ドッペルゲンガー
「さみぃ」
紺色のマフラーに口元まで埋め、顔とマフラーの間から白い吐息が漏れ出す。つい最近まで街はハロウィンだなんだと騒いでいたはずなのに気温の低下に伴うようにクリスマスムード一色に染まっている。
年期の入った古本屋ですら店頭に光るサンタの置物にもうしわけ程度のイルミネーション用の電球がチカチカと光り輝いている。
そんな街の装いもアルガは嫌いではなかった。毎日のように通るこの道も季節によってまた違った顔を見せてくれる。いつしか大人になったときこの景色を懐かしむ時が来るんだろうなっなどと薄ぼんやり考えてしまう程度には高校3年生という物は大人に近づいてきているということだろう。
「よっ! アルガちゃん今日も学校たぁ、せいがでるねぇ!」
ハゲ頭に白い捻りハチマキを巻いた威勢のいい男がアルガの肩を小突く。商店街の八百屋を営むおっちゃんだ。
「おっちゃん、高校生が平日に学校いかない方がどうかしてんだろ」
アルガは苦笑いしながら答える。というのも毎朝同じセリフをかけられるといい加減返すセリフも毎回同じになってしまうのだ。
「ちげぇねえな!気ぃつけていってこいよ!」
「うぃーっす」
アルガはおっちゃんを振り返りもせず右手を軽くヒラヒラと振ってみせる。おっちゃんは大人びちまってしょうがねぇなぁなんて漏らしながら店の中へと消えていく。
商店街を抜け徐々に車の通りが多くなる。この交差点を超えれば駅が目の前に出てくる。はずだった。
「……あんな建物あったっけ?」
アルガは青に変わる信号にすら気づかず交差点の向こう側に視線を送り続ける。普段なら駅の入り口すぐに改札が見え駅の上のビルには塾や歯医者、CDショップの看板などが見えるはずなのだ。
それが何故か改札はおろかビルすら見当たらない。いや見当たらないというよりは別な建物が建っている。
煉瓦づくりで元の建物と横幅こそ同じくらいだが縦が長い。長いなんて物じゃない。上層の方を見ようにも霞んでいて終わりが見えない。
「夢……かな?昨日までこんなものなかったのに。」
アルガは周りの目を気にしながらも軽く頬をつねってみるが普通に痛い。
現実なのだろうか、しかし一夜駅ビルを無くして超高層建築物を建てるなんてことが可能だろうか。いや、特に建築について学んでいるわけでもないアルガにも分かる。そんなことはありえない。
骨組みを作ってパーツごとに運搬し飛躍的に建築期間を短縮するなんて話を聞いたことはあるがそんなレベルの話ではない。完全に狐に化かされたとでもいうべき減少だ。
そんななかアルガはあることに気がつく。先ほどまで騒がしかったはずの車や人のしゃべり声が聞こえないのだ。
高層建築物にやっていた視線を辺りへと向ける。すると自然と肩に下げたカバンを持つ力が強くなる。
「――なんなんだよこれは……」
辺りから車や人は消えていた、否、あったはずの風景すら無くなっている。先ほどまで歩いていた商店街も渡ろうとした横断歩道、全てが草や木々にすり替わっている。
「何がどうなって……」
と震える声を出すアルガの耳に突如静寂を打ち破る音が鳴り響く。それは高層建築物の方からである
高層建築物の最下層、元々改札があった位置についているやたらと物々しい扉が開き始めている。
ギギギギギギギギ
軋んだ音を立てながら開く扉からアルガは目が離せない。
「ひっっ――」
アルガは息を呑む、それもそのはず、中から血まみれの男が倒れ出てきたのだ。全身血まみれで、顔も血だらけでアルガからの距離では表情を伺えない。
アルガは自然と足がその男の元へと向かう。恐怖はもちろんある。だが行かなければいけない。そんな胸騒ぎがした。もつれる足を必死で前へと投げ出しアルガは血まみれの男の元、高層建築物の真下までやってきた。
「大丈夫ですか!?」
アルガは声をかけながら男の肩を掴もうとして止めてしまう。出しかけた手が男の頭上で行き先を無くしたように泳ぐ、その手を逆に血まみれの男が掴む。
「中には……入るな……」
そう言うとアルガを掴む男の手はずり落ちていく。
目は開いたまま前を見据えているはずなのにどこも見ていない。そんな焦点の合わない目で硬直している。
「な……なんなんだよ!! 意味わかんねぇ! 意味わかんねぇよ!」
アルガはマフラーに手をかけると乱暴にむしりとり男の顔にかける。端から見たら何の意味があるのか分からないがアルガには男の顔を見たくない理由が確かに存在した。
男はアルガと同じ顔をしていた。
ドッペルゲンガーとでも言うのだろうか、同じ顔、同じ名前の人物、その人物に遭遇するとドッペルゲンガーは本人を殺し本人と入れ替わってしまう。そんな話があるがこれではまるでアルガがドッペルゲンガーである。
「バカなこと考えてたって始まんねえ、今出来ることは現状の把握だ。 取りあえずこの建物に何か秘密がありそうだ。」
「とにかく中に入ってみて見れば分かる!……違う――さっき俺は中に入ったじゃんか、右も左も上下も分からなくなって気づいたときには体中から血が吹き出してきて手探りでドアをみつけて出て来たらオレがいて!――何…バカなことをいって…俺は…いつ……中に入ったんだ?」
アルガの意識は混濁していた。確かに同じ姿形の人物が死ぬ姿を見たのは確かだ、だが何故かアルガはその死んだはずのアルガの記憶までも保有していたのだ。
「確かに俺は中に入った……んで出てきたら俺が駆け寄ってきて俺は言ったんだ、中に入るなって……」
もう何がなんだか分からない駆け寄った側でもあり駆け寄られた側でもあるアルガ、映画ならありそうな話ではあるが映画は映画だ、実際は別々に撮影したシーンを合成したに過ぎない作り物。だがアルガに起きた現象はリアルタイムで二つの記憶を保有しているという矛盾。
「取りあえず中は危険なんだ……一旦離れよう……」
そういってアルガは向かってきた道を戻る、先ほどまで商店街だった森へと足を運ぶ。