三章「陰陽師部隊、入隊」
「私は、久城です」と返し、私は訊いた。
「一軍って精鋭部隊……どうしてあなたが?」
「あー、ものっそい、言いにくいんだが……」
「はあ?」
「俺、酒に弱くてな……一回飲むと丸2日は寝ちまうんだ」
その言葉で気づいてしまった。
彼がこの温泉郷にいる理由。
ーーーうわ、すごくかっこ悪い
それは先の戦いとは比べ物にならないほどくだらない理由で、私は呆れた。
「じゃあ、任務に向かう前日、酒を飲んでしまい、爆睡中のあなたを置いて、先にお仲間が任務に行ってしまったと」
「ま、まあ、そんなところだ」
「助けていただいたことは感謝します。でも、それじゃあ仕事はどうするんですか?」
「連絡して今から……と言いたいところだが、先にやることがある」
「へ?」
「お前の入隊だよ。陰陽師部隊へのな」
そんな唐突なと思った時、後ろから声が聞こえた。
『良かったな。これでお前の好きな人助けが、やりたい放題になるぜ』
嫌味たっぷりに言う奴。それはあいつくらいしか思いつかない。
「はいはい。先に飛び出してごめんね」
『お前なあ、聞く耳持たず突っ走ったくせして、その態度はねえだろ!』
「でも結果的に助けれたんだからいいじゃん」
『……バカ主人が』
「その後ろの……君の式霊?」
火翁が聞いた。
「式霊?」
逆に聞き返すと、彼は驚いたような顔をして言った。
「君、式霊を知らないのかい? なのに、召喚できるとはやるなぁ」
「相棒のことを言ってます?」
「相棒? なにをばかな」
何言ってんだといった風に彼は、眉をひそめる。
私はそれに怪訝な顔をした。
「え? 」
ーーーもしかして
若干の薄ら寒いものを感じる。
ーーーいや、そんなばかな
けれど、いくら陰陽師とはいえ、そんな陰を抱えているとは思えない。
私は心の中で、気のせいだと呟き、言った。
「相棒は相棒ですよ。一緒に戦う仲間ですし」
「分かった。いいよ、今はそういう解釈で。 俺がここで教えるより部隊に入りゃすぐに分かることだ」
彼の言い方に少しイラッとするが、まあ確かにその通りだ。
とりあえず頷いて了承する。
「ところで、私はどの隊に配属になるんですか?」
「二軍だよ」
「二軍ですか……」
そうなるかな、と思っていたが本当にそうなるとは。
非常事態だったとはいえ、彼らの戦いに勝手に割り込んでしまったので、少し気が進まない。
「不満か? 」
彼が私の顔を注視する。
私は、「いえ」とかぶりを振った。
「でも、二軍は初心者の育成も兼ねていてな。一軍に上がるにも、二軍で階級を上げてからになる」
「そうなんですね」
「とは言え、一軍に上がるにしても定員が限界でな。まあ、君がほんとに優秀なら、一軍に昇格されることはなくもないかもな」
ーーー言ってる意味が分からない
「どういう意味?」
訊くと、彼は答えた。
「5ヶ月後にある御前試合でそれを証明してみせろってことさ」
「御前試合? 誰の?」
いまいちピンと来ない私に、彼はクスッと笑った。
「陰陽師の総帥だよ。一軍と二軍をまとめ、この温泉郷を運営する人さ」
「そうなんですね」
私は、ようやく納得した。
ただ、一応聞いておくことがもう一つある。
「ところで私、どこで契約すれば?」
「ああ、俺がしておくよ。君はゆっくりしてから、階段下の建物に入って」
「ありがとうございます」
礼を言うと、彼はまた朗らかに笑い、階段を降りていった。
その彼の後ろ姿を見ていると、傍らの式霊が口を開いた。
『お前に言っておく』
「うん?」
『俺は、式霊だ』
「あの人も言ってたけど、式霊ってなに?」
『簡単に言ってしまえば、陰陽師に使役される霊的存在だ』
「そう……」
狐の言い方に、少し胸が痛む。
けれど、私は本心を伝えた。
「私は、さっきも言った通り、仲間だと思ってるけど」
