四つの約束
すすむの視界をさえぎるものが、すすむの背丈よりも高い枯れた草木だったり、レンガの固く冷たい壁だったり、世界から色を奪うほど濃い霧だったり、目の前に見えるものはさまざまに変化するのだが、すすむの心象を表すように、その景色が見晴らしが利かない不安感を持っているという点で共通している。
すすむは、ふと周囲を見回して、傍らに春香の姿が無く、しばらく一人で歩いていたことに気付いた。時間の感覚が失われて、いつからこの世界をさまよっているのか分からないでいる。
体の芯を凍らす寒さではないが、冷たい風がダウンジャケットを通してさえ肌を刺す感触がある。その鋭さは終わることのない冬を想像させた。寒さと不安で立ち止まろうとする度に春香の声が響いた。
(すすむクン、すすむクン。大事なお願いがあるの)
その春香の声に誘われるように、すすむは得体の知れない風景の中を歩き続けているのである。しばらく歩くと、小さな泉があった。水面に広がるさざ波は無く、底には堅く乾いた地面が見えていて、ちっとも水はなかった。あの公園の噴水のように凍り付いたように動きがない。
泉の前に、清楚な雰囲気の女の人が居る。春香にそっくりだが、今は花の女神だと、すすむは信じている。
「四季を紡ぎ出す泉の水が枯れてしまったの」
女神さまは、暖かな光に包まれているのだが、その光は弱々しく痛々しい。
「だから、春が来ないの」
女神さまは続けていった。
「お願い。すすむクン。この世界のために、泉に水を取り戻してちょうだい」
すすむはこういうシュチュエーションには覚えがあった。ゲーム機で遊ぶロールプレイングゲームがこんな感じだ。すすむよりもお父さんが一生懸命で、コントローラーを握ってすすむに渡してくれなかったことがある。
すすむは思った。
(きっと、悪い魔王が泉の水を止めてしまったんだ)
女神さまの声がささやくように届いた。
(それは、私にもよく分からないの……)
不安や戸惑いや整理のつかない苛立ちが春香の心から流れてくるようで、乾ききった泉は春香の心を象徴しているよう。どうしたら、豊かな潤いを取り戻せるのか、春香はすすむの旅に自分の心を託したのかもしれない。
きっと、春香の心を閉ざす魔人を倒すと、泉の水は豊かに復活する。その結末を予感して、すすむは歩き始めた。
親切なことに、すすむでも迷うことのない一本道が続いている。たまに、ふたまたに分かれていても、片方は行き止まりの先が見えていて、選ぶ道に迷うことがない。一人ぼっちなのだが、誰かに暖かく見守られている感じがして寂しくはない。
(まず、仲間をみつけなきゃ)
誰かが、すすむの頭の中にそうささやいた。まず、仲間を見つけるのがロールプレイングゲーム定番の進行順序だ。心強い仲間を見つけなければならないだろう。
すすむの旅の当面の目標が定まった。
湖の畔や山の中や田園地帯の光景がすすむの思いつくまま、くるくる入れ替わって興味が尽かない。麦の畑を越え、なだらかな峠道を過ぎ、長く続く砂浜を通って、すすむは草原にやってきた。
突然に、ガサガサ音がする。すすむききょろきょろと辺りを見回した。
(何か……、いる)
すすむ自身がそう思ったのか、春香が旅のヒントをささやいたのは分からない。すすむは薄緑色の丸い草の葉の陰に丸い黒い目を見つけた。丸い目は時々瞬きして、警戒するようにすすむを見つめているのである。その目に敵意が無い。すすむは警戒心を解いて尋ねた。
「だあれ? 」
その問いに誘われて草むらから出てきたのは、小さなヒツジだった。ヒツジなのに2本足で立っていて、警戒するように小さな剣を構えている。何より、すすむが首を傾げたのは、ヒツジの顔をしているのに、もこもことした毛並みが無いからだった。
「人間に毛を刈られてしまったんだ」
ヒツジは構えた剣にもかかわらず、ブルブル震えていることを言い訳するように言った。そう言いながらくしゃみをした。うらやましそうにすすむのダウンジャケットをじっと見ている。ヒツジが見つめるのは、すすむのお気に入りのダウンジャケットだった。しかし、ずっと駆けるように歩いてきたすすむは汗ばむほどに暖かい。自分だけが暖かいと言うことに罪悪感もある。
