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子うさぎになったすすむ

 いつもと変わらない冬の風景。すすむは信号が青に変わるのを待ちながら、バケツの中で楽しくスコップの音を立てた。すすむは今日もおばあちゃんの手をふり解くようにして出てきたのだった。横断歩道の向こうの公園には人の気配が無いようだ。すすむは敢えて砂遊びのことを考えた。春香が来るに違いないと期待してしまうことが恐いのである。すすむは不安に胸をどきどきさせた。 


 その時に、春香がすすむの心にささやいた。

(あわてないで、ゆっくり渡りなさい)

 春香の姿は見えないが、すすむを見守るように、すすむの頭にそんな声が優しい感情と共に響いたのだった。すすむは道を通りかかったおばさんがびっくりするほど大きな声で返事をした。

「うんっ」

 公園の入口で、すすむはちょっと躊躇して立ち止まった。公園に二つある出入り口のもう一つ、南東側の入り口近くの生け垣に沿って並んだ切り株の椅子。その端に少女の姿がある。

 すすむは首をかしげるポーズをして、じっと女の人を見た。あの人とは昨日会ったばかりだと考えたのである。そう考えると、昨日の事も何か夢のようにも思える。

 髪は柔らかなおさげに編んでいて肩から前に垂らしている。白のセーターの上に茶色のコートを羽織っていて、濃い茶色のスラックスに黒の靴。髪型や服装は昨日と違うが、大きなスケッチブックを抱え、バスケットを横に置いているのは、彼女が昨日と同じ人だという証拠だ。髪を編んでいるのはきっと昨日のキリンのテムのくしゃみに懲りたせいだ。

 すすむは彼女に駆け寄った。すすむは立ち止まってお辞儀をした。

(こんにちは)

 すすむは心の中でそう挨拶をした。

(こんにちは)

 春香はすすむの頭の中に返事を返した。

すすむは自分の魔法が通じたのだと考えた。もう、この女の人は昨日の人に間違いはない。昨日の事は夢ではなかったに違いない。嬉しさがわき上がってきたのだが、その嬉しさに違和感がある。感じるものは、すすむの心に生じた嬉しさだけではない。すすむが彼女のことを忘れないで居た春香の嬉しさが、すすむの心に混じっていてわき上がるのである。


 すすむはよじ登るようにして切株の椅子に腰をおろした。コンクリートの木の切株は、じんわりと冷たさが伝わってくる。すすむはその冷たさに気を取られてお尻を浮かせたが、すぐに春香がスケッ

チブックを開いたのに気づいて、視線を移した。

 最初のページには昨日の電車。春香はすぐにもう一枚ページを繰って、真っ白なページに変えた。ページをめくる指先が滑らかに動いてたので、魔法で絵が消えたようにも感じられる。春香はスケッチブックを膝に置いて、バスケットを手に取った。

(このバスケットに秘密が……)と、すすむは思った。

 きっと、何かの魔法の秘密が隠れているに違いないのだった。春香はソフトビニール製の筆箱を出した。手品師が帽子から兎を出す手つきだ。筆箱には間の抜けた犬の絵が付いている。すすむ

は筆箱を受け取って眺め回し、手の中で撫で回して感触を確かめ、中を覗いた。長さの違う鉛筆が3本と消しゴムが入っている。

 それだけだ。

 春香は今度は、ハンカチを鳩に変える手つきで、平べったい箱を出した。中は赤や青や黄色やいろんな色の鉛筆が8本。その中には使い古されて、短くなった物もあって、いかにも魔法使いの道具のようだ。

春香がバスケットから出したのはそれだけだ。春香はバスケットの蓋を閉じて、右の切株に乗せた。すすむにはまだ魔法の秘密が分からない。春香はすすむから色鉛筆を返してもらいながら言

った。

(すすむクン。魔法はね、手品みたいにタネを捜してはダメよ。起きたことを自分の中に受け入れるの)

 春香はそう言ってじっとすすむの顔を見た。すすむも春香を見上げた。春香はじっと黙っていた。

(春香さんは慎重になっているんだ、)

 すすむはそう思った。なぜかそんな風に感じたのだ。昨日みたいな失敗をしないように。

(今日は、すすむクンが、お話をしてよ)

 春香は唇を動かさずに、すすむの心に語りかけた。

 すすむは、春香の乞うまま、色々な話をした。森の一軒家に住むパンダの事、絵本の飛行機や電車の事、枝に残る葉っぱと風の事、絵本の話題や、窓から見えた景色のこと、テレビでみたこと、そんな話題を、すすむは何の脈絡もなく話した。封じられていたものが、彼の口から溢れ出すようだ。

 すすむは脚をぶらぶらさせて天を仰ぎながら色々な記憶を手繰った。どんな順序を辿ろうと、記憶はお父さんやお母さんと一緒に過ごした家のこと、そのたった一つの哀しい記憶に行き着いてしまう。春香はそれに気付いて、すすむの注意を逸らした。

(さぁ、)

 すすむの眼の前で、春香は鉛筆を動かし始めた。鉛筆を軽くつまむように支えてゆっくりと、指揮者の指使いだ。今日の春香は、メロディを描き出した。すすむの心の中にメロディが沸き上がるようだ。暖かでのんびりした眠気を誘うメロディだ。

 眼をつむったすすむに、春香がすすむと額をくっつけて言った。

(ねっ? 春の音よ。春が流れ始める音が聞こえるわ)

 すすむは目をつむって、わずかに残った雪を溶かして流れる小川や、弾け出した木の芽の香りを運ぶ風の音に身を任せ、そんな音や香りの中にとけ込んで行く感覚を楽しんだ。


 すると、すすむは小さな子うさぎだった


挿絵(By みてみん)

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