一話 疑うことを知らない剣士と、嘘つきな暗殺者(4)
Ⅳ (ロラン)
予定通り、マーヴィス・ドルレアン男爵が町に到着した。五台もの馬車を引き連れて、荷物には連絡用の鳩から朝食用の乳を出すヤギまでもが含まれていて、宿屋になっているボルディエ家の離れの建物がまるまるひとつ居室にあてがわれた。ドルレアンの従者たちがせっせと荷物を屋敷に運んでいく。建物には誰も近づけないし、持ち物には触ることも許されなかった。ロランはなかば呆れながらリシャールと共にドルレアンが馬車から出てくるのを待っていた。隣に立つリシャールは平民が許される限りの服装をしている。ロランも普段の農民と同じ長ズボンではなく、半ズボンに長靴下の正装で出迎えた。
「ようこそ、ドルレアン男爵」
ロランは恭しく挨拶をする。ドルレアンは健康的に肥った体を馬車の客室からどうにか引き出すと、小さく頷いた。
「よくいらっしゃいました、ドルレアン様。中で父が食事を用意して待っております」
リシャールが案内をする。ロランも後に続いた。
「ようこそいらっしゃいましたわ、マルド」
広間にはロランの母も来ていた。母が親しげに愛称で呼ぶのは、本音では侮蔑しているからに違いなかった。メルド(排泄物)とかけているのだ。それを察してかドルレアンもこの町を訪れるときには、自分たちの住む公爵の別荘を使わずにボルディエ家を利用する。単純にボルディエ家のほうが裕福で立派だからかもしれないが。
「ああ、モニク夫人、元気そうだね」
ドルレアンは油で整えた髭を弄くりまわしながら、母の手に恭しく口づけた。広間には歓迎を表すために町の有力者たちが集まってきていた。ジャンもいたが、いつもの軽薄さは影を潜めてて普段の派手な服装もすっかり落ち着いてしまっている。ジャンの自己主張が下手にドルレアンの気を悪くさせて、アンジェ公に何か吹き込まれるようなことがあれば厄介だと心配していたが杞憂だったらしい。ジャンがそういう気配りができる男だとは正直思っていなかった。ロランが驚きをもってジャンを観察していると、着飾ったエマが近づいてきた。
「ロラン、今日は素敵な格好ね」
ロランはどう答えて良いのかわからず、困ったようにエマを見る。エマも見たことのない腰をきつく絞ったローブ(ドレス)を着ている。彼女の美しさを褒めるべきだろうとは頭で思いつつも、口には出せなかった。
「エマ、男爵様に挨拶なさい」
呼ばれてエマは名残惜しそうにロランから離れていく。
「やや、これは美しくなりましたな」
ドルレアンは好色の顔をしながらエマの手に接吻をする。エマは恥ずかしそうにロランを見て、ロランは気まずくなって目を離した。これから長く退屈な宴が始まる。ロランは静かに長いため息をついた。
すべてが終わって家に帰り着く頃にはすっかり日も暮れてしまうだろう。
☆ (マリー)
穏やかな夜だった。月が丸く黄色い姿を晒し、虫たちが子孫を残すため命を鳴らしている。マリーは森の小高い岩場から月下の町を見下ろしていた。月の明かりが燃えるような赤い髪を照らして彼女の薄褐色の肌に影を落としていた。伸び放題の髪は目元を覆い隠し、表情はうかがいしれない。肉厚の柔らかそうな唇は健康的で、高く通った鼻梁と合わせて神秘的な雰囲気を醸し出していた。町の家並みから漏れるわずかな明かりは空の星より頼りない。
「さっそく伝令か……」
町外へ向かう松明の灯りを見つけてマリーは呟いた。耳をすますと風に乗って動物たちの様々な営みが聞こえた。野兎が駆ける足音、鳥のさえずり、虫の音色。まわりが賑やかであると感じれば感じるほど孤独が身に染みた。
「さむさむ。夜風に当たりすぎたかな……」
物事を考えるのは大好きだが、自分の境遇を考え込むのは良くない兆候だった。どうやっても後ろ向きになってしまう。肩掛けを首に寄せてマリーは洞窟へと戻った。洞窟の入り口では一羽の鳩が羽を休めていた。近づいても身じろぎひとつしない。マリーは鳩の喉元を指先で優しく撫でた。鳩は目を閉じて気持ちよさそうに首を伸ばす。
「うん。いい子だ」
ひとしきり愛でた後、マリーは洞窟の奥へと帰っていった。