二話 何もしなかったことを嘆く少年と、してしまったことを後悔する少女(3)-2
☆ (ロラン)
「祭りはもう終わったけど、クロエはいつ帰るんだい?」
部屋でジャンは椅子に座ってすっかりくつろいだ様子でリンゴをかじっていた。ロランは自然と返す声が低くなった。この男は頼りにはなるが、どうにも信用がならない。
「うーん、もう少しはここに残ると思うけど……ジャンはクロエのことばかり気にしているな。もしかして見舞いに来た訳じゃないのか?」
「いやいや、……僕は真実を知りたいだけだよ」
ジャンが思いのほか真面目な口調で言った。ロランは本能的に危険を察して話題を変える。
「イネスたちは見つからないままなんだよな」
「ああ。祭りは終わったけど、ユダヤの家に捨てられることもなかった。エンゾには気の毒だけど、今のところ手掛かりはない」
「そうか……」
「ドルレアン男爵も明後日には次の狩猟場に発つそうだ。これでまたしばらく平穏な日々が始まるだろうな。ロランのおかげだ」
「俺は何も……」
エマが部屋へと戻ってきた。伏し目がちで心持ち沈んでいるように見える。
「なんだか顔色が悪いな、大丈夫か?」
ロランが思わず心配するほど、エマの血の気は引いていた。
「ええ、ごめんなさい。大丈夫よ。ジャンお兄様、そろそろお暇しましょう。ロランには休んでもらわなくては体が良くならないわ」
「そうだね。邪魔したな、ロラン」
「リシャールにも元気だと伝えておいてくれよ。自警団の仕事にもすぐに復帰するから」
「まあ無理せずゆっくり休め。じゃあ」
「……お大事にね、ロラン」
ジャンは帽子を被って堂々と、エマは深くお辞儀をして部屋を後にしていった。クロエが時間差で入ってくる。
「エマには会ったか?」
ロランは聞いた。
「ええ。洗濯を手伝ってくれたわ」
「何か言ってた?」
「いえ、別に。……ただ」
「ただ?」
「やっぱり何でもないわ」
クロエも部屋を出ていった。ロランは首を傾げた。
☆ (クロエ)
クロエはエマの強ばった笑みが気になっていた。しかし、単純にエマはロランのことを好いていて、自分に嫉妬しているようにも思えたのでロランには黙っておいた。嫉妬させているなんてロランに言って、自意識過剰だとは思われたくなかったからだ。自分でも考えていてばからしくなる。自分はいったいロランの何だというのだ。
居間でうじうじと考えごとをしているとモニクがやってきてクロエに声をかけた。
「クロエ。いらっしゃい」
手招きされるままについていくと、屋敷の一番外れにある部屋に案内された。ここは普段扉が閉じられており、クロエは遠慮して中に入ったことがない。誘われるまま足を進めると、室内には様々な調度品で飾られていた。
「ねえ、クロエ。見てちょうだい。これがロランの父上様よ」モニクが絵画を指差した。
名のある画家が描いたであろう大判の肖像画が壁にかけられてあった。クロエは胸が痛くなり息がつまる。
「このしゅっと伸びたお髭なんて立派でしょう。本当に素敵だったんだから」
クロエの様子に気がつかずにモニクは乙女のような顔をして身を悶えさせた。いつのまにかロランも部屋へと入ってきた。たぶん自分を心配してやってきたのだろう。
「ちょっと母上……」
ロランが気まずそうに声をかける。クロエは思わず目をそらす。外した視線の先には黒い甲冑が備えられたいた。
「これは父の形見の甲冑」
クロエの視線に気付いてモニクは見当違いの自慢を始める。
「形見?」
クロエは目を丸くした。ロランに問いつめる。
「え? ネックレスは??」
「うん? これも形見だよ。この剣も形見だし。というか父の遺品収集は母上の趣味だから。形見だらけだ」
クロエは顔を真っ赤にしてモニクに見えないようロランを殴りつけた。
「いててっ。なにすんだよっ」
(ネックレスが唯一の形見だと思ったから逃げずに待ってたのに!)
