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一話 疑うことを知らない剣士と、嘘つきな暗殺者(6)-1

 Ⅵ (ロラン)


 翌日、祭りは滞りなく執り行われた。空は真っ青に晴れて寝ていない目には刺すように眩しく、雲は守られるものもなく風に流されていった。

 ロランは朝からジャンと一緒に見回りをしていた。町の外周にそってぐるりとまわり、異常がないことを確認した。酒場では気が早い者が朝から飲んで騒いでいるが、祭りは夜こそが本番だ。かがり火を焚いて踊りあかすのが習わしだ。そこで男は女に想いを語り、通じあえば契りを交わす。年ごろの男と女にとっては伴侶を決める大切な祭りだった。だがロランにとってはどうでもいい。イネスがどこかにいないものかと自然と目が探してしまう。


 川から細く水を引いた洗い場には、今日も女たちが寄り集まって洗濯をしていた。遠くからでも声が聞こえるほど賑やかだったのに、ジャンが近づいてくるのがわかるととたんに静かになる。ロランとしては非常に居心地が悪いのだが、ジャンは気にとめる様子もなく洗い場へ上っていく。あ、という声のあと、誰がうっかりしたのか女物のシュミーズが一枚流れてきた。女たちはジャンのいる手前、恥ずかしさから手を伸ばすことができない。ジャンが水辺でそれを拾い上げた。泥を拭い、女たちの集まる場所へ悠々と足を運ぶ。普段は洗濯場には男を近寄らせない女たちも、今回は何も言わなかった。


「こちらはどちらのマドモワゼルのものですか?」


 ジャンがシュミーズを丁重に差しだした。


「あ、あたしのです……」


 一人の純朴そうな娘が名乗り出ておずおずと受け取る。まわりの女たちは嫉妬のこもったまなざしでそのやりとりを眺めていたが、女というのは多数になると俄然積極的だ。いずれ我先にとジャンの今夜の予定を問いただしていた。


「いやいや私は警備をしていますよ」


 悔しがる声が方々から聞こえたが、


「もしかしたら、少しだけ参加するかもしれませんけど」


 ジャンが付け足すと、途端に場が沸き立った。

 ロランはそのやりとりを退屈そうに眺めていたのだが、「ロラン、おはよう」と声をかけられて振り返ると、いつのまにかエマが洗濯籠を抱えてロランの後ろに立っていた。


「エマ。なんとかしてくれ。これでは警備の続きが出来ない」


「私には無理よ。あなた一人で行ってきたら?」


「……仕方ない。居づらいだけだし、そうするか」


「ねえ、ロラン……ロランは夜の祭りには参加するの?」


 エマは頬を染めて、しきりに髪をいじった。


「いかないよ、多分」


 ロランはぶっきらぼうに答える。イネスのことで、とても騒ぐ気分でもなかった。


「そう」


 エマは残念そうに俯いた。


「何か用でもあるのか?」


「何でもないわ」


 エマは身を翻して女たちの輪に加わってしまった。ロランはしばらくジャンを待ったが、結局は待ちきれずに先に進むことにした。一通り探したが、やはりイネスは見つからなかった。



 広場では昨日の楽師たちが賑やかに演奏を行い、昼どきだというのに飲めや歌えの大騒ぎになっていた。楽師たちの奏でる音楽は華やかで、ロランにもなんとなくパリに住んでいた頃を思い起こさせた。今年は去年よりは作物の実入りが良かった。楽観できる量ではなかったが、それでも人びとの表情は明るい。


 ドルレアンが祭りを視察するというのでリシャールが広場まで案内することになり、ロランを始め自警団の何人かが面倒が起こらないよう見張りをしてドルレアンを待っていた。待ち合わせ場所にエンゾの姿はなかった。教会に行っているのかもしれない。ロランも早く終わらせて、もう一度イネスを探しに行きたかった。


