プロローグ 残機ゼロの男、二度目の人生を始める
居酒屋を出たのが確か二十三時半だった。
俺、田中健一、四十二歳。
地方の中小企業で営業部長代理。
部下に誘われて結局二軒目までつき合った。
焼酎のお湯割りを五杯。
胃は痛い。明日は朝から客先だ。
「俺、もう帰るわ」
そう言って店を出た。
夜風が冷たい。
家までは徒歩十五分。
歩きながらぼんやり考えた。
俺の人生何だったんだろうな。
四十二歳。
独身。
彼女いない歴、十二年。
両親は数年前に二人とも亡くなった。
兄弟もいない。
仕事は悪くはない。悪くはないが特別良くもない。
今日も部長に怒鳴られた。客先で頭を下げた。部下のミスを庇った。
誇れるものはない。
ただ一つ、誰にも言えない誇れるものがあった。
三国志。
高校生の時にコーエーの『三國志IV』を買ってから二十五年。
全シリーズ全武将データを暗記している。
横山光輝も蒼天航路も全巻。
『三國無双』も『三国志大戦』も極めた。
でもそれを誰にも言わない。
四十二歳のおっさんが「三国志大好きです」と言ったらただの痛い奴だ。
「もし、俺が三国志世界に行ったらさ……」
酔った頭でいつも妄想していた。
劉備でも曹操でもなくていい。
ただ、誰かに必要とされる人生を送ってみたかった。
俺がいなくても世界は何も変わらない。
俺がいなくなっても誰も悲しまない。
そんな人生を四十二年。
よくやってきたと思う。
「うっ」
胸が痛い。
え?
何だこれ。
胸が締めつけられるように――。
「な……んだよ、これ……」
膝が地面につく。
コンクリートが冷たい。
視界が暗くなっていく。
ああ、これ。
これヤバいやつだ。
俺、今死ぬのか。
四十二歳。
独身。
何も成し遂げないまま。
誰にも看取られず。
路上で。
俺がいなくなっても誰も気づかない。
それが何より悲しかった。
「ふっ……ふざけ……んな……」
俺は声を絞り出した。
人生をやり直したい。
誰かに必要とされる人生を生きたい。
誰かを守れる人生を――。
意識が暗転した。
「……兄さま」
知らない、女の子の声。
「兄さま、子徹兄さま、お目覚めですか」
俺は目を開けた。
知らない天井。
木造の梁。
木の柱。
窓の外からは、鶏の鳴き声と、遠くに人の声。
「……ここ、どこだ……?」
口から出た声が自分のじゃない。
若い。
変声期を抜けたばかりの十代の声だ。
そして自分の口から出た言葉は――現代の日本語ではなかった。
「兄さま? まだ熱が……?」
少女が心配そうに俺を見つめている。
小さな手が俺の額に触れた。
ひんやりとして、優しい。
「兄さま、お顔色が……お母さまを呼んできますね」
「あ、待ってくれ」
俺は思わずその手を掴んだ。
少女が驚いて俺を見た。
大きな目に心配の色が浮かんでいた。
頭の中に知らない記憶が、ゆっくりと流れ込んでくる。
俺の今の名前は――李明、字は子徹、十六歳。
ここは――襄陽の郊外、李家という商家の屋敷。
家業は――絹織物、茶葉、薬草の交易。
そして目の前のこの少女は――。
李綾。
俺の妹。
十二歳。
生まれた時から体が弱くほとんど家から出たことがない。
それでも心の優しい子で。
本が好きで、兄である俺を、よく慕ってくれる。
俺が三日前近所の川で溺れて熱を出してから、ずっと枕元で看病してくれていた。
「……綾」
俺はその名を呼んだ。
「は、はい」
「すまない、心配かけた」
「いえ……兄さまが、ご無事で、よかった……」
綾の目に涙が滲んだ。
その涙を見た瞬間、俺の胸の奥で、何かが、ぎゅっと締めつけられた。
俺は四十二年生きてきた。
独身だった。
家族は、いなかった。
俺がいなくなっても誰も悲しまない人生だった。
それなのに。
この少女は俺のために、泣いている。
「……」
俺はゆっくりと、起き上がった。
そして綾の頭に手を置いた。
「ありがとうな、綾」
「は、はい……」
綾はこくりと頷いた。
そしてその時。
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システム起動完了
【PLAYER】李明(中身:田中健一・42歳)
【AGE】16歳
【LOCATION】荊州・襄陽郊外・李家
【YEAR】???
