十章「災厄」
第三防衛戦。狼のようなクラガリ。
電光石火の如き速さと私たちの攻撃を正確に読み、それに対する効果的な対応策で襲いかかってきた。
しかし、私たち二軍遠征部隊も本部に加わったことで数で圧倒。死傷者は出たものの、第二防衛戦に比べると微々たるものだった。
喜び、打ち上げをしようという話になったがーーー複製の波の兆候が月に見られた。
第四防衛戦の合図である。クラガリの特徴は、巨人。全身黒い、人の影。
大雑把な攻撃だが、一度振り下ろしただけで縦一直線が、灰燼と帰すほどの威力。そして、先ほどのクラガリよりも凄まじい機敏な動きに加え、攻撃の先読み。あんな巨体のどこにそんなことができる要素があるのかとすら思えた。
なんとか退けたが、私たちは疲弊する。そこに、十二単を着たような光彩を放ち輝くクラガリが襲来した。3度目(今年度の防衛戦を全て合算すると、5度目)にして、本物の波に近いと思えるほどのクラガリの力。
本部長はそのクラガリを「神の使徒」と命名。
火扇に「総帥に一軍を収集するよう言って来い」と命じる。
そのクラガリの核を破壊しーーー、次の日。1日で6〜10度目の計5度のクラガリが襲来。そして、皆が疲弊したところに間髪入れずにその日のうちの深夜に本物の波が襲来した。
結界を覆い尽くすだけで、近づいてくるだけで足が浮かぶほどの振動が襲う。結界内の地表はひび割れ、龍脈が弱い順に温泉宿も崩壊していった。完全に覆い尽くした時、結界を破壊。
と、呪力を持たない者のその全身が鬱血し、死亡。それが立て続けに起きる。
そしてーーー息をつく間も無く全てを破壊し、人も式霊も殺し尽くした。
私は、檜佐木によって現代に転移されることで事なきを得たが、「諦めきれない」と彼女に詰め寄った。
「もう一度、行かせてください!
あんな最期、許せない!」
けれど彼女は
『ダメです』と首を横に振る。
「どうしてですか!」
『私は、あなたに温泉郷を救ってほしいなどと一言も言っていないからですよ』
確かにそうだった。彼女は私に、一言たりとも温泉郷を救って欲しいなどと口にしていなかった。
つまるところ、私が勝手に温泉郷を守ろうとしただけ。
けれど、彼女はあの時。あの月夜のもとで、あんなにも憂いでいた。
私はそれを思い返しながら言う。
「でも、納得いきません……。だってあなたは……!」
『「あんなにも温泉郷を愛していた」ですか? 意味ないですよ。なにせあれは、一瞬のこと。いわゆる天災なのです。そんなものをどうやって退かせようと言うのですか』
それに、と檜佐木は畳み掛けるようにして言う。
『あなたはこれまで、順当に私の生涯を辿ってきた。温泉郷に少しずつ脅威が襲ってきたとき、その対処方法まで同じとは思ってませんでしたよ。ーーーたしかに、相棒が鏡を背負って出てくるという変更点はありましたが、それだけです。だからこそ、あなたに、温泉郷の未来を変える力はありませんよ』
彼女はきっぱりと否定した。
ーーーどうして、あなたはそんなにも諦めてるんだ
私はそれでも、納得がいかなかった。許せるわけがない。
こんな最悪な結末が、あってたまるか。
「あと、たったの一回でいい。私は、あの脅威と戦いたい。だから、檜佐木さんお願い。私を、あの時、あの場所に送ってください」
『もう一度行っても同じですよ』
彼女が低い声で否定する。私の決意は甘いと。
けれどーーー
「その一回で私が負けたのなら、諦めます。過去は変えられない、と。でもーーーだからこそ、その最後の一手で、私は勝ちたいんです」
けれどーーー私は諦めたくなかった。
彼女の過去を体験して分かった。
彼女は本当に、この温泉郷を心の底から愛していた。
