三話 黒い騎士と紅い瞳の乙女(1)-2
☆ (ジャン)
ジャンは町の人間とともに、森の前で狼とドルレアンの用意した傭兵を相手にしていた。森に面している箇所には狼に備えて木柵を用意していたが、傭兵たちによって次々と引き倒された。壊れた柵から続々と狼が侵入して駆け回り、素早い動きになすすべなく町民が噛みつかれる。やっとの思いで狼の牙を振りほどいても、今度は傭兵たちに斬りつけられた。年寄りたちも含めて大人の男たちを総動員して鋤や鍬をもって抵抗したが、範囲が広く防壁もなくてはいかんせん守りようがなかった。
(どうすればいい。どうしたらいい)
飛びかかる狼の喉を尖剣で切り裂きながら、ジャンは考えた。相手の数は少ないが、絶望的な戦いだった。このまま門まで突破を許せば自警団が挟み撃ちにあってしまう。ジャンは狼に噛みつかれている農夫を助け出すと、手早く指示を出した。
「乾草をあるだけ持ってくるんだ!」
「へ、へえ。何をするんで?」
「森に火をつける。焼け出すしかあるまい」
「そんなことしたらば、町の守りががら空きになってしまいますだ!」
「明日の心配より今をなんとかしろ。行けっ」
ジャンは農夫の尻を叩いて急かし、連れてきた馬に背負わせた革袋から最新式の燧石式の短銃を取り出した。騎兵でも火銃が扱えるように銃身を短くした特注品だ。必然的に命中率が下がるため、革袋には何丁もの短銃が入っている。ジャンは狼や兵士たち目につくものに片っ端から短銃をぶっ放した。
やがて農夫たちが乾草を積んだ荷車を引っぱってきた。ジャンは森に荷車を誘導する。
「本当にやるだか?」
「ぐずぐずしない。はやく乾草を広げてくれ」
襲いかかってくる傭兵に短銃を撃ちつけながらジャンは言った。
「ほらほらほらほらっ!」
戸惑う農夫たちを急かして乾し草を地面に撒かせると、ジャンは傭兵から奪った剣を乾草の中に放り込んだ。そして最後の一丁となった短銃で地面に突き刺さった剣を撃ち抜く。火花が散って、乾草に種火がついた。火は枯れた絨毯を広がり、森を焦がす炎となった。
猛々しい炎はこの時期特有の強い風の勢いをうけて瞬く間に燃え広がった。森の中では弓や弩、火銃を撃ち放していた傭兵が炎に煽られて逃げ惑う。狼たちは驚いて森の火のない方へと走り去って行った。
「……予想以上の勢いだな……」
焼けつくような熱気を浴びながら、ジャンは独りごちた。燃えさかる炎は天をつく勢いだった。とりあえずの脅威は回避できたが、この炎の嵐がどのような結果をもたらすのか見当もつかなかった。こちら側も木造の家屋が連なる町だ。飛び火しないように何か手を打たなければならない。
その時、遠くから轟音が鳴り響いた。ジャンの頬に水滴がつく。
「雨か?」
ジャンは空を見上げる。煙炎の隙間から見える空は青い。雨ではなかった。
☆ (アントワン)
町への侵入を阻止しようとする自警団と、略奪を求めて我先にと門に押しかける傭兵たちで門前はぎゅうぎゅう詰めとなり、壊れた防壁もよじ登ろうとする傭兵たちで溢れていた。
そんな中、まず音がきこえた。最初は小さく、やがて割れるような地響きがあたりを包む。瓦礫の山となった門を乗り越えるのに躍起なっていた傭兵たちは、しばらくこの音には気がつかなかった。自警団の面々はそれぞれ次に来る衝撃に備える。
それから大量の水がやってきた。堰を切った川の水が鉄砲水となって下流に向けて一気に流れる。荒ぶる山津波が我先にと町へ乗り込もうとしてた傭兵たちを一瞬にして飲み込んだ。その勢いは凄まじく、大砲によって打ち崩された岩片すらも飲み込み、洗い流していった。荒ぶる川の水は町の中へも侵入した。
これはこの町が盗賊から身を守るためにまれに行う手だった。町民たちは一週間をかけて上流の川に堰を作っていた。ドルレアン襲来に備えて用意したものである。この堰により川の水は普段よりずっと水位が低くなっていたが、傭兵たちは知るよしもない。準備もなく逃げ遅れた傭兵たちはみるみるうちに洗い流されていった。
この成果は大成功と言ってよかった。ただし壊された防壁によって町の中にまで水が溢れてくることは想定の範囲外だった。
「おのれい! 一度ならず二度までも……」
ドルレアンは屈辱に震えた。私財の投じて用意した傭兵たちが一瞬にして消えていった。鎖帷子を着込んでいれば20リーヴル(10kg)、鎧や鎖股引きまで装着していればその倍を越える。流されて無事に済むはずはない。ドルレアンの手元には難を逃れたわずかな騎兵と砲兵たちが残るだけとなった。
「絶対に許さんぞっ!」
ドルレアンの体がめきめきと音を立てながら大きくなった。ビロードの上等な軍服を突き破り、毛むくじゃらな肢体が姿を現す。ドルレアンは四本足で暴れる川の縁まで疾走すると、その勢いのまま大きく跳んだ。
「アオオオオォォォン」
崩れた門扉を飛び越え、水浸しの町の中に着地する。建物や木々に掴まって町へと入り込む激しい水流に耐えながら、自警団はドルレアンが町へと降り立つのを驚きをもって眺めていた。
「グルルルルルル……」
ドルレアンが後ろを振り返って喉を鳴らした。鼻先には皺がより、潰れていない方のアーモンドような目には残虐な光が輝いている。歯をむき出しにした表情には狂気とよぶに相応しい凶暴さがあった。アントワンは絶望の面持ちで、人狼が獲物を選ぶのを見ていた。