『だが、俺は陰陽師を、いや、陰陽師のその慣習をひどく憎んでる』
そう言う彼の目は、言葉通り「憎しみ」を含んでいた。
「どうして?」
聞くが、狐は『お前をまだ信用できない』と首を振った。
『けれど』と狐は言う。
『お前みたいな新人なら、従ってやってもいい』
「うわ、酷い言い様」
『お前の戦い方は危なっかしいんだよ。だから、俺が式霊として鍛えてやる』
「よろしくね、パートナー」
『ああ、よろしく。ご主人』
そうして、言葉を交わし、私は頭上を見上げた。
複製の波がゆっくりと、拡散するように消えていく。
その隙間から陽の光が射し込んだ。
ーーー夜が、明ける
ーーーーーーーーーーーーーー
陰陽師の施設は、そのほとんどが赤色が基調となっていた。
扉も赤色だったが、中はそれ以上の赤ーーーいや、深紅と言うべきか。それほどまでに、赤い色で壁が染められていた。
眺めていると目が痛くなるほどのその赤は、しかし、私にそれほど違和感を感じさせなかった。
そんな赤色の施設の中を進んでいくと、カウンターがあった。
そのすぐそばに、女性が立っている。彼女の髪は黒く長い。肩にかかるくらいまで伸びていた。
近づいてみると胸元には、役職が刻まれていた。「受付係」だそうだ。
彼女は、私が目の前に立ったその時、「お待ちしておりました」と頭を下げた。私もそれに習い、頭を下げる。
受付係は微笑を浮かべて問うた。
「火扇様から推薦された方ですよね?」
別段、否定することもないので、
「はい」と返す。
と、彼女は後ろにいる狐を見やり、言った。
「この場では一度、温泉に返してください。そう言う決まりになっていますので」
「ごめんなさい」
「何がです?」
「私、呼び出し方は知ってるのですが、返すやり方は知りません……」
そう申し訳なさそうに私が苦笑いすると、彼女は「困った」と言う顔になった。
「えっとーーー」
しばらく無言の静けさが続き、私の胃が痛くなってきたところで、受付係はこう言った。
「では、人差し指で狐の額を軽くついてください」
「人差し指……ですか」
「ええ、そうです。本来は、『降魔』を司りますが、式霊を返す手法としても使えるのですよ」
「分かりました」
頷き、狐と向き合う。
彼は心底嫌そうな顔をしていた。若干、唸り声が聞こえるのも聞き間違いではないだろう。
「ごめんね、また後で呼び出すからさ」
『めんどくせえ』
「まあまあ、そう言わずに」
あやすようにそう言うと、彼は嫌そうな顔は相変わらずであったが、頭を垂れた。
返していいと言うことだろう。そう解釈し、私は人差し指を彼の額に押し付ける。彼の額はーーー霊体にもかかわらず、ふさふさした獣じみた毛の感触があった。
「びっくりしたーーーちゃんと、毛の感触も分かるんだね」
少し驚いた私に、檜佐木が補足した。
『式霊と言っても、実体化してますからね。動物に近いものはそのように毛並みや温度も分かるんですよ』
「そうなんですね」と小声で返す。
そうこうしているうちに、狐が光の球に変異し、消えていった。
「決まりを守っていただき、ありがとうございます」
受付係の声がし、その方向に向き直る。彼女は頭を下げていた。
私が、彼女は礼儀のいい人なんだなと思ったその時、顔を上げた。
「さて、我々陰陽師について、いくつかご説明させていただきます。こちらをどうぞお持ちください」
パチンと指を鳴らす。と、私の手の中にどこからともなく、唐突に、冊子が現れた。
驚く私にーーー、
『呪力による転移です。物質の転移と施設内の移動に関しては、案内係だけ転移することができるのですよ』
と檜佐木が説明する。
「お持ちくださいましたね。では、まずは、1ページを開いてください」
彼女の声に合わせ、ページをめくる。
1ページには、陰陽師の目的が記されていた。
