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お話の中へ

 すすむが目を開けると、そこは籠の中だった。大きな籠で白くて四角い。蓋が付いて

いるが、大きく上に開いている。

(ああ、そうか)

 すすむは気球を見上げてそう思った。すすむが小さくなったものか、バスケットが大き

くなったものか分からないが、これは春香の魔法のバスケットの中に違いなかった。ちょうどバスケットの取っ手の所で、巨大なキノコの風船からさがっているロープとつながっている。バスケットの高さは、すすむの肩の高さぐらいで、すすむが大きく開いたままの蓋から、ちょっと身を乗り出すと下界が見えるのである。

 下界は小高い山が3つあって、その中に小さな村が1つある。村人が砂粒みたいな大きさだが、パンダやウサギやカンガルーの姿だと判別できた。気球はずいぶん高いところを飛んでいる。人からずいぶん離れたところを飛んでいる。気球は風にながされて、草原や砂漠や森を飛び越えた。

 すすむは風船を見上げた。妙に安定感のある風船で、下降する気配が無い。すすむは背後に春香の気配を感じて振り返ったが、春香も笑って肩をすくめただけだ。二人とも気球の操縦の仕方なんか知らないのだった。しかし、春香はそんなことを気にする様子は無い。すすむと一緒なら孤独感は癒される。

 意識すれば、やっと気づくほどの暖かな微風があって、気球をゆるゆる流していた。しかし、二人には静止した気球の下で景色が流れ去っていくように感じられた。時間が止まったよう。二人で心を通い合わせるこの瞬間が永遠に続くことを願うようだった。

 緩やかに変化する景色の中で、3つの山と1つの村が流れ去ると、二人の下に在るのは緑の草原である。

(お日様が近いのに、何か寂しい)

 すすむはそう思った。春香が、すすむの心を察するようにそっと、すすむのそばにしゃがんで肩を抱いた。

 突然、二人の前に、一頭のカンガルーが胸の当りまで、ぬっと現れた。彼は小さな帽子をとって礼儀正しく挨拶をした。

「始めまして」

 それから、おっこちるように見えなくなった。春香とすすむは顔を見合わせた。ここは空のずっと高いところのはずだと考えたのである。少し間があって、さっきのカンガルーが顔を出して名乗った。

「ボクはアニスといいます」

 帽子も脱いだままだ。それからまた、重力に引かれておっこちていった。二人はあわてて身を乗り出すように下の草原を見おろした。アニスが3回目のジャンプをしたらしく、また上昇して来るのが見える。顔を出したアニスは言った。

「ちょっとそちらへお邪魔していいですか? 」

 すすむが許可を求めるように春香を見ると、春香は、すすむの手をひいて後方に下がって、アニスが飛び込む場所を空けた。4回目のジャンプでアニスはバスケットの中にやってきた。

 見れば見るほど、彼はカンガルーそのものだった。彼はおなかの袋からハンカチを取り出しい、額の汗をぬぐった。

(あら、雄のカンガルーのお腹に袋はあったかしら? )

 春香が一人考える声が、すすむの頭に漏れ聞こえたが、すすむにはどっちでもよかった。

「こんにちは。ボクは、すすむです」

 すすむはアニスに挨拶を返した。

「始めまして、私は春香です」

 春香も言った。

「ボク、実は、仲間を捜してるんです」

「カンガルーさんたちなら、さっき草原の村で跳ねてたわよ」 

 春香は村を思いだして言った。

「ああ、それならリンクたちだ。でもボクはあいつらの仲間じゃないんです。あいつらがそう言うんです。ボクも何かそんな気がするんです」

 春香とすすむが首を傾げているとアニスが続けた。

「ボクは何に見えます? 」

「かんがるう」

 すすむの言葉にアニスは少し寂しそうにため息をついた。

「でもリンクたちは、ボクみたいには高く、空まで跳ねたりしないんです。だからボクはカンガルーじゃないんです」

「それで、仲間を捜しているのね」

 春香はうなづいた。アニスもうなづいた。少し寂しそうだ。このバスケットの中には彼の仲間はいなかったし、仲間の居所を知る人もいなかったからだ。

「ずっと遠くにいけば会えるよ。この風船はきっとずっと遠くまで、友達の所まで行くよ」

 すすむがそう主張した。すすむは一生懸命にこの新しい乗客を慰めようとしているらしい。春香はそう感じて、すすむに同調した。

「そうよ、ご一緒しましょう。私たちもさびしかったところだから」

 こうして、アニスが仲間に加わった。アニスは無口な仲間だ。じっと黙って下界を見回している。間もなく気球と地上の間に霧が出て視界を遮ったかと思うと、すぐに気球も濃い霧の中に入ってしまった。ミルクの香りのする大きな雲の中だった。視界が遮られてしまうと、気球は静止しているのやら、流されているのやら、だだ単にくるくる回っているのやらよく分からない。不安な沈黙が続いたが、やがて目の前が、まばゆいばかりに赤く明るくなって、3人は期待に目を細めた。朝日だ。日の光が幾本もバスケットに注いで、気球はミルクの雲を抜けた。気球やバスケットや、3人の顔が、朝日の色に染まって

