一話 疑うことを知らない剣士と、嘘つきな暗殺者(7)-3
☆ (クロエ)
「そろそろ煮えた頃かしら」
モニクがご機嫌で台所へと消えていった。もうだいぶ食べてクロエはすっかりお腹いっぱいだったのでこの先の展開が不安になる。これ以上はとても食べられない。しかし出されたものに手をつけないのは失礼だろう。自分の限界に対する葛藤に胃も心ももたれる。ロランに聞くといつもはこんなにたくさんは出てこないという。モニクが鼻歌とともに大皿を抱えて戻ってきた。
「さあ。これがこの町の名物料理、マトロートよ」
「……!」
これは得体のしれないものが出てきたとクロエは思った。マトロート自体は知っている。アンジェの名物料理でウナギを葡萄酒や蒸留酒で煮込んだものだ。干しプラムやタマネギが添えてあったりもする。しかしなんと言うか、この料理はそれとは別物と区別してよかった。通常はウナギがぶつ切りにして入っているが、モニクの料理は変わっていてほぼそのままの形で煮込まれている。しかも普通のウナギに較べて、そのウナギもどきは鋭い牙が生えてかなり凶悪そうな顔をしていた。
「(うあ……なんか蛇みたいのが入ってる……)」
クロエは怖じ気づいた。懸命にロランに助けを求めたが、ロランはまったく気がついてはくれない。
「(ちょっとロラン! 気がついてよ! どうしたら良いのよこれは!)」
テーブルの下で腿をつつき、必死に目でアピールする。ロランは残念そうに首を左右に振った。どうにもならないということらしい。
「あう……」
「とても美味しいのよ。食べなさい」
モニクがにっこりと微笑む。三匹入っていたウナギの一匹がまるまるクロエの前へ差し出された。ウナギもどきが恨めしげにクロエをみているような気がした。クロエは干しプラムでそのウナギの目をそっと隠した。
「さあ召し上がれ」
モニクが満面の笑みで言った。そう言われて、必死に口に入れたら味などわからなかった。
☆ (ロラン)
食事も終わって団らんのときを過ごしていた頃、思わぬ客人が屋敷を訪れた。
「夜分に申し訳ありません。ご機嫌麗しゅうございます、モニク夫人」
片膝をついてモニクの手に口づけを交わしたのはジャンだった。三角に尖った上着と、スラッシュ装飾のブルゾンはパリでの流行を模したものらしい。目印の大きな羽根飾りのついた帽子を胸にあてて、ロランたちにも挨拶した。
「これはジャン様。どうなされたの?」
モニクは席を空けてジャンをテーブルに案内した。葡萄酒を差し出すと、ジャンは丁重に断った。
「まだ仕事中ですので。見回りのついでに寄ったのですよ。凶刃の輩の行方もわからないままですし。……美しいお嬢さんにご挨拶も兼ねまして」
ジャンはクロエにウィンクをした。クロエはじっとこの状況を窺っている。
「まあ。目聡いのね」
モニクが言った。
「先日祭りでお見かけしたのですよ。ロランが親戚の子だと言っておりましたが本当ですか?」
ジャンが探るように切り出した。
「ええ、そうよ」
モニクは笑顔で答えた。母はどうであれクロエを守る気でいるようでロランはほっとした。
「そうでしたか。関所を通った記録がありませんでしたものですから、少々気になっていたのですよ」
「まあ。おおかた番の者が酔っ払ってでもいたのではないかしら。みなさんお酒が過ぎますから」
「そうかもしれません。熱心に仕事をする者のほうが少ないですからな」
ジャンは笑った。モニクも毅然に微笑んで返した。
「中には夜中に女の精霊を見たなんて言い出す者もいまして、きっと酔っていたのでしょうが……。とても色の白い美しい娘だったらしいですよ。そう、まるでお嬢さんみたいに」
なんて答えていいのか、モニクもついに黙ってしまった。
「……なんて、ちょっと冗談が過ぎましたね」
ジャンはまた笑った。ロランとモニクもつられて笑い返した。クロエだけは、先ほどから石のように微動だにせずジャンを見ていた。
「ご気分を悪くされましたら失礼。皆さまお変わりないか見て回っているだけなのですよ。また伺います、では」
ジャンが出ていった後、沈んだ空気があたりを支配した。ジャンはクロエを疑っている。それだけは確かだった。