▼ メインクエスト
最終目標:天下統一
▼ 段階制クリアシステム
・第一段階(残り14年):荊州の実権を掌握せよ
・クリア時:寿命+10年(第二段階開放)
・第二段階(達成時公開)
・第三段階(達成時公開)
▼ 寿命タイマー
残り:5,110日(約14年)
失敗時:プレイヤーは確実に死亡する
成功時:現代日本(2026年)に帰還可能
14歳まで遡及、記憶と経験は全て保持
[OK]
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「……は?」
俺は目の前に浮かぶウィンドウを、しばらくまじまじと見つめた。
「段階制クリア……?」
「……ゲームかよ」
そして悟った。
これは、夢じゃない。
俺は本当にここに来た。
三国志の時代らしい場所に。
しかも、なんかゲームみたいなウィンドウつきで。
「兄さま?」
綾が不思議そうに俺の顔を見ていた。
俺は慌てて笑顔を作った。
「あ、いや、何でもない。
……あのさ、綾、ちょっと聞いていいか」
「は、はい」
「ええと……」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「今って、何の月だっけ。寝込んでて、よく分からなくなって」
「あ、はい。三月の終わりです」
「うん、ありがとう。それから、その……今って、平和な時代、だよな?」
「平和、ですか?」
綾は首を傾げた。
「お父さまが、最近、おっしゃっていました。
北の方で、何か、よくないことが起きている、って」
「……」
「黄色い布を頭に巻いた人たちが、各地で乱を起こしている、と」
俺の心臓が跳ねた。
黄巾の乱。
頭を布で覆った宗教反乱。
歴史の教科書にも載っている、後漢末期の最重要事件。
「綾、その話、いつ聞いた」
「ええと、十日ほど前です。
まだ、ここからは遠い場所の話、と」
「……」
俺は息を呑んだ。
頭の中の知識が、フル回転していた。
黄巾の乱は、西暦184年2月に勃発した。
三月の終わりということは、もう一ヶ月以上経っている。
そして史実では、黄巾は荊州にも波及した。
襄陽近郊で、何度か小規模な戦闘があった。
「綾」
「は、はい」
「お父さまは、どこに?」
「店にいらっしゃいます。お母さまも、一緒に」
「……分かった。ちょっと、考え事をするから、少し休ませてくれるか」
「はい、お湯冷ましをお持ちしますね」
綾はぺこりとお辞儀をして、部屋を出て行った。
廊下を歩く、小さな足音。
それは、すぐに遠ざかった。
俺はベッドの上で、深く息をついた。
「……マジかよ」
そして頭の中のウィンドウを、もう一度呼び出した。
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【ABILITY LIST】
[1]登用ガチャ
半径50km以内の人物を抽選で配下にできる
通貨:信頼度ポイント
[2]信頼度可視化
全人類の信頼度(0〜100)が見える
信頼度の上昇分が[1]の通貨になる
[3]三国志システム
武将ステータス/レーダー/史実フラグ
※年代未確定のため、フラグ表示は限定的
[4]セーブ&ロード
セーブ自動、死亡時に自動ロード
ロード時、寿命1ヶ月消費
現在のリソース:
・信頼度ポイント:0
・ガチャ可能回数:0
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「ゲームみたいなシステムまでついてんのか」
「ステータス画面、ガチャ、寿命タイマー」
「死んだら自動ロードって、まんまRPGじゃねぇか」
「……」
「14年で、荊州」
実際の三国志は、184年の黄巾の乱から、280年の晋による統一まで、約100年かかった。
それを俺は――まず14年で荊州を取れ、と。
そして達成すれば寿命が延びるらしい。
ゲームみたいに、ステージクリア型の人生だ。
「やれやれ……」
ふっと、口元が緩んだ。
自嘲の笑みだった。
だが、不思議と、絶望はなかった。
俺はベッドから降りた。
体は、十六歳。
四十二歳のおっさんの体とは、まったく違う。
