表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/12

終章「未来を」

私は身体の中で沸き起こる怒りを、感じていた。その怒りは、瞬時に業火に変異し、目の前の彼女を焼き尽くすかのよう。

過去が走馬灯のように、思い出される。

“私”のせいで被った、全て。


罪、侮蔑、嘲笑ーーー。


それら全てが怒りとなって私の心を燃やす。

だが私は、檜佐木が私に「自分が出来なかった救い」を託したことを思い出した。

ーーーここで怒りに駆られてはいけない

冷静さを取り戻し、私は彼女を見据えて問うた。

「あなたの正体はなんですか?」

“私”は答えない。

「あなたは一体何がしたいんですか?」

これも答えない。

三つ目の質問です、と三本指を立てて聞く。

「あなたは本物の波が、具体化した存在ですか?」

ようやく反応があった。頷いたのである。

犯行に及んだ時は喋れていたのに、なぜ頑なに話そうとしないのかという疑問は残る。

しかし、聞きたかったことの一つに反応があっただけ良しとしよう。

ーーー檜佐木さん、ありがとう

私は心の中で礼を言う。

しかし、本題はここからだ。

「なぜ、私の姿で銀行強盗や殺しをはかったのですか?」

そう、最大の疑問はここだ。なぜ私の姿なのか。

言っちゃ悪いが、人間なら誰でも良かったはずである。

私がたんに通りかかったからだけなら、なおさらそうだ。

なのに、あえて私を選んだ理由。それが分からない。

ーーーさあ、答えてみろ

“私”はボソリと何かを呟いた。

本当に小さな声で、何を言ったのかまるでわからなかった。

私は訊き返す。

「なんと、言いましたか?」

しばらくして、“私”は言った。

「泉郷の陰陽師の力」

指をさして、憎らしげに。

「我々の脅威と成り得る存在」

ーーー滅ぶべき、存在であると。

「言ってる意味が、分からない」

対して私は。クラガリがなぜ、私を陰陽師の力と断定したのか。それになぜ、天災にも近いほどの圧倒的な力を持つ「本物の波」が、私を恐れるのか。その2つの疑問が新たに生まれ、胸に引っかかった。気分が悪い。

だが、それを問いただそうとした時、“私”が動いた。

自分の影から引きずり出すように「剣」を造形。私に向かい、その刃を向けたのである。

ーーーもう語ることはない、と言うことか

私はそう判断し、ため息をついた。

ーーーなら直接、心に訊けばいい

幸いその手段はある。

私は、覚悟を決めた。

ーーー本当に、これが最後の闘いだ。闘うべき敵が刃を向けるなら、受けてたてばいい。そして、勝つ !

刀印を切る。

ーーー心火防魔の陣

胸の中心から、私の呪力より生じる火をまとった護符が現れた。それを掴み、私は“私”に向かって投げつける。

だが、“私”はそれを一閃のもとに切り捨てた。難なく。ただの紙ペラのように。

ーーー本物の波なだけはある

歯噛みするも、意識を切り替え、私は次の攻撃手段に転じる。

胸ポケットから、護符を取り出し、刀印を切った。

「陰断ーーー!」

私の影がうねる。危機感を感じた“私”は、前傾姿勢を取った。

ーーー後退する気か。させない!

影のうねりを早め、鋭利な刃物に造形する。それに呪力を込めると、意思の伝達ができるようになった。

足を掴め、と命令すると影の刃が蛇行し、“私”に迫った。

“私”は後ろへ跳んだ。

ーーースピードが早い

かろうじて肉眼で、影の刃で追える後退速度。

だが、かすりはするだろうが捕らえきれるかというと難しい。

が、私の焦りとは裏腹に“私”の足は簡単に捕らえることができた。

あまりの簡単さに拍子抜けした。

ーーー誘っている?

