八章「狼の遠吠えと少女」
依頼が来たのは東京組に入ってから2週間後だった。
その間は、檜佐木から祝いという事で、新たに高位陰陽術を教わっていたが……これがまた難しい。
何度も失敗し、命の危険に陥った。
だからこそ、檜佐木には次の依頼の時は使うなと念押しされてしまった。
そしてーーー依頼が来た。
内容は以下の通りである。
「娘の母親からの依頼だ。娘が夜な夜な『狼の遠吠え』のような声をあげるらしい。昼間にも時折、黒い影を見るそうで、もう耐えきれないそうだ。二軍遠征部隊に入って最初の出張任務だ。助けてやれ」
という先輩からの命令である。
東京とは言っても、都会のはずれにある田んぼが広がる田舎に、その依頼者の家があるらしい。
私は、二軍遠征部隊出張受付所で手続きを済ませ、自室で出張する準備をしていた。
傍らの狐が言う。
『「狼の遠吠え」だってよ。取り憑き型じゃねえか?』
「その可能性は十分にあるね」
取り憑き型とは、簡単に言ってしまえば「霊」そのものである。人に取り憑くことで、その人の養分を奪い取るのが特徴。言い換えれば寄生系統のクラガリだ。
そのようなクラガリに対するには、被憑者に第二の被害を与えないよう留意しつつ、ダメージを与えなければならない。
ようは、レベルの高い任務だ。
そこまで信用されたんだなと思う反面、試されているとの捉え方もある。
私は棚の上段に入れた護符の整理をしながら、そんなことを考えていた。
「じゃあ、この護符を持ってこうかな」
その整理する最中、術の威力を高める効果のある護符を見つけた。
その護符は数にして、10枚ある。それを取り出し、隣で退屈そうに欠伸する狐に見せる。
『お前なあ、術をあまりにも高めすぎたら、被憑者を殺しちまうんじゃねえか?』
「うーん。でも、他のだと『あれ』が出せな……あ、ごめんうそ」
訝しげな視線を感じ、私はとっさに考えを改めた。
けれど、
『久城さん?』
若干切れてるような声が、胸のあたりから聞こえる。私に取り憑いている檜佐木だ。
ーーーああ、檜佐木さんは私に取り憑いてるんだったな
いろんなことがあり、パートナーとしか思っていなかったので忘れていたが、彼女も立派な『霊』だったんだなぁ。
そんな悠長なことを考えながら、檜佐木に怒られる。
『またあなたは……東京行きが決まったからと言って浮かれすぎではないですか? 昨日だって、あの術を練習して失敗し、死にかけたでしょう。だというのに、また、あの術を発動しようなどと。別に、持って行っても構いませんが、防御術だけに用いてください。分かりましたね?』
そんな私の隣で、
『時すでに遅し、だな』
とぼやく狐の声が、聞こえた気がした。
そんなこんなで私達は出立した。
東京駅までは蒸気機関車で移動可能だったが、それからは農道。どこまで続くんだと思いながら、長い農道を歩き、数時間後。
東京郊外、依頼者の家宅に着いた。
見たところ、依頼者の家宅は思った以上に広い印象を受けた。
和風の家とはこう言うものだと豪語するような、1階だけの造りの一軒家。2階や3階がない代わりに、1階だけでも生活できるように広くしたのだろうと、私は推測する。
とーーーその時、玄関が開いた。
そこには玄関を開けてくれた10歳前半の女の子と、その母であろう女性がいた。
私は女の子に「ありがとう」と笑いかけ、その後、女性に顔を向けて告げる。
「依頼を受けて来ました、二軍遠征部隊の久城です」
告げながら、娘の身体を診てみる。
だが診たところ、彼女になにも憑依型クラガリによる痣などは見当たらない。
「依頼内容としましてはーーー娘さんでよろしいですか?」