だからこそ、陰陽師の後ろ暗いところを変えようとしたし、彼女の言葉が本当なら、私同様かそれ以上に、時折襲い来る複製の波に対して効果的な対策を打ち出すことができていたのである。
だからこそ、それだからこそ、私はーーー譲れない。
勝てば、彼女の未来が消えてしまうかもしれない。
そんな不安ももちろんある。
けれど、彼女の愛した温泉郷を救えない方がもっと残酷だと思えた。
だからこそ。
私は彼女に、目を向ける。
そして、告げた。
「檜佐木さん、あなたを安心させてあげたいんです。だからこそ、私は勝ちに行きたい。ーーーこればかりは、譲れません」
数秒の無音。それがひどく永く思えた。緊張で生唾を思わず飲み込む。
だが、彼女は首を縦に振った。
ため息をついて、苦笑しーーー少し涙を流して。
そうして、『分かりました。あと一回だけですよ』と優しく微笑んだ。
それは、母が私の行動に呆れながらも、最後には肯定してくれた時と似ていた。
『もう一度、お送りします。しかし、これがラストチャンスです。勝てなくても、諦めてください』
「はい」
頷き、彼女の傍に立つ。
私は、檜佐木に笑いかけた。
「大丈夫です。勝ちますよ」
『その自信はどこから来るんですか……』
呆れ、檜佐木は苦笑いする。けれど、彼女は言った。
『ではーーー行ってください。あなたの勝利を、願っています』
もう言葉はいらない。
私は力強く頷いた。彼女が唱える。過去へと飛べる力の源泉が、温泉の中心から巻き起こり、光を内包した渦となる。私は、気後れせずに飛び込んだ。
溺れかけのような感覚。微かに硫黄の香りがした。
温泉の中を掻いて、上昇する。
その度に、硫黄の香りが強くなった。それに混じり、硝煙と濃い血の臭いがした。
ーーーそうか
気を引き締め、見えた黒岩に手をかける。自分の身体を引き上げ、温泉から出ると、私は周囲を見回した。
郷を囲う、箱のような結界は、とうに破壊されている。
けれど、本物の波はまだ勢いを増して襲いかかってきているわけではなかった。少しずつ、空を黒一色に染め上げて行っている。それに連れ、地面が振動し、揺れている。
だが、安心はできない。
呪力のない人間は、本物の波が結界を破壊し、接近してきただけで精神を破壊され、「内部崩壊」するのだ。この濃い血臭も、それがもとであると推測できる。
ーーーやはり、脅威は脅威か
呪力のない客や従業員の介抱や逃れさせる作業は、陰陽師の仕事であるが、それはもう、他の人に任せなくては。
本物の波がこの温泉郷全体を覆い尽くせるほどまで、空を侵食したら、一貫の終わりである。
その前に、本物の波の弱点ーーー核なるモノを探し出し、破壊しなくてはならない。だが、檜佐木は言っていた。
『弱点を探すよりも先に、瞬時に焦土と化す』と。
それは間違いではなかった。
実際、本物の波の侵食速度及び郷の襲撃速度は刹那的なものだった。
私はそれに為す術もなく、殺されかけ、檜佐木の時間転移によって助かったのである。
ーーー奴のスピードは光にも近い。
それに、レプリカのように核が光っているわけじゃないから、探すのは骨が折れる。
私は走りながら天を覆い隠す脅威にこうじる対策法を考える。
ーーー勝つには、奇跡にも近いことをしないと
ここまで考え、ふと不安がよぎった。
ーーー本当に弱点ーーー核があるのか? レプリカであるがゆえに、核があり、本物には、そういったものが本当は、存在しないのではないか
その不安に私は首を横に振る。
ーーー弱気になるな。弱点ならあるはず。ここで勝てなきゃ、次はない。見送ってくれた檜佐木にも顔向けできなくなる
そうして、もう一度思考した時、ある一つのことに気づいた。