、まぶしく輝いている。視界が開けると、地上は山の連なりである。最初の丸い山と違

って尖ってごつごつした岩の山だった。白い雪に覆われているが、山腹の一部は露出して灰色だ。太陽はそんな山の1つの峰から顔を出したところだ。

 3人はしばらく声も立てずに景色に見入っていたが、やがてアニスが大きな二つの耳をぴくんと立てた。何かの声が聞こえたのである。声はすぐにすすむと春香の耳にも入った。

「ちょっと、待って」

 気球の後ろからそんな声が聞こえる。すすむたちが、振り返ってみると、片手に鞄を持ったペンギンがいた。頭にピンクのリボンをつけた青いペンギンだった。彼女は空を飛んでいるのだが、鳥が大気を切って飛ぶという感じではなく、氷山の上でもぴょんぴょん跳ねるように、小さな羽をばたばたさせて、大気の中を跳ね飛んでくるのである。

「ああ、やっと着いたわ」

 彼女はバスケットの中に入ると、鞄を床に置いて一人そう言った。

「さっきね、雲の中で迷ってどうしようかと思っていたら、明るい光の中にこの気球の影が見えましたの。ああ、これだわって思いましたわ。それで一生懸命追っかけて来ましたの。やっと雲を抜ける事が出来ましたわ」

 彼女はおしゃべりなペンギンだ。彼女が息をつく暇を見つけて、すすむを初めに、3人が挨拶をした。

「こんにちは、ボクすすむです」

「始めまして、私は春香です」

「ボクはアニスっていいます、よろしく」

「はい、私の名前はルーファです」

「ご旅行中ですか? 」

 春香が聞いた。ルーファの鞄は擦り切れかけていて彼女の長旅を想わせる。

「ええ、仲間を捜しているんです」

「ペンギンさんなら、氷の山の上でしょ」

 すすむは以前見た絵本を思いだして言った。

「私がペンギンに見えますか? 子供の頃に、私は氷山の上で、

 ペンギン達によく言われたんです。『空をぴょんぴょん跳ね回るなんて無節操だって。そんな奴はペンギンじゃない。』って、私も何かそんな気がしてきましたの。それで仲間を捜して旅をしてるんです」

「ああ、ホクと同じだ」

 アニスがそう言った。そして、ルーファも、すすむの旅に加わることになった。


 幾つも連なった雪の峰を越えると青い海が広がった。深い海である、しかし、その底を歩く蟹や、揺らめく海草までちゃんと見える。突然、右手の空に気球に届くくらい大きな虹が見えた。鯨の群れが潮を吹き上げているのだった。虹が空一杯に広がったかと思うと、鯨達はいっせいに深い海の底に潜って行った。

「あれっ? 」

 すすむは不思議そうな声を上げて海の中ほどを指さした。いまは、他の生き物の気配も絶えた広い海面に、一頭の大きな鯨が残されていた。他の仲間に取り残された鯨だ。彼は小さな潮を吹き上げた。小さな潮に小さな虹。とても仲間の作り上げた壮大な虹とは比べ物にもならない。なにかその鯨が寂しそうなのですすむが声をかけた。

「ねーえ。鯨さーん」

「おーい。俺の事か?。俺は鯨じゃないんだ」

 アニスとルーファが顔を見合わせた。自分達と同じ事を言うと思ったのである。

「でも見た目は鯨じゃないか」

 アニスがそう尋ねた。

「尾鰭が鯨の力の源なんだ。俺の尾鰭は半分しか無いんだ。潮も半分、泳ぎも半分。だから俺は鯨じゃないんだ」

 実は、すすむ達のいる上空から見ると、その鯨の尾鰭の右半分が欠けているのがよく見える。生まれつきの物か、事故でそうなったのかよく分からない。でも、すすむ達は何か悪いことのような気がして、それに気づかない振りをしていたのである。

「私たちは仲間を捜しに行くの。あなたもご一緒にどお? 」

 ルーファがそんな提案をした。バスケットの中の全員は誰も反対しなかった。むしろそうするのは当り前のように感じた。この尾鰭の欠けた鯨がひどく哀れなもののように感じられたのである。保護してやるのが義務ではないかとも感じたのである。


 鯨の名はカナーンと言った。こうして、カナーンも仲間という言葉に釣られて同行することになった。でも大きなカナーンはバスケットには入らないし、重すぎるようなので、泳いで付いて来ることになった。幸い気球の速度はカナーンがついてこれるスピ

ードだ。


 この気球の行先に、仲間が居るのかも知れない。そういうすすむの思い付きは、皆の信念に変わって、旅行を続けた。しかし、果てしない海原である。島影一つ無い。みんなはだだぼうっと、いつか前方に見えるかも知れない陸地を見ている。すすむはちょ