すすむはダウンジャケットを脱いだ。
「本当か? もらって良いのか? 」
信じられないというようにヒツジは言った。すすむがダウンジャケットを差し出す様子を見れば、すすむにとって貴重なものだと分かるのだろう。
「オレは戦士のメウ。よし決めた。俺はあんたについていく」
こうして、すすむには一人目の仲間が出来た。
(でも、待って……)
すすむは首をかしげて思った。ヒツジの姿を頭から足先までながめる。一応は剣と小さな盾を携えていて戦士らしい。身長はすすむと同じくらいだ。しかし、困ったことに、ヒツジらしくてのほほんとしていて、ちっとも強そうには見えないのである。すすむに必要なのは強い仲間だ。悪いモンスターを倒さなければならないのである。すすむは首を横に振った。
ヒツジのメウは寂しそうにダウンジャケットを脱いですすむに差し出した。自分が、すすむの旅の役に立てない以上、こんな貴重なものを受け取るわけには行かないと言うのだろう。強そうには見えないが、律儀なヒツジさんだ。また、寒さで震え始めているようだ。
(このまま、ボクが行ってしまうと、いつまでも寒さに震えてい
るのかもしれない)
すすむはそう思った。それに、人間に毛を取られたのなら、人間のすすむにも責任があるような気もする。
「服は貸してあげる。一緒に行こう」
すすむはメウをそんな言葉で誘った。メウは本当に一人目の仲間になったのである。
「でも、毛が生えてきたら返してね。」
すすむは自分のダウンジャケットのことを言った。
「ありがとう。あなたは人間だけれど、純真な心の人間だ。」
メウはすすむを褒めてくれたのだが、すすむは素直に喜べない。メウには悪いけれど、次にはもっと強そうな仲間を見つけようと思った。
(でも……、)
すすむは首をかしげた。何かを思い出せそうで思い出せない。メウの声がすすむを騙したおじいちゃんの声だと思い当たらないのである。
メウとの旅も、景色がくるくる変わっていくのだが、迷うことのない一本道の旅だ。いつの間にやら、メウにもぬくぬくした毛が生えそろって、返してもらったダウンジャケットを身につけてみると、メウの体の暖かさだけではなく、朗らかな性格まで詰まっているようで寂しさも薄らいだ。
突然に、すすむは眩しげに目を細めて背伸びをした。景色が開けてどんよりと曇った光が降り注いだのである。もとは灌木がまばらに見える草原であったらしいが、今は焼き払われたように地面が焦げていて、目の前の景色には地平線が存在する。
「ちょっと待って、あそこに何か見えるよ」
メウは戦士らしく何か異変に気付いてすすむを制止した。
「うんっ、何かヘンなのが動いてる」
すすむの前方に、赤い小さな塊が道を塞いでいる。塊からは、いっぱい針が突き出していて、それが一斉にもそもそ動いてカサカサと乾いた音を立てていた。
(きっと何かの罠だ)
すすむはそう思った。ゲームにはこういう罠がつきものだ。すすむたちが警戒しながら近づいてみると、すすむの両手で抱え込めるくらいの大きさだ。その勇ましい赤い針はガサガサ音を立てて倒れてしまった。
「何か食べるものはない? 」
塊はそう言った。塊が小さな丸い目を開けたので頭の位置が判別できた。赤いヤ
マアラシだった。おなかを空かせているらしい。
「人間が森を焼き払ってから、食べ物が見つからない。お腹がへって動けなくなくなっちゃった」
すすむはポケットを探った。何かの感触がある。取り出してみると、春香にもらったサンドイッチ。でも、これ一つっきりで、与えてしまうとすすむの食べ物がなくなりそうだ。ヤマアラシは黙って哀願するように、すすむを見つめている。すすむはヤマアラシにサンドイッチを差し出した。1つきりし
かないサンドイッチだ。すすむは泣きべそをかきそうになりながら、差し出した。ヤマアラシはサンドイッチを奪い取るように、もしゃもしゃ食べた。あんまり急いで食べたので、途中でのどを詰まらせた。すすむは咽せかえったヤマアラシの背を撫でてやった。温かい。その暖かさにサンドイッチが無くなった不安が消えた。毛並みに沿って撫でてやると針の感触がヘアーブラシを撫でるようで面白い。