「大きな目標とは、そこにあるように来たる災厄『本物の波』を討ち亡ぼすことにあります。しかし、それはあまりに強大であるため、それ相応の準備が必要となります。そのためにーーー次のページを見てください」
言われるがままに2ページ目に視線を移す。
タイトルは、陰陽師の役割。
「そのために、総帥は役割を設けました。一軍ーーー結界の維持と温泉郷外の実体化したクラガリの殲滅。
二軍ーーー温泉郷内での戦闘、即ち『複製の波』からの防衛。そして、温泉郷の運営。
これが、私達陰陽師にくだされた役割です」
「あの、質問いいでしょうか?」
「なんでしょうか」
「次のページの『階級』では、下に二軍、上に一軍とあります。それはあなたの言う通りですが、問題は真ん中の二軍遠征部隊です。近界と東京組の二つがあります。これらは一体?」
「それらは、いわゆる特例です。合致する人材はそうそういませんよ」
「そう、なんですか」
「ええ」
頷きーーー彼女はつまらなそうにため息をついた。
「まあ、それは2年前の話です。今では一軍よりは選ばれやすいようで、養成学校じみたことをし始めた、とか」
彼女のいるこことは、違う運営方針なのだろう。そう思うことで私は納得した。
「はあ、そうなんですね」
「さて、話を進めましょうか。4ページ目を開いてください」
彼女の声に従い、ページをめくる。
次のタイトルは、『現状』。
「現状、ですか」
「ええ。大きな目標に対抗するだけの手段と役割については先ほどお話ししましたね。しかし、温泉郷に長く止まるのは二軍とーーーあとは、宿の管理を任している一般人のみです。まあ、例外で一軍のメンバーが1人いますが……」
「あはは……」
火扇ーーー彼がいるあの情けない理由を思い出し、私は苦笑した。
「さて、次のページをご説明致しましょうーーーと言いたいところですが、二軍の訓練場にいい機会ですから行ってみましょうか。ずっと立ったまま説明するのも、聞いてるのもお互いつらいですし」
「そうですね」
彼女が手招きする。私は受付係に近づくと、「では、案内します」ともう一度指を弾いた。
瞬間的に景色が切り替わる。
気付いた時には、木製の建造物の前に私達は立っていた。
建造物を支える支柱は黒の漆で塗られており、陽の光を受けて鈍く輝いていた。そんな建造物からは、掛け声のようなものが聞こえてくる。
その掛け声があまりに大きく、耳にビーンと響く。驚き、しばらく呆けていると彼女が言った。
「ここが二軍の訓練場です」
「す、すごい掛け声ですね。なんでこんなことを? 合気道とかしてるんですか?」
「いえいえ」
手を左右に振り、彼女は答える。
「呪力の剣です。その使い方を教えているのですよ」
貴方の言葉でいうと、剣道ですねと受付係は笑った。
「あのーーーすみません。呪力の剣とは?」
聞くと、彼女は「ああ、こちらこそすみません。あなた、入ったばかりだから知らないですよね」と頭を下げる。
私はその態度に少しイラっときたが、実際知らないしなと心を落ち着かせた。
彼女は、「百聞は一見にしかず。実際に見たほうが分かりやすいと思われますので、扉を開きます。ますます掛け声が大きくなりますので、圧倒されないでくださいね」と言って、扉のノブに手をかけた。
私は緊張で生唾を飲み下す。
彼女が、扉を少しずつ開いていく。
ギイイッと古びた物が動くような音とともに。
そして、開いていくたびに掛け声が、雷鳴が轟くように大きくなっていった。ついで、剣道でいう「踏み込み」に近い音が多数重なって耳を叩いた。
完全に開ききった時、私の目に映ったもの。それは、30人以上もの人々が、二人組になり、透明な剣を手に宿して打ち合っているところだった。
受付係はそんな彼らを眺めながら、説明を始めた。