軽い。骨が軽い。筋肉も若い。
ただし、病み上がりなので、少しふらふらする。
そして部屋を見回した。
質素な木造の部屋。
窓には、紙が張られている。
家具は、漆塗りの机と、簡素な椅子。
床は、板張りに、敷物。
紛れもなく、漢代後期の中国。
「俺、三国志の世界に、来た」
「四十二年生きて、独身で死んで、転生したら、商家の次男坊」
「14年で荊州取らなきゃ、死ぬ」
「……」
「うっわ」
俺は笑った。
それは、自分でも意外なほど、明るい笑いだった。
「いいじゃねぇか」
呟いた。
「人生やり直し、ありがてぇよ」
俺は窓の外を見た。
桃の花が、咲き始めていた。
中庭の井戸。
古い木の塀。
その向こうに、別の家の屋根。
ここは、襄陽の郊外。
これから、長い時を経て、三国志の英雄たちが集まる土地。
劉表が荊州牧として君臨し、いずれ諸葛亮が隆中で晴耕雨読し、龐統が司馬徽の塾で学ぶ場所。
「あの子が、いるんだもんな」
俺は廊下の方を、見た。
さっきまで、綾が立っていた場所。
俺のために、泣いてくれた、十二歳の少女。
俺は四十二年生きて、誰にも必要とされなかった。
だが、ここでは、違う。
俺には、家族がいる。
妹がいる。
そしてその妹は、これから、危険な時代を生きていく。
「黄巾」
「赤眉」
「群雄割拠」
「曹操、孫権、劉備の戦争」
「赤壁」
「夷陵」
「五丈原」
俺の知っている三国志は、英雄たちが戦い、民が踏みにじられる時代だ。
そして――俺の妹は、その民の一人だ。
体が弱くて、家から出られなくて、本を読むのが好きな、優しい妹。
そんな妹を、戦乱に巻き込まれて、奪われたら。
「……」
俺は拳を、握りしめた。
四十二年生きて、初めて、明確な目的を持った気がした。
「妹を、守る」
呟いた。
「家族を、守る」
「そのために、まず荊州を取る」
「第一段階、クリアしてやる」
頭の中のウィンドウを、もう一度見た。
────────────────────────
▼ 第一段階:荊州の実権を掌握せよ
残り:5,110日(約14年)
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「14年で、荊州」
「……できるかは、分からない」
「だが、やるしかねぇ」
俺はベッドから立ち上がった。
その時。
「兄さま、お湯冷ましをお持ちしました」
戸が開いた。
綾がお椀を持って、部屋に入ってきた。
きちんと冷ましたお湯。
湯気は立っていない。
その瞬間、俺の視界の端に、何かが浮かんだ。
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李綾(妹・12歳) 信頼度:72/100
武力2/知力25/政治10/魅力60 体質:虚弱
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「お」
俺は声を漏らした。
信頼度72。
元の李明くんは、本当に妹を大切にしていたんだろう。
「綾、ありがとう」
俺はお椀を受け取った。
そして心からの感謝を込めて、笑った。
二十五年、営業マンとして磨いてきた笑顔だ。
だが、今回ばかりは、演技じゃない。
本当にありがたかった。
「あ、いえ……」
綾の頬が、わずかに赤くなった。
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李綾 信頼度:72 → 76(+4)
獲得ポイント:+4
現在の合計:4pt
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「……」
俺はウィンドウを見て複雑な気持ちになった。
なるほど。
ニコッと笑って「ありがとう」と言うだけで、ポイントが貯まる。
営業マンとしての俺のスキルが、この世界で、間違いなく、武器になる。
だが――。
「綾」
「は、はい」
「お前のこと必ず俺が守るから」
俺はまっすぐ、妹の目を見て言った。
綾はきょとんとした顔をした。
「……兄さま? どうされたんですか? 急に……」
「いや、なんとなく、そう思っただけだ」
