一話 疑うことを知らない剣士と、嘘つきな暗殺者(8)-1
Ⅷ (クロエ)
クロエは昨日と同じ布団で眼を覚ました。前夜も自分の身の振りようについてあれこれ考慮しているうちに、明け方になってうとうとと眠りについてしまっていた。夜中に出ていこうと思っていたのに、どうしても出来なかった。そもそもロランの家に泊まったのも、最初は隙を見てロランの口を封じてしまおうと考えていたからだった。それがモニクにも見つかってすっかり計画が狂い、情に流されて二晩も居着いてしまったのだ。
(ジャンという男に疑われている今、すぐにいなくなればモニクさんとロランに迷惑がかかってしまうわ。どうにか疑いなくここを出るにはどうしたらいいのだろう……。やっぱりロランに都合をつけてもらって、祭りが終わったからと町の外に出してもらうのが良いかもしれない)
クロエはため息をつく。
(はたしてリュカはどうしているのだろう。見つかってはいないようだから、早く合流しなければ。でなければどんな仕打ちが待っているか……)
いまの暮らし心地と、残忍なリュカの笑みを比較してクロエは煩悶とした。
(やはりここは私には過ぎた幸せなんだ……。モニクさんとロランに、私はひどく残酷な振る舞いを強いている……)
クロエは朝食が終わった頃合を見計らって、この町を出て行きたいことを二人に打ち明けた。モニクは納得はしなかったが反対もしなかった。ただクロエを憐れんだ。昨日のジャンの一件もある。クロエの身に何か降りかかったとしても、自身に振り払う力がないことをモニクは理解しているのだろう。
「でもクロエ、一人になってどうして生きていけるというの?」
モニクの気遣いに、クロエはこれからやってくるであろう孤独が身に染みた。
「ロランや、ロセアンに出るまでクロエを見送りなさい。クロエが大丈夫だというところまで、きちんと見届けるのよ」
ロセアンまで出て、そこから町にほど近い過去にリュカと過ごしたことのある場所へ戻ればいい。待ち合わせしているわけではないが、町にいないのならまずそこへ戻るべきだとクロエは考えていた。
「可哀想な子……」
モニクがクロエの肩を抱いた。モニクの涙の温かさにクロエの目も潤んだ。
(ここに来てから私は泣いてばかりいるわ。もう自分の中で決心がついていたと思っていたことなのに、この人たちといると気持ちが簡単に揺らいでしまう)
クロエは力を込めて涙を堪えた。
躊躇してはいられなかったので、すぐに屋敷を離れた。関所で通行料を払って町を出ると、来たときと変わらない黄金色の草原が広がっていた。終わってしまったという気持ちが、クロエの心を刺した。またじわりと胸にこみ上げてくるものがあった。
「どうした?」
ロランが心配する。
「大丈夫よ。陽が眩しくて目を開けていられないだけ」
クロエはごまかした。実際、強い日の光が差している。疑われることはないだろう。
「じゃあ、目を瞑っているといい」
ロランがそう言ってクロエの腕を支えた。隣に立ってゆっくりと歩き出す。クロエも言われたとおりに目を閉じた。まぶたを透かして陽の明るさと、風に揺れる草原のざわめきと、ロランの温もりだけが感じられた。
(迷って、悔やんで、思わず立ち止まりそうになる自分を、ロランがしっかりと前に進ませてくれる)
それがいまは頼もしかった。だからあえてクロエは、ロランを処刑場に囚人を引っ立てる官吏だと思おうとした。
(私はそうされるべき罪を背負ってきている。これでいいんだ。私はいなくなったほうが……)
しばらく共に歩いてロセアン道まであと少しのところまで来た。ロセアンはアンジュの中心道と言ってよかった。この道を西へいけばブルターニュ、東へ行けばオルレアネへ進むことができ、またそこにたどり着くまでにも数々の町がある。林道は葉が陽をまだらに覆い隠し、うららかな午後の空気があたり包んでいた。
「なあ、これからどうするんだ?」
ロランが後ろを歩くクロエに話しかけた。
「人に会うわ」
「そこに俺が行ってはダメなのか?」
「ダメよ。モニクさんには会ったと伝えて。そうね、毛皮の買い付けをしている商人だとしておいて。名前はパブロでどう?」
「……簡単に嘘をつくんだな」
ロランが吐き捨てた。クロエはかっとなったか、すぐに自分を取り戻す。
「そうよ。でもあなたは約束を守るんでしょう? 町の外へ出してくれると約束したもの」
「それ以上は約束してない」
「なら強制しないで。あなたのために私はもうこれ以上はできない」
ロランが腹立たしげに立ち止まる。ここで別れたらたぶんもう会うことはないだろう。クロエは歩みを止めずにそのままロランを追い越した。先を歩いていればこの苦悩の表情も見られる心配はなかった。