ーーーそうだ。あの人
全てを見通し、全てを総括する陰陽師。温泉郷の管理者であり、陰陽師の総帥。
彼女を探し出しさえすれば、あとは、その弱点に向けて転移をしてもらい、集中砲火するだけだ。だが、時間はない。
脅威が迫り来るまで、目算で、あと一刻といったところか。
ーーー必ず勝つ
私は決意を新たに、振動に破砕されゆく地面を駆けた。
しばらくして、本部の前に着いた。その扉の前に、火扇の姿がある。
私は彼の目を注視し、言った。
「火扇さん、そこを退いてください」
だが、彼は首を横に振る。
「悪いな、依頼で退けないことになってるのさ」
「依頼? 何をバカなーーー空を見てくださいよ。月は血のように赤く染まり、空はこの温泉郷のところだけ、漆黒に染まっている。異常事態なんですよ? それなのに、あなたは!」
「ああ。ーーー悪い。だからこそ、お前を止めるんだよ」
「何故ですか?」
「どうせお前、総帥に直談判しに行くつもりだろ?」
「……そのつもりですけど」
ーーー質問を質問で返すなと言われた事ないのか
「知らないかも知れんが、二軍遠征部隊であるお前にその権限はない。それでもなお行くと言うなら、規律違反者として、俺はお前を殺さなくてはならない。だから、陰陽師に推薦した身としては退いて欲しいんだが」
ああーーーそうだった。一軍には規律違反者を殺す権限があり、火扇はそれを正式に総帥から任されている。
けれど、
「驚きですね。二軍遠征部隊に総帥に会う権限がないということ、確かに知りませんでした。ーーーでも、ええ。私はそこを通ります。意地でもね」
「忠告はしたぞ?」
それでも私は呪力の剣を宿し、構えた。
火扇はため息をつき、そして。
「分かったーーー殺すことにするよ」
「私も分かりましたよーーーあなたが抑止力になるなら潰すだけです」
「言うね」
彼は呪力の剣を右手に宿し、その先端を私に突き付けた。
「しかしね、それは思い上がりだ」
「そうですね、分かってますよ」
私は頷き、言いながら彼の射程圏内に一歩踏み込む。
「あなたは一軍。私は二軍遠征部隊とは言え、あなたより劣っている」
「そうーーーだから、君は負けるのさ」
音もなく、瞬間的に彼の姿が搔き消える。
ーーー消えた!?
姿を探すが、やはり見えない。
「この技に君は弱かったよね。対策は練れたのかな?」
「バカにしないでください!」
声がした方ーーー火扇の首めがけて刺突を放つ。
しかしそれは、躱されたのか空を切っただけだった。
「ははっーーーどこ狙ってるんだい? それじゃあ、私に勝てないぞ」
「ええ、そうですね。だからこうします!」
だが、それは承知の上だ。
対抗策は考えてある。
十二単のクラガリ。それがした技。自分を中心とした全方位に呪力の塊を叩きつける大技。それを真似る。
だが、ただ真似るだけでは呪力の消費量が尋常ではないので、風に変質させて放つ。
と、呻くような声とともに火扇が視界の端に見えた。
「風を全方位に!? 驚いたよ、消費量が激しい技をこんな序盤に出してくるとは」
「あなたも人のこと言えないと思いますけどね!」
風を足裏に密集させ、自分の身体を砲弾のように飛ばす。
「へえーーーアドバイスがちゃんと活きてるじゃないか」
彼はそうして、笑み。
「でも、足りない」
そしてーーー剣が、止まった。
ーーー押し込み切れないっ
鋼に打ち込んだかのように、鍔迫り合ったまま呪力の剣がびくともしない。
「君はさ、呪力が貯蔵される場所ってどこにあると思う?」
彼は唐突に聞いた。
私が訝しげな顔をすると、彼は苦笑して自分で答えた。
「胃の少し上あたり、だよ」
「それが、どうしたんですか?」
