一話 疑うことを知らない剣士と、嘘つきな暗殺者(3)
Ⅲ (ロラン)
翌日の日曜日には母を連れてミサに通った。毎週礼拝に行くのがロランと母との決まりだ。この町にユグノー(プロテスタント)はほとんどおらず、教会もカトリックのものしかない。母は宗教にも厳しい。日曜のミサはもちろんのこと、平日も欠かさず礼礼拝に行く。父の熱意を母は誇りとして守っているようだった。
教会にはセバスチャンという名の小僧が雑用をしながら暮らしている。しかし日中は殆ど門の前で寝ていて、母は彼に会うたびに説教を繰り返した。
「まったくセバスチャンときたら……」
それが教会での母の口癖だ。自分の息子だけでなく、人の子供にも厳しいしつけを強要する。これも彼女の日課なのかもしれない。
教会へ行くとほとんどの町の人間と顔を合わすことができたが、ミサのあいだはエンゾの家族と一緒にいることが多い。奥さんが敬虔なカトリックなのである。エンゾも五歳になる大切な一人娘を抱いて熱心に祈りを捧げている。自警団では酔っ払ってばかりであまり見るべきところのないエンゾだが、家庭では違う顔を持っているのがロランには面白かった。娘のイネスは屈託のない可愛いらしい子で、自警団でも可愛がられた。神経質であまり人と付き合いのない母もエンゾと妻マノン、娘のイネスには親しい笑みを浮かべる。
協会に着くと、ここでも話題の中心は収穫祭で持ちきりだった。祭りが近づいてくると、町は俄然活気がついてくる。会話のあちこちでジャンの名前が出てくる。そのなかでも年若い娘たちの話題はまさにジャン一色になった。祭りは往々にして男女の出会いの場所であったので、年ごろの娘たちは町へやってきたジャンのことが気になって仕方がないのだ。ロランも決してもてないタイプではなかったが、結婚を意識させるにはまだ若かい。その点、ジャンは二十代半ばと捕まえておくのにもっとも良い年齢といえた。そのほか市場や洗濯場など、女たちの集まる場所ではジャンの都会仕込みの粋な服装や、優しい物腰が絶えず話の種になった。ジャンもあちこちに出掛けると、そこにいる娘たちに親しげに話しかける。どの娘もジャンの態度に一喜一憂した。これに面白くないのは町の同年代の男たちだ。祭りで意中の娘と仲良くするのに、ジャンはあまりにも邪魔な相手といえた。その不満がとうとう爆発した。
それは自警団の夜の見回りでの出来事だった。ジャンとロランがたまたま同じ区域を見回ることになった。ジャンは客分でありながら自警団の仕事も率先して行う。どこにでも顔を出さずにはいられない、行動力の固まりのような男だった。ロランはそんな彼の様子が若干羨ましくも映る。
風の強い日で雲が流れると欠けた月がはっきりと見えた。松明を持って通りを歩くと、酒場の前で酔っ払って寝ている男をみつけた。
「おいおい、おじさん。こんなところで寝てたら体を壊すぞ」
ジャンが手を差し伸べても、酔客は夢見心地で動こうともしない。
「なあ、ロラン。これは誰だ?」
「鍛冶屋の大将だ。酒癖が悪いんだ、ほんとに」
この酔いどれはフランクの父であり師匠だ。仕事に厳しく弟子は容赦なくしごいた。腕は確かなのだが、半面私生活では飲んだくれてばかりで弟子も迷惑している。
「ほら大将。家へ帰れば暖かい寝床が待ってるんだ。起きてくれ」
「んー、☆□△◎~」
鍛冶屋の主人はろれつも回らず目も開かず、起きてるのか寝てるのかもはっきりしない。それでもジャンが差しだした手を大将は邪険にはねのけた。ロランはジャンと目を合わせて呆れるしかない。
「てめえ、うちの師匠になにしてるんだよ」
背後からの凄んだ声に振り返ると、酒場で飲んでいた若い男が四人ほど立っていた。鍛冶場の男たちだった。どの顔も酔っている。
「おお、ちょうどいい。この酔っ払い、もとい鍛冶屋の大将をどうにかしてくれないか?」
ジャンは酔っ払いの引き取り手が見つかって安心したように言った。
「なに寝ぼけたこと言ってるんだよ。お前、商人貴族の分際で調子乗りすぎてんじゃねえのか?」
一人がジャンと鼻先を付き合わすくらい近づいた。ジャンはまだ笑顔だ。
「おや、困った輩が増えただけか?」
「落ち着いてくれ。ジャンは何もしていない」
ロランはたまりかねて助け船を出したが、酒気を帯びた男たちの熱は下がりそうもなかった。
「おい、ロラン。手を出すんじゃねえぞ」
逆に釘を刺され、ロランは肩をすくめる。ジャンには悪いが穏便にやり過ごせそうもなかった。ロランは仕方ないので先に手を出した方を叩きのめすことにした。
「何が気に入らない?」
ジャンは男たちに訊いた。
「偉そうなんだよ、お前は。いったい何様だこら」
「どこがどう偉そうなんだ?」
「そいつは、あれだ、自警団でも、そう自警団でも指図ばっかりしやがって。新参のくせに」