一応、母親に訊いてみる。
ーーー母親は、「はい」と妙にか細い声で頷いた。
私は、娘の容態を様子見する事にした。すると、娘は元気に私の荷物を持って、居間まで案内してくれた。
その後、狐や檜佐木と話して時間を潰し、夕飯を食べーーー結局、娘の容態が極端に悪くなることはなかった。遠吠えだってしていない。
私は、健康なのならそれで良いんだけどねーーーと思いながら一夜を過ごした。
ーーー2日目の朝。
ご飯を運ぶ娘の額に汗が光り、少し疲労感が見えた。
私は「大丈夫?」と声をかける。
けれど、娘は平常を装い、「大丈夫」と返した。
それからは、特に変わった様子はなく昼、夕方と時が過ぎーーー夜、不意に、狼の遠吠えが聴こえた。
「本当に、狼の遠吠えなんだ……」
私は瞬時に、理解した。
あの娘だ。
けれど実のところ、私はこの状況になるまで、あの娘が遠吠えするなんて信じられなかった。
だが、実際に聞いた以上覚悟を決めるべきだろう。
『これもクラガリの一種なのか?』
「先輩からの説明だとね」
私は狐の問いに、簡潔に応える。
「やめてよ! 」
そう時間はかからず、悲鳴にも似た叫び声が聴こえた。
『声だ』
狐が神妙な顔付きで言う。
私は腰上げて立つと、頷いた。
『向かうぞ』
先行する狐に、追随する。
廊下に出て、走る。
「毎週毎週遠吠えしくさって、もううんざりなのよ!」
廊下に響く母親の声がもう、娘にかけるものじゃなかった。
『これは穏やかじゃないな』
「そうだね」
今にも手を上げそうな雰囲気だ。
「急ごう ! 」
走る調子をあげる。息切れがするが、依頼者の安全のためだ。
自分の体など二の次である。
一頻り走ると、声がする戸の前に着いた。
勢いよく戸を開ける。
まさに今、母親が娘に手をあげるところだった。
「待ってください!」
声をかける。
と、母親の体がビクッとはね、振り上げた手が止まった。
「手を、下ろしてください」
「あなた達の対処が遅いから! 娘がまた!」
「その件については申し訳ありません」
母親の訴えはもっともだ。
その点については、ぐうの音も出ない。だが、私は言った。
「ですが、彼女は今、憑き物と戦っている最中にあります。それを邪魔するおつもりですか? 」
母親は痛いところを突かれたのか眉間にシワが寄った。
私はそれを見逃さず、さらに言う。
「娘さんは、私が必ず救います。あなたは何もせず、そこで待っていてください」
彼女は参ったようで、「任せたわ」と身を引いた。
ーーーこれで、一つ不穏分子はなくなった。あとは、私次第
目を一度閉じ、ため息を吐く。
数秒間の静止。そして私は目を見開き、覚悟を決めた。
「少し痛いかもしれないけど、我慢ね」
彼女に向かって、そう声をかける。
少女は焦点の定まってない目をしているが、私の言葉に頷いてくれた。
「行くよ、パートナー」
『あいよ、我が主人』
傍らにいる狐に声をかける。
ついで、肩にかけた術式の札ーーー「護符」をしまう鞄を開け、一枚取り出す。
のちに、素早く唱えた。
ーーー陰陽術・陰断
護符が燃えて灰になると同時に、私の影がうねる。
瞬間的に、その形状を黒い槍に変えた。ぱっと見禍々しいその槍は、蛇のように少女に向かって伸びていく。
直撃まであと5秒ーーーその短い時間に、少女の目が黒く瞬いた。
人狼の影が少女に重なる。
刹那、少女が跳躍した。
私の黒い槍は擦りもせずに、少女の影を撫ぜる。
ーーーこれは失敗だ。
だが、私は舌打ちを一度しただけで次に移行した。
刀印を切る。
次いで、私は彼女に向かって跳んだ。
腕を伸ばす。必死に。
ーーー何処か一箇所、掴めれば!
