永遠の秘密
すすむは急ぎ足で何度か歩行者にぶつかりそうになって、そんな大人を不満気に見上げながらガードレールまで避難した。すすむは外出の目的を思いだした。すすむにはこんな所で大人とぶつかっている暇なんか無い。もっと広い所、公園の中で、大きな雪だるまを作って、後からやってきた春香をびっくりさせる予定だった。
しかし、すすむの予定は脆くも崩れさってしまった。車道を夾んで向こうの歩道に春香の姿を見つけたのである。フードの付いた赤のコートを身にまとっていて、すすむを見つけるとフードを取って顔を出した。フードつきのゆったりしたコートは魔法使いを思い起こさせた。
春香がすすむの気配に気づいて手を振ったので、すすむも手を振り返した。道幅が広く、行き交う車のエンジンの音に遮られて声が届かない。でも、二人は手を振るだけで、心を通わせるのに十分だった横断歩道までの10メートルを、すすむと春香は車道の両側に別れて歩いた。
すすむはスコップでガードレールをぽこぽこ叩いて歩いた。今日は春香とどんな遊びをしようか、あれこれ楽しく考えているのだ。春香も通行人を避けながら、すすむに歩調を合わせて、向こう岸の歩道を歩いている。
ガードレールが途絶え、目の前には公園の入口。
横断歩道がすすむと春香を結ぶように伸びている。すすむは春香に向かって駆け出した。
「危ない!」
春香の声が響いた。思わず口から発した言葉の叫びだ。
自動車の腹に響くクラクション。
耳を貫く自動車のブレーキ音。
すすむは道路のまん中で凍り付いた。恐怖はなく、ただ冷静に、思った。
(死ぬのかもしれない)
ただ、春香に対する信頼感があって死の予感を否定する。春香なら魔法を使って助けてくれる。そんな信頼である。
この後の出来事は、ほんの一瞬に違いないのだが、すすむは多くの物を見、多くの事を考えた、そして多くを経験した。言葉で綴れば、これらには順序が生じるが、実際にはこれらの事は、ほぼ同時に、一瞬のうちに並行して存在したのだ。まず、家族が仲良く暮らしていたときの事が、すすむの心の中に記憶の数だけ浮かんだ。お父さんの笑顔、お母さんの笑顔の1つ1つを鮮明に。
すすむは自動車から目を移して春香を見た。春香なら魔法で、昨日みたいに、一瞬のうちに、すすむを腕に抱きとめてくれるに違いない。実際に春香はそういう能力をすすむにみせていた。
春香の心が、すすむに伝わった。春香の躊躇の感情。魔法を使うことを戸惑っている。
自動車のタイヤが地面を滑ってきしんでいる。すすむはまだ凍り付いたままだ。
すすむは春香が道路に飛び出して来るのを見た。ちょうどすすむが家族の思い出を振り返ったように、春香はこの一瞬に春香の一生を振り返った。
春香とすすむは、心を共有した。すすむには春香の一生が見えたのだった。ちょうど、すすむと同じ年頃で、春香は自分の力に気づいた。自分が他の人と心を共有できること。最初、彼女は自分の力が嬉しく面白かったのだ。回りの人々も彼女の力を不思議がり、面白がったのだ。
しかし、彼女はふと気が付いた。彼女は一人ぼっちだ。いつの間にか回りの人々は、彼女に心を閉ざしてしまったのである。そして、もっと寂しいのは、心を閉ざしてしまった人々の心が、彼女には伝わるたびに、自分の存在が受け入れてもらえないことに気づかされることである。彼女はそんな経験を数え切れないほどして、普通の人間を装う事を身につけたのである。家庭でも学校でも、ありとあらゆる場所で。
しかし、人間を演じれば演じるほど、自分が普通の人間ではないということ、大勢の人々の中で、自分の存在がこんなにも孤独なものだということが身に凍みるのだ。
そして、その中で人々に自分の正体を知られることを恐れて、童話を書いたり、スケッチをしたりして一人遊んでいたのだ。ちょうど、すすむの砂遊びと同じだった。
すすむは春香が知り合った人々の、不審、不安、恐れの表情の1つ1つを自分の経験にした。
春香の心には、すすむの姿も存在した。春香の心に浮かんだのは2人が初めて会った日の光景だ。 春香は一人で、スケッチの遊びをしている時に、すすむを見つけたのだ。春香は初めて、自分と同じ様な寂しさを持った存在と出会ったのだ。その驚き、一種の嬉しさ、いたわりが、すすむに伝わってきた。すすむの存在は春香にとって保護すべき存在であり、また、初めて彼女をそのまま受け入れてくれる存在でもあった。
春香にとって、すすむの動作の1つ1つが新鮮に素直に、彼女の中に入り込んでくるのだ。すすむの言葉の一つ一つが、彼女の凍てついた心を融かすのである。