「ありがとう」
ヤマアラシは笑顔ですすむに言った。まだ、サンドイッチのお礼を言ってなかったことに気付いたのだった。ヤマアラシは躊躇するように続けた。
「あなたは人間だけれど、思いやりのある人間だ」
「ボクはすすむで、こちらはメウ」
「ボクは盗賊のハリーです。いえっ。盗賊と言っても人のものを
盗むんじゃないですよ。すばしっこくって、宝箱の鍵を開けたり
、仕掛けられた罠を見つけるのが得意だって事です」
すすむが眺めたところ、ちょこちょこ歩く姿は可愛いけれど、
正直そうなのろまの盗賊だ。
(次はもっと役に立つ仲間が見つかると良いな)
口には出さなかったが、すすむはそんな不満を抱いた。
(あれっ? )
すすむはまた、首をかしげた。思い出せそうで思い出せない。気になるのだが思い出すことに抵抗がある記憶。ハリーはすすむを騙したお父さんの声で話している。少し気弱な雰囲気は、お母さんが出て行った後のお父さんの雰囲気と同じだ。
単調だった旅に少し楽しい変化がついた。ハリーが機嫌がいいときには歌を歌いながら歩くからだった。
ハリーはハミングするメロディを明るい調子に変えた。一面の黄色い菜の花畑の景色に入ったからだ。すすむの頭の高さで、黄色の花が地平線まで広がっている。
「ちょっと待ちなさい」
威張って威圧的な口調の割には声が小さい。すすむはその声を聞き逃すところだった。
「待ちなさいって言ってるでしょ」
声の主は腹立たしげに繰り返した。その姿をハリーが一番早く見つけた。ハリーの頭の高さより低い位置に、その声の主の姿をみつけたのだ。菜の花畑の中から出てきたのはハムスターだった。彼女はすすむに断りもなく、すすむの右足から腰のポケットへ、ポケットから肩口へ、肩口からすすむに挨拶することもなく、すすむの頭のてっぺんまでよじ登った。
「まったく、気の利かない子ねえ」
そんな言葉で、ハムスターはすすむに文句を言った。すすむが自分の手で彼女を頭に乗せなかった、彼女に余計な運動をさせた、と言うことを怒っているらしい。
「でも、見晴らしはいいわね」
ハムスターはしばらくすすむの頭の上でくるくる周囲を見回していたが、
「まだ、まだ、先は長いのね。まだ、四季の泉が枯れてしまった原因は、分からないんだわ」
そう言ったきり、すすむの頭の上のハムスターは黙りこくってしまった。四季の泉。ハムスターはすすむと同じ目的を持っているらしい。すすむはむっつり黙りこくったハムスターを掌に乗せて、顔の高さを揃えて挨拶をした。
「ボクは、すすむだよ」
「あらっ、申し遅れました。あたしは魔法使いのキィです」
すすむはそうではないかと思っていた。手の平のハムスターが爪楊枝程の長さの魔法使いの杖を持っていたからだ。
「あのね。四季の泉が枯れちゃったの。ボクはその原因を探しに
行くの」
(大事な用があるので、これ以上は構っていられない)
そういう言うニュアンスを込めたつもりだ。すすむはハムスターのキィを地面に降ろして歩き始めた。キィはすすむを追ってきたが、すばしっこく見えても、体が小さいのですすむのスピードについてこれない。
「ちょっと。あたしを置いて行くつもり? 」
すすむはそのつもりだ。すすむが欲しいのは、化け物を倒す強い仲間だ。
「本当に置いて行くつもりなのね? 」
キィの声が苦しそうにハアハア言う息づかいと共に寂しさで震えている。
「わたしが小さいと思って馬鹿にしてるんでしょう? 」
キィの声が悲しそうだ。彼女は小さな体と小さな力で、すすむと同じ目的を持ってつらい旅を続けていたのだ。独りぼっちで。
「きっと、きっと。後悔するんだからぁ」
すこし振り返ってみると、キィが一生懸命に駆けてくるのがみえる。小さい顔に大きな涙を浮かべながら駆けてくる。すこし立ち止まっただけで、すすむはまた歩き始めた。やっぱり、もっと強い仲間が欲しいと思った。
