学院編㉕
執務室の中は静まり返っていた。
机の上の報告書
「Aランク冒険者8人分」
「魔力残渣なし」
その文字が、重く空気に残っている。
アルマは腕を組んだまま、じっと机を見ていた。
何も言わない。
拳はわずかに握られている。
教師はそれを見ていた。
ゆっくり椅子から立ち上がる。
そして、アルマの前まで歩いてきた。
しばらく何も言わない。
やがて、静かな声で言った
「アルマ」
アルマが顔を上げる。
教師はまっすぐ目を見ていた
「お前の性格なら」
少し苦笑する
「探し出して戦おうとするかもしれん」
アルマは何も言わない。
その沈黙が答えだった。
教師は小さく息を吐く
「やめておけ」
その言葉ははっきりしていた
「いないものはいない」
遠くの空を見ながらゆっくり続ける
「忘れろとは言わん」
それはできない。
あんな存在を見たのだから。
教師はアルマの肩に手を置く。
重く、しかし優しい手だった
「まずは」
低く言う
「目の前のことからだ」
訓練・仲間・学院。
やるべきことは山ほどある。
教師は少しだけ笑った
「恐れたことがある」
アルマの目を見る
「負けたことがある」
アルマの拳が少し震える。
教師は続けた
「それが」
声は静かに重みがあった
「強さに繋がるのだ」
部屋の中に、しばらく沈黙が落ちる。
アルマはゆっくり息を吐いた。
そして、ぽつりと言う
「……あいつ」
目を閉じる
「めちゃくちゃ強かった」
教師は頷いた。
アルマは目を開ける。
さっきまでの苛立ちは、少しだけ消えていた。
代わりに残っていたのは――
悔しさとほんの少しの、決意だった。
ノエルとレオナが、そっとアルマを見る。
教師は最後に言った
「強くなれ」
短い言葉、それだけで十分だった。
執務室の窓の外では、夕日が完全に沈み。
夜がゆっくり学院を包み始めていた。
~~~~~~~~~~~
夜の寮。
部屋の灯りは落とされ、窓から月明かりだけが静かに差し込んでいた。
三つ並んだベッドの中央で――
アルマは左右からノエルとレオナに挟まれるような形でぐっすり眠っていた。
レオナが提案したのだ
「また悪夢を見るかもしれませんから」
その言葉に、ノエルもすぐ頷いた。
そして今。
アルマの顔は、驚くほど穏やかだった。
口が少し開いている。
小さな寝息。
そして――
口の端から、ほんの少しヨダレが垂れている。
ノエルがそれを見て、小さく笑う
「……こーゆーのもどうかと思うけどさ……」
レオナが横から顔を向ける
「ん?」
ノエルはアルマの寝顔を見ながら言った
「なんかさ」
少し考える
「あのとき巨躯に会えてよかったなって」
すぐに慌てる
「あ、変な意味じゃなくてね!?」
レオナはくすっと笑う
「わかっていますよ」
ノエルは安心して続けた
「なんていうかさ」
天井を見上げる
「世界の広さがわかったというかさ」
あの巨躯。
どうしようもない差は恐怖だった。
でも同時に――
今まで知らなかった世界だった。
レオナは少し考えてから言った
「なるほど」
小さく頷く
「魔法ではニールさんが凄かった」
魔法研の上級研究員、湖のような魔力。
「敵という意味で、あの巨躯はすごかった」
レオナは静かに言う
「そういう発見ができましたからね」
ノエルは嬉しそうに頷く
「そうそう!」
声を少し抑える
「そんな感じ!」
アルマの寝顔を見てクスッと笑う
「アルマが言ってたじゃない?」
小さく呟く
「最強になるって」
アルマの寝息が少し大きくなる。
どうやら本当にぐっすり眠っているらしい。
レオナはその様子を見て微笑んだ
「私たちは」
静かな声
「あの圧を知りましたからね」
あの巨躯の存在。
空気を押し潰すような威圧。
それを思い出す。
だが、不思議と今は恐怖だけではない。
レオナは続ける
「並の魔獣なんかには」
少しだけ冗談めかして
「驚かなくなりそうです」
ノエルがくすくす笑う
「それは確かに」
部屋の中は静かだった。
月明かりが三人を優しく照らしている。
アルマは安心しきった顔で眠っていた。
ノエルは小さく呟く
「アルマさ」
レオナが「ん?」と返す。
ノエルは笑いながら言う
「今、世界で一番安全な場所で寝てるよね」
レオナも小さく笑った
「そうですね」
アルマの両側にノエルとレオナ。
幼い頃から一緒にいる二人。
三人の旅は、まだ始まったばかりだった。
だがこの夜だけは――
静かで、穏やかな時間だった。
~~~~~~~~~~~
朝になると部屋に、淡い朝の光が差し込んでいた。
鳥のさえずりが遠くから聞こえる。
レオナが最初に目を覚ました。
静かにまぶたを開く。
まだ少し眠気が残っている。
ゆっくり体を起こそうとして――
隣を見る。
そして、小さく目を細めた。
アルマはノエルの胸を枕にするような形でまだ熟睡していた。
顔を押しつけるようにして眠っている。
ノエルも起きていない。
片腕をアルマの背中に回したまま、ぐっすり眠っていた。
アルマは見事な鼻ちょうちんを作っている。
ぷくー……。
ゆっくり膨らみ、しぼむ。
また膨らむ。
規則正しく、リズムよく。
その様子に、レオナは思わず口元を押さえた
(ふふ……)
声が出そうになるのを抑える
(久しぶりに、ゆっくり眠れたようですね)
昨日のアルマの寝顔を思い出す。
悪夢の影は、今のところ見えない。
安心しきった顔だった。
レオナはそっと布団から抜け出す。
二人を起こさないように、ゆっくりと。
床に足をつく音すら立てない。
静かに部屋を横切り小さなポットに水を入れる。
火をつけ、お湯が小さく音を立て始めた。
紅茶の葉を入れるとふわりと香りが広がる。
レオナはカップを持って窓辺へ歩いた。
朝の光が柔らかく差し込んでいる。
外では学院の庭が静かに目覚め始めていた。
生徒がちらほら歩き始めている。
訓練場では、もう早朝の鍛錬をしている者もいるようだった。
レオナは紅茶を一口飲む。
温かい香りが喉を通る。
そして、窓の外を見つめながら思う
(私は……)
静かに息を吐く
(自分は優秀だと)
幼い頃からそう言われてきた。
魔法の制御・治療魔法・電気の扱い。
二人を支える役目。
自分が一番冷静で、状況を見て動ける。
そう思っていた
(2人を支えられていると)
小さく目を伏せる
(自負しておりましたが……)
だがあの遺構で。
あの巨躯の前で。
足が震えた。
体が動かなかった。
何もできなかった。
レオナは窓の外を見る。
空は広く朝の光が広がっている
(そんなことはありませんでしたね……)
自嘲のような、静かな笑み
(世界は広い)
ニールの魔力。
湖のような深さ。
そして、あの巨躯。
ゴーレムを破壊した存在
(魔法も)
(強大な敵も)
紅茶の湯気がゆっくり揺れる。
レオナは静かに呟いた
(まだまだ)
ほんの少し笑う
(知らないことが多そうです)
振り返るってばエッドの上を見るとアルマはまだ鼻ちょうちんを膨らませている。
ノエルはそのまま眠っている。
レオナは小さく微笑んだ。
世界は広い。
だが。
その世界を――
三人で歩いていくのだ。




