五章「訓練と少女」
独り、部屋に残された私は、茶封筒の封を慎重に破り、中の紙を取り出す。
紙は2枚重なって、三つ折りになっていた。広げてみる。ーーーと、1枚目は訓練開始を告げる文書。今日の朝9時から訓練場前に集合せよ、とあった。
2枚目は、訓練のスケジュールだ。
呪力の剣の訓練が1ヶ月ほど。
それ以降の訓練は、ほかの陰陽術の訓練と並行して進めるらしい。
ほかの陰陽術の訓練は、陰陽術の種類と効率的な使い方の勉強と郷内での実践で構成されるそうだ。
郷内の実践とは檜佐木が言うには二つあるとのこと。ーーー一つは、憑依型のクラガリの駆除作業。
憑依型のクラガリとはいっても、低級から高級までのクラスに区分されており、私達が相手できるのはせいぜい低級から中級までだ。
もう一つは防衛戦ーーー複製の波による襲撃を迎え撃つ戦闘への参加。
一昨日の、第一防衛戦で戦っていた二軍の部隊に次からは加わることになる。
とはいえ、先日の意見の食い違いによる戦闘やその後の殺傷行為を見た後では、行くのが多少億劫である。
ーーーでも、行かないと。
私は、両手で自分の頬を軽く叩く。と、気持ちがしっかりと前を向いた気がした。
その前にまずは朝ごはんだ。
とりあえず、机にあるご飯を食べる。ものの数分で平らげ、自室を出て、一階へと降りる。談話室へと歩いて行き、受付ルームにいるお婆さんに挨拶した。
お婆さんは、玄関まで私を見送ってくれた。私が歩き出し、門のあたりまでいって振り返るとお婆さんは腰を深く曲げて頭を下げていた。
ーーーすごく、客を大事にされているんだな
彼女の徹底的なまでの接客態度に圧倒されながらも、私は彼女に感謝した。
ーーー行ってきます
踵を返し、あとは振り返らない。
心のうちで彼女に感謝の意を伝え、陰陽師部隊本部への道を私は、歩き出した。
歩くこと40分。
長い階段下の陰陽師部隊本部の扉の前に着いた。
扉は相変わらず目が痛くなるほどの真紅で、それにもかかわらず、違和感がない。
その扉をこじ開け、中に入ると広々とした空間の真ん中にあるカウンター奥に、受付係がいた。
彼女は私と目が合うと、一度目を伏せーーー次には、事務的に頭を下げた。
私も、彼女とここで親睦を深めるつもりは毛頭なく、儀礼的な挨拶をするにとどめた。
私は彼女に近寄り、すぐに訊いた。
「訓練場前まで行きたいので、送ってもらえますか?」
彼女は「はい、承ります」と了解し、私の手を取る。
正直なところ、あの一件があって翌日なので気持ちのいいものではない。
けれど、彼女がいなければ道がわからないため仕方ない、と私は割り切った。
「飛びます」
彼女の言葉が聞こえた時には、景色が変わっていた。
訓練場前の広場は、30人規模の人々で賑わっている。
私と同じく、陰陽師部隊に入隊し、訓練開始の文書を読んで、一堂に会したのだ。
彼らは、私の時代の新卒みたいだった。集会があったのが珍しかったらしく、わいわいと騒いでいる。
ーーー私も、あんな感じで上司に怒られたっけ
過去を思い出して、少し笑みが浮かんだ。けれど、ここに来ることになった発端をも思い出してしまい、内心、「しまった」、と苦笑する。
ーーーと、
「総員、傾注!」
突然、前の訓練場から耳を叩く怒声が聞こえた。
全員がそちらの方を向く。
だが、声の主はいない。
ーーーではどこから、聞こえる?
探すが、皆目見当付かなかった。
「陰陽師部隊に集まった者ども、聞け!」
もう一度怒声のような声が聞こえるまで気づかなかったが、訓練場の屋根の上付近に、物見台のようなものが新設されていた。
その台に白装束を纏った大男が仁王立ちしている。その隣に付き人がいた。付き人はこじんまりとした背丈で、耳をふさいでいる。
ーーー声の主は、あの大男か
「俺は、二軍を指揮する長だ。『本部長』と二軍の奴らには言われている。そして、だ。貴様らをいっぱしの陰陽師に鍛え上げる指導者でもある」
ーーー体育会系なのかな。声がでかいし、暑苦しい
「厳しい訓練をこなし、二軍に上がっても、一度の複製の波の強襲により、殺されることがある。だからこそ先日の反省点を踏まえ、貴様らに課す訓練は、従来の訓練ではないものを用意した。体力、精神、呪力を全力投球しても足りない凄まじい訓練だ。心してかかるように。以上だ」
暑苦しく語った男は、そう言葉を締めくくる。
私は、呆然としていた。
ーーー従来の訓練よりも厳しい?