もう、声が小さくなってその意味が聞き取れない。でも声の調子から、背中の方できっとキィが泣いているのだとすすむは思った。すすむはもう一度立ち止まった。仲間を見ると、メウもハリーもうなづいていた。すすむは黙って道を戻り始めた。
寂しい涙が溢れる目で、再び現れたすすむを見つけたキィは挨拶する間もなくすすむの頭によじ登って、今度こそ離れないように小さな手ですすむの髪の一房を握りしめた。
「あなたは人間だけれど、信頼できる人間よ」
すすむは、次こそ、ライオンかトラ、それがダメならせめて強
そうな犬がいいと念じていた。
(うん……、)
すすむはうつむいて考え込んだ。心の底に封印した記憶。キィの性格は、時におじいちゃんをしかりつけるしっかり者のおばあちゃんそっくりだが、すすむはハムスターを見ておばあちゃんを思い起こすことは無かった。
新しい仲間が増えて、旅はにぎやかで楽しくなった。何より、道に迷うことが無くなった。ハムスターのキィがすすむの頭の上で、すすむの髪を握って、まるで乗馬の手綱を操るように旅の方向を指示するからだ。
景色が変わった。菜の花畑を抜けると湖の畔の景色が広がった。道は湖の畔に沿って伸びている。すすむはキィの指示に初めて逆らって引き返そうとした。湖の岸辺に一羽のアヒルを見つけたからだ。すすむは次に出会うのはライオンかトラだと決めていた。アヒルはすすむの都合に悪いのだ。キィは髪を引いてすすむ路を修正しようとしたが、もう一度すすむは逆らった。振り返ってはいけない。その時、湖からパシャパシャ大きな水音と切れ
切れの悲鳴が響いた。
アヒルは溺れていた。
(アヒルのくせに溺れるなんて)
すすむはやむを得ず、湖に駆け寄った。水が透明で底の石まではっきり見える。深さはすすむの胸のあたりだろう。すすむは少しの勇気を振り絞って湖に入った。すすむは少し水を飲んでしまったが、溺れていたアヒルを胸の高さに抱き上げた。
「有り難うございます」
アヒルはせき込みながら言い、次のように続けた。
「あなたは人間だけれど、勇気のある人間だわ」
この声とおっちょこちょいの性格には心当たりがあるような気がする。すすむはもどかしそうに仲間を紹介した。
「ボクはすすむ。こっちは仲間のメウとハリーとキィ」
「わたしは僧侶のフィニです。村人が春が来ないので困窮しています。わたしは村人を救いたくって旅をしているんです」
彼女がいた村で人間が困っていた。彼女はそんな人間を救いたいというのである。
(泳げないのに? )
すすむはそう思ったが黙っていた。ヒツジのメウが言った。
「春が来ないのはね。四季の泉が枯れたからだ」
「人間が好き勝手なことをしているから、泉が枯れたんだ」
ヤマアラシのハリーはそう言った。
「人間に愛想を尽かして四季の精がどこかに行っちゃったの」
ハムスターのキィが言った。
すすむは黙っていた。仲間の中で人間はすすむだけだ。旅の展開の中で、何か、ぼんやり見えてきたものがある。人間の身勝手が悪いらしい。仲間はすすむに気付いて遠慮してそれ以上の言葉を発することやめた。その沈黙はかえってすすむを責めているようだ。
「ああっ」
アヒルのフィニがすすむが震えているのに気付いて声をあげたのだ。アヒルは羽ばたき一つすれば平気だが、すすむは湖から上がってびしょ濡れのままだ。四季の泉が枯れたと言うことがよく分かる。四季が冷たく凍り付いて動かない。その冷たさがすすむの体に染み込んでくるのである。ヒツジのメウが体を寄せた。体温がすすむに伝わってくる。ヤ
マアラシのハリーが駆け回って小枝をかき集めると、ハムスターのキィは大げさな身振りで小さな体で精一杯の呪文を唱えた。
「ファイアーボール」
小さなキィの、小さな火の玉は、焚き火の火種にはなった。小さな炎が燃え上がって仲間を照らし出した。いつの間にか日が沈んで夜がふけている。アヒルのフィニが仲間のために呪文を唱えた。
「ヒーリング」
弱々しい魔法で、体力の回復には至らない。しかし、体がくすぐったいような快感で気分がいい。すすむは仲間に囲まれながら、彼らと出会ったときのことを考えていた。