『まさか』
檜佐木が気づいたようだ。
私の心の中で、叫ぶ。
『ダメです! あなた、成功した試しないでしょう! 危険です、退きなさい!』
だが私は聞かなかった。
彼女を助けたい。
彼女の母親に、娘を大事にしてほしい。
そんな、切なる願いがあるから。
娘の脚を摑む。
華奢で、今にも折れそうだと思った。けれど、今はそんなことよりも彼女の命を救うことが第一だ。
振り落とされる前に私は、懐に忍ばせていた護符を掴みながら叫んだ。
「高位陰陽術 摑陽!」
私の身体が熱を帯び、光り始める。
明滅を繰り返し、遂には太陽の光のような強い光を発した。
精神が分断されるのを感じる。
そしてーーー。
気づいた時には、全方位白い世界に私は立っていた。
檜佐木の声はない。振り返って、狐の姿を探す。しかし、その姿もなかった。
失敗したのか。
そう思ったが、不意に目の前の景色が切り替わった。
不思議な光景だった。
半径10メートルはある巨大な球体。
それに引き寄せられるように無数の光の帯が、巻きついていく。
その一部が、少し千切れ、私の方に漂ってきた。摑む。
と、それは少女の記憶だった。
ーーー良かった。成功したんだ。
そう思ったのもつかの間、少女の記憶を見た。
ーーーーーーーーーーーーーー
少女の過去は、悲惨だった。
泣いても泣いてもご飯は少ない。
炊いた白米だけだ。
理由は簡単。彼女が勉強が出来ず、成績が悪いから。
彼女は必死に努力する。
けれど、成績が上がらない。
日に日にやつれていき、遂には病に伏した。
看病は、するらしい。
母親は嫌々ながら、娘の頰に濡れたタオルを置いた。
だが、1ヶ月と病が続くに連れ、娘に自分の看病は自分でしろと言うようになった。
娘は精神的にも肉体的にも、もう限界だった。娘は、自分を呪った。
『私が、バカだから』
『私が、イケナイこどもだから』
だからこそ、母は自分を愛してくれないのだと。
そしてーーー思った。
自分の管理は自分で、できるように。
そしてーーー願った。
賢くなりたい。
幸か不幸か、その夜、彼女は『人狼』に取り憑かれたのである。
『人狼』は夜になると、肉を探しに外に出歩く。人でも獣でも構わない。
肉を喰えば、そのお陰で脳が活性化する。
彼女は、人は喰い殺さず、獣の肉を好んだ。
ーーー成績が上がった。
それはいい。
ーーーご飯も普通の人のように食べれるになった。
それもいい。
だがいつしか、獣の肉だけでは足りなくなった。
人の肉が喰いたい。
ダメだ。
人の肉が喰いたい。
人道的にしてはいけない。
人の肉が喰いたい。
……少しだけなら、いいのかな。
でもーーー。
その逡巡を、繰り返す。
それを紛らわすために彼女は遠吠えをし続けた。
ーーーーーーーーーーーーーー
かわいそう、なんて言葉では足りない。もっと別の言い方がある。
でも、私は何も言えなかった。
視界が涙で滲む。
その涙で滲んだ視界の先に、少女がいた。
輝く球体の中に、浮かぶようにして横になっている。
少女は目を閉じていた。
ーーー夢を見ているようだった
せめて夢の中でなら、幸せだといいなと思うが、時折、苦悶するような顔を見せる。
私は一度、深呼吸した。
ーーーあの球体は、彼女の心を閉鎖している現れだろう。心の閉鎖は、他者の拒絶。そして今の私は、精神体……ということは、触れただけで私の身体が消滅する可能性がある
だが、精神世界では私も(理論上では)他者の拒絶を示す球体をだせるーーーはずだ。術を修練して以後、今回他者の精神世界のダイブに成功できたんだ。なら、他者の拒絶を私もできる可能性がある。
拒絶を拒絶で相殺すれば、おそらく彼女の球体を破壊することができるはず。
机上の空論ーーーでも、これが最後の一手。
ーーー彼女を救う最後の一手、絶対に成功させる
私は覚悟を決め、目を閉じる。
明鏡止水ーーー精神統一をするための呼吸法。正直なところ、この時代に飛ぶまでは、なんて宗教じみてるんだと思っていた。
でも、ここに来てからはどうだ。
精神統一が、術の発動に役に立っている。
私は少しだけ笑み、あとは集中した。外界の情報が遮断される。
無音。暗闇。
そして、遠くに輝く一点の光。
それに手を伸ばす。
目を開けば、私の全身を光の球体が覆っていた。触れると、過去の記憶が思い浮かぶ。
ーーーやっぱりきついな
犯罪をしてないのに犯罪者呼ばわりされるのは、気分が悪い。
私は首を横に振り、意識を変える。
横たわる彼女を注視した。
ーーー今、助ける! だから、そこで待ってて!
