プロローグ④
村を出て初日の夜。
山道を越え、街道へ出たところで日が落ちた。
空は群青に染まり、星がゆっくりと増えていく。
三人は林の縁に小さな野営地を作っていた。
焚き火がぱちぱちと音を立て、乾いた枝の匂いと、夜の冷たい空気が混ざる。
アルマは火の前で腕を組み、妙に落ち着かない様子だった。
「なんか……緊張するな!」
周囲をきょろきょろ見回す。
「さっきから五回目ですよ、それ」
レオナが静かに指摘する。
「え、まじか?」
「さっき焚き火つけたときにも言ってました」
ノエルがくすっと笑う。
「でもさ、なんか楽しいよね!」
地面に広げた毛布に寝転び、星を見上げる。
「家じゃなくてさ、外で寝るって、冒険者っぽい!」
「ぽいじゃなくて、もう冒険者だろ」
アルマは胸を張る。
「入学前ですけど」
「細かい!」
焚き火の火が揺れる。
夜の森は静かだ。
虫の声・遠くで獣の足音・風に揺れる葉。
村とは違う音だ。
アルマは無意識に拳を握る。
(守らなきゃな)
口には出さない。
けれど、前に立つ自分を思い描いている。
ノエルは横になったまま、指先に小さな冷気を灯す。
「火、消えないよね?」
「風向きは安定しています」
レオナは周囲を確認しながら言う。
「見張る順番、決めましょうか」
現実的な声。
アルマはすぐに答える。
「俺が最初だ!」
「即答だね」
「前に立つのは俺だろ!」
ノエルは少し考え、
「じゃあ二番目。夜中に起きるの大変そうだけど……頑張る」
レオナは頷く。
「最後は私ですね。朝前が一番冷えますから」
自然な分担だった。
アルマが焚き火の前に座り、剣の代わりに木の棒を握る。
「……なんも出てこなきゃいいけどな」
ぽつりと本音が漏れる。
ノエルが微笑む。
「出てきたら三人でやっつけるでしょ?」
レオナも静かに言う。
「はい。三人です」
その言葉で、アルマの肩の力が少し抜ける。
森は暗い。
知らない世界は広い。
けれど――
振り返れば、二人がいる。
焚き火の光が三人の影を地面に映す。
まだ未熟でまだ始まったばかり。
それでもこの夜は、確かに第一歩だった。
アルマは夜を見つめる。
「……よし。ちゃんと守る」
誰に聞かせるでもなく呟いた声は、静かな森に溶けていった。
焚き火の火は小さくなっていた。
ぱち、と枝が弾ける。
アルマは火の向こうの闇を見つめている。
(小さな村で、いつも三人だった)
笑うときも。
怒られるときも。
転んで鼻血を出したときも。
隣には、必ず二人がいた。
(学校に入って、友達ができたら……)
王都には人が多いと聞く。
同じ年頃の子も、強い者も、魔法が上手い者も。
(離れ離れになるのかな……)
胸の奥が、少しだけざわつく。
(……それは、嫌だな)
そのとき。
「ん……見張り、変わるよ」
眠たげな声。
振り返ると、ノエルが毛布を肩にかけたまま立っていた。
「もうそんな時間?」
「うん。ちょっと寒い」
ノエルはアルマの隣にしゃがみこみ、そっと肩にくっつく。
焚き火とは違う、人の体温が暖かい。
森の音が遠くで揺れる。
アルマはぽつりと口を開いた。
「……学校いってさ」
「うん?」
「友達ができても……俺たち三人、一緒だよな?」
視線は前を向いたまま。
強気な声のはずなのに、どこか慎重だ。
ノエルはきょとんとした。
「……?」
それから、くすっと笑う。
「もちろんだよ」
迷いがない。
「離れろって言われても離れないから」
あっさりと、当然のように。
アルマは目を瞬く。
「……そ、そうか」
「なに、急に心配になったの?」
「別に!」
即答だが、少しだけ声が上ずる。
ノエルは笑いながら、さらに寄りかかる。
「アルマは前に立つんでしょ?」
「もちろん!」
「じゃあ私は後ろから魔法撃つ」
「うん」
「で、レオナがその後ろ」
「……そうだな」
当たり前の形。
それは王都でも、学校でも、変わらない。
焚き火の向こうで、レオナが静かに目を開けていた。
まだ自分の番ではない。
けれど、二人の会話は聞こえている。
(離れませんよ)
心の中で、そっと呟く。
三人は三人だ。
友達が増えても、世界が広がってもその並びは、きっと変わらない。
夜風がそっと吹き抜ける。
アルマは小さく息を吐いた。
胸のざわつきは、いつの間にか消えている。
「……よし。ちゃんと寝ろよ」
「アルマもね」
焚き火の火が揺れる。
初めての野営の夜は、静かに更けていった。
焚き火は灰になり、かすかな赤だけが残っている。
アルマは毛布にくるまり、豪快に口を開けて眠っていた。
「……ぐぅ」
森に響くほどではないが、遠慮のない寝息だ。
ノエルは苦笑する。
「前に立つ人の寝顔じゃないよね」
空は群青から淡い青へと変わり始めている。
鳥の声が、ぽつりぽつりと増えていく。
そのころ――
「ふぁぁぁ……」
レオナが小さくあくびをした。
目元をこすりながら、ゆっくりと起き上がる。
「変わりますよ」
静かな声。
ノエルは頷き、少しだけ身をずらすとレオナが、ぴとっと隣にくっついた。
「……寒いですね」
「うん。朝は冷える」
二人の肩が触れ合い、ノエルは小さく笑った。
「さっきさ、アルマがね」
「はい」
「学校で友達できても一緒だよねって、心配してた」
レオナの目が柔らかくなる。
「……ふふ」
かすかな笑み。
「聞こえてましたよ」
「え、起きてたの?」
「半分ほど」
森を見つめながら、静かに続ける。
「もちろん、私もお二人から離れるつもりはありませんよ」
はっきりとした声。
「三人一緒です」
それは誓いというより、前提だった。
ノエルは安心したように息を吐く。
「だよね」
レオナは少しだけアルマを見る。
大きな口を開け、無防備に眠っている。
前に立つと言いながら、こうして安心しきって眠れるのは――
隣にいると分かっているからだ。
「王都に行けば、きっと色んな人と出会います」
「うん」
「でも、並びは変わりません」
前にアルマ。
勢いでついていくノエル。
一歩引いて支える自分。
その形が自然だ。
ノエルはふと、アルマの寝顔を見て笑う。
「起きたらまた言うかもね」
「何をですか?」
「三人一緒だよなって」
レオナはくすりと笑った。
「その時も、同じ答えを返します」
朝日が森を照らし始め、光が三人を包む。
アルマがむにゃ、と寝返りを打った。
「……強く……なる……」
寝言だった。
ノエルとレオナは顔を見合わせ、声を殺して笑う。
野営の朝は、静かで、やわらかい。
三人はまだ知らない。
この何気ない時間が、どれほど尊いものになるのか。
けれど今はただ――
並んでいることが、当たり前だった。