「あなたは人間だけれど、純真な心の人間だ」
「あなたは人間だけれど、思いやりのある人間だ」
「あなたは人間だけれど、信頼できる人間よ」
「あなたは人間だけれど、勇気のある人間だわ」
この世界を壊した人間で、しかも、力のない子供だけれど、すすむのことを信じてみたいと、すがりついているようだ。
(ボクは仲間の期待に応えられるかな? )
そんなことを考えながら、すすむは目を閉じた。
たぶん、明日、目的地に着く。
たぶん、明日、全て明らかになる。
仲間が温かくすすむを包み込んでいて、すすむは心地よい眠りに落ちていった。
すすむが目を覚ましたのは夜半のことである。夜明け前の一番冷え込む頃かもしれない。メウが寄り添ってくれていたはずの背中が肌寒く、その不安な心持ちがすすむを夢から引き戻したのである。仲間はすすむから離れて焚き火を囲んでいた。ひそひそ小声で
何かを相談しているようだ。まるで、すすむのお父さんとお母さんのことを話題にする時のおじいちゃんとおばあちゃんのようだ。すすむはそう思って黙って、目をつむったまま仲間の話を聞いた。
「ねぇ、メウ。私たちは、この子を連れて行って良いのかな?」
声の様子からアヒルのフィニだと分かる。
「うん。私も同じ思いだよ」
答えたのはメウの声である。
「ねぇ、この子をここに残しておこうか? 」
甲高い声は魔法使いのキィだ。
「そうだね。それがこの子のためになるかもしれない」
ハリーの言葉が結論のように響いた。そんな、小さな声が切れ切れに聞こえるだけで、会話の流れは読みとれず、すすむにこれ以上危険な旅をさせられないという彼らの意図が推測できない。理解できるのは、すすむの意思とは関係なく、彼らはすすむの運命を決めていることだった。メウも、ハリーも、キィも、フィニも、みんなぐるだ。
(ボクは騙されてたんだ)
すすむは冷たい憎しみを感じつつ拳を握りしめた。
翌朝、目覚めたすすむの態度が硬く言葉が少ない。と、仲間はみな思った。声をかけても、じっとうつむいて黙ったままなのである。
すすむは父母からも祖父母からも騙され続けてきた、その記憶が半ば憎しみにも近い反感を生み出すのである。
(もう、だまされるのはイヤ)
すすむは歩き続けているのだが、旅を続けるのではなくて、何処かでこの仲間と別れて旅を終えるチャンスをうかがっているのである。仲間の雰囲気は冷え冷えとしている。メウの温かさも、ハリーの歌も、キィの導き、フィニの癒しも、全てを拒絶してしまったからだ。
すすむたちを囲む風景もすすむの心象を現して、冷え冷えとしてきた。雪や氷こそ見えないものの、冷たい水をたたえる海辺で、道は砂浜の中に埋もれて失われた。北風の通り道になっている寒風が吹きすさぶ谷間を、すすむも、メウも、ハリーも、キィも、フィニも、みな黙って、一人づつ、寄り添いもせず歩いた。冷たい永久凍土の平原が広がっていたかと思うと、彼らの旅を遮るように岩山が現れた。頂上は雲の上にあって確認できない。
その裾野は地平線まで広がっていて、迂回するルートはなさそうだ。すすむは諦めたように上り始めた。仲間はすすむを見守るように黙っていたが、すすむに続いて頂上を目指した。周りは寒く薄暗い。
(この山を越えたら)
すすむはそう思ったが、その先に何があるのか解らない。ハリーが先導した。すすむのためにしっかりした足場のあるルートを確保するつもりだ。ハリーはすすむの何倍も駆け回ってルートを探し出した。が、すすむは従わない。わざとハリーの指示
するルートを避けているようだ。
雲の中に突入し、足下のおぼつかないすすむを気遣って、キィが魔法ですすむの足下を照らしたが、すすむは逆にキィの明かり
を避けて危険な方に踏み出して行くのだ。足を滑らせるすすむをメウが支えようとすると、すすむはメウの手を振り払った。擦りむいた膝を治療しようとすたフィニの呪文も拒絶した。すすむはこの山の中で独りぼっちだ。
白い雲を抜けると、どんよりと曇った空を背景に山の頂上が見
えていた。
(あそこまで行って……)