そんなバカな。先日に案内された時、従来の訓練でさえ苦しいものとさえ思ったのに。それ以上?
怒りがふつふつと湧き上がる。
ーーーふざけるな
こんなの、私の時代ではありえない。死人が出るかもしれないじゃないか。
私の怒りが伝染するかのように、新人の皆がブーイングし始める。
口々に反抗の意思を示し、怒鳴り声をあげた。
付き人はおろおろとして、「取り消した方が……」と言って拳骨を食らっていた。
だが、私の中で必要あると理性が抑えにかかる。ーーーそうだ。それをこなすことができれば、多少命を削ろうとも奴に近づけれるのなら。
私は深呼吸し、自分に言い聞かせるようにして言った。
「やる価値はある」
皆の中の複数人が、こちらを訝しげに見る。
でも、私は臆さずに声を張り上げて言った。
「やる価値はあるよ!」
目の前にいた男が、
「ふざけーーー」私に向かい、摑みかかろうとしたところで。
「よく言った」
突然、後ろで野太い声がした。
振り返ると、物見台の上にいた大男が私の前に立っている。
「貴様、根性があるな」
そう言って、私の頭を撫でた。タワシでこするような音がする。大男の手は、鍛えているようでごつごつとしていた。多分、豆があるんだろうが、されている方は痛い。
「やめてください」
と言うと、大男は撫でる手を止めた。
そしてーーー男の方に目を向けて吐き捨てるようにしてこう言った。
「ーーーで貴様は、ふ抜けた面構えだな。死んでも知らんぞ」
男は、摑みかかろうとした手をわなわなと震わせる。殴りかかろうとしてはやめを3度繰り返し、結局脱力して突っ立っていた。
大男ーーー本部長は、ふいに笑う。
「さて訓練を始めるぞ。スケジュール通りに進めるかどうかは俺次第だ。強くなりたければついてこい」
そう言って、新人の皆を掻き分けながら訓練場の中へと入っていった。
私もそれにならい、ついていく。
と、わらわらと新人の皆が訓練場の中へと入っていった。
ーーーーーーーーーーーーー
訓練は過酷だった。
軍隊かと思うほどのもので、血反吐を吐く思いをした……いや、実際に吐いた。
訓練の内容は以下の通りだ。
呪力の剣の生成から始まり、それが一度でもできれば、実戦形式の試合。負けても勝っても、体力作りとして走り込み100周。それを試合分行う。試合は、20回。計算するに、走りこみは2000周に及んだ。
厳しい訓練とはよく言ったものだ。
本部長は新人を殺したいんじゃないかとさえ疑ったほどである。
脱水症や足の痛みに苛まれ、ダウンする奴は捨て置けという。
吐き戻す奴は根性が足りないという。
「付いていけない」と言って去る人には死ぬだけだとも言った。
そう言う本部長の意図は分かる。
防衛戦や実体を持ったクラガリとの闘いは、言葉通り、死線を潜るものである。
死人は出るだろうし、体力がなければもっと死ぬことになるだろう。
ましてや、今後襲来する本物の波を相手にするなら、この訓練でも足りないかもしれない。
それでもーーー私はここで死ぬんじゃないかと思うほどの地獄を見た。
そして今、私は温泉宿の自室にいる。
訓練がどう終わって、どう帰ったのか記憶にない。意識が吹っ飛んでいたみたいだ。
お婆さんが言うには、私がおぼつかない足取りで帰ってきたらしい。
私は明日もまた訓練かと憂鬱に思いながらも、泥に沈むように寝た。
次の日。
お婆さんが自室に来て、私を起こした。
頭に鈍痛があり、疲れがあるんだろうが、お婆さんの話を聞く。
お婆さんが言うには、今日から温泉宿の方の仕事もスタートするそうだ。
ハードな訓練に加え、親身にならなければならない接客の仕事。
私はまたしても憂鬱な気分になった。
けれど、私は訓練をこなしたあと、お婆さんの手伝いをした。
そうしてーーー長く思えた1ヶ月が経った。
呪力の剣は生成に時間がかからなくなったし、試合中に破裂することもなくなった。