「それをね、傷つけると陰陽師はたやすく陰陽術を使えなくなるのさ」
「っ」
私は背筋が凍りつくような感じを覚えた。剣を上に滑らせるようにし、余裕ができたところで、彼の腹を蹴りつけ、距離をとる。
彼はそれでも笑ったまま、言う。
「私は戦さ場でそうなった奴を何度も見てきた。そいつらの最期を看取ったこともあれば、そいつらが辞めるときに嫉妬と軽蔑が織り混ざった視線を浴びたこともあったよ」
「何が言いたいんですか、時間がないんですよ」
私は内心いらいらしていた。強いのは分かる。私を止めたいのも分かる。一軍であり、総帥からの依頼だからだ。
けれど、話が見えない上に私には時間がない。
彼は、「まあ聞いてよ。これが、本題だ」と言って、静かに続ける。
「でもね、デメリットだけじゃない。ちゃんとメリットがあるんだ。
それはーーー他人の『呪力の貯蔵庫』を別の人に移植すること。そうすることで、そいつは莫大な力を得ることができる上に、龍脈の力も必要以上に扱えるようになる」
ああ、彼が言いたいことがだんだんと分かってきた。
「つまりはさーーー」
しかし、聞いたが最後ショックを受けるのは分かっている。
けれど、どんなに耳を塞ぎたくても彼は言った。
「君の式霊ーーー狐。そいつの友がさ、俺の友人を殺したんだ」
なんて、残酷なのだろう。
私は、自分の身体が脱力感に襲われるのを感じた。
そう、火扇の告げた言葉は私の相棒である狐が語ったことと矛盾しない。
狐が人を恨む理由。
火扇が式霊と名乗るクラガリを恨む理由。
その2つの理由は、平行線のまま。
結局、感情の問題だ。けれどその発露は怒り。
どちらかが、折れるまで続くだろう。
私は、震え出した身体を抱きながら告げた。
「なら…… 一度だけで決まる戦いをしましょう。
あなたの持ち味である超速戦闘。私の持ち味である風による加速。それをぶつけましょうよ」
「何をバカな。先ほど打ち合って分かったが、君は私に勝てない。君の剣がびくともしなかったらな。その状態で戦闘すれば間違いなく君の呪力の剣は破壊され、君は真っ二つになるぞ」
言われるまでもない。分かってることだ。だからこそ、私は肯定する。
「ええ、自分にとってこれ以上、不利な戦闘はないと思います。けれどーーーだからこそ、それだけあなたを打ち負かしたい。私が負ければ、式霊も殺せばいい」
脳裏に式霊を都合の良い道具呼ばわりしたやつとの対決が浮かぶ。
「だから、君は何をーーー」
「そして! あなたが負けたら、私を総帥のところまで案内してください」
「意思は、固いようだね。ーーー分かった。じゃあ、構えろ」
火扇と私、双方が剣先で喉元を突く形で構える。
火扇が、懐から硬貨を取り出して言った。
「これを指で弾く。地面に落ちた瞬間から一発勝負の開始の合図だ」
ーーーそして、それは刹那の時間しか行動する余裕がない
けれど、私は静かに頷いた。
火扇が硬貨を弾く。キンと甲高い音ともに空に舞い上がり、しばらく空中に漂った後、地面に落ちた。
火扇が動く。剣を携え、私の喉を掻き切らんと駆け出すのが見える。
しかし、その刹那の時間が20秒近くあるように思えた。
ーーー本当に刹那ならここで死んでいたけれど、まだ、活路はある!
私が先に呪力の塊を放つ。
それを風に変質、私の周囲を覆うように逆巻かせた。
だが、火扇の姿が距離1メートル弱を境に黒い靄と化す。
その上、接近する速度も速く、目で追うことが難しい。
彼が私の身体に剣を突き立てられる距離に、来た瞬間。彼は容赦なく剣を振り下ろした。
剣が残像を帯びて、迫る。
私は剣で防御しようにも、それよりも先に斬り殺されると判断した。
ーーーかくなる上は!
