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二話 何もしなかったことを嘆く少年と、してしまったことを後悔する少女(3)-1

 Ⅲ (エマ)


 陽が明けてエマはジャンと共にロランの見舞いに訪れた。怪我をしたと聞いて、エマはずっと胸が張り裂けそうなほど心配していたのだ。

 ロランは、部屋で退屈そうに横になっていた。鷹揚に手をあげて


「やあ、二人とも。よく来てくれたね」と呑気に挨拶した。


「大けがだと聞いて来たんだが……なんだ、思ったより元気そうだな」


 ジャンがロランのすっかりくつろいだ様子を見て呆れた。


「ああ、このくらいなんてことない」


 ロランが胸を張った。痛みはあるが、体は動くので悲観するほど酷くはないという。昔からロランは怪我の治りが早くて、治癒力も並大抵ではなかった。その様子にエマもほっと息をつく。


「お手柄だったな、これでドルレアン男爵に変な言いがかりをつけられることもないだろう」


 ジャンの口から出たドルレアンという名前に、エマは自分で顔色が変わるのを感じた。


「そういえば、あの綺麗なお嬢さんはいないのかい?」


 ジャンは辺りを見回す。


「いや、いると思うけど、来客に気を使ったのかもしれないな」


「お嬢さん?」


 エマは訊いた。頭に浮かんだのは、ドルレアンが襲われそうになったとき、ロランが追いかけていったなぞの少女の後ろ姿だった。


「ああ、エマはまだ会ったことないのか。ええと、名前はなんていうのだっけ?」


「クロエだよ」


 エマは心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じた。覚えのある名前に驚きを隠せない。聞き間違いじゃなければ、暗殺者が口にしていた名前と同じだった。


「一緒にいるところを襲われたんだろ。なんだ、君たちはデキているのか?」


 ジャンが露骨な手振りをした。ロランは苦笑いを浮かべて首を振った。


「そんなんじゃないよ」


 自分がドルレアンに身の危険を感じているときに、ロランが他の娘と仲良くしていたのかと思うとエマは腹が立ち、無性に悔しかった。心の奥底に眠る情念が激しく戦慄いている。気がつけば口の中で何度もクロエという名前を口ずさんでいた。エマは嫉妬してはいけないと自分に強く言い聞かせた。なのに、心が痛みを感じてどうしようもなかった。


「……そのクロエさんはどこにいるの?」


 動揺を悟られないようにしてエマはそっと尋ねる。


「どこだろう。さっき包帯を替えてくれたら洗濯でもしているのかもしれない。侍女もいるんだけど、なかなか人に物を頼まないんだ。あとで母上に聞いてみてくれ」


「じゃあ、私はクロエさんとモニクさんのお手伝いをしてくるわ」


 エマはもっともらしく理由を作って寝室を後にした。誰にも見られていないことを確認して大きく息を吐く。もう止めようがなかった。かつて知ったるロランの家の中庭を目指して直向きに歩いていく。陽の入りが良いので、洗濯はそこでしているはずだった。やがて中庭で桶に向かって包帯を洗っている小さな背中が見えた。エマは近づいて勇気を振り絞って話しかけた。


「あなたがクロエさん?」


 彼女が手を止めて振り返った。自分より年下だろうか。まだあどけない少女の面影を残していた。この辺りでは珍しいほどの色の白さで、もっと北の出身なのかもしれなかった。青い大きな瞳がこちらを注意深くうかがっている。


「私はエマよ。宿屋の娘でリシャールの妹」


 エマは表面上、できるだけ爽やかに挨拶をした。スカートを握る手に力がこもる。クロエも小さく挨拶を返した。


「あなたはお幾つ?」


「十四」


 高く澄んだ声が返ってきた。エマは頷く。桶は血で濁り、包帯も薄紅色に染まっていた。ロランの血だと思うとぞっとする。


「慣れていないのね。一日漬けてからじゃないと、なかなか汚れは落ちないの。今日はこのまま浸しておくといいわ」


 クロエはうっすらとかいた額の汗を拭って、お礼を述べた。


「いいえ、いいのよ。ではまたね」


 エマはロランの部屋へと踵を返す。人殺しめ。喉まで出かかる言葉を飲み込み、ぎりりと奥歯を噛みしめた。ロランはあの女に騙されている。暗殺者の凄惨な末路がまぶたに浮かんだ。ロランを危険な目にあわせる人間を、エマは放ってはおけなかった。

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