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一日目 晴れの日のテムのはなし

 ぽぉーーーーーーー。

 間延びした列車の汽笛が、すすむの耳に響いている。耳を手で覆いたくなるほど賑やかな汽

笛が薄れて消えると、客車は先頭車両からの震動が伝わってがくんと揺れて、すすむに期待感を抱かせる。

(列車が、動き出してどこかに連れて行ってくれる)

 列車の震動は、まるでボールが弾むような揺れかたで、時々、すすむの体が宙に浮く。すすむと少女は客車の中で向かい合って座っている。たぶん、運転席にはペンギンがいる。見たわけではないが、すすむはそう確信していた。 彼の目の前に窮屈そうにしかめっ面をしたキリンの頭がある。キリンの頭だけ。首が車両の中をのびて、体は客車の後ろにに在るらしい。

挿絵(By みてみん)


「ああ、頬が痒い」

 キリンはせつなそうに、そう言った。窮屈な列車の中で前足を延ばして、頬を掻くことが出来ないのである。すすむは面白くなって尋ねた。

「ここ? 」

 すすむはキリンの頬を指先で撫でるように掻いてやると、キリンはしばらく黙って気持ち良さそうにすすむに身を任せていた。暖かい頬だが、柔らかな布地の内側にヌイグルミの詰め物の感触がする。やがて落ち着いたのか、キリンはのんびりした声で礼を言った。

「ありがとう」

 赤い舌を出して唇を嘗めて、満足そうに鼻を鳴らした。純朴で平和なキリンだ。

 しかし、すぐに慌てた顔になり顔をしかめた。

「ちょっとすみません」

 若いキリンは、大きなくしゃみをした。少女の髪が勢いよくなびくほどのくしゃみである。線路の上で列車は勢いよく弾んだ。

 ペンギンがやってきた。これは運転手ではなくて車掌の方だ。職務に忠実な彼は異変の原因を見に来たが、キリンを見ると納得したかのように黙って引き上げて行った。

 すすむはキリンのくしゃみに驚いて、しばらくキリンの頭を見つめていた。少女は乱れた髪を元のように束ねている。

「すみません」

 キリンは詫びた。その言葉ののんびりとした感触と裏腹に、キリンがひどくすまなそうな表情をしているのがおかしくて、すすむと少女は顔を見合わせて笑った。少女はキリンに名乗った。

「私は、春香」

(はるかさんっていうんだ)

 すすむは不思議な少女の名を知って、少し距離が縮まった。春香の挨拶にキリンが答えた。

「失礼しました。ボクはテムといいます」

「ボクは、すすむ」

「何処から、おいでなの」

 春香は、キリンの頭に聞いた。

「プーの村から」

 キリンのテムは答え、続けて話を始めた。元来、おしゃべり好きのキリンらしい。

「私、天気をみるのが仕事なんです。ご覧の通り、首が長いので雲の様子を見るのに都合がいいんです」

 テムは自慢気である。彼は自慢げに目を細めて話を続けた。

「まあ、私の仲間には海辺の岬で燈台をやってる奴もいるんですが、あれは目が回ります。ランプをくわえて一晩中クルクル回すんです」

 すすむと春香の表情をうかがいながら彼の話は続く。天気予報の仕事が軽く見られたのかと思ったらしい。

「いやいや、天気予報だって大変なんですよ。何しろ雨が降ったら他の人より早く濡れるし、この間なんか雷にやられましたしね。ね? ほら、私の右の角の先が焦げているでしょう? しば

らく、体がびりびりしていたんです」

 すすむの見たところ、角の先が少し茶色くなっているのがそれだろう。

「一生懸命仕事して、今度、休暇をもらったんです。今から故郷の村に帰るんです」

 テムはうれしそうである。テムは列車の窓の外に目を移した。そこに住んでいる小鳥の姿までちゃんと見える林、ディフオルメされた木々で縁取られた丸いなだらかな山、力持ちのカバや純朴そうなライオンや働き者のペリカンが住んでいる村の景色が次々と過ぎて行く。こうしている間にもテムのは故郷に近づいているのである。テムの心は踊っているのだ。この若いキリンには故郷で待っている恋人でもいるに違いない。恋人は結婚式の準備にウェディングドレスを縫っているところだ。テムの穏やかな笑顔は、すすむそう言う想像力を湧き立たせる。

「ところで、あなたはどちらまで? 」

 テムはのんびりした口調ですすむに尋ねた。

「家に、帰るの」

 すすむが家という言葉にお父さんとお母さんの存在が込められている。すすむは素直に答えたが、すぐに、ずっと以前の家を思いだした。お父さんやお母さんの笑顔のあった頃の家だ。

すすむはお父さんの背中の暖かさを思いだした。

 すすむはお母さんの両腕の柔らかさも思いだした。

(あっ)

 春香が、しまったと自分の失敗を悔いる叫びを抑えるように、口元に手を当てた。

「あのね、家に帰るの」

 すすむは繰り返した。

「すぐにボクんちに帰るの」

 すすむの目に涙が浮かんだ。

「お父さんとお母さんのとこへ帰るの」

 すすむは叫ぶように繰り返した。


 パン!!


