春香の家
春香は一人残されたが、この瞬間には孤独感はなく、心が満たされている。すすむと心を共有して旅をしていると、すすむが自分と同じ孤独を抱えた春香の境遇に首を傾げる感情と共に、そんな春香に寄り添って守りたいという意識が感じられた。それが物語から雪の魔王が消えてしまった理由かも知れない。雪の魔王。それは春香に立ち塞がっている救いようのない運命かも知れない。
浮気性の父親に振り回された心労で、母親が亡くなった。春香はそう信じている。事実、病床の母親を見舞う幼少の春香に伝わってくるものは、夫を待ち続ける女の不安と苛立ちだった。その感情が嫉妬だと理解できる年頃に成長する前に、嫉妬が諦めに変わって、意識が淡くすり減るように春香の母親の命が尽きた。
なにやら、最もらしい病名がついていたが、春香は医師の診断を信じてはいない。母の死から半年を経ずして、未だ春香の心の整理がつかない時期に、女とその息子が彼女の家に侵入した 。その時から増幅した不安や苛立ちや孤独感である。そんな、さまざま
な負の感情が無くなったわけではないが、磨りガラスを間に置いたかのように肌に感じる感情が和らいでいる。
春香の家に侵入した女。彼女から伝わる感情や記憶で女自身に春香の父親の浮気の原因があるわけではないことは分かる。女に連れられてきた女の息子。春香に妹としての好意は感じてはいない。勘の良い彼女に違和感や不安感の混じった感情を持っているが、伝わってくる感情に底意地の悪い悪意は感じられない。
病床の母親から流れ込んだのは、不安や苛立ちが複雑に絡み合って嫉妬に変じた感情だが、その奥底には春香の父親である夫への愛情が感じ取ることが出来た。
新たに侵入して春香の母親を演じる女からは、春香の実の母親ほどの愛情は感じられず、したたかで臆病な打算が感じられる。
しかし、生きるための経済的基盤を作るという打算が動機であったにしても、この家で家族を維持し家族を作ろうとする切実な意図も伝わってくる。現実となんとか折り合いをつけようという点で人の自然な姿かも知れない。考えてみれば、女もその息子も、春香にとって人畜無害である。
(人畜無害? )
二人を想像する春香に笑みが浮かんだ。冷ややかに見下す冷笑が和らいでいて自嘲的な雰囲気を漂わせている。新しい人々を家族として愛そうとは思わないが、高じ続けて憎しみに変わりかけた感情が、すすむという男の子を通して和らぐようだった。しかし、変質した感情の総量は変わらないまま、彼女自身を押し包む。
(もしも、自分が他の人と同じなら、他の人の感情や真意に触れずにいたら、新らしい家族を作れるのかしら? )
そんな疑問が、家族を破壊しているのは自分自身ではないかという罪悪感を生むのである。春香は人として感じる哀しみや怒りと、周囲から伝わってくる感情のギャップを埋めることが出来ない。
春香は悪夢を吐き出すように大きなため息をついて、すすむが出て行った出入り口に背を向けてもう一つの出入り口から重い足取りを進めた。