「ふふ、変な兄さま」
綾は微笑んだ。
────────────────────────
李綾 信頼度:76 → 80(+4)
獲得ポイント:+4
現在の合計:8pt
────────────────────────
その数字を見て俺はふと思った。
これは、便利な能力だ。
だが、これは、俺の本心の気持ちで上がっているだけなのか。
それとも、スキルとして「上げている」だけなのか。
どちらでもいい、と俺は思った。
少なくとも、今、俺は本気でこの子を守りたいと思っている。
その気持ちは、嘘じゃない。
「綾、お父さまとお母さまに、もう熱は引いた、って伝えてくれるか」
「はい! すぐに!」
「それから、もしお父さまの手が空いていたら、少し話したい、と」
「はい! お伝えします!」
綾が嬉しそうに、部屋を出て行った。
その小さな背中を見送って、俺はもう一度窓の外を見た。
桃の花。
青い空。
鶏の鳴き声。
そしてその向こうから、かすかに聞こえる、人々のざわめき。
「……黄巾、か」
俺は呟いた。
「いつ、来る」
「あと一週間か、一ヶ月か、それとも」
「……」
俺は頭の中のシステムに、念じた。
「[3]三国志システム、起動」
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【三国志システム:起動】
■ 現在位置:荊州・襄陽郊外
■ 年代:未確定(上位存在との接触で確定)
■ 半径50km以内のレア武将を検索中……
検索結果:
SSレア発見(複数)
※詳細は年代確定後に表示
Sレア発見(複数)
※詳細は年代確定後に表示
Aレア発見(数名)
※詳細は年代確定後に表示
── 年代未確定のため、史実フラグは表示不可 ──
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「ですよねー」
俺はため息をついた。
時代が分からないと、誰がどこにいるかも、確定できないらしい。
「上位存在……」
「神様、ってことか」
「会わないと、何も始まらない、と」
俺は頭を掻いた。
そしてベッドの脇に置いてあった鏡を、手に取った。
そこには、見慣れない少年の顔があった。
線の細い、まだあどけなさの残る、十六歳の顔。
肌は白く、髪は黒く、瞳は澄んでいる。
これが、俺。
「……四十二歳のおっさんが、こんな顔か」
俺は苦笑した。
「まあ、悪くないな」
「悪くない、悪くないぞ」
そして鏡の中の少年に、向かって言った。
「李明、子徹」
「お前は、人生二週目だ」
「今度は、ちゃんと、誰かを守れる人生にしろよ」
「今度こそ、悔いを残すな」
少年の顔がわずかに笑った気がした。
俺は鏡を置いた。
そして決意を新たに、部屋を出た。
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【SYSTEM】
Stage 1:襄陽の春、開幕
メインクエスト:天下統一(第一段階:荊州の実権掌握)
残り期限:5,110日
── Game Start ──
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人生二週目。
田中健一、四十二歳。
李明、十六歳。
商家の次男坊が、家族を守るために、まずは荊州を取りに行く話。
これが、その始まりだった。
次回予告
Stage 1:李家の三日間、嵐の前の静けさ
転生から、一日。
李明は、家族と再会し、彼らの温かさに触れる。
父・李潤の堅実な人柄。
母・陳氏の優しさ。
兄・李澄の真面目さ。
そして妹・綾の聡明さ。
「これは、守る価値のある家族だ」
李明は、ひそかに信頼度ポイントを稼ぎながら、初めての登用ガチャに挑む。
[!]注意
半径50km以内、年代未確定
ガチャ結果は限定的になります
「いいから、引かせろ」
そして街に出た李明は、ある噂を耳にする。
「南陽郡で、黄巾の動きあり」
南陽郡。
襄陽から、北東に、わずか百キロ。
「……来るな、こりゃ」
嵐の前の、静けさ。
李明の二週目の人生は、ここから、本当の意味で始まる。
[次話に続く]