自分の体と自らを包む球体を繋ぎ、前に進ませるイメージ。
少しずつ、球体が動いていく。
動くごとに加速する。
最速に達した時、少女の球体と激突した。
虹色の火花が激しく散り、球体の衝突した側が赤くなる。
衝撃が球体同士を軋ませ、その音が私の耳を刺激した。
数秒後、私の球体が押し負け始めた。球体の厚みが、徐々に薄くなっていく。
ーーー拒絶の力では、彼女の方が上か
だが、それは分かっていたことだ。
ーーーいちど距離を取って、上から加速すれば!
ふとした考えに頼り、一旦彼女の球体から距離を取る。上へ。さらに上へ。
彼女の球体が遠く見えるくらい上昇する。
その後、急転直下の如く彼女の球体めがけて降下した。
私の球体は隕石みたく朱色の光の帯をまといながら、一気に距離を詰める。ーーー刹那、激突した。
ガラスが割れるかのような音とともに球体同士が破砕する。
球体の破片が、光の粒となって霧散した。
少女が落下する。私も追うように落ちた。向かい風で、思うように腕が伸ばせない。だが、必死に腕を伸ばした。
そしてーーー少女の細い腕を掴んだ。
視界が白い閃光に塗りつぶされる。世界が、変わった。
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玄関前
「娘を救ってくださり、ありがとうございました」
母親は、深々と頭を下げてお礼を言った。
「娘さんを、大事にしてくださいね」
「はい」
「時折、見にきますからその時も、よろしくおねがいしますね」
「……」
「葱守さん?」
「……はい」
「では、失礼します」
一歩下がって一礼する。
踵を返して、私たちは帰路についた。
道中。傍らの狐が『馬鹿が』と悪態を吐いた。
私はそれに「ごめん」と返す。
その返事に、檜佐木が言った。
『あなたは、もう少しわが身を省みたほうがいいです。この調子じゃいつか死にますよ』
だいぶ冷たい言い方だが、的確に私の反省点を突いている。
だからこそ、私は
ーーー優しいな、檜佐木さんは
と思いながら、
「ありがとうございます」と返した。
檜佐木が経験した死。その経験があるからこそ、私に言ったのだ。
突っ走ると死ぬぞ、と。
ーーーだけど、それはやっぱり洒落にならないな
苦笑し、空を見上げる。
夕陽が、暖かく私たちを照らしていた。
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人狼に憑依された少女を救って、早3ヶ月が過ぎた。後1週間で、祭だ。
その祭りの名は、魂浄祭。それはクラガリによる脅威に、命を落とした人々の魂を、天上の世界に送るための儀式的祭りだ。
11月中旬の寒い夜に7日間行う。昼は行わない。先輩に、「なぜ夜なのか」と尋ねたら、「夜が一番、クラガリの受肉した奴が出やすいからな。そいつらの抑止になるんだよ、この祭りは」と返答があった。
私は二軍遠征部隊となって日が浅い。受肉したクラガリの退治経験が少ないので、正直、あまり納得が行かなかった。
だが、もっと納得がいかないのは。
「あの、丸加垣先輩」
声をかける。神輿の組み立てをしていた先輩が手を止めずに
「うん?」と先を促した。私は、半ば苛立ちを隠さず、
「どうして、私たち陰陽師が神輿を担ぐんですか? それに式霊も使うみたいですし 」
聞く。と、先輩は顔を合わさずに答えた。
「簡単に言ってしまえば、俺たちが温泉街の運営を兼任しているから、だな」
「えー? 」
その答えだと納得がいかない。
「それなら、陰陽師以外の人だって旅館の運営しているんだし、神輿担ぐくらいすればいいじゃないですか」
そう。言ってみればそうだ。式霊を使役する状態というのは、思った以上に体力を消耗する。祭りの間、それも神輿を担いでとなると消耗度合はうなぎ上りになるだろう。
「お前なあ」
手を止めて、呆れたような声をして、先輩は言った。
「お前、単に重いものを持ちたくねえだけだろ?」
心外にもほどがあり、カチンと来て私は言い返した。
「違いますよ! タダでさえ、陰陽師は多忙なのに、なぜ仕事を増やすのかと聞いてるんです! 」
「そんなん考えりゃわかるだろ。式霊に指示を飛ばせるのは誰だ?