裏があるのではないか。そう思うが、ようやく掴んだチャンスだ。

無駄にはできない。

私は、“私”の細い腕をつかみ、心の中に入る術ーーー摑陽(かくよう)を発動。私自身の意識が、“私”へと流れて行く感覚。

そしてーーー闇の深淵へと足を踏み入れた。


完全な闇。

いや、殺意の塊というべきだろうか。

それほどまで濃度の高い拒絶。

心象世界自体が、まさしくそれだった。

私の全身が徐々に黒く侵食されていく。

そして、黒くなったところがぼろぼろと崩れていっていた。

ーーーまずいな。想定違いだった

痛みはない。しかし、精神体の抹消は私の死を意味する。

このままではあと数分と持たず、死を迎えることになる。

ーーーでも、待てよ

ここで、ふと思いだした。

拒絶は拒絶で抑制、もしくは相殺が可能だ。

だったら、鎧のように拒絶による身体の侵食を抑えることができるかもしれない。それを失念していた自分が、少し恥ずかしい。

私はすぐに行動に出た。

目を閉じての明鏡止水ーーー私自身の心理の深層的拒絶を引き出す。

と、体表面を覆う形で白く光る「拒絶」が現れた。

身体のほころびが、止まった。

内心ホッとする。

けれど、世界自体が拒絶で出来ている中では、時間稼ぎにしかならないはずだ。

私はどこを見渡しても暗黒の世界を、前に進む。

ーーー急がなければ

気が焦る。人狼の影に取り憑かれた少女の時とは違い、全方位暗闇では手がかりが見つけ辛い。

血眼になって探すにしても、私自身の命がかかってるせいで時間に限りがある。

前進するスピードをあげる。

しばらくして。遥か前方に今に消えそうなロウソクの火にも似た、揺らめいては消え掛ける光が目についた。

ーーー見つけた

期待と少しの不安。そんな複雑な思いを胸に、その光に近づく。

と。

その光が一際強く輝いた。

刹那、私は声を訊いた。


「殺せ」

「死ね」

「なんで私だけが」

「あいつばかりがいい思いをする」


それは、負の意思だった。

殺意、後悔、憎悪、嫉妬、劣情などといった耳を塞ぎたくなるような意思。

人間の負の意思をこれでもかと内包した声の、連続。

その中には、私の、私を犯罪者と断定して撤回しない人らへの憎しみもあった。


そしてーーーカチッと刻限を告げるような音ともに世界が切り変わった。

唐突に、ある映像が映し出される。それは、記憶。

ある人の記憶だった。


顔や身体は黒色に塗りつぶされており、極め付けはその人の声にノイズがあることから性別が判別しづらいが、まず、着物を着ていること。つぎに、木製の建物が陳列していること。さらに、家康由来の城があることから、時代は推測できる。

