最後のお話の世界へ
すすむが公園の入口にたどり着いて息を整えていると、右手がいつもより手持ちぶさただ。今日は砂遊びのバケツとスコップを持って来るのを忘れたのである。
春香も公園に姿を見せた。ただ、すすむは彼女を見つけて首を傾げた。すすむを包み込むいつもの優しさに、今日は不安感が混じってすすむに伝わってくるのである。昨日、すすむは春香のことを少し知った。春香の学校や家族のこと。どうやら、それが春香の不安であるらしい。
でも、そんな春香が、今日はちゃんとスケッチブックとバスケットを持っている。
(今日の春香さんも、いつもの春香さんだ)
すすむはそう思った。春香の優しさに変わりは無い。そう考えると、春香から伝わる不安がするすると融けて優しさに変わった。
春香も、すすむの寛容性に触れてみると、凝り固まっていた感情がほぐれるように和らいでいる。あの女や教師が発する鋭くどす黒い感情から距離を置くために学校を飛び出して帰宅し、手近なものをまとめて家を出てきた。すすむと繋ぐ手から信頼感や安心感が伝わって心の中のもつれた糸が解きほぐされてしまうと、もつれた原因など、進路を話し合う親子面談に友人が出来ない春香の協調性のなさが話題に上っただけと言っても良い。
複雑にもつれてから見合った感情がほどけない。そういう苛立ちが冷めてしまうと、トラブルの原因が自分自身であるかのような罪悪感を刺激する。春香はため息で感情を振り払い、ちょっと観察する目付きをして微笑んで言った。
「すすむクン、今日のダウンジャケットは可愛いね。」
すすむは自分の頭を抱いて照れた。すすむが着ているダウンジャケットは、すすむのお気に入りの1つだ。温かなオレンジ色で、小犬みたいにふかふかで、胸の所に仔熊の刺繍が付いている。ポケットの角度が手をしまうのにちょうど良い。二人は手をつないで、いつもの指定席に行き、いつものように語り合った。
春香は魔法のバスケットから筆箱を出した。色鉛筆も出した。春香は、すすむがじっとバスケットをにらむのに気づいて、バスケットを手渡した。すすむはバスケットを振った。開けて中を覗いてもみた。バスケットを逆さにしてもみた。ただのバスケットだ。でも、このバスケットが後でお菓子を生じるに違いなかった。
春香は、バスケットを振るすすむの仕草がいつもより元気が無いのに気付いて、すすむをじっと見つめていたが、やがて悟ったように、すすむの肩を優しく抱いた。
春香はスケッチブックの表紙を開けた。懐かしい顔だ、キリンのテムである。すすむにとって春香の次に出来た友達だ。結局、テムの故郷は見ることは出来なかった。
(いつでも遊びにおいで)
テムの笑顔はそんなふうに、すすむを誘っているのである。テムの満ち足りた笑顔は、彼を待っていた恋人と結婚して家庭を持ったせいかもしれなかった。
一枚、ページをめくると、クマのクリックさんが現れた。すすむウサギはクリックさんと仲良く並んで椅子に座って、春香ウサギが蜂蜜たっぷりのホットケーキを焼き上げるのを待っている。
ページをめくってゆくと、メウ、ハリー、キィ、フィニの仲間が次々と現れて四季が移ろい変わった。たぶん、いまも何処かで、すすむをじっと見守ってくれているのだ。
ページの絵は子狐に変わった。子狐のコンが画用紙の中で正面からすすむを見据えて、大きな尻尾をふって見せている。嬉しそうに尻尾を振る様子からみると、ついに仲間に出会えたのかもしれない。
次のページをめくってゆくと、カンガルーのアニス、ペンギンのルーファ、鯨のカナーン、一緒に旅をした仲間がいて、アニスは画用紙から飛び出す勢いではね回っているし、ルーファは日傘をくるくる回しながら、すすむに向かって手を振っている。そ
のルーファのバックでカナーンは虹の潮を噴き上げている。すすむは、もう一度、カナーンの背にのって旅がしたいと思った。
すすむと同様に孤独感を抱えてい仲間が、今は満ち足りてすすむを見守っているのである。自分もそうなれるかも知れない。そういう期待感で、すすむは春香の顔を振り仰いだ。
春香はやや寂しそうに微笑んで、新しいページを開いた。スケッチブックの新たなページの四角く真っ白な空間は、雪が降り積もっているようにも見受けられるのである。
「さあ、今日は『北の国の魔法使い』のお話」
春香はスケッチブックの新たなページを見つめて、いつもより、ちょっと真剣味を加えて、神様と4人の天使を描いた。
すすむはバスケットを抱いたまま、自分から目をつむった。春香の中に入っていくコツをつかんだらしい。
春香の話が始まった。