「呪力の剣とは、文字通り呪力を緻密に編み上げて生成される剣のこと。それを生成するだけで、新人なら1ヶ月は消費することになります」
へえ、と私は納得する。火扇があの時、複製の波から派生した化け物を斬り殺したのも、これを使用したのだろう。
「そのあとは、維持です。維持というのは呪力の操作においてもっとも重要なものとなります。他の陰陽術にも効力を発揮しますしね。しかしながら打ち合うのですから、体力的にも精神的にも優れていなければなりません。これが完全にできるまでは推定3ヶ月は必要となります。しかしーーー」
そこで彼女は言葉を切った。俯き、少し暗い表情を見せている。
どうしたのかと心配になったが、彼女は言った。
「しかし、その訓練には個人差があります。中にはたった1週間で出来る人がいる一方、編み上げることにも苦労する人もいるのです」
「そうーーーなんですね」
「すみません」
彼女が唐突に謝ったので、
「へ?」と反応に困ってしまった。
そんな私に、
「変な話をしてしまいましたね」
少し儚げに彼女は笑った。
「あ、いえ」
「少し、指導者の方から護符をお借りしてくるので、そこで待っていてください」
「はい」と私が頷くと、足早に訓練場内に入っていった。
その彼女の背中を見やり、訓練生時代、苦労したのだろうかと私は、少し慮った。
しばらく手持ち無沙汰の状態で待っていると、受付係が帰ってきた。
手には、二枚の護符が握られている。
ただ心なしか、護符に刻まれた印が「心火防魔の陣」の時と違う気がする。
私の視線が護符に向けられているのに気付いたようで、彼女は言った。
「この護符は訓練用です。わざと呪力の通りを悪くする仕様になっています」
「え、なんでですか?」
「さきほどご説明致しました通り、打ち込み練習や実戦では、目まぐるしく動きます。その時、呪力の集中は恐怖や焦りによって途切れる可能性が考えられるからですよ。それを無意識的に防ぐために、訓練の段階から厳しくするのが慣例となっています」
「そう、なんですね」
少し、軍隊みたいだと私は思った。
死が間近にあるとは言え、ここまで徹底した追い込み方は、以前見た戦争映画に出てきた軍隊のようだった。
あの映画は、厳しい訓練を経て、大戦に向かい、ある国の軍と戦って打ち勝つまでを描いていた。
その厳しい訓練が、死への恐怖を麻痺させることが狙いだった。
それを思い出し、少し気分が悪くなる。
「顔色が優れないそうですが、大丈夫ですか?」
彼女が心配そうに私の顔を伺う。
「ああ……いえ、少しクラッとしただけです」
私は、強引に笑みを浮かべた。
心配いらない、と。
「そうですか」
彼女は私の表情をみて安心したのか、「では、少しやってみましょうか」と言った。
「まず、ご覧になってください」
そう告げてから、護符を刀印ーーー中指と人差し指の間に挟み込む。
「呪力の剣とは、こう繰り出します」
護符を挟んだ箇所から、少しずつ紅色の波打つ流動体が見えた。
これが彼女の言う呪力なのだろう。
ついで、彼女が刀印に力を込めるたびに、流動体が編み込まれていき、最終的には透明な剣となった。
「足元にある木の枝を私に向かって、投げてみてください」
彼女の指示に従い、その木の枝を投げた。
受付係は、それに軽く小突くように呪力の剣を当てる。
と、スパッと鋭く切り裂かれて床に落ちた。
「すごい……」
鋭利さがすごい。彼女は一度だけ、呪力の剣を木の枝に当てただけだ。
それなのに、一瞬で真っ二つになったのである。
ーーー相当なものだね
私は額に、冷や汗が伝うのを感じた。
その私に、受付係は言った。
「あなたもやってみましょうか」
「え?」
反応が薄い私に、彼女は微笑を返した。ついで、自分の呪力の剣を拡散させたのちに、私の手に護符を握らせる。
「やり方は見ていましたね?