だからこそ、
逆巻く風に自分を巻き込んだ。
火扇の驚く声と同時に痛みに呻く声がした。
いやーーー呻く声は私か。
逆巻く風に、身体を切り刻まれ血みどろになりながら、空中に放り出される。
私は逆巻く風がおさまる前に、態勢を整えた。地面に片膝をついた火扇が見える。
それと同時に足裏に風によるブーストをかけ、火扇めがけてかっ飛んだ。
火扇は完全に虚をつかれ、動きが鈍い。
その好機を逃さず、風のブーストを活かした剣戟を叩き込んだ。
火扇はそれでも呪力の剣で、防御する。
しかし、私の勢いを殺せなかったらしく火扇の身体がへの字に曲がり、地面に倒れこむ。
ついで、火扇の呪力の剣が砕かれ、その残滓が宙に舞った。
自分の勢いで投げ出された私は、痛む身体に鞭打ち、火扇に馬乗りになって、その首元に呪力の剣の先を突きつける。
痛みと疲れで息を切らしながら告げた。
「あなたの負けです、火扇さん」
火扇の口が一瞬、何か言おうとして動いたように見えたがーーー苦笑に変わる。火扇は頷いた。
「ああ、俺の負けだ。ーーー案内するよ」
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私は火扇に連れられ、魂浄祭以来の本部に入った。
中はぐちゃぐちゃになっていた。至る所がひび割れ、破壊され、あの綺麗だった内装が見る影もない。
私たちは急ぎ、総帥の元へと向かった。扉の前に着く。御前試合以来の扉の前だ。
火扇が「ここからお前一人で行け」と告げる。
私は頷き、重い扉を開けて中へと入っていった。
総帥は、大広間の奥。アンティーク調の椅子に座している。
彼女は私を訝しげに見ていた。
私は彼女に近づき、片膝をついてこうべを垂れて言う。
「突然の訪問。その無礼をお許しください。総帥、あなたに折り入ってお願いしたいことがあり、参った次第です」
「顔を見せなさい」
促され、顔を上げる。
と、総帥は口を開いた。
「あなたがここに来た理由はわかっています」
私は、「では!」身を乗り出して、彼女の答えを待った。
しかし、総帥の答えはーーー静かに首を横に振る。即ち、私のお願いは言うより先に却下された。
私は目を見開き、「何故」と問う。
「あなたは、総帥なのでしょう?
温泉郷の運営と陰陽師を取りまとめる役柄を担いーーーその上、全てを見透かす力に加え、転移能力をお持ちのはずでは」
「それはーーー大変言いにくいのですが」
彼女は一瞬逡巡したのち、先を続けた。
「私の前任者が、それだったのです。
転移についてはーーー黄金杯の力であり、私には何も力がありません」
そう言って、「私はお飾りの総帥なのですよ」と儚げに笑った。
「そ、んな」
私は、絶望感と失望感に自分の身体が板挟みされるのを感じた。
身体がふらつく。
けれど、歯を食いしばり、彼女の言葉を聞く。
「でもですね、こんな私でも温泉郷の未来は分かりました。簡単なことです。ーーー滅亡します。これは誰にも変えられません」
「待ってください」
「無理なんですよ。あれは天災です。そんなものに人がどうこうできるわけがない」
「だから、あなたも諦めなさい」そう言って、手を差し出した。
あなたも温泉郷とともに滅亡する定めなのだと。
私は、彼女を手をパンと払い、
「あなたには、失望しました」
そう言って、総帥の間を後にし、火扇の横を通り過ぎて本部を出た。
そしてーーー漆黒の空を睨みつけて叫んだ。
「私は、最後まで諦めないーーー何が何でも食らいついてやる!」
だがーーー私の意志とは裏腹に漆黒の空は、温泉郷のその全てを蹂躙した。
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現代。ーーー篝火の湯の前。
