出る。少し歩けば、また真っ黒な影を発見する。僕は、何食わぬ顔でその横を通り過ぎる。
幽霊が存在する、僕にだけ見えるこの世界。人に取り憑くような存在のいる危ない世界。ただ遊びたいだけという、無邪気な存在がいる悲しい世界。
こんなモノ、僕は見たくない。
アオイです。
見たくないモノ、皆さんにもあることでしょう。もちろん私にもあります。
例えば全く進まなかった執筆だったり、もうすぐ終わる春休みだったり……これから始まる就職活動だったり……もう目をそらしたい。こんな現実みたくない。