ロランとクロエの言い争いをよそに、モニクは形見のスカーフを抱いて匂いを嗅いでいる。
「私はこの部屋にいるのが一番の幸せなの」
モニクが嬉しそうに想い出の品々を解説した。心の底から夫を愛していたのだろう。モニクが語れば語るほど、クロエの心は悲鳴を上げ、苦悶の表情を見せないように必死だった。途中で何度も打ち明けそうになって、その度にロランが喋らぬよう無言で制止した。クロエもモニクとの関係を壊したくないあまり、最後までついには真実を隠し通した。嘘は自分を苦しめる。それはとても最悪な気分だった。
☆ (リシャール)
「兄さん。ちょっとお願いがあるの」
エマがロランの見舞いから帰ってくるなり、家畜の世話をしていたリシャールに声をかけてきた。リシャールはあまりエマと関わりたくなかった。ドルレアンに目をつけられているからである。兄としては気が進まないが、逆らうわけにはいかなかった。エマにこのことについて相談されても助けようもない。それならば距離を置いて離れているに限るとリシャールは考えるのだった。冷たいようだがドルレアンはボルディエ家に金をもたらし、裕福になればエマにもいずれもっと裕福な暮らしをさせてあげられる。一時辛い思いをしたところで、金さえあれば出自のよい貴族と縁談を結ぶことも可能なのだ。そうすればボルディエ家にとってもエマにとっても幸せな結果が待っているとリシャールは信じていた。
リシャールはドルレアン男爵の財力を崇拝していた。大した家の貴族でもないのに何頭も馬を持ち、服も上等なビロードを着ている。自分もこのような贅沢がしたいとリシャールは常々思っていた。親戚のジャンがやってきたのも、その気持ちに拍車をかけた。家柄はさほど変わらないのに、負けるわけにはいかない。
「なんだい、エマ。忙しいんだ」
リシャールはエマに付け入る隙を与えないよう、わざとぞんざいに答えた。三叉で飼い葉を乱暴にいじくる。最近ではドルレアンを露骨に遠ざけて一家の繁栄を考えようとしないエマに苛立ちすら感じ始めていた。
「ドルレアン男爵にお伝えして欲しいの」
やっぱりかとリシャールは暗澹とした気持ちで聞いた。どうやってエマを説得すればいいのか、頭を総動員して考える。昔から考えるのはあまり好きではなかった。自警団の仕事なども、立場がなければ早く引き継いで辞めてしまいたい。都会で悠々自適な暮らしを送りたかった。町の一番の実力者が管理するなどというしきたりがあるからボルディエ家はいつまで経っても雑用から逃れられないのだ。早くこんな町を飛び越して、もっと大きな領地での実力者になれば、こんな小さな仕事をやらなくても済むのだ。
どんどんと脇道へと逸れていく考えを元に戻すのにリシャールは苦心していたが、エマが持ちかけてきた相談は実に予想外のものだった。
「モニク夫人の屋敷にクロエという魔女がいると告発して欲しいの」
リシャールは唖然とした。
「……魔女狩りがしたいのか?」
「私が言ったってことは誰にも内緒にして。その代わり、ドルレアン男爵はきっとこの話に乗るわ」
「どうしてそんなことをする?」
この町でまだ魔女裁判が行われたことはなかった。しかし町にわずかにある蔵書や行商人が持ってくる雑誌、旅人たちの噂、神父の説教などから魔女の話は嫌と言うほど流れてきている。魔女を告発するには神父に相談するのだろうか。街まで行って裁判所へ持ち込まなければならないのか。リシャールには手続きがまるでわからなかった。
「ドルレアン男爵を狙った刺客の仲間だと噂で聞いたの。だからモニク夫人が心配なのよ」
「うーん、しかしどこに訴えでればいいのだろうか」
「だからドルレアン男爵に言えばいいのよ。そしたらきっとなにもかもを手配してくださるわ」
リシャールもそれなら簡単で良かった。しかしドルレアン男爵に些細な用事を押しつけて迷惑されないかと不安も残る。
「しかしわざわざ手を煩わせてしまうのはどうだろうか……」
「そんなことないわ。ドルレアン男爵は必ず感謝する。私を信用して。クロエよ。クロエという名前を出すの。そしたらきっと喜ばれて、お褒めの言葉すら頂くかもしれないわ」
「本当か?」
「ええ。その代わり、私の名前は決して出さないでね。お願いよ」
リシャールは家畜の世話を途中で放ってドルレアンの元へ向かった。エマもちゃんとボルディエ家のことを考えてくれていたと嬉しくなった。これで立場がさらに良くなればと、リシャールははかない期待に胸が膨らんだ。
「ドルレアン男爵」
リシャールは広間でドルレアンを見つけ、恭しく声をかける。ドルレアンは退屈していたのかいつにもまして機嫌が悪かった。
「なんだ鬱陶しい」
邪険に扱われてリシャールの頭に怒りが満ちた。
(金があるから大きい態度でいられるだけの下級貴族の分際で)
それでも気を静めて言葉を継ぐ。
「ご相談があって参りました。じつは魔女狩りの告発がありまして……」
「そんなことはどうでもよい。エマにワインを注がせに来させろ」
話を言い終わらないうちにドルレアンが食卓に拳を叩きつけた。リシャールはついカッとなったが、エマの言葉を思い出してなんとか踏みとどまった。
「……クロエという名前らしいのですが」
「クロエ……? 誰だそんな女。……いや待て、クロエと言ったか?」
本当に食いついた。ドルレアンが身を乗り出した。
「はい。クロエと申すようです」
「どんな者だ」
「モニク未亡人の元へいるのですが、詳細は誰も語らないのではっきりしません。曰く親類の娘だそうですが。祭りを見に来たということで、この町では新参です」
リシャールはわかる範囲で答えた。答えながらもっと調べてくるべきだったと後悔した。
「むむ、怪しいな。引っ立てて参れ」
「はい。では明日の一番に」
「わしの兵を使ってよい」
「かしこまりました」
リシャールは何か感謝の言葉か態度があるかと待ち構えていた。
「何をしている。早くエマを呼んでこい」
ドルレアンは憤った。リシャールは頭を掻いてエマを呼びに行く。それでもクロエという女を捕まえれば何か褒美があるかもしれないと、自分を納得させた。
翌日、リシャールは自警団の若者数人とドルレアンの私兵を引き連れてロランの屋敷を訪れた。




