学院編㉒
森の奥。
三人はようやく足を止めた。
崖の遺構は、もう木々の向こうに隠れて見えない。
しかし誰もすぐには動けなかった。
耳を澄ますと、風の音・枝が揺れる音・鳥の声。
それ以外は、何も聞こえない。
ノエルが振り返り遺構の方向をしばらく見つめてから、小さく言う
「……追ってきてない……」
その言葉で、ようやく三人の緊張が少しだけ緩んだ。
レオナはすぐにアルマのそばへ膝をつく
「アルマ」
声は落ち着いているが――
手が震えていた。
止めようとしても止まらない。
それでも、レオナはアルマの腕をそっと持ち上げる
「見せてください」
アルマの腕は赤く腫れ、皮膚が焼けている。
さっきの爆発。
剣が砕け散った衝撃が、そのまま腕に伝わっていた。
地面に落ちているのは、折れた剣。
刃の半分が吹き飛んでいる。
アルマがぼそりと呟く
「……なんだったんだ……」
視線はまだ、さっきの遺構の方向に向いている。
レオナは深呼吸する。
震える指先に魔力を集める。
ぱちり
紫電が走る。
焼けた皮膚の再生を促す。
手はまだ震えている。
レオナが低く言う
「……バフォメット型の……」
言葉を選ぶ
「悪魔……でしょうか……」
ノエルが顔を上げる
「悪魔……?」
まだ呼吸が荒い。
胸を押さえている。
さっきの圧。
肺が潰されるような感覚。
ようやく落ち着いてきたが、思い出すだけで背筋が寒くなる。
ノエルが言う
「顔が骨だったよ!?」
声が少し裏返る
「ヤギの頭みたいで……!」
腕を抱える
「目が……赤くて……」
言葉が止まる。
震えが戻ってくる
「あんな生き物いるの!?」
レオナは答えない、答えられない。
アルマも黙っている。
三人の頭に、同じ光景が焼き付いていた。
巨大な蹄・丸太のような腕・鎧のような筋肉。
ヤギの頭蓋のような頭・空洞の眼窩と赤い光。
アルマは拳を握る。
その拳も、少し震えている
「……俺さ」
ぽつりと呟く
「さっき剣振った瞬間」
思い出す。
剣が爆発した瞬間
「何もされてねーのに……」
喉が乾く
「剣が弾けた」
レオナの手が止まり、ノエルも息を呑む。
アルマは低く言う
「俺たち……」
遺構の方向を見た
「完全に見逃されたんじゃねーか……」
その言葉に、三人は何も言えなかった。
夕暮れの光が木々の間から差し込んでいる。
その光は、どこか冷たく感じた。
ただ、見逃されただけだった。
それが――
何より恐ろしかった。
遺構はもう見えない。
それでも――
誰も背中を完全に向けることができなかった。
まるで、振り返った瞬間にあの巨躯がそこに立っていそうで。
ノエルがぽつりと呟く
「……帰れって言ってたよね……」
声がかすれている。
さっきの低い声が、まだ耳の奥に残っている。
【帰れ。弱き者よ】
まるで地面から響いてくるような声。
ノエルは腕を抱えた。
寒くもないのに、震えが止まらない。
レオナが静かに頷く
「えぇ……」
目はまだ遺構の方向を警戒している
「出てきたゴーレムを……」
言葉をゆっくり選ぶ
「破壊していたのでしょうか……」
石の腕、砕け散ったゴーレム。
そして――
巨躯がその頭を握り潰した光景。
アルマは折れた剣を見下ろしていた。
半分に砕けた刃。
さっきまで自分の手にあった武器
「……魔力異常が」
低く呟く
「アレだったとしたら……」
拳を握るが、その拳はまだ震えている
「誰が止めるんだよ……」
言葉の重さが、森の空気に落ちる。
あの巨躯。
ゴーレムを玩具のように壊した存在。
アルマの剣など、触れることすらできなかった。
レオナはゆっくり立ち上がる。
膝がまだわずかに震えている。
それでも、無理やり体を動かす
「とりあえず……」
声を整える
「帰って報告しましょう……」
それしかできない。
今の自分たちでは、どうすることもできない。
ノエルも立ち上がるが、まだ足に力が入らない。
それでも歩き出す。
アルマは最後に、もう一度だけ遺構の方向を見る。
木々の奥の見えない場所に、確かにそこにいる。
あの巨躯が。
アルマは視線を逸らした
「……行こう」
三人は森を歩き出すが誰も言葉を発しない。
風が木々を揺らし枝が軋む。
その音一つ一つに、三人の肩がびくりと震える。
恐怖はまだ、体の奥に残っていた。
そして三人は理解していた。
今日見たものは――
自分たちの世界の外側にある存在だった。
~~~~~~~~~~~~~~~
夕暮れの学院。
門をくぐるころには、空はすっかり橙色に染まっていた。
いつもなら訓練の声が響いている時間だが――
三人の足取りは重かった。
門番の生徒が軽く声をかける
「お、もう戻ったのか?」
アルマは小さく手を上げただけだった。
いつものような笑いはない。
ノエルも返事をしない。
レオナも、ただ頷くだけだった。
その様子を見て、門番の生徒は少し眉をひそめる。
三人はそのまま、まっすぐ教師のいる部屋へ向かった。
――
学院の小さな執務室。
扉をノックすると、中から声がした
「入れ」
扉を開けると教師は机に書類を広げていた。
顔を上げる
「戻ったか」
短く言うと三人の顔を見た瞬間、眉がわずかに動いた。
アルマは肩に包帯。
剣は折れている。
ノエルは顔色が悪い。
レオナの表情は硬い。
教師はゆっくり椅子から立ち上がる
「……何があった?」
部屋の空気が少し変わる。
三人は顔を見合わせる。
そしてレオナが一歩前に出た
「遺構に到着後――」
落ち着いた声で、報告を始める。
最初はゴーレムだったこと。
遺構から現れた巨大な石の守護者だろうといこと。
そして、ゴーレムが内側から爆発したこと。
教師の眉がさらに寄る
「爆発……?」
レオナは続ける。
その煙の中から現れた存在。
巨大な蹄。
丸太のような腕。
鎧のように膨れ上がった筋肉。
ヤギの頭蓋のような頭
歪んだ角。
空洞の眼窩。
そして―赤い光。
部屋の空気が静まり返る。
ノエルが口を開く
「……それが」
まだ思い出すだけで声が震える
「喋ったんです」
教師の目が鋭くなる
「言葉を?」
アルマが低い声で言う
「帰れ。弱き者よ」
その言葉を聞いた瞬間の、あの圧。
部屋の中で思い出しても、背筋が冷える。
アルマは続ける
「俺が斬りかかった…そしたら」
折れた剣を見る
「触れてもねぇのに剣が爆発した」
教師が息を止める。
部屋の奥にいた別の教師も顔を上げた。
沈黙。
やがて、一人が呟く。
「……バフォメット型の悪魔……?」
もう一人が腕を組む
「魔族かなにかか……?」
だが、すぐに首を振る
「しかし」
低い声
「頭部が骨となると……」
目を細める
「聞いたことがありませんな……」
教師はしばらく黙っていた。
窓の外の夕焼けを見ている。
何かを考えている。
やがてゆっくり三人を見る。
その目は、いつもの教師の目ではなかった。
少しだけ―警戒が混じっていた
「……お前たちは」
低く言う
「よく戻ってきた」
そして小さく呟く
「そいつは……」
言葉を選ぶ
「明らかに異質だ」




