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婚約破棄ですか? では、もうあなたの謝罪には付き合いません

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/11/06


 人に頭を下げるというのは、思っている以上に疲れるものだ。

 特に、自分が悪くもないことについて謝罪するのなら、なおさらである。


「セシリア。今回も頼むぞ」


 そう言って、婚約者のアーノルドは私に一通の招待状を差し出した。

 隣国から届いた、ささやかな親睦旅行への招待状だった。


 だが、その文字からは隠しきれない怒気が感じられる。

 中を見ると、最初の挨拶以外、彼への苦言で溢れていた。


 さっと目を通す。

 それだけでも言いたいことが理解できた。

 ……要約すると「さっさと謝りに来い」とのことだ。


「先日の晩餐会で、私が失礼な態度を取ったと先方が怒っているらしい。私の代わりに謝罪してきてくれ」

「私が、ですか?」

「そうだ。君は私の婚約者なのだから、それくらい当然だろう」


 先日の晩餐会。

 確かに私も出席していた。


 しかし、失礼な態度を取ったのはアーノルドだ。

 彼は隣国の公爵令嬢に求婚まがいの言葉を投げかけ、彼女の婚約者から注意されると、逆に相手を侮辱した。

 自身の行いを正当化しつつ、相手を馬鹿にし続けた。


 その場にいた私は、何度も彼を止めた。

 だが、彼は聞かなかった。

 

 結果としてお相手は怒り、会はあっという間にお開きとなった。

 その後も怒りの収まらない彼に対し、ずっと私は頭を下げていた。


 そして今、彼は再び私に謝罪を押し付けようとしている。

 私は悪い事など何もしていないのに。


「なぜ私が謝罪しなければならないのでしょう」

「君が女性同士で話をつけた方が穏便に済むからだ」

「……つまり、あなたは行かないのですね?」

「忙しいんだ。分かるだろう?」


 分かりません。

 今日の用事とやらもどうせ女か賭博だろう。


 私は招待状を机に戻した。


 そして。


「お断りします」


 と一言。


「……何?」

「私には謝罪する理由がありません」

「婚約者の失敗を補うのも、婚約者の務めだ!」


 彼は声を荒らげた。

 その言葉を聞いて、私は以前より思っていたことを考える。


 これまで何度、同じようなことを言われただろう。

彼が約束を破れば私が謝る。

 彼が贈り物を忘れれば私が取り繕う。

 彼が他の令嬢を怒らせれば私が機嫌を取る。


 いつの間にか、私は彼の尻拭いをするために存在していたらしい。


 ならば。

 今日でそれを終わりにしよう。


「アーノルド様」

「何だ!」

「婚約を解消いたしましょう」


 彼は目を見開いた。


「馬鹿なことを言うな!」

「本気です」

「私が誰だか分かっているのか!」

「もちろん。自分の失敗を他人に謝らせる方ですわ」


 彼は顔を真っ赤にした。


「後悔するぞ!」

「それは、あなたがなさることでは?

 私が後悔することは金輪際ないと思いますよ」


 私は席を立った。

 彼の怒声を聞きながら、振り返る事なく帰路についた。

 どこか清々しい気分だった。








 ◇


 それから数日後。


 婚約解消の話は、両家の間で正式にまとまった。

 そして、さらに数週間後。


 私は実家で、思いがけない話を聞くことになる。


「アーノルドが、隣国へ行ったそうだ」


 父が新聞を畳みながら言った。


「謝罪に?」

「その通りだ。……もっとも上手くいかなかったようだがな」


 私は少し驚いた。


 あの一件を、彼自身で解決するつもりになったのだろうか。

 無視し続けるかと思ったのに。

 そう思ったのも束の間。


「ただし、また先方をずいぶん怒らせたらしい」

「まあ……」


 とは言いつつも、そりゃそうだろうと思った。


 いつも私に謝罪させてきていた彼が、正しく謝れるとは思えない。

 そもそもがプライドの塊なのに。


 父が話を続ける。


「アーノルドは、到着早々に公爵令嬢へ花束を贈ったそうだ」

「どうしてそんなことを?」

「本人は仲直りの兼、親愛の証と言っていたそうだ」


 私は額に手を当てた。

 どうやら、彼は何も学んでいない。


 後日、さらに詳しい話が届いた。

 アーノルドは公爵令嬢に花束を渡し、以前の晩餐会での言動を謝罪したらしい。

 ところが、その謝罪の途中で、


『あのときは、私の婚約者が少々嫉妬深くてね』


 と余計な一言を付け加えた。


 当然、公爵令嬢は激怒した。

 だって彼女は私が謝り続けていた姿を見ていたし、同情していくれてた。

 なんなら友人にもなっていた。


 そんな友人についてありもしない言葉を吐いて、適当に謝罪してきたら。

 情に厚く、内にアツイものを秘めている彼女ならブチギレるだろう。


 さらに彼女の婚約者は、アーノルドを客人として扱う必要はないと判断し、一応、謝罪されて溜飲が下がった時ようで取っていた、親睦旅行の予定をすべて取り消したという。


 結局、彼は滞在予定の半分も過ごさず、帰国することになった。

 しかも、帰国後には隣国との交流を任される予定だった彼の父親が、今回の騒動の責任を問われ、息子を叱責したらしい。


 そして、私のもとにも手紙が届いた。


『君がいれば、こんなことにはならなかった』


 私はそれを読み終え、暖炉にくべた。

 返信などする気にもならなかった。


 何とも不思議な話だ。

 彼は私がいなくなったから失敗したと思っている。


 けれど、私がいた頃から失敗していたのだ。

 ただ、私が代わりに謝っていただけである。


「セシリア、今度の休日は空いているかい?」


 そんなことを考えていると、兄の友人である青年が訪ねてきた。

 彼は以前から私に好意を寄せてくれていた人だ。

 婚約破棄してからは、アプローチが激しくなってきていた。

 ……まあ、悪い気はしない。


「ええ、特に予定はありませんけれど」

「それなら、街の新しい菓子店に付き合ってほしい。今度こそ、君自身の好きなものを選んでほしいんだ」


 私は思わず笑った。


「それは素敵なお誘いですわね」


 誰かの失敗を謝るためではなく。

 誰かの機嫌を取るためでもなく。

 自分のために出かける予定を立てる。


 そんな当たり前のことが、こんなにも楽しみだとは思わなかった。

 もう、誰かの代わりに頭を下げる人生は終わりにしよう。

 これからは、自分のために笑っていたい。

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