まず、刀印を作ります。次に、その刀印の間に護符を挟み、呪力を流す。あとは、剣を脳内でイメージしつつ、呪力を編み込んで行く。手順としては以上です。やってみてください」
どう反応していいか困っていた私は、口早に説明され、さらに困惑していた。
今やったにしろ、私は新人も新人だ。成功の確率は、とても低いと言っていい。
けれど、彼女に促され、結局やることになってしまった。
とりあえず手順通りに動いてみる。
利き手である右手で作った刀印の間に護符を挟み込んで、目を閉じる。
暗闇の中で、剣身が霞みがかったようにぼんやりと光り、浮かぶ。
それに手を伸ばし、掴むまでの一連の動作をイメージする。
瞬間、護符が燃えるように熱くなった。焦げたような臭いもする。
反射的に眼を開けると、自分の右手がうねり、波打つ、流動体に包まれていた。
その流動体は熱く、腕が焼け付くかと思うほどだった。
隣にいた受付係は、焦りを含ませた顔で、
「剣をしっかりとイメージして」と指示する。
「そんなこと言われたって、どうすればいいのか分からないですよ!」
「いいから! 言った通りにしてください」
彼女に怒鳴られるように言われ、縋るものがそれしかなかった私は渋々それに従った。
イメージするのに邪魔な熱い右腕をまず、意識からシャットアウトする。
そして、眼を閉じた暗闇の中で集中した。
また、目の前にぼんやりとした剣身が現れ、浮かぶ。
それを、もっと精錬されたものに変えるーーーそんなイメージを試みた。しかし、イメージしても剣身の形が崩れるだけで、むしろイメージすることが仇となった。
そしてーーーパンッと弾け飛ぶような衝撃と音で目が覚めた。
その刹那、右手に激痛が走った。
涙で視界が歪む。そのまま、視線を右手に向けると護符が燃えて灰になっていた。
背中がぞっとし、右手を顔の前持っていく。
挟んでいた自分の指は、やけどを負っていたが、軽いものだった。
ーーー良かった
内心、安心した。
パンッと弾け飛ぶような衝撃と音がした時には、右手がなくなったかと思ったが杞憂だったようだ。
彼女が心配そうな顔で、私を見て言った。
「すみません、もう少し説明してからの方が良かったかもしれませんね」
「いえ」私はかぶりを振る。
「私の方こそすみません。イメージが足りませんでした。次やる時までにはイメージ力を鍛えておきます」
「そうですかーーーでも、大事に至らなくて良かった」
「大事、とは?」
「あなたが想像した通りのことですよ。呪力の剣は、自分の呪力を剣の形まで編み込む技術です。そのため、一度弾け飛んで拡散した場合、その衝撃が術者に跳ね返ります。あなたは軽いやけどですみましたが、中には利き腕を失った人も少なからずいるんですよ」
「ーーーその方たちは、その後どうなったんですか?」
「陰陽師部隊をやめました。辞めた後のことは、あずかり知らぬところなので分かりません」
「そう、ですか」
私と彼女の間に、暗い空気が流れる。しばらくして、「さて」と受付係は努めて明るく言った。
「とりあえず、あなたの利き手を冷やしましょう。その次は式霊管理室を案内します」
ーーーーーーーーーーーーーー
受付係の処置によって、私の右手が回復した後、彼女の言葉通り、式霊管理室の前に案内された。
ただ、彼女は室長になにか話すことがあるらしく、さきに室内に入っていった。1人残された私は、退屈を感じていた。
その私に、檜佐木が言った。
『先にあなたに話しておくことがあります』
疑問符が浮かぶ私に彼女は言った。