江戸時代だ。

その人ーーー仮に、「彼女」と呼ぶことにしようーーーは、商人を営んでいた。


彼女が売る物は、着物。

需要はあるはずだが、向かいの着物商店に常に客を取られていた。

だからこそ赤字で、経営に悩む。

ーーー自分は、先輩から頂いた店を潰してしまうのではないか

「先輩」がいた頃は、そこまで経営難と言うわけではなかった。

向かいの店と同等の客足を確保できていたのである。

けれど、自分が引き継いでからはーーー。

彼女は、悩みに悩んだ。

書店に行き、経済学を学ぶが、何か解決策を思いつくわけでもない。

そして困窮状態を抱えたまま、月日が流れ、ーーーある時、江戸時代最大の大火が起きた。

彼女の、先輩と培ってきた着物商店が、燃えていく。

彼女は、半狂乱に陥り、中に入って着物を出そうとした。

だが、火消に制止される。

木製住宅が多い時代、耐火性能は低い。

だからこそ、火の手を防ぐためには取り壊すしかないーーーそれが、この時代の消火作業だった。

彼女の目の前で、着物商店が取り壊されていく。

「ああっ……」

彼女から、微かに声がもれた。

ーーー彼女の顔が沈痛に歪む。

やがて、絶叫へと変わる。

ーーー先輩、ごめんなさい

あんなに良くしてくれたのに、私は、あなたに報いることができなかった。


声が枯れたころ、ふと、後ろで泣き声が聞こえた。

振り返る。と、それは繁盛していた向かいの着物商店を営んでいた、家族だった。

旅行先から帰って来たらしい荷物を背負った夫が、無残にも焼け落ちた着物商店を見て、泣いている。


かわいそうに、と彼女は思った。

同時に、ざまあみろ、と思った。

ーーー私の、客を、取ったからだ


ーーーーーーーーーーーーーー


本当は違うのだろう、と私は慮った。最初に火の手が上がったのは、違うところーーー焼け跡が凄まじかった門の(きわ)だ、と思い出した。

ーーーそうか。あの時見た、大火の跡は……

丸加垣先輩は言っていた。

『出火元は、当時の料理店ーーーお食事処と言われていたところからだな』

どうしてか、尋ねてみる。

と、先輩は『考えてみりゃ分かるだろ?』と笑った。私は少し考えてみる。だが、ピンと来ず、『分かりません』と返した。

すると、先輩は神妙な顔で言った。

『本当に簡単なことさ。可能性は二つ。鍋に火を通すのに使う、囲炉裏。煙草の火。それらの消し忘れさ』

『ああ』私は納得した。

ーーー現代の火事と、さして変わらない。


ーーーーーーーーーーーーーーー

だが、当の彼女はーーーやっと仇を討てたように、内心喜んでいた。


恨みが、薄れるのを感じる。

けれど、そのうちにそう思ったことを彼女はひどく後悔した。実際は一方的に、商売敵と思っていただけ。彼らの方が、商売が上手い。

ーーー私が、素人にも劣る経営方針を取ってしまっていただけ。この火事だって、不幸が重なっただけ


身体がーーー負の感情で黒く染まっていく。


ーーー私はばかだ


彼らにだって、家族がある。

家族を養うための、客の目に捉えやすくするための、方法を試行錯誤の末に編み出した。

それだからこそ、繁盛したのだろう。

ーーーそれに比べて、私はどうだ

先輩の経営方針を一途に守るだけで、客が望むような事すら考えつくことができなかった。

それに加え、彼らが裕福に、彼らの店が繁盛するたびに恨めしく思っていたのだ。後悔が募る。

そう思うくらいなら、下手に出て、取材なり、少し働かせてもらうなりして技術を教えてもらうべきだった、と。

自分の馬鹿さ加減に呆れ、彼女は泣いた。

けれどもう、起きてしまったこと、思ってしまったことは残る。


やがて、町は再建を目指して建て直しいく。町の住人達もみな、活気を取り戻していった。

けれど彼女だけは、前を向けなかった。ーーーまるで、彼女だけあの大火の時に取り残されているかのように。

後悔だけを胸に、鬱屈した毎日を過ごす。当然、日を追うごとに頬がこけていく。

そして、彼女は、自死を考えるようになる。

しかし、いざ、自死しようと思うと身体が震え、できない。

そんな自分が、ひどく矮小な存在に思え、彼女は笑った。

笑うしか、なかった。

大火にあう前から、ご飯に満足にありつくことなどできていない。

腹は減るばかりで、頬もこける。

ーーー人間として、失格だ

苦笑が漏れる。

ーーーそして、彼女は飢餓によって命を落とした。


ーーーーーーーーーーーーーー


これで、この記憶は幕を閉じるーーーと私は思った。

もう、いいじゃないか。

十分、彼女は苦しんだじゃないか。

けれど、この記憶には続きがあった。


ーーーーーーーーーーーーーー


視界が暗い。

耳に聞こえる声は、ひどく混濁していて内容は分からない。

疑問に思うが、しばらくして。

彼女は気づいた。

自分が、死の世界に来ていることに。だが、おかしい。

ーーー人が死んだ場合、天国か地獄……もしくは、黄泉の川がある場所にその人の魂は行くんじゃ?

