一話 疑うことを知らない剣士と、嘘つきな暗殺者(6)-2
ロランは走りながらなぜ少女を追いかけているのか考えた。本来ならドルレアンに斬りかかった男を追うべきだろう。彼女が男と関連しているかはわからない。しかし直感が彼女を追うことを訴えていて、ロランはそれに従った。あの不思議な体験はなんだったのだろうか。ともかく早いところ捕まえて、現場に戻らなくてはならない。慣れ親しんだ町で、ましてや相手は女性の足だった。みるみる距離が縮まる。ロランは騒ぎにならないように細い路地に来るまで待ってから少女の腕を掴んで路地裏に引きずり込んだ。彼女が刃物を取り出して振りかざす。ロランは刃物をはたき落として壁際に彼女を押しつけた。
「いやっ。離してっ」
高くか細い声で少女が非難する。握った手首も細く、力を込めたら折れてしまいそうだった。
「何故逃げた?」
「逃げてなんか、いないわ」
少女は言葉を返した。
「では何故抵抗した?」
ロランは地面に目線を下ろした。丁寧な細工の施された短剣が転がっている。
「……襲われる、と思ったからよ」
下手な嘘だとロランは思った。彼女はロランが追いかける前から逃げている。
「そうか、わかった。安心していい。襲ったりはしない」
ロランは諭すように言った。掴んでいた腕を放して、彼女の目を見たままゆっくりと屈んだ。
「だから逃げるな。いいね?」
短剣を拾い、彼女に返す。また切りつけてきても、容易に取り返す自信はあった。
「さて、どこから聞いたものか……」
「……」
彼女は短剣を胸に抱え、じっとこちらの様子を窺っている。小柄でその顔にはまだ幼さが残っており、ロランが思っていたよりさらに幼いのかもしれない。
「町の人間じゃないだろう。どこから来た?」
ロランは訊いた。
「……」
「黙ってたらわからないよ。君は……あの刺客の仲間なのか?」
「……」
彼女は頑なに無言を貫いていた。だが、ここで否定しないのは認めているのと同じだ。
「何か言ったらどうなんだ?」
「……」
少女は後ろを向いて立ち去ろうとした。もう何もここには用がないみたいに。ロランは慌てて引き止める。
「待てよ! 暗殺まがいのことをしてこのまま許される訳ないだろうっ」
許す、という言葉に彼女が反応したのがわかった。振り向いて強い口調で反発する。
「あなたにわかる訳がないわ!」
その時の彼女の表情が、ロランにはとても悲しそうに映った。いまにも泣き出しそうで、あのときの状況がまた蘇る。
血だまりに倒れる父。
泣きながら見つめる女の子。
何もできずにただ震えている自分。
その涙にむせぶ姿が自分を責めているような気がして思わず、
「……もう泣かないでくれないか?」
ロランは口走っていた。何を考えているわけでもなく、無意識に出てきた一言だった。
少女は大きく目を見開いた。自分の直したい悪癖を他人に指摘されたように、彼女は顔を赤くしてロランを問いつめる。
「なっ。あなたは……誰?」
ロランも自分で口にした台詞が信じられなかった。記憶と現実をごっちゃにしてしまうなんてどうかしている。ロランは返す言葉に詰まり、戸惑いのまま立ち尽くした。
「おい、そこで何をしている?」
突然声がした。振り返ると路地の入り口でジャンがこちらを見ていた。ロランはとっさに逃げようとする彼女を掴んで、彼女の手にある短剣をジャンに見えないよう自分の体で隠した。うっかり刃に触れてしまったらしく、小さな痛みが走る。指先に血が伝う感触を覚えながらもロランは言い繕った。
「いや……別に。……刺客は捕まったか?」
「まだだよ。お前も油を売ってないで手伝え」
「わかっている」
ジャンはその場を離れようとして、気が付いたように言った。
「して、その娘は?」
ロランは困惑した。どうにかして言葉をひねり出さなくてはならない。
「あ、ああ、この子は親戚なんだ。祭りを見にきた。名前は……えーっと……」
「(クロエ)」
彼女が小さく呟いた。
「クロエ! クロエだ」
口をついてから失敗したと思った。女中姿の親戚なんて疑われるに決まっている。
「……そうか」
ジャンはしばらく値踏みするように彼女を見つめ、やがて無言で立ち去った。ロランは溜息をついて胸をなで下ろした。
「……離して」
そう言われて彼女の腕を離す。案の定短剣で手のひらを少し切っていて、伝った血は彼女の前掛けを汚していた。
「まずは……刺客を捕まえるのが先だな。悪いけど、それまでどこかに身を隠しておいてもらおうか」
傷口にボロ布を巻き付けながら、ロランは言った。彼女は諦めたのか、何の抵抗もしなかった。
「親戚だと言った手前もあるし……とりあえず家にいるのが一番安心か」
ロランは人目に付かないようこっそりと家までクロエを連れた。いまは使われていない厩舎にとりあえず彼女を匿うことにする。
「ここなら誰も来ない。俺が戻ったら話そう。それまでは誰にも見つからないようにしてくれ。いまは刺客を捜索するためにあちこちに人がいるんだ。お前も逃げるのは賢い選択じゃないのはわかるな? じっとしていてくれ。俺もお前のことは誰にも話さない。下手に動くよりここが安全なんだ。いいな?」
それまで大人しくしていた彼女は急に心細くなったようだった。
「……信用、できるの?」
「こっちの台詞だよ。絶対に逃げるなよ」
ロランは首に提げていたペンダントを外してクロエに手渡した。
「何?」
「父の形見だ。大切な物なんだ。なくなったら困る、というか命より大事にしていると言っても過言じゃない。信用の証として、それを預ける。だから必ず俺に返してくれ」
クロエが目を丸くした。
「何でそんな大切な物を渡すの?」と訴えかける。
「なんでだろうな。……頼むからどっかに放ったりしないでくれよ。行ってくる」
ロランも何故渡したのかはっきりわからない。ただ信じてもらうためには、大切なものを渡すのが一番良いような気がしたのだった。