試合においては負ける回数が減り、ペナルティを受ける回数も減った。
私は、本部長から朱印を押された紙をもらった。その紙の内容は要約するに、「呪力の剣の訓練の他、陰陽術の実践及び研究を許可する」と言うものである。
その紙をもらった人は、私を含め、厳しい訓練に耐え、残った10人だけだ。最初は30人いたが、今じゃ10人だけ。
正直、私も目的を持っていなければ、逃げていたと思う。
でも、耐えきった。耐えきったのだ。それは誇っていいはず。
ーーーようやく……ようやくだ。これで、奴に近づける。
これで、今までは新人という立ち位置だったが、二軍への入隊が正式に決まったようなものだ。実際にはまだ訓練期間が残っているので違うものの、今だけは喜びたい。
呪力の剣の訓練の修了者には特権として、以下のものが与えられる。
1、陰陽術の実践及び研究
2、温泉郷内においての依頼受注
3、本部の図書室の入室許可
本部長に聞くに、依頼を受けるには、依頼掲示板なるものが受付係がいるところにあるらしい。
そこで、依頼を自由に選び、受付係に提出する事で受注できると言う。
とは言え、二軍に入りたての私達に許可されているのは憑依型のクラガリの駆除依頼のみ。それも低級と中級だ。
だが、どうして憑依型だけなのだろう。義務として、複製の波との闘いがあるのだから、実体化したクラガリとの闘いもOKしてくれればいいのに。
ーーーいや、考えても仕方ないか
私は受付係のいるところに赴き、依頼掲示板を見せてもらった。
掲示板にある依頼は、どれもレベル高いものばかり。
低級や中級の憑依型クラガリの駆除依頼はなかった。
受付係に、「依頼の更新がいつになるか」聞くと、「はやくて1週間、長くて2ヶ月かかる」との返答があった。
少し、鼻っ柱をへし折られた気分だったが、とりあえずその場では了承した。
2週間がたったころ、声がかかった。
「更新されましたよ」
掲示板を見させて貰うと、右端に「身体に黒い斑点が広がりつつあり、苦しんでいる。助けてくれ」との依頼があった。
依頼元は十代の少女。
まだあどけない少女じゃないか。
なのに憑依型クラガリに侵食されるとは。相当辛いはずだ。
私は、自分のことのように名も、顔も知らない少女を慮った。
そして、受付係にその依頼書を提出する。諸注意(依頼者に迷惑かけないとか)を受けたのち、その依頼書に判子が押された。受付係はいう。
「依頼者の居所は、温泉郷南の温泉宿『木佐兎』二階の物置だそうです。人目につくのがとても怖いそうで……」
「そうですか……」
「あ、それと、この依頼や他の依頼でもそうなのですが、訓練が1ヶ月終わった段階では教官がつきます。悪しからず」
「はあ……して、その教官とは」
「火扇さまです」
自分の心の中で、ゲッと呻くような声がした。
だが、この受付係に勘付かれたくないので、平静を装う。
「分かりました。では、火扇さんによろしくつたえといてください」
そう頭を下げ、受付係を見据えていった。
「マップてありますか? 事あるごとにあなたに案内して貰うのも悪いですし」
「そうですね。分かりました。少々お待ちください」
受付係はそう返答して、カウンター内をごそごそと探し出した。
数分後。
「お待たせしました」と真紅に塗られた三つ折りの地図を彼女は、私に手渡した。
開いてみると、陰陽師のこの建物は、地下一階から3階まであることをしめしている。
私がいったところがあるところは、一階に密集していた。図書室はというと、二階にあるらしい。
私は、受付係に礼を言って、その場を去った。
長い廊下の隅の壁に背を預け、今後の方針を考える。
何が必要だろうか。
ーーーそもそも私って、憑依型クラガリがどういうもので、どういう種類があるのか。どういう対処の仕方が効果的なのか知らないな
とりあえず、情報収集だ。
ーーー檜佐木さんに……いや、やめておこう
『おや、いいんですか』
心の声が聞こえていたらしい。