けれど、彼女の視界は暗い。

自分の体すらも見えないほどに。


ーーー寒い


今更ながら、身体がひどく凍えていることに気づいた。

呼気が、白んでいる。


ーーーここはどこ?


視線を左右に動かしてみる。だが、暗い世界は彼女の全方位に広がり、光など見える気配すらない。

身体は寒さからか、全く動かない。

そののちーーー彼女は見た。

上から、まるで砂時計のように紫色の影が怒涛のごとく落ちてくる。注視する、と。

ーーーえ?

その影は。

苦悶の表情を浮かべた人々の魂ーーーその集合体だった。

恐怖に打ち震える暇はなかった。

刹那のうちに、彼女はその集合体に飲み込まれる。

魂が、負の感情の塊に変移する。

彼女を溶かしゆく紫色の影の奔流は、また一つ力を蓄えた。


ーーーーーーーーーーーーーー


「ーーーひどい」

劣悪にもほどがある。

あまりにも非情だ。吐き気がするほどに。

だが、分かったことがある。

「ーーークラガリとは、人の負の感情の集合体。そして濃密に溜め込み、より熟成されたクラガリこそが、本物の波」

ここまでは振り返りだ。私は一旦息を吸い、本題を噛みしめるように声に出す。

「だからこそーーーいろんなものに変身することも可能。そもそも人の感情から生まれたのだから、人に化けることなど赤子の手をひねるよりも簡単なこと」

ぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。

その方向に振り返る。

ーーー“私”がいた。

『ご明察。その通りだよ、人間(わたし)

「クラガリーーー」

『ただね、クラガリや本物の波と言われるの、もう飽きたな』

「? 」

『こう呼んでよーーー鏡霊(きょうれい)ってさ』

「きょうれいーーー鏡霊」

『で、そう呼ぶからには、君の考えに補足しようか』

疑問符を浮かべる私に、鏡霊は言った。

『わたしはさ、負の感情を映すんだ』

「それは知ってる」

『違うよ、君が思ってるのより浅くないさ。

その感情の、深淵を映すんだよ』

「しん、えん?」

『そうさ。人は常に理性的に動いている。だからこそ、殺戮衝動や犯罪意欲に駆られても、それに走ることはない。けれど、わたしは、それをトレースするんだよ』

言ってる意味が、少しずつ分かってきた。

「そうかーーーあの時」

うん、と彼女は首肯する。

『君の深層意識に潜む、負の意識ーーーそれをトレースしたからこそ、君の姿になったんだ』

「じゃあ、あなたはこう言いたいわけ? 私が他の人よりも強い負の意識を持っているって」

『そうさ』

鏡霊の顔が紅潮する。

『君の負の意識は、極上だよ。世界さえ滅ぼせるかもしれない』

「でも、どうして? 普通に生活しているなら、そんな意識を持つはずがない」

『君は、時間を越える方法を知っている』

「え?」

『篝火の湯だよ。君はある時、見ただろう? ーーー手記を』

「あーーー」

目の前の鏡霊と会敵する前に、篝火の湯から現れた、あの不可思議な手記。黒革の手帳に記された、私の今後。そして、鏡霊を示唆するような内容。

極め付けは、年月日だ。今から35年後。

私はあの時、誰かのいたずらかと思っていた。けれど、あの内容をもとに鏡霊を追求してみればどうだ。もろに当てはまっている。

つまりはーーー

「未来の私からのーーー」

『そう。手記だったのさ』

「でも、どうしてお前がーーー」

知っている、と言いかけ、私は思い出した。

「ああ、私の心を映すんだったね」

『しかし、おどろいたよ。未来の君は、過去の自分を助けるために、わざわざ手記を送った。それは結果的に、わたしに極上の餌を提供するだけだと言うのに。そして、過去に無残な死に様をしていった奴らの無念が、その餌の味を格別に良くしている』

