一話 疑うことを知らない剣士と、嘘つきな暗殺者(1)
Ⅰ (ジャン)
のどかな林道を馬車が走っていた。荷馬車に屋根をかぶせる骨組みがついただけの粗末な引き車だ。外は晴天で屋根は開け放っている。ジャンは心地良い日差しに目を細めた。やや風が強く木立がざわめいている。
「いい天気だ」
引き車の持ち主である夫は前で馬を操り、荷台では妻と年ごろの娘二人が伏し目がちにジャンを盗み見ていた。遠戚のいるスクレへ向かう途中でジャンの馬車が脱輪してしまった。困っていたところを、今年の収穫を終えて街へ出稼ぎに行く家族連れの馬車に運良く乗り合わせたのだった。ジャンの馬車と荷物は、御者があとから追ってくる手配になっている。ジャンの帽子の羽根飾りが車輪の振動に合わせてふわりと揺れた。仕立ての良い上着と半ズボンと長靴下は相席している彼女たちがおそらく一生手にすることはない上等さを持ち合わせている。ジャンがそれとなしに目を合わせると娘の頬が赤く染まった。ジャンはにっこりと微笑み、旅の途中で手に入れた貴重な砂糖菓子を女たちに振る舞った。
「御者さんには内緒だよ」
ジャンが小声で口止めすると、女たちはくすりと笑って菓子と秘密を分けあった。ジャンの優雅な佇まいに女たちはすっかり夢中になっている。特に妻などは娘たちがいなければ抱きついてきそうな勢いだった。
「ちょっと風が強いな。おおい、屋根を閉じてもいいかな?」
ジャンは馬に乗っている夫に声を張り上げた。男は風を見て、どうぞ、気がつきませんで、と詫びた。ジャンはまるで夫の目から隠れるように、日よけにも雨よけにもなるぼろ布でしっかりと屋根を覆った。
馬上からは呑気に夫の歌声が聞こえる。道が悪いので馬車はでこぼこと激しく揺れた。荷台で何が起こっているかなど、彼にはわかりようもなかっただろう。
しばらく道なりに馬車が進んだのち、
「御客人、そろそろですだー」
夫ががなり声で言った。
「ああ、そうか」
ジャンは幌を開けると男に声をかけ、それでも目線だけは娘たちに向けた。ウィンクをすると娘たちから蕩けるような笑みがひろがる。馬車が止まり、夫がジャンのために足場を作った。
「あとはここをまっすぐ行けばスクレですだ」
夫は人なつこい笑みを浮かべた。さりげなく着衣の乱れを直しながらジャンは馬車を降りる。
「うん、おかげで楽しかっ……違う。助かったよ。これで予定通りスクレに着きそうだ
本当にありがとう」
ジャンは丁寧に礼を言って夫と硬い握手を交わす。夫は身なりの良い客人を手助けした満足心に満ちているようだった。ジャンは餞別代わりに耳元で、これから彼らが向かう街のできるだけ上等な飲み屋を男に教えてやった。
「女房たちには内緒で行けよ」
夫の顔はさらに喜びに溢れた。何度も礼を言って馬にまたがる。
ジャンを置いて馬車が動き出した。娘たちの視線がいつまでも自分にあるのに気がついて、ジャンは高く手を振った。
「神のご加護を」
遠ざかる馬車を眺めながらジャンは最後に彼らの旅の無事を祈り、自身の罪深さを懺悔した。帽子を深く被り直し、スクレへと足を向ける。その目は先ほどまでの柔和なまなざしとはうって変わって、猟犬のように鋭かった。