あそこまで行って、後は麓に降りたら、こんな旅はヤメにするつもりだ。四季の泉なんてどうでも良かった。この世界がどうなっても、自分には関係ないとも思った。
ハリーは相変わらず、すすむのために安全な足場を探し回っている。岩がごろごろしていて恐ろしい。しかし、頂上はあと十数歩の位置だ、すすむは頑なにハリーに従わないまま頂上に達した。
すすむは声にならない叫びを上げた。頂上に達して目の前に次の光景が現れたのである。雪をたたえた山がずっと続いている。何処までも。幼いすすむを絶望させるのに充分に残酷な光景だ。
すすむは失望感でしゃがみ込もうとした時に、足を滑らせた。もともと足場の悪いルートを歩いていたのである。すすむは急で支えるもののない斜面を滑り落ちた。そのすすむをハリーが支えていた。滑り落ちるすすむの手を握って、背中の針をスパイクのように使った。すすむだけなら崖の下まで落ちてしまったに違いない。
「よかったぁ」
ハリーはすすむを抱きしめた。すすむは黙って抱きしめられていた。すすむを裏切ったハリーに救われたという思いで、すすむの頭は混乱している。頂上を見上げると、残りの仲間がすすむを気遣うように降りてくる。ハリーはそんな仲間に手を振った。すすむが無事だと知らせたいのだろう。
突然にそのハリーの足下が崩れた。ハリーは姿勢を崩して転がった。ハリーは小さな手で崖の縁に掴まっているのだが、その力は弱々しい。彼の体重を支えるには手が小さすぎるのである。
「だめ、だめ」
ハリーは叫んだ。すすむが自分に手を伸ばしているのが見えたのである。すすむの体重は自分の数倍はある。そんなすすむが近づけば、すすむもいっしょに落ちるだろうと思ったのである。
「ねっ。すすむ。約束して、泣かないって。すすむが落ち込むとみんなが寂しくなるんだ」
降りてくる仲間を振り返ったのだが、間に合いそうにもない。
「約束だよ。泣かないって」
「うん」
すすむに出来るのはそんな返事だけだ。ハリーは約束だけを残して崖の下に姿を消した。
すすむの心を写し取るように、景色は雪山になっている。なだらかな単独峰ではない、1つ1つがとがって高く空を突き刺すほどの峰が繋がった連山である。その景色に、すすむは悟った。
(ひょっとしたら)
仲間がすすむを置き去りにしようと言ったのは、この地形の険しさを悟ってのことかもしれない。すすむは再び歩き始めた、すすむの足下にキィが居て、すすむのために魔法で地面を照らしている。すすむはこんどこそ素直にキィに従っていた。小さな光なので、明るくなるのはすすむの足下くらいだ。
「危ないわよ。足下に気を付けて」
キィの方が危ないし、疲れているだろうと思った。すすむが跨いで通ってしまう石も、ハムスターのキィは小さな体で迂回して歩いているのである。キィが魔法で発する明かりが、丁度、電池が切れかけた懐中電灯の光のように儚い。キィも相当疲れてきている証拠だが、彼女は文句も言わず、すすむを気遣っている。この誠実さは信じても良いと、すすむの心をじんわり溶かした。
(出会ったときのように、ボクの頭にのって)
すすむがそう言おうとした時に、突然に、悲鳴と共にキィの姿が消えた。すすむの足下ばかりに気を取られて彼女自身の足下の確認がおろそかになってしまったのだろう。積もった雪が山の裂け目を隠していて、キィはそんな罠を踏み抜いてしまったのだ。
「だめ、だめ」
キィはハリーと同じ事を言った。ハリーの時と同じで、すすむが自分に手を伸ばしているのが見えたのである。自分の何倍もの体重のすすむは、あっさりと、雪庇を踏み抜いてしまうだろう。キィはすすむが自分を救おうとすれば、すすむもいっしょに落ち
るだろうと思ったのである。
「ねっ。すすむ。約束して、決して目を背けないって。すすむが目を背けたら、みんなが何処へ行けばいいか解らないの」
キィが踏み抜いた雪庇は大きく穴が空いて落っこち掛けているキィの背後に青く山の裂け目が見えている。落っこちたら命はないはずだ。でも小さなキィが踏み抜いてしまった薄い雪の層の上で、すすむメウも、フィニも キィを救うことが出来なかった。