「僕は効率の良い方法を提案しているだけだよ。何かそれで不都合があったかい?」
「理屈こねてんじゃーねよ、そういうところが気に入らないんだよ、すけこましの分際で」
男の一人がジャンの肩をこづいた。ロランは溜息をつく。やはり町の娘たちの話題を独り占めしているのが気に入らないだけなのだ。ジャンも気がついたらしく、
「つまりは自分がもてないのが気に入らないんだろ?」と聞き返した。
「なんだとこらっ!」
「なんだかんだと屁理屈を言っているのはどっちだ? 最初から人気に嫉妬していると言えばいいのに。それなのに偉そうだ何だともったいつけて、自分が恥ずかしくないのか?」
「うるさいっ!」
言いくるめられた男の一人がジャンに殴りかかった。やはり先に手を振るったのは酔っ払いたちだった。とりあえずジャンには一発殴られてもらうしかないとロランは思ったが、ジャンは軽い身のこなしで男の拳を難なく躱してしまった。そのまま相手の腕をつかみひねり倒す。
「いたたたたたっ」
男が悲鳴をあげた。
「もう止めるか?」
ジャンが耳元で囁いて、男は唾を吐きかけたがジャンはとっさに体を離してかわした。男は起き上がってもう一度打ちかかる。ジャンは体を沈めて拳をかわすと相手の顎めがけて手のひらを押し上げた。顎が外れる音がして男が崩れ落ちる。ジャンは倒れた男の背中に座り込んで、残りの三人に話しかけた。
「結局のところ、お前たちは女を口説きたいのだろう? 僕が手練手管を教えてやらないでもないが、どうする?」
三人は気がつけば跪くようにジャンの話に耳を傾けていた。のされた一人も、酔いが醒めれば話を聞きそびれたことを反省するだろう。
☆ (フランク)
「あー、だんだんと寒くなってきたなぁ」
町の入り口にある詰め所で火にあたりながら、フランクはぼやいた。戦乱の絶えぬ物騒な世の中である。夜は賊や浮浪者がみだりに出入りしないように、男たちが交代で見張りをしていた。詰め所の中には他にエンゾがいて、葡萄酒を飲みながら更けゆく夜を過ごしていた。詰め所は橋のすぐ側に建てられ、この橋を通る人びとから荷物や職業に応じた通行料を徴収していた。表向きは橋の維持費であるが、実際には町の様々な運営費としてまかなっていた。読み書きができるものは少ないので、出入りはみんな頭で記憶している。それでも祭りなどの繁忙期でなければ通行する者の数などたかがしれたものだった。
「おい、ちょっと飲み過ぎじゃないか」
寒さから酒を飲むことは許されていたが、エンゾは少し飲み過ぎている。
「はん。これしきで酔っ払ったりはしねぇよぉ」
エンゾは上機嫌に答えた。見張りに出ると翌日の農作業が免除される。だから痛飲する絶好の機会だと勘違いしている輩も多かった。
「もうすぐ祭りが近い。この町にやってくる者も増えるだろう」
「わざわざ夜に来る奴なんざいねぇよ。それにこうでもしてなきゃ退屈で寝ちまうよ」
確かに見張りは単調な仕事だ。外は月明かりに照らされて、目の前の草原には人影もなくただ動物の鳴き声が遠くに聞こえていた。フランクは小さくなってきた暖炉の火をもう一度暖めようと詰め所の裏に薪を取りにいった。壁沿いに一冬を越すには心許ない量の薪が乱雑に積まれている。冬の前にもう少し用意しておかなければなるまいと思いながら、フランクが薪を脇に抱え込んでいると、なにか視線のようなものを感じて草原のほうに目を配った。
女が立っていた。
女と呼ぶにはまだ幼いかもしれない。四角く空いた胸元から覗く肌がひどく生白かった。大きく膨らんだスカート。舞踏会にでも出るような派手な出で立ちをしている。月の光を反射して、頭巾の奥で涼しげな青い瞳がまっすぐにこちらを見ていた。少女は町を指差した。つられてフランクも町を見遣る。いつもと同じ町の景色があるだけだった。
もう一度フランクが草原を振り返ったとき、少女はおらず、他に何の気配も感じなかった。フランクは夢でも見たのかと思った。慌てて詰め所に戻ってエンゾに誰か通らなかったか問いただした。酔って状況なんて全然把握してないくせに、エンゾは誰も通っていないと言ってきかなかった。
「おまえ、女の幻覚なんか見て、ずいぶん溜まってるんじゃないのか」
エンゾは下品に笑った。
「別にそんなんじゃない」
「月の女神様にでもばかされたんだろう。帰ったらカカアにしっかり慰めてもらいな」
フランクはふてくされながらも、本当に見たのかすっかり自信をなくしていた。夜間にあんな格好で外を歩く人間はいない。そのままフランクは一晩寝ずに見張っていたが、結局だれも橋を通ることはなかった。明け方には眠気も手伝って、先ほどの体験もどうでもよくなってきていた。帰って眠れば忘れてしまうだろうと、フランクは引き継ぐときにも報告しなかった。