私は恥ずかしいやら、申し訳ないやらで苦笑し、
「はい、了承した」
と言った。
檜佐木は少し笑ったような声を漏らした後、『また何かありましたら、声かけてくださいね』と言って、静かになった。
私は、心のうちで感謝を伝え、まずは図書室に行ってみることにした。
図書室についた。中の構造はというと、地図でいうなら書棚が陳列しているのが真ん中。というより、この図書室のほぼ全てを書棚が占めていた。借りたり、返したりするサービスカウンターは右端に。
とりあえず、蔵書がこれでもかというほど詰め込まれており、度肝を抜かれた気分だった。でも、とても嬉しい。将来が、小説家志望だったのも関係しているのだろう。
とは言え、今は考えてはいけない。
ステップアップだ。
“私”に近づくための、第一歩。
それが、憑依型のクラガリに侵食された少女を救う事。
私は、陳列した棚をくまなく見る。
と、奥から2段目に、憑依型のクラガリに関する辞典があった。それをサービスカウンターまで行って借りる。
地図によると図書室を出て、廊下の突き当たりに休憩所があるらしい。
私はそこに向かった。
歩いて数分で休憩所に着き、その扉を開ける。
喫煙所も兼ねているらしく、吸う人の煙草の煙がけむたい。
と言っても、座るところがない場所よりはマシだ。
私は、煙草吸ってる人よりも遠い椅子に座り、辞典を広げた。
まず、読むところは種類だ。
低級、中級、高級と区分されているが、私達新人が駆除できるのは低級と中級のみ。
あとの高級を含め、実体化したクラガリの処分ができるのは訓練期間が終了した二軍と一軍。例外の二軍遠征部隊もそれに含まれる。
と言う事で、読むべきは低級と中級。その中で、「黒い斑点」がどの区分に属すのか探さなくては。
パラパラとめくっていると、「憑依型クラガリ」の項目の低級ーーー最初のページで、「黒い斑点」が出た。
早っと内心思う。
ーーーと言うことは、そこまで憑依能力は高くない?
見ると、意外にも憑依能力はあった。若干なめていた自分が少し恥ずかしい。
黒い斑点の説明書きは、こう記されていた。
「黒い斑点。区分、憑依型クラガリ。主に動物に憑依する。憑依した直後や侵食時は、そこまで被憑依体に負荷はない。しかし、侵食し尽くしてしまうと、全身が黒く染まり、死に至る危険性がある」
その対処法はないかと、ペラペラとページをめくる。
と、憑依型クラガリの対処法で新人でできるのは、一つだけだ。
「1、被憑依体の肌を露出させる。(腕が望ましい)
2、護符を貼り付け、呪力を通す。
3、呪力で被憑依体を包み込むようにして、体内のクラガリの駆除にかかる」
この手順を、私は頭の中に叩き込む為に、小さな声で復唱した。
見ずにでも、言えるようになったところで、辞典を閉じる。休憩所の扉を開けるために立って、近づいた。
と、それを見計らったように扉が開きーーー火扇が中に入ってきた。
舌打ちしかかったところで、火扇が私を見ずに告げた。
「行く前に護符の用意をしておけ」
ーーー言われなくてもわかってますよ
内心毒付いたが、とりあえず、「はい」と了承した。
一旦、準備と、お婆さんに多くても2日ほど留守にすることを伝えるために温泉宿に戻った。予定通り事を終えて、私は宿を出る。
と、門の前に火扇が立っていた。
行くのが億劫であるが、依頼のためだと割り切り、近寄る。
火扇が私を確認すると、事務的に言った。
「護符は胸のポケットに入れるといい。戦闘において、すぐに取り出せるし、便利だ」
「はい」
言葉少なに頷き、指示に従う。
肩にかける鞄の中から訓練用の護符を、10枚ほど取り出し、今着用している着物に備え付けられた胸ポケットに入れ直す。
それを確認すると、火扇は歩き出した。振り向かずに言う。
「南だろ? 行くぞ」
私は少しの反抗心で無言で頷き、彼の後を付いていった。