次の瞬間、それらの記憶はぷっつり途切れてしまった。すすむはまるで映画の場面が切り替わるような感覚で、自分が春香の記憶から放り出されて歩道の上に転がっているのを知った。
春香が、すすむを突き飛ばすように歩道に戻したのだ。
クラクションの音とブレーキのきしむ音が耳に響いているが、これらはさっきから響いていたらしい。そして、つい今しがた、どすん。と、鈍い音が加わった。
すすむの側に春香の鞄が、高い空から落ちてきて、雪の上に転がった。鞄の蓋が開いて、いくつか魔法の道具が見える。スケッチブックが大きく開いて、ページが1枚づつ羽ばたくように落ちてきた。
すすむがスケッチブックを拾って立ち上がると、春香が、すすむと同じ歩道上、すすむと七、八メートル離れた雪の上にうつ伏せに倒れているのが見えた。
(何故、春香さんは魔法でボクを救ってくれなかったんだろう? )
すすむはそう思った。事実、春香には公園で転びかけたすすむを一瞬に自分の腕の中に引き寄せる力があるはずだ。どうして、その力を使わなかったのかと思うのである。
すすむは一歩春香に近づいた。春香から感じた暖かい雰囲気が無い。
すすむはもう一歩近づいた。春香は、すすむに何も語りかけない。
(何故、春香さんは魔法を使わなかったんだろう? )
すすむは、もう一度そう思った。
(あっ? )
すすむは心の中で声を上げた。春香は僅かに意識を取り戻したらしい。その春香の意識を感じたのである。
「春香さん」
その声で、春香はすすむがそばにいる事に気付いた。すすむが無事だった、それをほっと安堵する感覚が途切れ途切れにすすむに届いた。
「すすむクン、あなたは悪くない」
そんな耳に聞こえる言葉と同時に、すすむの心にはこの悲劇は彼女自身が選んだ結果だという意識が流れ込んできた。
そして、春香が薄れ行く意識の中で、自分の命が尽きることを悟ったことも。再び、すすむに伝わる意識が途絶え、二度と春香の意識を感じることは無かった。わずかに微笑んだ表情のまま、春香は冷たく凍りついた。
すすむは春香の判断の疑問や突然のお別れに混乱して思った。
(どうして? )
この瞬間、すすむは春香の心と切り離されて現実の世界にいた。大勢の大人が二人の所に駆け寄って来た。世の中にこれほど多くの人が居たのだった。
「あ、あ、あ」
すすむは人々に声を上げた。すすむは自分を取り囲む大人の群れに、ようやく悟った。魔法を使えば自分が普通の人間ではないことが知られてしまう。春香はこの大勢の人の中で、普通の人間の演技を続けたのだろう。白い雪の上に赤いコートの春香が横たわっていて、その春香を中心にどくどく赤い染みが広がっている。
春香は普通の人間でいたいと考えたのだ。
見知らぬ人が、すすむを囲んで、1人がすすむを抱き上げて、子供に怪我かないかを調べた。 見知らぬ人が春香を囲んで、春香がすでに息もしていないのを知った。
すすむは大人の腕をふり解いて、春香に駆け寄った。すすむが頬を付けると、春香の横顔は雪のように白くて冷たかった。すすむは泣きじゃくって、春香の持っていた寂しさを吐き出した。
昼過ぎ、すすむはもう泣きつかれたように黙っていた。
お父さんが運転する迎えの車が来て、お母さんに抱かれながら、後部座席に乗り込んだ。
お母さんは、すすむの顔を抱いて見せまいとしたが、すすむは大きく頭を振って外を見た。トラックがまだ止まっている。警官がその回りを囲んで何か調べているところだ。春香の体は見えない。春香の心もすでにない。
お父さんも、すすむに見せまいとしてアクセルを踏んだ。事故の景色が遠ざかる。お母さんは、すすむが何かを言いた気な様子をしたのに気づいたが、すすむはそれを振り返って記憶に留めた。
寂しい、寂しい、魔法使い。
人間になりたかった、魔法使い。
でも、それは春香と、すすむ、二人だけの秘密。
永遠に。
物語を最後まで読んでいただいてありがとうございました。この物語はもともと漫画で描こうとしていたのですが、中断しているうちに、集英社の小説に公募に惹かれて小説として書き直したものです。残念ながら二次審査通過までで最終選考には至りませんでした。
今回、漫画の原稿を挿絵にして小説を公開しようと思いついて連載を開始しました。ただ、ラストについて迷いがありました。春香が事故から生き延びたものの、そのショックで持っていた超能力を失って普通の高校生として幸福に暮らすというエンディングも考えました。でも、投稿を続けるにつれて漫画のオリジナルのバッドエンドに行き着いてしまいました。
ハッピーエンドにするべきだったかどうか、この物語を最後まで読んでいただいた方の感想を教えてもらえば幸いです。