「約束よ。目を背けずに、胸を張って前を見るって」
「うん」
すすむに出来るのはそんな返事だけだった。残ったのは、すすむとメウとフィニだけだ。すすむがてくてく歩けるのは、その前方でメウが雪を踏み固めていてくれるからだ。
(仲間のおかげだ)
すすむはそう考えるようになった。メウもずっと仲間の先頭に立ってラッセルを続けているのだが、ペースが落ちているし、呼吸も荒いようだ。だいぶ疲れているに違いない。フィニも、不慣れな土地を水掻きのついた細い足でよちよち疲れた足取りで歩
いていて、綺麗な足は紫色に変わって可哀相だ。
「3人になっちゃったね」
(すすむが無理なら引き返そうか)
そう聞きたいのである。キィとの約束を思いだした。
『目を背けずに、胸を張って前を見つめるの』
すすむは目をきつくつむって頭を振った。変な考えを振り払ったつもりだ。あと一つ、あと一つと数えながら幾つの峰を越えただろう。クレバスの危険地帯は過ぎていた。右手の方は視界を遮るカーテンのように、山の峰が伸びているのだが、対する左はずっと向こうまで視界が開けている。すすむたちはその傾斜の強い斜面を横断していた。山が唸っている。そのうなり声が大きくなるようだ。
フィニは何か不吉な結末を予期したようにすすむに声をかけた。
「ねぇ。すすむ。約束して、絶対に諦めたりしないって……」
ハリーやキィと同じような事を言う。フィニは繰り返した。
「約束よ。絶対に、」
アヒルのフィニはそう言い残して、山の上まで小さな翼を羽ばたいて飛んでいった。
雪崩だ。まるで雪の上に雲が湧き上がるように斜面を雪の塊が斜面を流れ落ちてすすむたちを押し流そうとするのである。
フィニが雪に向かって呪文を唱えている。彼女は魔法の盾で雪
崩を防ぐつもりだ。斜面一面を覆い尽くすと言っても良いおおきな雪崩だ、一羽のアヒルにどの程度のことが出来るものだろう。メウはフィニの意図を察して、急いですすむの手を引いて斜面を横断した。
フィニはメウがすすむの手を引いて斜面を渡りきったのを確認すると、何か一声叫んだようだ。すすむに約束のことを言ったのだ。フィニは大きな魔法に疲れ切って、崩れ落ちるように倒れてしまった。雪が彼女を包み込んで流していった。
四季の泉を蘇らせるという目的をすすむに残して、フィニは雪
の下に姿を消してしまった。
すすむはメウとふたりっきりで、また幾つかの峰を越えた。雪
山は越えたようだが、またごつごつした岩山だ。
突然に、メウがすすむの顔を見ていった。
「すすむ、言っておきたいことがある」
「いやっ」
すすむは拒絶した。ハリーやキィやフィニみたいに縁起でもないことを言うつもりだ。 すすむは独りぼっちになるのはいやだ。すすむの目に涙が滲んでいた。メウはすすむの涙を拭って言った。
「『泣かないで。』と、ハリーと約束したろう」
すすむはうなづいた。
「『目を背けないで』って、キィと約束したよね」
すすむはじっとメウをみた。たしかにその通りだ。
「『絶対に諦めない』って、フィニと約束したんだ」
メウの目がすすむに語りかけた。
「すすむ、あなたは強い子だ。だって、ここまでやって来たんじゃないか」
メウが微笑んで言葉を継いだ。
「いいかい、私と約束だよ。自分を信じるって」
「うん」
幾つかの峰を越えたすすむの傍らにメウの姿はなかった。落石からすすむを守って巨大な岩と一緒に崖下に落ちていったのだった。すすむは独りぼっちになっていた。仲間は、みんな、すすむに目的を背負わせて、居なくなってしまった。四季の泉を蘇らせるのは、すすむだけだ。
すすむは、ハリーとの約束を守っていて泣かなかった。キィとの約束を守って、じっと前を見て歩いていた。フィニとの約束を守っていて、この先には何か良いことがあると信じて歩くことにした。メウとの約束をまもって、4人の仲間の目的はボクが果
たすんだと信じ切っていた。そうしてみると、仲間がいつも自分を見守っているようで寂しくないことがわかった。