南の温泉宿「木佐兎」の前に着いた。見たところ外装に蔦が這い、古ぼけている。が、窓ガラスから電灯の光が見受けられるところから宿の運営されているらしい。
依頼者の居所は、受付係によるとこの温泉宿の二階物置だそうだ。
なぜ物置にいるのか、まだ会ったこともない依頼者の心中をうかがい知ることは不可能なので、謎のまま。
もしものことも考慮するべきだろうと気を張りながら、火扇とともに温泉宿の扉を開けた。
中は暗い。異臭もする。
硫黄の臭いがもう一段階、腐ったような臭いだ。
奥のカウンターに近づいて行く。と、その臭いとともに濃い血の臭いがした。
私は込み上げてきた吐き気を抑え、カウンターの中をーーー
「やめろっ」
覗こうとしたが、火扇の鋭い声で中断せざるを得なかった。
火扇が私の後ろの襟を掴み、引きずったので、物理的に不可能でもある。
とは言え、無理な行為だ。
「痛いです! 離してください!」
実際痛かった。叫んで、抗議する。
と、火扇は声もかけずに離した。
私は勢いよく床に尻餅をつく。
その衝撃による鈍痛で涙目になりながら、彼をにらんだ。
「どうして引いたんですか?」
「上に行きながら説明する。とりあえず来い」
彼はそう短めに話し、二階へと続く階段を登りにかかった。
私は急いで彼に続く。
彼は言った。
「低級ではあるが、被憑依体の侵食率が高いと他の被憑依体を憑依する、いわゆる『感染』が起きている。さっきの硫黄と血臭の発生源が、おそらく最初の被憑依体だ」
「それって、死んでるってこと?」
私が考えた先にあったのは、それだった。でも、そうだとするならおかしいことが一つある。
火扇は私の心中を察したらしく頷いた。
「そうだ」
「でも、そんなこと辞典には書いてなかったですよ?」
「そりゃそうだ」
私の疑問に、彼は当然だと頷く。
「『感染』は高級に値するからな。新人や二軍が閲覧できる辞典にそんなものが詳しく記述されることなどありはしない」
「っーーー」
情報漏洩を、死が関係しているのに気にしている運営が気にくわない。
だが、彼は現場で私が直視したから、言い逃れできないと思っていったのだろう。
そのところは、少し感謝した。
「だから急ぐぞ。ーーー依頼者の女の子が危ない」
足早に階段を駈け上がる彼の後ろ姿に、私は続いた。
「物置」と刻まれた扉を見つけた。
開け放つ。と、積み上げられたダンボール箱が数列あり、奥に古びたソファがあった。
その上に、肌が「黒い斑点」によって黒く染まりつつある少女が座っていた。
手に持つ水晶と少女のギャップが痛々しい。
水晶は傷も汚れもなく、よく磨かれているのか曇りさえない。天井にかけられたランタンの光を受けて、煌びやかに輝いていた。
対して少女は、憑依型のクラガリーーー黒い斑点に身体の殆どを侵食されている。
その侵食で首は黒に染まり、顎あたりまで来ていた。黒い斑点に身体の大半を侵食され行く少女は言う。
「私の父さんは、綺麗なものが好きなの。この水晶だってそう。傷や汚れが一つもない。でも、私……」
「ちょっと良いかな」
「なあに、陰陽師のお姉ちゃん」
「ごめん、話し遮って。聞いても良いかな?」
「なにを?」
「お母さんは、いないの?」
「『汚いから俺の前から逃げていった』って、父さんが」
「そうーーー」
少女を取り巻く環境は酷い有様だと言うことがわかった。それにーーー彼女がここに着た理由も。
そう、それはーーー。
「ねえ、お姉ちゃん。私の身体にどんどん黒い斑点が増えていくの。前はふくらはぎだけだったのに今じゃ顔にまで来てる。このままじゃ、お父さんに嫌われちゃう」
少女は懇願するように、縋るように私の手を握った。
「私を助けて」
彼女の目は、怯えきっていた。
そこまで、父に嫌われるのが嫌なのだ。だからこそ、独りでここまで来たのだと。
私は一度深呼吸した。
そして、後ろを振り返る。
火扇はこちらを薄い目で見ていた。
ーーーお手並み拝見ってこと?
