二話 何もしなかったことを嘆く少年と、してしまったことを後悔する少女(1)
Ⅰ (エマ)
ボルディエ家の物置小屋の一角に、リュカと名乗る暗殺者は手枷足枷をされて転がされていた。
「言えっ。誰の指図でわしを殺しに来たんだっ」
ドルレアンが木靴でリュカの頭を踏みつけていた。
「ぐっぐぅっ……」
リュカは痛みと屈辱に耐えながらもドルレアンを睨んで離さない。ドルレアンが不用意に力を抜くとリュカはその足首に噛みついた。
「いたたたたたっ」
ドルレアンが悲鳴をあげる。側にいた従者がリュカの腰を蹴りつけた。足から歯が外れるとドルレアンもリュカを力一杯に蹴りつけた。何度か空振りをして、それがまたドルレアンを激高させたようだった。従者の腰に差していた尖剣を抜き取ると、リュカの肩口の傷めがけて突き刺す。リュカの絶叫がこだました。ドルレアンはやっと落ち着いて紅潮した頬を緩ませた。
「さあ吐け。そうすれば命までは取らんぞ」
リュカは涙と唾液で顔を濡らしながらも決して口を割らなかった。
「……四肢を切断されて生きていくくらいなら、ぐっ。死んだ方がマシだ……と言いたいところだが、ぐぐ、代わりにあんたの仕事をしてやる。だ、誰か殺したい奴はいないのか?」
ドルレアンは嘲笑した。
「誰が失敗した暗殺者に仕事を頼むというのか?」
「ぐぅ……。それはクロエが裏切ったからだ」
ドルレアンの眉が動いた。
「クロエ? そいつが指示したのか?」
「いや、俺の仕事道具だ」
「道具なんかに興味はない。誰が黒幕なんだ? これが最後の質問だ? 誰に頼まれた?」
リュカはドルレアンの靴に唾を吐いた。
「はんっ。お前の淫売(母ちゃん)だよ」
「殺れ!」
ドルレアンが憤怒の形相で従者に指示した。リュカは舌打ちをしたが、従者が尖剣を心臓に突き刺すと痙攣して動かなくなった。
エマは思わず目をそらした。物置小屋の外からエマは一部始終を見ていた。胸には水を張った桶を抱えている。リシャールに犯人の傷の手当てをするように言われてきたのだが、その必要はなくなったようだった。
「……!」
ドルレアンたちが小屋から出てきたのでエマは急いで建物の影に隠れた。たちこめるうっすらとした霧でドルレアンたちはエマに気づくことなく居室へと消えていった。エマは安堵の息をつく。
ドルレアンに逆らうとどうなるかと思い知って、エマは身の毛がよだつのを感じた。いつもなるべく顔を合わせないように気をつけているのだが、今回もうっかり中に入っていたらどうなっていたことか。
次に襲われたらどうしたらいいのだろう。誰もいなくなった暗がりで、エマはいつまでも震えがとまらなかった。
☆(ジャン)
夜半、かすむ霧に紛れてジャンは息を潜めていた。いつもの羽根飾りの帽子も被らず、懐には黒い仮面を用意している。物陰から表を覗くとドルレアン男爵が泊まっている建物があり、扉の前には二人のドルレアンの私兵が座って話をしていた。当のドルレアンは外出しているので警備が手薄かと思ったが、そう甘くはなかった。見られて欲しくない、あるいは盗られて欲しくないものがそこにあるからだろう。ジャンは物音を立てないようにひっそりと建物の裏手にまわると、締めきった鎧戸のひとつに手をかけた。古い木板なので労せずに外れる。ジャンは仮面を被ると暗闇に溶けるように中へと侵入していった。
ジャンはしばらく目が慣れるのを待ってから部屋を探索する。広間には灯りがついており数人の私兵がくつろいでいた。見つからないようにそっと奥の部屋に進む。ドルレアンの寝室に行き当たったので机の引き出しや櫃を漁ってみたが、何も出てこなかった。
(なにひとつ出てこないというのは怪しいな。別の隠し場所があるということだ)
ジャンは注意深く、他の部屋も探した。ひとつだけ鍵のかかった部屋があった。広間に私兵がいる以上、いまは乱暴な手段には出られない。ジャンは考えたのち、鍵のかかった部屋があることだけを収穫に今宵は建物を抜け出すことにした。
来た道を辿って抜けようとすると周囲が急に騒々しくなり、ジャンはとっさに人目につかない部屋に避難した。遠くからドルレアンの声が聞こえる。もう帰ってきてしまったようだった。息を潜めたジャンがふと辺りを見回すとそこはドルレアンの寝室で、ジャンは自身のうかつさを呪った。躊躇うことなくベッドの下に潜り込む。足音が近づき、ドルレアンとおぼしき肥った足がベッドと床の隙間から表れた。大きく寝台が軋んで埃が落ちてきて、ジャンはくしゃみの衝動を懸命におさえた。こうなればドルレアンが寝付いて静かになるまでこの部屋を出られそうになく、ジャンは声にならないため息をついた。
やがて寝台の上からは聞くに堪えない大きないびきが聞こえ出した。ジャンは音を立てないように寝台から抜け出すと、気づかれないようドルレアンの衣類をまさぐった。夜中に男の体をまさぐる自分に空しくなる。それでも細心の注意を払って調べると、股間の隠しポケットに鍵があるのを見つけた。ジャンはテーブルに出されてあったパンに鍵を強く押しつけた。跡の残ったパンを握って部屋を出ていく。
(やれやれ)
無事に建物を抜け出したジャンは、無意識に手にしていたパンに囓りつこうして慌てて思いとどまった。