「でも、そうでもしなきゃ、お前の正体を特定できなかった」

『だろうね。だけどーーー君は、自分の命と世界全ての命を天秤にかけるべきだった。君のせいで、世界全ての命は死ぬんだ』

その不快極まりないセリフに、私が言い返そうとした直後。鏡霊は言った。

『だからもうーーーいらない。君はここで死ぬ。そしてわたしは、君を起点として世界全ての命を殺戮する』


どす黒い殺意とともにーーー。


『見てよ』

鏡霊は、パンと手を叩いた。

瞬間、彼女を中心に無数の黒針が出現する。

その一つ一つに、明確なる殺意があり、彼女が私をここで殺すことを決めているのが否応なく分かった。

鏡霊が、無数の黒針のその脅威を示すように両腕を広げる。そして、不敵に笑った。

『空間全てを覆い隠すほどの、無数の黒針だ。これだけあれば、君を粉々にできる』

私は、彼女の宣告の直後。

「心火防魔の陣」

火の結界を発動した。だがそれは、低級防御術。

『そんなもので、防げるわけないだろう? 失望させないでくれよ』

彼女を今のように苛つかせるだけの効果しかないかもしれない。

『あくまでも、そんな弱小術式に頼るつもりなんだね?』

けれどーーー私は答えない。

鏡霊は叫んだ。

『なら、死ね!』


無数の黒針が怒涛の如く迫り来る。

ばらばらと機関銃が対象物を粉砕していくかのように、音をたてて。

そしてーーー防御結界に、一つ目が深々と突き刺さった。

刹那、無数の黒針が防御結界を容易く砕く。

私の全身を無数の黒針が貫き、その箇所から致死量の鮮血が飛び散った。

ぼたぼたと音を立てて、その血が落ちる。

でも、無数の黒針は止まらない。

私を刺し貫き続ける。衝撃が酷い。一つの針だけで、脳が麻痺するくらいに私の身体が痙攣する。それが、とめどなく続くのだから始末におけない。

私は痛みを紛らわすために必死に叫んだ。

叫んで叫んで叫んで叫んで叫んでーーー『もういい』、鏡霊の心底つまらなそうな声を聞いた。

無数の黒針の雨が止む。私は暗い地面に倒れた。

視界が霞む。激痛で思考が定まらない。

だが、鏡霊の言葉がクリアに聞こえた。


『温泉郷の運命を! 全ての人の命を! 背負ってわたしに立ち向かった結果がこれかい? 』

鏡霊は腹を抱えて笑った。

『君は、そんな低級防御結界なんて使わず、もっと高いクラスの防御結界を使うべきだった! 』


ーーーでも。

血が滲む。

血が垂れる。

血が流れる。

穿たれた箇所から臓器のようなものが覗いたのを感じた。


けれどーーー霞みがかった視界を、激痛を訴える身体を抱えて、私は立ち上がる。


『君は失敗したんだよ。判断を誤ったんだ。再度、わたしの攻撃を受けるまでもなく、出血多量で死に至る』


ーーーこの術が、檜佐木に教えられた最初の術だから


使う理由なんて、そんな感情的なものだ。私は、自分でも分かっている。そんなもので、奴の攻撃を防ぎきれるわけがないと。


それでもーーーそれでも!


