Part3「始業式」
桜鳥高校の始業式はいたって普通に進んで行った。
当たり前といえば当たり前だが、国連都市の高校だからといって何か特別な儀式があるわけでもない。違いといえば、国歌斉唱がないのと、ステージ上の旗が国連旗と札幌市旗であることぐらいなもの。
「本州とあんまり変わらないな」
「国境はあれど、ここは北海道の一部なのさ」
そもそも『国連管理都市札幌』とやらは「国際国家連合によって統治される国際自由都市」なんて大層な名分で成り立っているが、曖昧な部分が多い。
住民の多くは日本国籍を持つ日本人だし、通貨は新円が使われているし、行政や税制、法律だって住民自治という名目で、その多くが日本と類似している。
そんな訳で大体のことは日本国内と同じであり、数日前に『国境』を跨いで『入国』した正多も、今日までこれといって大きな変化を感じることはなかった。
強いて違いを上げるなら、日本人であっても出入りにはパスポートが必要なのと、治安維持を担っているのが国連警察であるぐらい。あとは消費税の関係で、うまい棒が十二円ではなく、十円をキープしてたりする。
「──では新たに着任した先生の紹介です」
気が付くと生徒会長のあいさつが終わり、新任の教師が立つ番だった。司会を務める奈々の声がして、ステージの上に人の影が見える。その姿がライトの下に出てくると同時に、体育館の中は生徒たちのざわめきで包まれた。
「初めまして。僕は……じゃなかった。私はヨハネス・シュミット。南ドイツ出身です」
その人物はロッテと同じくドイツ人だった。
しかし、生徒たちの注目を集めたのはその出自ではなく、右目を覆い隠している黒い眼帯と、美麗という一言で表現できる端正な顔立ちの方。中性的な雰囲気だったので一瞬迷ったが、声からして性別は女性らしい。
灰茶色の髪、灰色の瞳、ワイシャツの上から羽織っているくたびれた鼠色のウィンドブレーカーなど、その外見は全て灰色でまとめられている。
どう見ても高校教師には見えない……それが正多の感想だった。
「担当する教科は新式英語ですが、希望者がいれば南ドイツ語やラテン語、英式英語も教えることもできます。それと、二年生の担任になりました。この通り日本語は話せるので、意思の疎通には問題ないと思います」
生徒たちの注目が一心に集まる中で、眼帯の教師シュミットは続ける。
「後は……そう、右目は撃たれて失明しました。こう、ドカンと。もう慣れてしまって不自由もしていないので、気にしないでください」
挨拶が終わると、彼女はうなじで一つに結んだ髪を揺らしながら舞台袖に向かう。壇上に立った時間は僅かだったが、突如として現れた『戦争帰りの隻眼美人外国人女教師』とかいう属性過多な存在は、生徒たちをただ騒然とさせていた。
特に二年生の面々からすると、北海道では珍しいはずの欧州人──しかも共に美人──がロッテに続いて現れたこともあり、大きな衝撃だった。
生徒たちの声が強まる中、壇上にはいつの間にか小柄な女性が立っていた。
「さてさて。皆さんご存知、理事長ですよ。みんなシュミット先生に夢中かもしれませんが、私の事も忘れないでくださいね。拗ねますよ?」
マイク越しの声が生徒たちの注目を引く。理事長はざわめきが収まるのを待つ間にそんな冗談を言って、空気を柔らかくした。
桜鳥高校の理事長である荒川真。
丸眼鏡をかけた大学教授を思わせる知的で落ち着いた雰囲気の女性だが、実際には学者などではなく、軍事政権時代の日本中を引っ掻き回した反体制派ジャーナリストとして有名な人だ。
国家防衛法違反、情報保護法違反、社会安全法違反、検閲法違反、反政府運動への参加、国家反逆、体制転覆、偽情報の流布、過激派扇動、逃走補助などなどの罪で前科多数。欠席裁判で懲役五十年、内政省による指名手配八回──民政移管後に恩赦されたが現在まで帰国せずに亡命中。
かなりのことをやらかしている人なので、その過去を知らぬ人間など校内のみならず札幌中を探したってまずいないだろう。
この桜鳥高校自体はごく普通の進学校なのだが、なぜ彼女が理事長なのかについては七不思議のひとつに数えてもいいぐらいのミステリーである。
「コホン、これで改めて長い、長~い挨拶を始められますね……なーんて、冗談ですよ。校長先生のお話なんて、みんな聞きたくないでしょう?」
柔らかな口調を崩さぬままに言うので、生徒たちの間では小さな笑いが起きた。
「私はその辺しっかり理解していますよ。この場で言うことも特にないので、早速ですが理事長挨拶と、ついでに始業式も終わらせちゃいましょう」
随分と軽いノリで言ってのけた理事長は「思い出に残る高校生活になりますように」とそれだけ言って、本当に式を閉めてしまう。
「さすが無政府主義者。始業式までアナーキーだぜ」
隣では史家が感心するように呟いていた。