『この室内は、あなたにとって苦しいものとなると思います。覚悟だけはしておいてください』
「言っている意味があまりピンと来ませんがーーー分かりました」
『あと、もう一つ忠告しておくことがあります』
「なんですか?」
『ーーーここは過去の世界とはいえ、私はいないことになっています。私の名前を出すのは、極力避けてください』
これにはすんなり理解ができた。
彼女は、私を彼女自身として私を過去の世界に送り込んだのだ。
彼女の名を出したところで、私に向けられるのは怪訝な顔だろう。
私は「分かりました」と快く頷いた。
『先に言っておくべきだったのですが、ゴタゴタが続いて遅れましたね。すみません』
「いえいえ。今でも十分間に合ってますよ」
『ありがとう、久城さん』
そう礼を言う彼女は、顔は見えないものの、「笑っている」と何故か分かった。私はそれに気恥ずかしさを感じ、頭の後ろを掻く。
と、唐突に声が聞こえた。
「久城さん」
私を呼ぶ声。その方向に振り返る。
「少し話すことがあるので、来てもらえますか?」
もう一度声が聞こえーーーその声は、扉の中から聞こえた。
「はい」
と中にいる受付係に私は返事する。
扉のノブに手をかけた私に、
『気をつけて』と檜佐木が再度忠告した。私は静かに頷き、室内に入っていった。
入室すると、その中は小部屋だった。扉のすぐ近くに、ソファがあり、その手前にカウンターがある。
カウンターの奥には、また扉があった。
その扉の前に、白装束をした男が立っている。受付係はと言うと、カウンターを挟んで、その男と何やら話していた。声は小さく、内容は不明。
しかし、しばらくして一段落したらしく、受付係が私に向き直った。
彼女が近づいてくる。手には、あみだくじの順番を決める時のような細い紙を一枚持っていた。
彼女は私の前に立つと、例のごとく、「お手元の説明書を開いてください」と言う。
私は彼女がなぜ、そのような紙を持っているのか分からないでいたが、一応従った。説明書を開く。
「6ページ目ですね。『式霊の管理』と言う項目の」
「ええ、そうです。まずは一度お読みになってください」
彼女に促され、『式霊の管理』について、つらつらと書いてある文を黙読してみる。
最初から中盤まで、今のところは特別、怪しいところはない。
しかし、檜佐木は言った。『気をつけろ』と。
疑問を覚えながら、中盤から最後に差し掛かる直前まで読んでーーー止まった。
「ーーーえ?」
声に出た。その声が震えていたのは、間違いじゃないだろう。
なぜならーーー説明書のなかに、「式霊が逆らわないよう、術を施すべきである」との文があったからだ。
これを聞くと、彼女は簡潔に答えた。
「もし式霊が命令を聞き入れなかった場合は、その首に施された術式が発動し、電流が流れます。ようは、抑止力のためですね」
「じゃあ逃げ出したり、人を殺したりしたら?」
「簡単です」彼女は当然だと言わんばかりに微笑んだ。
「致死量の電撃により、その式霊を処分いたします」
私はその言葉に、言いようのない恐怖を感じた。それに付随して怒りも感じる。
式霊は戦闘における相棒じゃないのか?
式霊は人や野生動物と同じような、生きる権利を持っているんじゃないのか?
私は、歯噛みするしかなかった。
受付係や式霊管理室の男に詰問しても、ここまで考え方に隔たりがあっては意味がない。
握る拳に力が入る。
ーーー陰陽師は、闇を抱えている。
心が彼女に裏切られたと、痛みを訴える。
ーーーでも、私に何ができる?