ふと、すすむは歩き疲れて岩に腰をかけた。目を閉じると、山を吹き抜けてくる風が心地よい。心地よさに、全身の力を抜くと、まるで、自分の体が溶けて山と一体になったような広がりを感じる。無駄な思念が根こそぎ流れ去って、心の中も体の中も空っぽだ。空虚なのではなくて、全てが謙虚にありのままに、すすむの心を通り過ぎて行くのである。
すすむが目を開けると、すすむの心象を写し取っていた山並みは消え去り、麓には森や草原が広がっていた。すすむは涙を拭いながら山を下りた。泣かないでと言ったハリーと約束を違えたわけではない。嬉しさや期待が涙になって溢れているのである。
すすむが更に旅を続けていると、前方に泉が見えてきた。泉の傍らに小さく人影が見える。新しい仲間かなと思ったが、周りの景色にも見覚えがあった。
(ああ。何も分からなかったのかな。ボク、何も出来なかったのかな)
すすむは失望するようにそう思った。この世界をぐるりと回って、何もしないまま、もとの泉に戻ってきたらしい。泉の畔に花の女神さまがいる。花の女神さまは、すすむを責めるでもなく、じっと微笑んでいた。
すすむはしばらく黙って女神さまと見つめ合った。
(ごめんなさい。何もできなくて、)
すすむが詫びようとしたときに、女神様は優しくすすむを抱
いた。
「いいえ、約束はきっと叶うわ······」
女神様が微笑むのと同時に地の底にごろごろうねる感覚がする。
「すすむ」
呼びかける声がする。聞き慣れた懐かしい声だ。ハリネズミのハリーである。女神様の傍らに姿を現したハリーは、近づきがたいほど熱く、眩しいほど輝いている。すすむをだましていると言う言葉を使うなら、ハリーがすすむに黙っていたのは、彼が四季の精の中の夏の精だということだ。すすむの信頼は、夏の精は地中深くに凍り付いていた氷を融かすのに充分な力を与えた。
「すすむ。よく信じてくれたね。」
ハリーは微笑んで言った。ハリネズミの姿は次第に薄れて空気に溶け込んだ。ハリーの存在が失われたわけではなく、自然の一部として本来あるべきところに戻ったのである。その証拠に姿を消したのに寂しくは無く、すすむには身近にハリーの存在を感じることが出来るのである。
「もぅっ、力仕事は苦手なのよ」
そんな文句を言いながら、地面の穴からもこもこ出てきたのは、ハムスターで魔法使いのキィだった。小さい体だが、1粒の種が大きな実りに変わる強さと気高さを纏っていて、秋の精だとわかる。
「すすむ、ありがとう」
キィはぺこりと頭を下げて礼をした。短い一言に感謝の気持ちがこもっている。キィの姿もやさしく消えた。
「次は、私の番か」
メウの声である。女神様の背後に姿を現したメウは、ふんっと足を踏ん張って小さな剣を地面に刺して力を込めた。ハリーが融かした地下の水を、キィが地表に導き、メウが力を込めて押し出そうとしているのである。彫像のように動かない姿勢のまま、メウは笑顔を残して融け去った。残り雪が融けるような冬の精らしい姿の消し方だった。
「もっと、元気で、いきいきと」
いつの間に、姿を現したのか、アヒルのフィニが、わきあがってきた水を優しい羽ばたきで飛沫に替えて世界に振りまいた。細かな水の粒に女神様の放つ光が加わって大きな虹になった。春の精フィニの姿が大きく薄く空に溶け込んで、この世界は春を取り戻した。
すすむの仲間は再び、すすむの前から姿を消してしまった。でも、すすむは今もしっかりと包み込んでくれている仲間の存在を全身に感じていた。四季の泉から、春と、夏と、秋と、冬が、一つも欠けずに織りなされて湧き出した。すすむの心の中に何かが広がるように、じんわり湧き出してきたのである。
女神さまはその一部始終を優しく見守っていたが、すすむの額にそっとキスをした。
「ありがとう、すすむクン。やっぱり、あなたは強い子ね」
体力や腕力を評したのではないことは、すすむにも分かるのだが、(強い子)という言葉の本質を、すすむは言葉で説明できない。ただ、ほめられているということは力がみなぎってくるようで嬉しかった。
きゅっと、誰かに柔らかく抱きしめられる感触がして、すすむは目を覚ました。




