婚約破棄ですか? では、もうあなたの謝罪には付き合いません
人に頭を下げるというのは、思っている以上に疲れるものだ。
特に、自分が悪くもないことについて謝罪するのなら、なおさらである。
「セシリア。今回も頼むぞ」
そう言って、婚約者のアーノルドは私に一通の招待状を差し出した。
隣国から届いた、ささやかな親睦旅行への招待状だった。
だが、その文字からは隠しきれない怒気が感じられる。
中を見ると、最初の挨拶以外、彼への苦言で溢れていた。
さっと目を通す。
それだけでも言いたいことが理解できた。
……要約すると「さっさと謝りに来い」とのことだ。
「先日の晩餐会で、私が失礼な態度を取ったと先方が怒っているらしい。私の代わりに謝罪してきてくれ」
「私が、ですか?」
「そうだ。君は私の婚約者なのだから、それくらい当然だろう」
先日の晩餐会。
確かに私も出席していた。
しかし、失礼な態度を取ったのはアーノルドだ。
彼は隣国の公爵令嬢に求婚まがいの言葉を投げかけ、彼女の婚約者から注意されると、逆に相手を侮辱した。
自身の行いを正当化しつつ、相手を馬鹿にし続けた。
その場にいた私は、何度も彼を止めた。
だが、彼は聞かなかった。
結果としてお相手は怒り、会はあっという間にお開きとなった。
その後も怒りの収まらない彼に対し、ずっと私は頭を下げていた。
そして今、彼は再び私に謝罪を押し付けようとしている。
私は悪い事など何もしていないのに。
「なぜ私が謝罪しなければならないのでしょう」
「君が女性同士で話をつけた方が穏便に済むからだ」
「……つまり、あなたは行かないのですね?」
「忙しいんだ。分かるだろう?」
分かりません。
今日の用事とやらもどうせ女か賭博だろう。
私は招待状を机に戻した。
そして。
「お断りします」
と一言。
「……何?」
「私には謝罪する理由がありません」
「婚約者の失敗を補うのも、婚約者の務めだ!」
彼は声を荒らげた。
その言葉を聞いて、私は以前より思っていたことを考える。
これまで何度、同じようなことを言われただろう。
彼が約束を破れば私が謝る。
彼が贈り物を忘れれば私が取り繕う。
彼が他の令嬢を怒らせれば私が機嫌を取る。
いつの間にか、私は彼の尻拭いをするために存在していたらしい。
ならば。
今日でそれを終わりにしよう。
「アーノルド様」
「何だ!」
「婚約を解消いたしましょう」
彼は目を見開いた。
「馬鹿なことを言うな!」
「本気です」
「私が誰だか分かっているのか!」
「もちろん。自分の失敗を他人に謝らせる方ですわ」
彼は顔を真っ赤にした。
「後悔するぞ!」
「それは、あなたがなさることでは?
私が後悔することは金輪際ないと思いますよ」
私は席を立った。
彼の怒声を聞きながら、振り返る事なく帰路についた。
どこか清々しい気分だった。
◇
それから数日後。
婚約解消の話は、両家の間で正式にまとまった。
そして、さらに数週間後。
私は実家で、思いがけない話を聞くことになる。
「アーノルドが、隣国へ行ったそうだ」
父が新聞を畳みながら言った。
「謝罪に?」
「その通りだ。……もっとも上手くいかなかったようだがな」
私は少し驚いた。
あの一件を、彼自身で解決するつもりになったのだろうか。
無視し続けるかと思ったのに。
そう思ったのも束の間。
「ただし、また先方をずいぶん怒らせたらしい」
「まあ……」
とは言いつつも、そりゃそうだろうと思った。
いつも私に謝罪させてきていた彼が、正しく謝れるとは思えない。
そもそもがプライドの塊なのに。
父が話を続ける。
「アーノルドは、到着早々に公爵令嬢へ花束を贈ったそうだ」
「どうしてそんなことを?」
「本人は仲直りの兼、親愛の証と言っていたそうだ」
私は額に手を当てた。
どうやら、彼は何も学んでいない。
後日、さらに詳しい話が届いた。
アーノルドは公爵令嬢に花束を渡し、以前の晩餐会での言動を謝罪したらしい。
ところが、その謝罪の途中で、
『あのときは、私の婚約者が少々嫉妬深くてね』
と余計な一言を付け加えた。
当然、公爵令嬢は激怒した。
だって彼女は私が謝り続けていた姿を見ていたし、同情していくれてた。
なんなら友人にもなっていた。
そんな友人についてありもしない言葉を吐いて、適当に謝罪してきたら。
情に厚く、内にアツイものを秘めている彼女ならブチギレるだろう。
さらに彼女の婚約者は、アーノルドを客人として扱う必要はないと判断し、一応、謝罪されて溜飲が下がった時ようで取っていた、親睦旅行の予定をすべて取り消したという。
結局、彼は滞在予定の半分も過ごさず、帰国することになった。
しかも、帰国後には隣国との交流を任される予定だった彼の父親が、今回の騒動の責任を問われ、息子を叱責したらしい。
そして、私のもとにも手紙が届いた。
『君がいれば、こんなことにはならなかった』
私はそれを読み終え、暖炉にくべた。
返信などする気にもならなかった。
何とも不思議な話だ。
彼は私がいなくなったから失敗したと思っている。
けれど、私がいた頃から失敗していたのだ。
ただ、私が代わりに謝っていただけである。
「セシリア、今度の休日は空いているかい?」
そんなことを考えていると、兄の友人である青年が訪ねてきた。
彼は以前から私に好意を寄せてくれていた人だ。
婚約破棄してからは、アプローチが激しくなってきていた。
……まあ、悪い気はしない。
「ええ、特に予定はありませんけれど」
「それなら、街の新しい菓子店に付き合ってほしい。今度こそ、君自身の好きなものを選んでほしいんだ」
私は思わず笑った。
「それは素敵なお誘いですわね」
誰かの失敗を謝るためではなく。
誰かの機嫌を取るためでもなく。
自分のために出かける予定を立てる。
そんな当たり前のことが、こんなにも楽しみだとは思わなかった。
もう、誰かの代わりに頭を下げる人生は終わりにしよう。
これからは、自分のために笑っていたい。