 手を打ち鳴らす音がして、すすむは目を開けた。春香がスケッチブックを勢いよく閉じた音だった。春香は二人の旅を終わらせたのである。すすむの目の前の景色は、元の公園だ。すすむは木の切株に座

っている。すすむと春香を包むのは冬の景色。冷たいコンクリートの山、水の出ていない噴水、風に揺れるブランコ。

 春香は、すすむを引き寄せるように、すすむの肩に腕を回して感情を伝えた。

(ごめんなさい)

 すすむは目元ににじんだ涙を手の指先で拭って、春香を見上げた。すすむの目を見ながら春香は繰り返した。

(本当に、ごめんなさい。悪いことを思い出させたわね)

 北風の舞う空が赤い。

 二人はしばらく黙ったまま夕日に染まっていたが、やがて、春香は鉛筆を筆箱に戻した。それから、蓋付きのバスケットを膝にのせて、ゆっくりとその蓋を開けた。不思議な少女はこの中に魔法の道具、知らない世界に旅立つ為の夢の道具を持っているかも知れない。

 すすむは中をのぞき込んだが、期待は外れで首を傾げた。バスケットの中には小銭入れとハンカチの他、残念なことに、魔法の道具らしいものは見えなかった。春香は筆箱をバスケットにし

まい込んだ。

 すすむは察した。春香は帰り支度をしているのだ。すすむは不安そうに、彼女を見上げて必死に彼女との関係を繋ごうとした。

 この人を失ってしまうのは寂しすぎる。

 この人が独りぼっちなのも寂しすぎる。

「ねぇ、キリンのテムさんはどうしたの? 」

(うーん。いろいろな用事や事件が起きてなかなか故郷に帰れないの。それでも、テムの恋人はテムが帰ってくる日をじっと待ってるの。いつまでもね)

 すすむは首を傾げた。お母さんに語り聞かせてもらう物語はハッピーエンドのものばかりだった。

その経験から言えば、テムは無事に故郷に帰り着いて短い休暇の間に恋人と結婚式を挙げ、明るい暮らしが待っているという結末が見えていたはずだ。いつ帰るか分からない人生の伴侶を待ち続ける恋人の存在が、すすむの心に違和感を漂わせた。すすむが見上げた春香の顔と、孤独が癒せる日を待ち続けるテムの恋人の姿が重なった。

(この人は、他の大人とは絶対に違う)

 そういう確信がある。すすむは本能的に、春香に自分と同じ孤独の香りを嗅ぎ取ったのである。春香は、敏感にすすむの気持ちを察して笑った。

(そんな寂しい顔をしないで。明日の夕方にまた、ここで。さあ、早くお帰りなさい)

 心に直接響く言葉の中に、嘘や疑念を感じさせるものが全く無い。すすむは安心した。確かに地面まで赤く染まって地面に影が長く延びている。おばあちゃんと約束した帰宅の時間である。よい子でいるためには、おばあちゃんとの約束は守らなければならないだろう。それに、早く帰ってこの新しい友達の事を報告しなくちゃと考えたのである。


 すすむは木の切株の腰掛けから降りて、春香の正面でお辞儀をして言った。

「さようなら」

 信頼感を感じさせるすすむの声が春香の耳に届き、何か期待感のこもった感情と共に、春香の言葉が、すすむの心に届いた。

(さようなら)

 すすむは忙しい仕草で砂場まで走って、バケツとスコップの砂を払って、スコップはバケツの中にいれて左の手に下げた。それからもう一度、切株を振り返ると、まだ、春香はじっとそこにいた。春香もバスケットを片手に立っていて、片手をあげてすすむを見送っている。すすむも手を振って応えると、また夕日に目をやって慌てて公園の入口へ走りだした。

 早く帰って、おばあちゃんに新しい友達が出来たことを報告しなければならない。すすむは笑顔で駆け出した。

(忘れものよ)

 すすむの頭の中に春香の声が響いた。すすむが振り返ると、春香はシーソーの所に立っていて、すすむのマフラーを拾い上げている。すすむはさっき自分が脱ぎ捨てたのを思いだした。春香はすすむの側までやってきて、すすむの傍らにしゃがみ込むと、やさしい手つきで、彼の首をマフラーで覆いながらすすむの頭の中に語りかけた。

(いい? 私と会ったことは、誰にも話してはだめ。二人だけの秘密)

 それから、バスケットをすこし睨んだかと思うと、その蓋を開けて中から大きなクッキーを3枚、すすむのために取り出した。春香はクッキーをティッシュに包んですすむに与えた。春香との約束を守る報酬なのである。その自然な動作をすすむは見逃さなかった。

(さっきまで、こんなお菓子なんて入ってなかったはずだ)

そう思ったのである。春香はすすむの顔をのぞき込んで微笑んだだけだ。そして、少し考えてから付け加えた。

(それから、私と会いたいときには、一人で来るのよ)

 すすむは少し不思議に思ったが、クッキーをポケットに大切にしまい込みながら素直にうなづいた。友達を失うことを恐れたのである。しかし、残念でもある。すすむは振り返りながら、少し

づつ公園を離れた。新しい友達を見失わないように。


 春香もまた、初めて出会った幼児を好意的に見送った。すすむが公園の入り口を出て横断歩道を渡る辺りまで、ゆっくりと手を振っていた。幼児が視界から姿を消すと、バスケットまで戻って冷たく冷えた切り株の椅子に腰を下ろして物思いにふけった。

 あの幼児から入り乱れて伝わってきた記憶や感情を整理したのである。すすむの体験や感情がわずかな間に彼女に流れ込んで来ていた。彼女が普通の人間と異なる能力の1つである。彼女はこの能力を呪いつつもその呪縛から逃れることが出来ずにいる。目をつむってみると、春香の脳裏ではあの幼児の日常が自分で体験したかのように再現される。

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