そう思って、握る拳の力が弛緩した時、受付係が言った。
「さあ、あなたの式霊をここに」
私は無言で首を横に振った。
断る権利はあるはずだ、とそう思ったからである。
けれど、彼女は言った。
「決まりですから」
ーーーまた、決まりか
私は胸の内に渦巻く怒りを抑えるために、唇の端を噛んだ。少しちぎれ、痛みとともに血が流れる。
温かさは感じなかった。
ただ、陰陽師部隊を許せなかった。
私は、自分でも驚くほど冷たい、低い声の調子で彼女に訊いた。
「その決まりを破ったら、どうなるんですか」
その質問に、彼女は即答する。
「簡単です。式霊を取り上げたのちに、脱隊してもらいます」
ーーー従うしかない、か
私はこの場でだけ致し方なし、と思い、従った。けれど、せめてもの見えない反抗で、心のうちで舌打ちをする。
そしてーーー、式霊を召喚した。
狐が心底嫌そうな顔を私に向ける。
『ふざけるな』と目で言ってるのが分かる。
けれど私の目的のために、狐と陰陽師という職業を捨てられない。
だからこそ、「ごめん」と狐に謝罪した。
受付係は、それを見計らったように狐の首に手に持っていた細い紙を巻きつけていく。その上で、何かを唱えた。
何を言ってるのか分からなかったが「この『縛り』に逆らってはならない」と言う趣旨であることは、想像できる。
唱え終わるとーーー、狐の首に巻きつかれた細い紙が、一度強い光を放った。
ついで、点滅を繰り返し、その姿を変えていく。
最後には、黒い首輪となった。
私が触れると、その黒い首輪を這うように流線状の光条が現れた。
驚き、反射的に手を離すと一時的なものだったらしくその光は消える。
「え、そんなーーーまだ、返還の術を使ってないのに」
焦り、目の前の光球を掴もうとする。けれど蜃気楼のように揺れてはたち消え、触れることはできない。
「どうして」と焦燥感がピークに達した時、それは完全に消え去った。
絶望感にかられ、膝が落ちる。その私に受付係は声を掛けた。
「ご安心ください」
ーーーふざけるな
彼女を睨みつけ、
「何がですか?」
叫ぶようにして糾弾する。
「そもそも、私の式霊が消えたのはあなたがあんな首輪をしたからで!」
「先の現象は、そう言う仕様なのです」
「仕様?」
「そうです」
彼女は頷き、言った。
「首輪をした瞬間、それに込められた術式が作動したのです。まだ首輪をした直後ですから馴染んでいないために、温泉に返ったのですよ」
事務的ではあるが、子供を諭すような口ぶりだった。言い方は癪だが、分からないわけではない。
とりあえず、私の相棒は生きている。
それが分かれば充分だ。
私の表情が緩んだのを見て取ったらしく、彼女は手を差し出す。
「さて、広場にお送りしますね。火扇さんが、向かわれると思うのでそこで待っていてください」
私は一瞬、断ろうかとの思いがよぎったが、結局、彼女の手を取るしかなかった。景色が変わる。
緑の香りがした。気づけば、広々と開けた場所に立っていた。10メートル四方の空間で、目の前には植えられた木々が少し遠くに見える。
ーーー静かだ
でも、何か気配を感じる。
訝しむ私に傍らにいた彼女が告げた。
「では先ほど言いました通り、ここでお待ちください」
「はい。あなたは?」
「私は、一通り案内が終わったので次の業務に移ります」
「そうですか」
「また何かありましたら、受付窓口でお待ちしておりますので」
そう言って、彼女はうやうやしく一礼すると転移して消えた。
1人残された私は、
「ねえ、そこにいるんでしょう?
出てきてよ」
声を張り上げる。
刹那、目の前の空間に裂け目が生じ、中から男が出てきた。
男は言った。
「お前も今期、入隊した新人か?」
「ええ、そうですけど」
「俺もだ。まあ仲良くやろうぜ」
ーーー仲良く、ね
私は彼を試すように訊いた。
「ねえ、あなたは式霊のことどう思ってる?」
男は当然と言うように答えた。
「式霊なんて酷使してなんぼ。使い潰しても変えが効くんだよ」
そう答える彼の口元は、卑しく笑って見えた。