やっと気づいた。檜佐木の言っていた意味を。
時間遡行ではなく、追体験。だから、過去の闇に感染した人々の処置をしても、現代に悪影響はない。と言うことは、主人公が過去に行き、どんなことをしても、この理論なら温泉郷は滅亡する運命にある。
「そっかーーー過去に行ってもこれは追体験。何をしても、この温泉郷は救えない」
やっと気づいた。私は過去を体験できる術を知っただけ。変える力など持ち合わせていないのだと。時間の抑止力に、人は到底抗うことなどできない。
過去を変えることができるのは、人知を超えた力を持った神だけだ。
ーーーばかだった
何回やっても、これでは温泉郷を救うことなどできない。
ーーー私は、ばかだった
救うと息巻いた。彼女の結末を、温泉郷の結末を、いい方向に変えたかった。けれど、それはおこがましいことだった。
私は自嘲する。
その私に、彼女は『もう良いのです』と憑き物が取れたように笑った。
私は頭を下げる。
「ごめんなさい、私が不甲斐ないばかりに」
ごめんなさいを繰り返す私に、彼女は言った。
『大丈夫です、あなたは十分戦いました。1回目の戦闘より2回目の方が立ち回りが良かったですよ』
「ほんとう、ですか?」
『ええ』
彼女は頷く。それから、『それより』と話題を変え、彼女は温泉の方に視線を投げた。私もそれに合わせる。
『あれを見てください。黒革の手帳が浮かんでいます』
「ほんとう、ですね」
檜佐木の言葉通り、温泉の中心に手帳が浮かんでいる。
あの調子では、中身は水浸しで、内容は分からないと思われた。
だが、『手に取ってみてください』と檜佐木に促され、私はその手帳に手を伸ばす。手帳を開く。
「あれ、濡れてない」
思いとは裏腹に、中身は水浸しにはなっておらず、むしろ乾いていた。
その手帳をペラペラと捲る。
一通り目を通し、その内容について檜佐木に聞こうとした時。気づいた。
「檜佐木さん、身体がっ!」
檜佐木の身体が消えかけている。
しかし、彼女は満足気に笑っていた。
『これでいいのですよ』と。
「どうして!?」
『私が消えることで、「道」ができる。あなたの因縁の相手へのね。その手帳にあったでしょう?』
「檜佐木さんが消えることに、納得できるわけないじゃないですか!」
少し困ったような顔をし、檜佐木は言った。
『私は、あなたに全てを託したい』
「ーーーでも私は、2回目も勝てなかった。だから、こんな私が“私”と対峙しても……」
『大丈夫』
「どうして、そう言い切れるんですか」
『あなたを信じてるからですよ』
檜佐木は優しく微笑む。
『あなたにはもう……自分に似せた闇と対峙しても勝てるだけの力量が、あるはずですよ。私が、保証します』
そう言って、檜佐木は消滅した。
同時ーーー、檜佐木が消えたあたりに微かに煌めく光の粒が現れた。
それは明滅を繰り返し、大きくなりーーー最終的に、円形に空間を歪ませるほどの力を内包した。
その歪みから少し淀んだ風を感じる。
私は、目尻にある涙を拭って、その歪みを見据えた。
一度深呼吸し、呼吸を整えた後、その歪みに足を踏み入れた。
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暗いが、かろうじて前が見える程度の視界。どこかの廃工場内なのだろう、鼻に付く刺激物の臭いがした。
そしてーーーなにかのパルプの傍に立つ人影。それに目がいく。
私は警戒を怠らず、少しずつ近づいていった。近づくたびに、人影の輪郭が濃くなる。
ーーー十分近づいた時。
「ーーー“私”」
“私”が佇み、私を虚ろな目で見ていた。




