一話 疑うことを知らない剣士と、嘘つきな暗殺者(7)-2
町へ戻るとロランは自警団が慌ただしいのに気がついた。急いでボルディエ家に向かうと広間で一組の夫婦が力なく椅子に腰掛けており、ロランはそれだけでおおかたの事情を察した。
「また子供がいなくなった」
夫婦に落ち着くよう飲み物を振る舞いながら、リシャールが言った。そばではエンゾが力なくうなだれている。
「いつ、どこで?」
ロランは詳細を問いただした。
「自宅で、今朝起きたらいなかったらしい。まだ四つの女の子だから、ひとりで遠くには行けないだろう。きっと寝ているあいだに連れ去られたんだろうな」
農夫婦の娘で、他にも十と八つの二人の息子がいたが、こちらは何事もなかったという。いなくなるのは決まって十に満たない幼い娘だった。なにか意図的なものが感じられるが、手掛かりはない。
「ロラン!」
振り返るとジャンが手招きをしていた。ロランは部屋を出てジャンと一緒に通りを歩く。
「いままでどこにいたんだ?」
ジャンの問いにロランは森に行っていたことを正直に話した。疑われたくはなかったし、他の者になら話さなかったが、ジャンにだったら喋ってもいいような気がしたのだった。そういった懐の深さがジャンにはあり、それが慕われている理由なのだろうとロランは思った。ただしマリーのことだけは伏せておいた。セバスチャンからも口止めされている。
「森か。狼が出没すると聞いていたが?」
「やつらは飢えてるからな。用心しないといけないのは確かだが、下手に刺激をしなければ大丈夫だ。ま、俺以外が森に行くのは勧められないけど」
森の王はなぜかロランを認めた。理由を知りたいが、それを森の王から聞き出すことは不可能だろう。
「子供の気配はなかったか?」
「ああ、森にはいなかった」
ロランはマリーの言っていた気になる一言をジャンにもぶつけた。
「ところで、ドルレアンをどう思う?」
「ほう……興味深い。ロランも何か感じているのか?」
「いや、別に。なんとなくそう思うだけだ」
マリーに言われたことをそのままオウム返しに聞いてみただけだった。ロラン自身に思い当たる節はない。それどころか、さきほどの裸体を思いだして不覚にも赤面してしまう始末だ。
「ふうん。お前も意外と鼻が利くのだな」
そんな様子もつゆ知らず、ジャンは見直したように言った。
「ジャンも何かあると思っているのか?」
「実は……最近このあたり全域で子供の誘拐が頻発しているんだよ。この町はいい方で、都会などはジプシーや物乞いたちの子供までいなくなっている。行方不明なのか間引いているのか判断もつかない。どちらにせよ幼い子供だけなので、観念する手合いが多くて問題にはなっていない。しかし僕は何か事件性を感じて仕方がないんだよ」
「それでドルレアンを疑っているのか?」
「証拠はないさ。でもドルレアンの息のかかった場所、行く先々で事件が顕著なんだ。僕は怪しいと睨んでいる」
「そうか……」
「でもさっき言った通りまだ証拠が乏しいんだ。内緒にしておいてくれ」
「わかった」
最近秘密がどんどん増えていく。そのうち抱えきれなくなってしまいそうだった。
ロランが屋敷に戻ってきても、まだモニクはクロエを離してはいなかった。側に置いて話をしたり、刺繍を始めたりしている。とても穏やかで和む光景ではあったが、彼女と話をしないわけにはいかなかった。ロランも途中で自警団の用事で外出したりしたせいで、結局二人で話ができたのは、すでに夕方近くだった。
「悪かったな。母上が……あの調子で」
「成り行きとはいえ、不思議なことだわ」
クロエはすでに宮廷衣装を脱いで、貴族の子女がよく着る袖の膨らんだローブを纏っていた。女中の格好よりずっと様になっている。
「母上とはどんな話をしたんだ?」
「差し障りのない話よ」
そっけない答えだったが、クロエはまんざらでもない表情を浮かべている。この険のとれた穏やかな顔がクロエの本当の顔なんだろうとロランは思った。遠く台所では規則正しく野菜を刻む音が聞こえる。
「母上が我が家に代々伝わる料理でもてなそうとやっきになっているみたいだ。街に出るのは明日でもいいかな?」
「いいえ、今日中に出ていくわ。これ以上いたら……出られなくなる」
クロエは長く考えて、そう言った。我が家に未練を感じてるのだとしたら、ロランとしてもなんとなくだが嬉しいことだ。
「クロエに家族はいないのかい?」
思い立って、ロランは質問した。
「姉が二人いた。よく一緒に遊んだわ。上の姉カトリーヌはいつもおっとりしていて、下の姉イザベルはとってもお転婆だったの。どちらも優しくて、私は二人が大好きだった」
クロエは思い出を懐かしむようその大きな瞳を閉じた。
「いまはどうしている?」
「ずっと前に離ればなれになってしまったわ。いつかまた会えたらと願うけど、夢ね」
「会えるさ」
「あなたは何も知らないからそう言えるのよ」
「教えてくれないからさ」
「ええ。誰にも教えないわ。このまま、死ぬまでね」
死という言葉がトゲのように小さく胸に刺さった。台所からロランを呼ぶ声がする。
「料理が出来たようだよ、クロエ」ロランは寂しい気持ちを抱えつつ言った。
クロエが先にその場から出ていく。ロランは違和感と共に、そのまま取り残されていた。
「母上、いったい今日はどうしたのですか?」
ここ数年見なかった立派な豪華な食卓にロランは目を丸くした。普段のパンと野菜スープの食事ではなく、ウサギのシチューやブタの腸詰め、淡水の焼き魚や梨を煮た甘味までが用意されていた。公爵が別荘を訪れたときよりも豪華な食事に驚きを隠せない。モニクはクロエとロランに席を用意した。
「いいからお座り」
モニクに促されて二人は大人しく席に着いた。全員で祈りを捧げる。
「クロエ。生きることは大変なことよ。たくさんの苦難が待ち受けているわ。でも誰を恨んでもいけませんよ。これまでがすべてではないし、人生は続いていくの。ロランもよく聞きなさい。あなたがどういう経緯でクロエを連れてきたのかはわからないわ。きっとそうするしかない事情があったのでしょう。私はあなたが決して神に背くことがないと信じています」
モニクは静かにクロエの手を取った。
「クロエ、助けが必要なあいだは私たちを頼りにするといいわ。いつまででもここに居ていいのよ」
突然の告白に、クロエは感激して目に涙を浮かべた。その透明な美しい雫を隠すように俯くクロエの頬を、母が優しくなでる。
「さあ、温かいうちに」笑顔で母が料理を取り分けはじめた。
その日の食事はロランにとっても、今までで一番神聖な食事になった。