不完全燃焼ピエロ②
「ごめん、急にオーディションが入って行けなくなった」
返信はなし。
きっとどうでもいいんだ、俺が結婚式に行くか行かないかとかオーディションに通るとか通らないとか。
いつもは、シャワーだけで済ませるのに風呂に入った。特別な日にだけ入れる入浴剤を入れて。ゆずの香りが嫌な思い出を蘇らせる。
あの日を思い出す。俺の中にぼんやりと赤い火が灯った日を。
柑橘系の香りのハンドクリームは、あいつと手をつなぐためにつけているのか。
紗世があいつと手を繋いで帰ってるところを目撃したあの日から今までよく頑張った。
入念に隅々まで体を洗った。
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僕は、何も成せないまま
何者にもなれないまま終わる。
最後に一つだけ言わせてほしい。
もし、こんな俺のファンがいたら君が何かを成し遂げてくれ。
それで俺も報われる。
人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。
本か何かに書いてあった言葉。それは成功した人の後付けだ。
起承転結全てが悲劇だったよ。
引退します。
今までありがとうございました。
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これでよし、誰も見ていないブログを書き終えて投稿ボタンを押した。
「あーあー、売れて同窓会にでもいってチヤホヤされたかったなー」
普段なら怖いはずの刃物が怖くない。
今まで、結局死にたくなかったんだな。誰よりも。
幸せになりたかったんだな。一回くらい。
残っていた入浴剤を全てお風呂に入れて浸かった。
スマホで自分のネタ動画を再生して、眺める。
「面白くねーなー、売れるわけねえじゃん。」
「ピロン。」
通知が来た。
突然の引退報告に驚いた数少ないファンからだろう。
「大ファンでした!芸人引退なんて悲しいですけど、これからは第二の人生を歩んでください!」
今まで、売れてもいないのにたまにつくブログのコメントに返事なんてしたことなかった。
「ありがとうございました。つまらない芸人ですいませんでした。全く売れないのに、ライブに来てくれたこと感謝します。」
さあ、死のう。ごめん、お父さんお母さん。でも、もう何もないんだ。手首にナイフのヒラを当てる。冷たさが伝わる。
「ピロン。」
「つまらなくなんてありません。ずっと見てきました。ずっと、ずっと。私が悲しいときはいつも笑わせてくれて。応援されるのが嫌いかなって思ったから、直接は言わなかったけど、ずっと見てたよ。売れなかったのは、残念だけど、私の中で今でも1番面白いよ、いつもオーディション受かれってずっと思ってたんだ。別に芸人じゃなくたって、いいじゃん。私をずっと笑わせてよ」
手に握っているナイフが急に尖って見えた。
湯船の底で溶けきらなかった固形入浴剤がザラザラしている。
一度消えかけた火が小さく弱く揺らぎ直した。