温泉郷の来訪者の安全を守れるのは誰だ?」
「私たち、陰陽師です……」
「だろ?」
そう言って先輩は、手をひらひらさせた。作業の邪魔だ、と暗に伝えているのだろう。
あまり釈然としないが、先輩をこれ以上邪魔するのは偲びない。
私は渋々ながら、作業場を後にした。そのまま山を下り、温泉郷の中央階段上った先にある広場ーーー通称「見張り台」に出て、空を見上げた。
夜の黒い空に星々が、ガラス片を散らしたように輝いている。
その中心を陣取るように、満月が浮かんでいた。
風を感じる。
吹き荒ぶのではなく、穏やかに風が吹き付け、ほおを撫ぜた。
その時、檜佐木がぼやくように言った。
『現代の夜空もいいですが、私はこの時代の夜空の方が、やはり好きです』
「懐かしいから、ですか」
『そうですね、そういうのもあります』
少し曖昧な返答。彼女が私に憑依しているからとは言え、全てを解せる訳ではない。そんなことは分かっている。けれど、もう少し彼女の本心が分かってもいいじゃないか、と私は思った。
「ねえ、檜佐木さん」
檜佐木に声をかける。
「もし、檜佐木さんの過去がーーー温泉郷の未来が、変わったとしたら、あなたは、どうなるんでしょうか?」
『そう、ですね。タイムパラドックスって知ってますか?』
「子どもが過去に行って親を殺した場合、生きているその子どもに矛盾が生じるーーーでしたっけ」
『そうです。ーーーもしかしたら、私は消滅する運命にあるかもしれない』
「そんなーーー」
檜佐木が少し、苦笑した気がした。
『でもですねーーー万が一、億が一、本物の波を打ち滅ぼせたのなら、私は温泉郷のそのあとを垣間見れます。それが一瞬でもいい。私は、そんな未来があってもいいのではないか、と思います』
「檜佐木さん……」
唐突に、悲鳴が聞こえた。
西の方。
ーーー少し遠いか。
「すみません、話しはまた後で」
『構いません。行ってください』
檜佐木がそう言ったのを皮切りに、私は走った。
悲鳴があったところにたどり着いた時、灯籠に寄りかかるように倒れている男の人とーーー暗闇に紛れ、逃げ去る2人の影を見た。
その2人は、何か蠢く大きなものを担いでいるように見える。
ーーーまずは男の人を助けることが先決
そう思い、近づく。
と、濃い血臭を感じた。吐き気を堪えながらさらに近づく。
「ひどい……」
男の人はすでに事切れていることは明白だった。
胸から下腹あたりまでごっそりと、「噛み千切られる」ようにして、穴が開いている。そこから、臓器のようなものと、まだ新しい血が流れていた。それほどまでに酷い有様。
だが、これで1つはっきりしたことがある。
ーーーこの死にようは、人の手によるのにではない
ということ。
恐らく、あの2人が抱えていった蠢く黒い物体だろう。
私はそう推測し、彼らを追った。
約5キロ先の十字路を横切ろうとした時、曲がり角にある家を挟んだところで彼らは止まった。
私は辛うじて彼らが見えるところで足を止め、聞く耳を立てる。
ーーー何か話してる?
