プロローグ③
山奥の温泉。
湯気の向こうで、黒い外套を脱いだ男が肩まで湯に沈めた。
「……こんなもんでいいだろうか」
ぽつりと呟く。
拳の感触を思い出す。
あの小柄なドワーフの少女の踏み込みは、迷いがなかった。
氷は荒削りだが勢いがある。
紫がかった電光は、無駄がない。
「三人で、か」
湯が静かに揺れる。
男は目を閉じた。
「もしかしたら、大物になる可能性も…」
それだけ言って、長い息を吐いた。
***
村は、ちょっとした祭りのようだった。
「アルマが悪の剣士を撃退したぞ!」
「封印石を守ったらしい!」
大人たちの声が飛び交う。
アルマは中央で胸を張っていた。
「ふははは! 俺の拳が唸ったな!」
鼻息が荒い。
ノエルは横で両手をぶんぶん振る。
「私もやったよ!? ちゃんと凍らせたもん!」
「最後ちょっと岩だったけどな!」
「うるさい!」
レオナは少し離れた場所で、村人の怪我の有無を確認している。
誰も傷ついていない。
それを確認して、ほっと息をついた。
そのとき、村長が杖をついて歩み出た。
「アルマ」
「なんだ、村長!」
まだ興奮冷めやらぬ様子だ。
「強くなりたいのだな」
「当然だ! もっとでかい敵と戦う!」
「であれば――」
村長の声は静かだった。
「冒険者学校に行きなさい」
その言葉に、場が一瞬静まる。
「がっこう……?」
ノエルが目を丸くする。
「王都の?」
「うむ」
村長は頷く。
「基礎から学べ。実戦もある。外の世界を知ることもできる」
アルマは腕を組み、しばらく考える。
「……金、かかるよな」
現実的な言葉だった。
村長は微笑み、
「村の手伝いをして貯めればよいだろう。畑、薪割り、採掘、運搬。やることはいくらでもある」
アルマの目が燃える。
「やる!!」
即答だった。
「俺、稼ぐ! そして行く!」
ノエルも負けじと声を上げる。
「私も行く! 王都の図書館、見てみたいし!」
レオナは少しだけ空を見上げた。
王都・山の外・知らない景色。
「……行きましょう」
静かな決意。
アルマは二人の肩をがしっと抱く。
「三人でだ!」
「近い近い!」
「息が荒いです」
笑い声が広がる。
村人たちはその姿を、温かい目で見守っていた。
まだ幼くて、まだ未熟。
けれど今日、三人は初めて“外”を意識した。
山の外には、きっと見たことのない世界が広がっている。
その期待が胸を膨らませる、アルマは拳を握りしめる。
「待ってろよ、王都」
夕焼けに染まる村で、少女は真っ直ぐに叫んだ。
「俺は、強くなるんだ!!」
その声は山々に反響し、やがて静かな夜へと溶けていった。
山の風は変わらない。
けれど、三人は変わった。
~~~~~~~~~~
それからから数年が過ぎ入学できる年齢になった。
岩場を駆けていた小さな背中は伸び、声は少し低くなり、眼差しはまっすぐに定まっている。
***
村の広場。
丸太を何本も束ねた荷車を、アルマが一人で押していた。
「どおおおりゃあっ!」
軋む音とともに車輪が回る。
大人二人がかりで運ぶ量だ。
「……相変わらずバカ力だな」
農夫が苦笑する。
アルマは額の汗をぬぐい、にっと笑った。
「鍛えてるからな!」
腕は太くはない。
けれど芯の詰まった筋肉が宿っている。
ただ、強くなりたいという一念で積み上げてきた力だった。
***
川辺では、ノエルが両手を掲げている。
「いくよ……!」
空気が冷える。
ぱきり、と音がして、拳大の氷塊が生まれた。
透き通った氷が陽光を受けて輝く。
「おお……!」
見ていた子どもたちが歓声を上げる。
ノエルは得意げに笑った。
「前はね、手のひらサイズだったんだよ? ちゃんと狙えばあそこまで飛ばせるの!」
勢いはあるし出力も高い。
だが、狙いはまだ完璧ではない。
放った氷は木の幹をかすめ、余分な霜を広げた。
「制御、もう少しですね」
後ろからレオナが言う。
「うぅ……分かってる!」
頬をふくらませるが、目は真剣だ。
***
そのレオナは、村の診療小屋にいた。
転んで膝を擦りむいた子どもの前に膝をつく。
「少し、しみますよ」
淡い光が手のひらに宿る。
傷口がゆっくりと塞がっていく。
「わあ……」
子どもが目を丸くする。
「すごいね、レオナお姉ちゃん」
「簡単な傷だけです」
穏やかな声。
治癒の光は強くない。
大きな怪我はまだ難しい。
だが確実で、丁寧だ。
そしてもう一つ。
「肩、重いでしょう」
畑仕事帰りの大人に、レオナが指先を当てる。
紫がかった電流が、ほんのわずか流れる。
ぴり、とも感じないほどの弱い刺激。
「おお……これは楽だ」
「低周波みたいだな」
「レオナの電気は優しいなあ」
村の大人たちに、密かな人気があった。
派手さはないが、確かに役に立つ。
***
夕暮れ。
三人はいつもの丘に座っていた。
山の向こうに王都がある。
まだ見えない。
だが、確実に存在している。
アルマが拳を握る。
「行けるな」
ノエルが氷をくるくる回す。
「うん」
レオナは風を感じながら頷いた。
「準備は、できています」
村長が遠くから三人を見る。
あの頃、山を駆け回っていた少女たち。
今はもう、子どもではない。
アルマは立ち上がる。
「冒険者学校、行くぞ」
その声に迷いはなかった。
数年前と同じ言葉。
けれど、重みが違う。
山風が三人の背を押す。
村で積み上げた日々が、確かな力となっている。
そして――
彼女たちはついに、山を越える日を迎える。