「ーーー私は、この結界に頼る」


ーーー檜佐木の無念を、晴らしたいから


そう言って私は、「心火防魔の陣」を発動した。たゆたう火の防御結界が、私の全身を暖かく包む。



その時、脳裏で檜佐木が困った顔で笑った気がした。



『そう』

鏡霊はつまらなそうに、頷く。

『ならばーーー骨も残らず、死に絶えるがいい』

死の宣告とともに、無数の黒針が再度、生成された。そして、鏡霊が私に向かって右の手のひらを指す。

無数の黒針が動く。

後数秒。それが私の余命。

死を覚悟したその時、声が聞こえた。

『分かった。なら、俺も参戦していいな』

「怨み(パートナー)!」

来ると、思っていた。

来ると、願っていた。

だって、私のーーー檜佐木の、パートナーなのだから。


ーーー信頼は、過去と現在の境を越える。


手記にあった通りだ。

『そうか』

鏡霊が一瞬、苦々しい顔になる。

だがすぐに、笑みを浮かべた。

『君はーーーその式霊が来るのを待っていたのか。だからワザと弱小術式を』

お返しと言わんばかりに、狐が不敵に笑う。そして、鏡霊の言葉を無視して私に向かって言った。

『よう、息災か? って、今まさに死にかけだな』

「そんな悠長な……ことを言ってないで」

『まあ、待てよ。ーーーよし、来た!』

狐が背にする鏡が、虹色の光彩を放つ。私の身体に、防御結界にその光の一部が移った。

『そんなものでーーーえ?』

はじめて、鏡霊が驚いたような声をした。

無数の黒針が、時間が止まったかのようにその動きを止めた。

鏡霊の手が怒りと驚きで、わなわなと震えている。

『わたしのレプリカのそのまたレプリカのくせにーーーなんで』

『上位個体過ぎて気づいてねーかもだが、俺はてめえ直々の眷属だよ。だからこそ、てめえの力をトレースして、その対応策を打ち出せる』

『そのことをここに着く直前に思い出したがな』、彼はカラカラと笑った。

『ふざけるな』

『ふざけてねーよ。お前の能力なんざ、俺なら看破できる。俺の家族から受け継いだ、この鏡のおかげでな!