 やがてしばらくするとドルレアンが従者たちに守られるようにしてやってきた。リシャールとエマが付き添いでドルレアンの世話をして、ドルレアンの従者たちが酔っ払いが近づかないようまわりを固めていた。ドルレアンはエマがえらく気に入ったようで、彼女の尻ばかりを追いかけ回している。エマは器用に逃げ回っていたが、何かあったとしてもリシャールが黙ってはいないだろう。ロランは気の抜けた面持ちでその様子を見ていた。剣を履いた物騒な従者たちのせいで、不用意にドルレアンに近づく者もいなかった。


 まだ陽は高いが、かがり火が焚かれはじめた。町の祭りはこれからが本番になる。飲んで踊って、遊戯や芝居を楽しむ。広場には町中の人間が集まった。踊る男女。興奮して走り回る犬。転がる酒杯。ロランはあまりこういった場所は得意ではなかった。どうしても息がつまる。嫌っているわけではないが、性に馴染まないのだ。


 ロランは何気なくあたりを見回して、雑踏の中に目を留めた。一人の女がドルレアンの方を見ている。こちらには全然気を止める様子もなく、人混みを挟みながらもロランとの距離は十歩もなかった。


 頭巾で髪の毛はすべて覆い隠し、ひさしのように両側に垂らしていた。そのためロランの角度からは横顔の一部しか見えない。白と茶を混ぜたようなシャツに、薄汚れた前掛けをしている。洗濯女のような格好だった。シャツからのぞく肌が陶器のように白い。ロランが気になったのはドルレアンだけを食い入るようにじっと見ていたのと、見慣れない顔をしていたからだ。祭りだから外からも人はやってくるが、女中のような者がわざわざ遊びにはやってこられない。どこかに主人がいるのだろうか。わずかな違和感にロランは目を凝らす。最初は彼女が祭りなのに楽しい表情をしてないのが原因かと思った。指先がわずかに震えている。そしてロランは気付いた。女中にしてはあまりに手がきれいすぎるのだ。ひび割れも、火傷もなかった。ロランは女の顔がもっとよく見える位置へと移動した。鼻や口、全体的に小さな作りのなかで瞳だけが大きい。十五やそこらのまだうら若い少女だった。今にも泣きそうに見える思い詰めた表情。どこかで見覚えがある気がして、しばらく考えてロランの脳裏に父が殺されたときにそばにいた女の子の姿と重なった。ロランがその顔をまじまじと見つめていると、不思議な現象が起こった。


 青かった彼女の瞳が、一瞬にして紅く変わった。

 ロランは吸いこまれるような感覚に襲われて、彼女の瞳に釘付けになる。


(いったいこれは……)


 気がつくと視界いっぱいに紅い光景が広がっていた。ロランは息を飲む。


「なんだこれはっ……」


 何もかもが変わらずに存在しているのに、どれも動かない。あれほどうるさかった祭りの喧騒も聞こえない。ロランは近くにいた者を揺すった。しかし何の反応もない。石のように固まっていた。樽酒を浴びる老人も、踊りに夢中の若い娘も、目につくものすべてが止まっていた。ロランだけが音もなくゆっくりとこの時間を生きている。


「みんな止まっている……」


 あちこち視線を巡らせていると葡萄酒をあおるドルレアンの前に、いつのまにか長い外套を着た男が立っていた。男がゆっくりと動き出した。この状況で動いているのは自分と、その男だけに見えた。誰一人として彼に注意を向けている者はいない。男は小剣を煌めかせた。上向いたドルレアンの喉元へその剣を突き立てようとする。


「やめろ!」


 ロランは思わず剣を抜いて叫んだ。

 視界が歪んで、景色に色がついた。いつもどおりに時が流れていく。止まっていた雑踏の響きがまた聞こえだした。それから悲鳴。ドルレアンが椅子ごとひっくり返り、悲鳴をあげるエマをリシャールがかばった。突然現れた乱入者に広場は騒然となる。小剣を振りかざした男がこちらを見た。しかしすぐにドルレアンの従者たちが男に襲いかかり、男は外套を翻して逃げた。ロランが少女のほうへ向き直ると、彼女はびっくりした表情でロランを見ていた。瞳は青い。声をかけようとすると、気を取り直したのか彼女は広場から突然走り出した。ロランは本能的に少女を追った。



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