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吾輩は眼鏡である

作者: 桜枝 巧

【フォトジェニック】【残念ながらメガネが本体】【「愛してる」の代わりに】【安楽椅子探偵】

 吾輩は眼鏡である。名前はシャネル。

 どこで生まれたか、と問われればそれは工場ということになるのであろうが、覚えていない。よく冷房の効いた硬い机の上で、物も言わずうずくまっていたことだけは記憶している。

 吾輩はここではじめて人間と云うものを見た。スーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったが、残念ながら吾輩は恐ろしさにきちんとその瞬間を見ていなかった。そして気が付くと、柔らかな何かに座らされていた。そこに、人間がいた。

 それは巨大な楕円2つであった。

 吾輩自体も確かに「楕円が2つ」ではあるが、吾輩と人間のそれは全く違っていた。吾輩の場合、楕円は透明で美しく輝き、どこまでも見押すことのできる術がかけられている。吾輩自身、非常に気に入っている一部である。

 対してこの人間と云う生き物は真っ黒であった。否、黒き闇に包まれていたのはその中心の円だけであり、むしろ色合いとしては肌色が多いのであるが、黒、というにふさわしい生き物だったのである。黒はそれと対照的な白に取り囲まれてゐた。一切の汚れも許さぬ白である。白と黒の境界線は隣同士にありながら一瞬たりとも交わることがなく、ははぁ人間と云うものは自身の内でも仲たがいを起こす生き物であるのか、と納得した。

 その周りを肌色が優しげな顔をして包み込んでゐる。吾輩は自身のつるを以てその肌色に触れ、平衡を保つ。なかなか柔らかく、心地が良い。ただ、その中心には常に黒がおり、吾輩を突き刺すように見つめていた。

 この人間と云うのは面白いもので、光物を好むようである。まぶしいほどの光が何度も何度も吾輩の背中を打ち付けてくるのである。

「はーい、いいねえ、いいよ、カッコいいよ」

「次、ウインクしてみようか」

などと背後から聞こえてくるが、吾輩は残念ながら動けぬ、振り向いて直接音源を確認することすらできぬ。

 人間の黒色には僅かながら外の世界らしきものが映り込んでゐた。何やら角ばった四角いもの、ひょろひょろと長い謎の生き物が数体、大きく銀色でやけに平たいそうなものが数枚。ただ人間の中央に佇んでいる黒がどことなく嬉しそうに見えたので、おそらくこの光を楽しんでいるのであろう。不意に黒白が一瞬肌色に塗り替えられるのには驚いたが、まあ、それは歓喜の証拠なのであろうか。

 ふっ、何にせよよいよい、吾輩はこの温かな突起に座り込み、つるで彼に触れ、人間と云う生き物を観察するのみである。

 吾輩には劣るものの、よくよく見ればこやつもなかなか美しい。黒は吾輩の記憶の始まりとなる暗闇より黒く、深く澄んでゐる。それをきっぱりと否定するかの如く、白はどこまでも白い。ああ、素敵だ。これほど他のものを美しいと思ったことはない。よもやこれが恋という奴なのかもしれぬ。そう、そうだ、こやつと一つの生を全うできるのであれば、こんなに嬉しいことはない。

 ぱしゃり、ぱしゃりと音は続いていく。其の度に背後で光が満ち溢れる。なるほど、これはもしや我々を祝福する光なのではあるまいか。そうと考えれば納得もいく。

 ああ、素敵。

 さあ、いつまでも祝福の光を――。

 次の一瞬、吾輩は自身のレンズを疑った。ぱしゃりぱしゃりと続いていた音が止まったのである。まぶしいほどの光も止んでしまった。どういうことだ? 誰かが吾輩達の永遠を汚すというの? どうして?

 だんだんと人間が離れていく。よせ、吾輩はそなたに多大なる想いを抱いたというのに。ああ、なんという悲劇。何という結末。つるを伸ばしたところで、強大な力にはかなわぬ。

 離れていく、離れていく。

 さよなら、愛しき人。

 何も言えぬ吾輩は最後につるで彼に触れたのち、意識を手放した。



「はいはーい、撮影お疲れ様でした。いや、やっぱり眼鏡も似合うと思ったんですよ、君。おかげで良い広告が作れそう」

「あー、ありがとうございます。ま、なんだかんだ言って主役は眼鏡ですから。僕は引き立て役。いつもはコンタクトですしね。ちょっと鼻の部分が痛いです。――眼鏡って重いなあ」


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