てめえが知らねえだけだぜ。無知野郎』

『舐めるなよ、下位個体! 』

鏡霊が吼える。ついで、無数の黒針が鈴虫の鳴く音のように震え、鳴き始めた。

『貴様はわたしを侮辱した! それだけで万死に値する!』

鏡霊の表情がもう、鬼の形相となっていた。彼の表情を一度見るだけで、発する覇気に充てられるだけで意識が飛びそうになる。

だが、パートナーは言い放った。

『だからどうした?』と。

鏡霊は怒りに打ち震える。

『な、に』

『俺はてめえの力、トレースできるっつってんだろうが』

パートナーはそう告げ、もう一度鏡霊の命令権を奪った。無数の黒針の鳴騒は鳴りを潜め、完全な無音が世界を支配する。

狐は、私に向き直ると鏡の輝きをもう一段階引き上げた。

と、私の呪力が精錬されたような気がする。

ーーーいや、「気がする」じゃない。本当に私の力が増してるんだ。

それだけじゃない。今にも死にそうだった私の身体が、時間が巻き戻るように痛みが消え、無傷の健康体そのものになっていた。

私が「ありがとう」と言うと狐は忠告した。

『気をつけろよ。俺が奴の力の源泉をトレースしてる間だけしか、お前はパワーアップできねえ』

「トレースはどれだけの時間、維持できる?」

『奴の力が強大だからなぁ、もって5分くらいだ』

ーーー少ない

『無理そうか?』

「ーーー 一撃」

『なに?』

「……一撃。その活路さえ見出せれば」

たった一撃。されど一撃。

その道筋さえあれば。

『分かった。覚悟はいいな。ついでに死ぬ覚悟も持っておけよ』

「相変わらずだねっ!」

私は駆ける。

ついで、足から呪力を放出した。それを旋風のイメージにより、変質させる。突如として巻き起こった旋風を踏み台にし、私は大砲の弾よろしく敵に向かって跳んだ。

風速を軽く越える速度に、身体が軋みをあげるのを感じる。だが無視した。護符を取り出し、呪力の剣を生成する。

それを右手に宿し、敵を見据えた。

奴は、一瞬驚いたもののすぐに笑みを浮かべた。

『バカめ、血迷ったか! 再び、蜂の巣になって死ぬがいい!!』

鏡霊が、無数の黒針の命令権を狐から奪い返し、放つ。

と、その無数の黒針が敵を抹殺せんと怒涛の如く迫り来る。

が、

『はっーーーそれで、俺からてめえの命令権を奪い返したつもりかよ。それこそバカだぜっ!』

狐の背負う鏡が光る。刹那、無数の黒針がまるでなかったかのように掻き消えた。

『くそっ! くそっ!!ーーーふざけるな、わたしの下位個体ごときが!』

鏡霊は、今度こそ怒りで我を忘れていた。もう一度、黒針を発動しようと高密度の呪力を貯め始めているのが分かる。

私は、それを見逃さない。

ーーー今なら!

亜風速でかっ飛びながらも、その速度を利用して奴の心の臓を刺し貫いた。

鏡霊は吐血を繰り返す。彼女の体内に貯め込まれた呪力が霧散して行く。けれど、怨みを込めてこちらを見る眼には、まだ光があった。私は言う。

「あなたは人間に近付きすぎた」

『なに……』

「だからこそ、知能を、感情を得た代わりに、弱点ーーー核を穿たれやすくなった。殺されたくなければ、人間の姿になるべきじゃなかったよ」

『そんな、バカなーーわたしは、人知を超えた神にも近い存在。ーーーたかが人間に』

「そのたかが人間に、あなたはどこか憧れていたんですよ」

『ふざけるな、そんなことあるはずがーーーっ!』

言い終える前に、鏡霊は消滅した。

世界がひび割れていく。その隙間から光が漏れはじめた。

「ーーー私、勝ったよ」

檜佐木にーーー温泉郷のみんなに告げるように呟く。

『ああーーーよく、頑張った』

その時、背後で声がした。

振り返る。と、狐が優しげな表情で私を見ていた。

「パートナー、身体が……」

狐の身体は、崩壊を始めていた。

クラガリだから?

人間に仇なした本物の波を、殺したから?

『いいんだよ。俺は、本来ならあの時ーーー温泉郷で死んでたんだ。だから、ここで消えてもおかしくないのさ』

「でもーーー篝火の湯を、最後に観たくないの?」

『いいんだ。あの温泉は、もう日の目を浴びなくていい。誰の目にも触れずに、ただたゆたってくれていればそれでいい』

そう言って、消えゆきながら狐は笑った。狐が消える。

それでも彼は最期まで、笑っていた。



ーーーーーーーーーーーーーーー

35年後。

もう3月も中旬だというのに、身を切るような寒さがある。私は、手を擦り合わせながら暗い書斎に入った。マッチに火をつけ、机上のランプにその火をくべる。

引き出しから、黒革の手帳を取り出し、傍らの筆記具から万年筆を取った。

ーーー過去の私、悪いけどやっぱり手記をしたためて、送ることにしたよ

本物の波ーーー鏡霊に刃を向け、闘い、勝利したあと、私は自首した。

それから15年後、私は、裁判において、警察の手違いということで無罪になった。釈放され、自由の身となったのである。

ここで全部忘れていれば良かったのかもしれない。もしかしたら、普通の人が感じるであろう幸せを手に入れることができたのかもしれない。

だが私は、過去に受けた傷ーーー過去の私が受けるであろういわれのない罪を払拭するために、独自に研究し始めたのである。

その研究内容は、もちろんクラガリについて。


そして今ーーー。


そのクラガリの起源を最初にしたため、最後に次のように記した。

ーーーーーーーーーーーーー

人間は弱い生き物だ。

同じ他の人間に、強く非難されるだけでたやすく心が傷ついてしまう。

けれど、私はーーー過去の私、あなたの強さを知っている。私とともに闘った人の強さを、相棒の強さを知っている。

だからどうか、諦めないで。

希望を、捨てないで。

あなたの不断の努力が、頑張りがあったからこそーーー今の私があるのだから

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