どう思ってるのかどうかは知らない。でも、以前に啖呵を切ったんだ。
この女の子を救うことくらいできなくては。
私は胸ポケットから護符を一枚取り出した。ついで、彼女の袖を右腕だけ、捲って出させた。
露わになった右腕の肌の殆どを黒い斑点が侵食していた。
憑依能力は低く、私達のような新人でも対処は可能ではある。けれど、このまま放置しておけば、少女は父に嫌われるどころか命に関わる事態になりかねない。
私は、護符を彼女の右腕に貼り付け、
「今から、処置するからね。ちょっと痛いかもだけど我慢ね」
出来るだけ穏やかに笑いかけた。
少女は、「うん」と了承する。
それを合図に呪力を護符めがけて放出した。
放出する呪力の量を、少女の身長を覆い尽くすほどにまで調整しーーー少女の身体を呪力で覆っていく。
「暑い……」
少女の口から苦しげな声が漏れた。
「ごめんね、もう少しだから」
そう声をかけるが、黒い斑点は徐々に侵食範囲を減らすだけで、減少スピードが上がらない。
その状態が続けば最終的に私の呪力が枯渇するだけでなく、少女の身体にも影響が出るだろう。
ーーーこれを打開する方法は
私は必死に考える。
と、
「呪力の変形だよ。きみ、『心火防魔の陣』は出来るだろ? それを応用しなさい」
火扇の声が聞こえた。
聞くのは癪だが、今は少女を救うことが優先だ。聞くべきだ。
私は、少女の身体を覆う呪力の塊を変形、変質させる。ーーー風。
逆巻く風のイメージ。
呪力の塊は、呪力を伴った旋風へと変化し、少女の身体を取り巻いた。
風に煽られ、巻き上げられるたびに、少女の身体から黒い斑点がこそぎ落とされていく。
そしてーーー、旋風がやんだ頃には少女の身体に一切、黒い斑点がなくなっていた。落ちてきた少女を抱きかかえる。顔を見ても、黒い斑点は影も形もない。
なにが汚いだ。綺麗なものじゃないか。顔立ちは整っているし、美形だと思う。
少女は疲れたのか、すうすうと寝息をたてて眠っている。
その少女の寝顔を見て私は思った。
ーーー少女を取り巻く環境は変わらないかもしれない。でも、少しでもこの温泉郷にきたことで少女の心が前向きになれば、いずれは
少女をソファの上に優しく置いて、火扇に向き合う。
火扇は申し訳程度に拍手した。
「逆巻く風のイメージね。応用が効くじゃないか」
「どうも」
火扇に言われるまで、戦闘に使えるなどとは思っていなかった。でも、それは顔に出さないし、感謝の意も伝えたくない。伝えてしまえば、火扇の鼻っ柱をへし折りたいのに、むしろ硬くなってしまう。
「呪力の剣による戦闘ーーー相手に一瞬にして肉薄して、斬りにかかるってことですよね。わかってますよ、そんなこと」
「強情なこった」
「さてーーー」と言いながら火扇は壁から離れ、扉の前まで行って立ち止まる。ふと思い返したように、こちらに振り返って言った。
「俺は下に行って術式をかけてくるからお前はその女の子を介抱してから来い」
「ーーーああ、下の……」
「そう、あの死骸だ」
その彼の言葉のせいで、変な想像をしてしまった。
眉間にシワが寄る上に、あの臭いも想像の産物で思い起こされる。
ーーーわざわざ言わなくていいのに
私は彼を睨んだ。
だが、彼は少し笑んで物置を後にした。
残された私は、ソファに横になっている女の子に寄り添い、彼がくるのを待つことにした。火扇の指示に従うことは、相変わらず癪である。
手持ち無沙汰であるために、とりわけ忙しいわけでもない。しばらく、ぼーっとしていると少女の目が薄く開いた。
起き上がろうとする彼女の肩に手を添え、優しく声をかける。
「おはよう。でも、下に行ったお兄さんがまだ帰ってこないからもうちょっと寝てていいよ」
彼女は私の言葉に頷き、また横になった。少女が寝かけたところで私は離れようとする。だが、私は袖を引っ張れる感覚がして、振り返った。と、彼女はやはり私の袖を引っ張っていた。
彼女が弱々しい口調で言う。
「あのお兄さんが来るまででいいから、そばにいて」
まだ憑依型クラガリから救われたばかりだ。怖いのだろう。
私は彼女の状況を案じて、優しく微笑み、そして、静かに頷いた。
彼女が寝静まって数分後、火扇が帰ってきた。
私は彼に続いて、少女をおぶさり、一階へと降りる。
と、玄関口に他の陰陽師が5人いた。
その内の3人が、何やら人間大の白い袋を担ぎ出す作業をしている。
だが、あんまり見ていても気持ちのいいものではなかったので意識の外に放り出した。
私は残りの2人に、状況を報告するとともに少女を預け、火扇とともに温泉宿「木佐兎」を後にした。
その足で本部へと戻りーーー2週間後。第2防衛戦の幕が上がった。