声が聞こえた。
「このクラガリ。充分、実体化したか?」
「まだだ。術で促進させるか?」
「それはダメだ。あくまでも自然にじゃねえと。黙認されてることだが、規定グレーゾーンだからな」
ーーークラガリ!? それに黙認ってどういう
驚きが身体を突き抜ける。真実を知りたいと私の足が動く。
だがその時、小石を蹴ってしまった。
はっとしたが、もう遅い。
「誰だっ!」
と言う叫び声がした。
私は、「まずい、尾けていたのを知られた」と思い、その場から離れようとした。
しかしーーー
声がかけられると同時、肩を抑えられた。私は覚悟を決め、彼らの方に顔を向ける。
と、2人のうち1人が口を開いた。
「その服装、陰陽師か。同業者じゃねえか」
ーーーあなた方と一緒にするな
内心イラッと来たが、平常心を保って私は訊く。
「それは……なんですか。クラガリって言ってましたよね?」
「なんだ、知らないのか。これは俺たち陰陽師の慣習だよ」
「規律ギリギリだけどな」
「黙認されてるからいいんだって」
と言って彼らは笑う。
私には、彼らのその笑みがひどく醜悪に見えた。
私は怒りで身体が震えるのを感じた。
それでも気力で抑えて、問いかける。
「人が、死んでるんですよ?」
「だから?」
しかし、彼らは当然だと言わんばかりに笑い、言う。
「俺たちはただ、このクラガリが人を食ってんのを傍観して、その後、捕らえたんだ。別に俺らが殺したわけじゃねえ」
ーーー傍観? 俺たちが殺したわけじゃない?
飛んだクズどもだと、私は思った。
吐き気がする。ふざけるのも大概にしろ。
私は彼らを見据えて、告げる。
「あなた方がやってることは、立派な職務違反です」
「でも、規律に抵触してない」
彼らは涼しい顔で笑ったまま。だが、私は言葉を紡ぐのをやめなかった。
「違います。私が言いたいのはそうじゃありません」
私の肩に手を置く男の手が下がる。
それに畳み掛けるようにして、言った。
「はあ?」
「私達陰陽師は、人を守る……ひいてはこの温泉郷の安全を保障する事が職務のはず。なのにあなた方は……」
私は護符を取り出し、右手の刀印に挟む。戦闘の意思を感じ取った2人の眉が歪んだ。だが、すぐに表情に笑みが戻る。
「おい、戦うつもりか? 2対1だぜ」
1人が失笑して、そう言った。
ーーーだから、余裕ある笑みを見せるのか。
彼らは私が御前試合に選ばれたほどの実力者であることを知らないようである。
ーーーだとしたら、相当なバカだ
「別に構いません」
私は含み笑いを込めた言葉を放つ。
「私は、あなた方をただ許せないだけですから」
刀印に力を込め、呪力の剣を生成する。その剣先を彼らに突きつけ、私は駆けた。
剣を振るおうとした瞬間、突如として現れた人影によって、先に標的を斬り殺された。クラガリも斬り刻まれ、跡形もない。
その影……それは見覚えがある。
私は呪力の剣を解除し、血溜まりの上に立つ人物に声をかけた。
「火扇さん……どうしてあなたがそこに」
彼は振り返ると、ふと笑った。
「言っただろ? 一軍には、規律違反者を殺す権利があるって……君を張っておいて良かったよ」
「その人たちは……規律違反してないと言ってましたが」
「いや、常習犯だからね。3年前から続けてたらしいよ、こいつら。見兼ねた上からのお達しで、処分しただけさ」
「私も、対象者ですか?」
「何がだ」
「とぼけないでください」
私は彼をねめつけ、言葉を紡ぐ。
「酒を飲んで遠征に遅れたって嘘ですよね。あなたの本当の仕事は、規律違反を犯した者やその前兆がある者の排除……そうでしょう?」
「何を根拠に?」