っとその思い付きに飽きて、同乗者に視線を移した。カンガルーじゃないカンガルーのアニス。彼は大きな耳を前方に向けて木の葉が風に揺れる音を聞き逃すまいとし、鼻を時々くんくんして、花の香りを捜し求めている。ペンギンじゃないペンギンのルーファ。彼女は時折跳ねて行って、また、がっかりして帰って来るのを繰り返している。海の上、鯨じゃない鯨のカナーンは黙々と泳いでいる、たぶん何処までも、ずっと。

(それじゃ、ボクはいったい何だろう)

 すすむは幼い思考でそう思った。そうして、春香は?。春香は、すすむの事なんか忘れてしまったように、何か寂しそうに前を向いている、でもその目は虚ろで何かを見ている様子はない。すすむは春香の手をぎゅっと握った。春香が目がさめたように、すすむに視線を戻した。春香はいつもの笑顔を作ったが、笑顔で目を細めたのと、うつむいたのとで

、涙があふれて頬をつたって、すすむの手に落ちた。その時、すすむは春香の心の中に、ひどく孤独なものを感じたが、それも一瞬の事で、春香はすぐに恐れたように心を閉ざした。

 この時、アニスの耳が動いた。

「何かの音がする。気球の上だ」

 ルーファがぴょんぴょん跳ねて行って、気球の上で悲鳴を上げた。

「大変よ、空気が漏れているわ。穴があいて、気球がしぼんじゃう」

 キノコの気球は長い旅には耐えられないものらしい。確かに、すすむや春香にも空気の漏れる音が聞こえ、気球がしぼんで行くのが見える。だんだん海に落ちて行く。ここは海のまん中だ。まだ、陸地の影も見えない。

「ボクは泳げないんだ」

 アニスは悲しそうに叫んだ。

「私だって海の向こうまでは跳べないわ。泳げないわ」

 ルーファも慌てている。春香もしっかりと、すすむを抱いた。その時に皆から忘れられていたカナーンが言った。

「みんな、俺の背に乗るといい」

「そうだ、カナーンがいた」

 気球の乗客は鯨のカナーンを思いだした。


 キノコの気球は海に沈んだ。乗客のいない気球は海の底まで沈

んでしまった。4人は無事カナーンの背の上だ。春香はほっと

して、すすむを抱く腕を解いた。すすむがカナーンの背に降り立つと、カナーンの背が何か小刻みに震えている。カナーンの背にうつ伏せになって頬を付けると一層よくわかる。

「ああ、」

 カナーンは嬉しそうに声を上げた。

「ああ、ありがたい。この俺が誰かの役に立っている」

 カナーンの背の4人は、自分のうかつさに気づいた。4人はカナーンに救われたのだ。

「ごめんなさい」

 すすむはカナーンの背に頬を付けたまま言った。お礼より先に、そう謝らなければならないような気がしたのである。

「ごめんなさい。尾鰭が欠けてるから、あなたの事をかわいそうな鯨だって思ったの」

 すすむたちはようやく、カナーンと出会ったときから、カナーンが彼らと同格の人格で、同格の仲間だったということに気づいたのである。

「ああ、ありがたい」

 カナーンは繰り返していたが、やがて背中の上で繰り返し詫びている、すすむに気づいて言った。

「いいよ、いいよ、それ以上。私は嬉しいよ。嬉しいんだよ」

 カナーンの背が一段と大きく震えた。4人はカナーンが泣いて

いるのかも知れないと思った。事実、カナーンは泣いているのだ、今までに大きな体に溜め込んで来た悲しみや寂しさを涙と一緒に流しだしているのである。

 突然、カナーンの体がぷかりと浮いた、空気中にだ。悲しみや寂しさを全部流し去ったので、彼の体はずいぶん軽くなってしまったらしい。カナーンは目だけぎょろぎょろ動かした。海面には、空に浮かんだ自分の姿が映っている。

「うーん。今度こそ本当に鯨じゃなくなった気がする」

そんなカナーンの言葉を聞いたペンギンのルーファーが無節操に空気中を跳ね回りながら笑った。

「私たちと一緒。一緒ね」

「でも、いいね、いいね。こんなに気持ちの良いのは初めてさ」

 カナーンは満足そうに空気中で力強く尾鰭を振った。背中の4人も、もうカナーンの尾鰭は気にならない。

「さあ、仲間を見つけに行こう」

 4人はカナーンの背に乗って遥か彼方の陸地を目指した。カナーンの尾びれは力強く大気をけり出した。先ほどの気球とは比べ物にならない早さで飛んだので、陸地はすぐに見えてきた。


 結論から言うと、皆はそこで最初期待した物を見つけることは

無かった。アニスの期待した天まで跳ねるカンガルーは居なかったし、ル

ーファーの期待した空飛ぶペンギンも居なかった。カナーンが期待した尾鰭の欠けた鯨もいなかった。

 だけど、みんなは失望もしなかった。アニスの回りには他の4人、ルーファの回りにも他の4人。カナーンも、すすむも、春香も、みんなずっと前から、自分が仲間に囲まれていたことに気づいたのである。

「ああ、みんなが、仲間ってこんなに近くに居たんだねえ」

 カナーンがしみじみと言ったので、みんなは顔を見合わせて、こくりとうなづいた。


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