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一話 疑うことを知らない剣士と、嘘つきな暗殺者(6)-5

 家の厩舎に駆け戻ると、クロエは大人しく待っていた。


「遅くなって、ごめん」


 返事はない。クロエは厩舎の隅で祈りを捧げていて、ロランは思わずその姿に見とれた。格子窓から入りこむ月明かりに照らさた彼女の横顔に、聖母マリアを見ている気がしたのだ。手には十字架の代わりに薔薇が細工されたブローチを握っている。深青の薔薇が濡れたように光り輝いていた。


 どれくらいのあいだそうしていただろうか。ものの数秒かもしれないし、あるいはもっと長い時間だったのかもしれない。おもむろに彼女が立ち上がった。そしてロランを眺め、思いきり顔をしかめた。


「どうしたの、その格好?」


 ロランは洞窟を這いずり回ったせいですっかり泥と糞にまみれていた。


「話すと長くなる。ええと……」


「いいわ。待てと言われたから待ったわ。その、……見つかったの?」


 彼女が話を遮って、言いにくそうに切り出した。最初ロランは何のことを言っているのかわからなかったが、すぐに刺客の安否であることを思い出した。


「ああ。いや、刺客は見つからなかったよ。この狭い町でどうやって逃げたんだろうな」


「そう」


 クロエはペンダントをロランに渡し、厩舎を出ていく。ロランはそれを押しとどめた。

「どこに行くんだよ」


「返すべきものは返したわ。この闇でもう探す者もいない」


「待ってくれ」


「何故?」


 彼女の冷たい視線が突き刺さる。


「その、どこへ行くんだ?」


「言う必要はないわ」


「町の外か?」


「だとしたら?」


「……明日、俺が外へ出してあげるよ。怪しまれないで済む。外は寒いし、だから今夜は家にくるといい」


 クロエはロランの傍まで歩み寄って、怒りをたたえた眼差しで一気にまくし立てた、


「どうしてそんことを言うの? そしてどうして私に『もう泣かないでくれ』なんて言ったの? あなたは誰? いったい何が目的なの? お金? どこかへ売り払うつもり? それもと体が目当て? 悪いけど私はあなたに抱かれる気はないわ」


 ロランは呆気にとられた。待っている間、ずっと匿われた理由を探していたのかもしれない。


「俺は……」


 ロランは十年前の思い出を語った。父が殺された雪の日のこと。少女の涙。ひとつひとつ記憶を辿って丁寧に話した。いままで人に話したことなどなかった。何度も繰り返し思い出していたことなのに、言葉にするのは想像以上に難しく、すべてを話し終えたとき彼女は押し黙ったままだった。


「……すまない。そのときの少女とクロエの顔があまりに重なってしまったものだから……。クロエにとっては関係のない出来事かもしれないけれど、俺にとってはなにか見過ごせない記憶で……自分でもどうしてこんなに執着しているのかわからない。だけどいまだに気持ちの整理がつかないんだよ」


 どれほどの沈黙だったろうか。風が草木を揺らす音、虫の鳴く声がする。それを静寂と呼ぶのだろうか。


「あれは……お前じゃないよな?」


 ロランは引っかかっていた疑問を恐る恐る口にした。


「……違うわ」


 クロエは下を向いたまま首を振った。


「はは……そうだよな。どうかしている。悪かったな、関係のない話を延々と。でも……どうかな? やっぱり今日は家で泊まっていかないか? 路上で夜を明かすよりいい」


 クロエがしばらく考えた後、


「いいわ。今日は泊まる。その代わり、明日は必ず外へ連れ出して」

 何か決意を固めるように強い態度で言った。



「静かに。俺の寝室を使うといい。俺は屋根裏を使うから」


 ロランはクロエを従えて、侍女や母が起きないようゆっくりと玄関の扉を開けた。広間、台所を経由すれば彼女たちに気付かれずに寝室まで辿りつける。ロランは木靴を脱いで、忍び足で広間を横切った。


「いままでどこに行っていたのかしら?」


「っ……!?」


 暗い広間には母のモニクが起きていて、ロランは心臓が止まるほど驚いた。


「いや……あの……」


 言い訳をなんとかひねり出そうとしていたところに、モニクが松明に火を灯した。おぼろげな光にクロエの姿が照らし出されてモニクが目を見張った。


「ちょっ、この娘はだれなの! こんな時間に女を連れ込んで、お前という男はっ」

 モニクが烈火の如く怒って、二回り以上大きいロランの背中を拳で何度も叩きつけた。


「待っ、待って母上」


 ロランの話には聞く耳を持たずに、モニクは今度はクロエの袖を掴んで怒鳴りつけた。クロエはあまりの剣幕に呆気にとられている。


「どこの娘なの! このはしたない泥棒猫は……」


 母がクロエの袖を強く引っぱった拍子に、肩口の縫い目が裂けて彼女の素肌が露わになった。ロランは思わず息を飲む。顔と同じく陶器のように白い腕には、むごたらしい数のアザがあった。クロエが慌ててその傷跡を隠した。母の拳がわなわなと震えた。


「ロランッ! あなたの仕業なの? まさかどこかから攫ってきたんじゃないでしょうね! 手込めにするなんて卑劣なことをっ」


 ロランが否定しようと口を開けたそのとき、


「違うのっ」


 クロエが悲痛な叫びをあげた。ロランがいままで聞いていたトーンとは明らかに異なる、悲鳴のような声だった。


「違うわ……ロランじゃないわ」


 クロエは俯いて震える声でもう一度言った。クロエの突然の変わりようにロランは狼狽えた。逆に落ち着きを取り戻したモニクがクロエをいたわるように抱きかかえる。騒ぎに気がついて侍女も起き出してきた。


「ロラン、後は私たちに任せてもう眠りなさい」異議を挟ませない強い口調でモニクが言った。

 クロエはモニクの腕の中で発作のように短い呼吸を繰り返している。状況の変化に戸惑いが隠せないまま、ロランは母の言うとおり任せることにした。




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