追求された当の本人は、どこ吹く風とでもいうように落ち着き払った表情で、そう返した。
彼に向ける視線に力を込める。
続けて三本指を立て、私は言った。
「3つあります。
1つは、権利。一軍には規律違反者を殺す権利があるとあなたはおっしゃいました」
「そうだな。……だがそれはただの権利であって、仕事には繋がらないんじゃないのか?」
「ええ……だからこそ、私がさっき追求したことが、ここで活きてくるわけです」
彼が訝しんだ目で私を見る。私は臆することなく、先を続けた。
「2つ目。あなたは最初にあった時、酒を飲んで2日とも寝てしまい、遠征に遅れたとおっしゃいました。けれどそれ以降、遠征している一軍の人たちに加わってないですよね?」
「ああ結局、御前試合が始まって一軍が帰ってくるまで行こうともしなかったな。でもそれは、参加を拒否られたから、って言うのは考えられないのかい?」
「それは……一時は考えました」
「考えたのかよ」
「でも何故だろうと考えあぐねていた時に、あなたが最後のピースをはめてくれました。ーーー3つ目の根拠。上からのお達し。即ち、総帥からの依頼なら断れるはずがない、と」
「ふっ」
息が漏れる音がしたと思った時、彼は腹を抱えて笑った。目尻に涙まで浮かべて。
「何がおかしいんですか?」
「いや……当たりだよ。君の推察は当たりだ。そう、総帥直々のご依頼なんだ。断れるわけがない」
「私も、殺すおつもりですか?」
「いいや……君はグレーゾーンを保ってるよ。式霊を相棒などとのたまうが、実力は確かだし、温泉郷を守護する務めもしっかり果たしてる。そんな君には、処分するに足る決定的場面がない。安心していいよ」
「最後に安心していいよ、と言われても、それまでが安心できるような言葉ではないですね」
「疑い深いなぁ、大丈夫だよ。本当に今までの君に、マイナス点はほとんどないんだから」
一言余計なんだよ、と言いたいところだが我慢し、私は言う。
「では作業の続きがありますので、今日はこのところで失礼します」
我ながら上手い儀礼的な挨拶だと思った。本心からなんて誰がするものか。
してやったりと思いながら、踵を返して火扇に背を向ける。歩き出して、ふと反応を見ようと思い、肩越しに振り返った。とーーー火扇は「ああ、またな」と手を振っただけだった。
顔はどこか掴めない表情に、微かな笑み……つまらない。困った顔をするかなと期待していたのだが、これじゃあ弱かったか。私は鼻を鳴らし、あとはもう二軍遠征部隊校舎への道を見据えて、歩くのに専念した。
その道中、ふと先の一連の出来事が脳裏に浮かんだ。
規律違反者を殺す。
クラガリを殺す。
私に対面し、私に追求されるが涼しい顔をする。
そして、私が慇懃無礼な態度を取っても笑みを浮かべて見送る彼。
あれ? おかしいな。
私は、足を止める。
火扇さん、私が御前試合で敗退したことに対して何も言ってこなかった。
そう。何も言ってこなかった。
式霊のことは相変わらず毛嫌いしているみたいだし、規律違反者に対する処分も相変わらずだ。
けれど私が彼に対して啖呵を切って、それでもその舞台でーーー御前試合で負けた事に、批判すらしなかったのである。
どうしてだろうと考える。
「あ、思い出した」
考えていたら、思い出した。
黒い斑点に侵された少女を救い出す時、四苦八苦していた私に彼は、的確な指示をしてくれた。
それ以前にも、憑依型クラガリに身体を黒く染め切られて死亡した人から私を助けてくれた。
ただ規律違反者を殺す正義感だけじゃなく、優しさも持ち合わせているのかもしれない。
私はそう思って、心の中で彼に対する認識を少しだけ改めた。




