Part2「クラスメイト」
「なるほど。フォイエミヒ……は『私は嬉しい』って意味なんだ」
「ゲナウ! 直訳すると『あなたに会えて嬉しいです』かな。日本語でいうと『初めまして、よろしくお願いします』って感じの挨拶だよ」
ドイツ語の意味を教わりつつ──ちなみにゲナウは「そのとおり」という意味らしい──雑談をする。
「それでね、日本のマンガが好きでよく読んでるの。セータ君は読んだりする?」
ロッテはショルダーバッグの中から一冊の単行本を取り出した。
それは正多も読んだことがある日本の学園漫画。電子書籍が主流な今時、わざわざ紙媒体の持ち歩いているなんて、よほど好きな作品のようだ。
「転校生ってさ、こうやって黒板の前で自己紹介をするんだよね」
ぺらっと表紙をめくって最初の見開きページを見せる。
「これすごく憧れてたんだ~」
「確かに転校生の紹介って漫画のテンプレかも」
「だよねだよね! マンガの主人公になった気分だよ!」
「ロッテなら、その漫画のヒロインみたいにクラスの人気者になれると思うよ」
「えっ、そうかな」
正多の言葉に、ロッテは目を丸くした。
ある日、転校生として現れた金髪碧眼の美少女……なんてヒロインの鉄板だし、嫌でも注目を集めることになると思うのだが、本人にその自覚はない様子。
ロッテは肩を落とすと、自信なさげに口を開いた。
「わたしね、緊張すると日本語が出なくなっちゃうの。セータ君の前でも緊張しちゃったし、だから変な子って思われるかも……」
ロッテの日本語はむしろ流暢すぎるぐらいだ。緊張で多少言葉が出なくなっても別に違和感はないと思うのだが、本人はそこをかなり心配しているらしい。
大丈夫だよ……と少しの間励ましていると、コンコンと応接室の扉が叩かれた。
「お二人さん、おっはよう。待たせちゃってごめんね」
視線を向けてみれば、扉の向こう側から女性が顔を覗かせていた。
二年生を受け持つと聞いていた教師である加藤奈々。保健教師かつ養護教諭でもあるので、いかにもと言った感じの白衣姿だった。
転校前について事前の対応してくれた人物だったので、二人とも奈々とは既に面識がある。挨拶もほどほどにして、一行は教室に向かった。
二年生の教室は西棟の三階にある。
階段を上って教室に近づくにつれ、静かだった廊下には微かに話し声が聞こえ始めていた。
「……や、やっぱり緊張するなぁ」
「ダメそうだったら、とにかく俺と同じようにやってみて。きっと上手くいくから」
やけに自信があるようだったので、ロッテは不思議そうに彼の顔を見る。
「慣れてるんだ。転校が多くって」
「私が先に行くから、呼んだら入ってきてね」
奈々が一人で室内に進んでいくと、教室の声が収まっていくのが分かった。
開きっぱなしの扉からは生徒たちの姿が見えて、そのうち何人かは興味津々といった感じで転校生の事を横目で見ている。
そんな中でロッテは正多の背中に張り付いてその姿を隠していた。
「うぅ、心臓バックバクだよ……」
「これから教室に入るんだから隠れなくても」
「ちょっと深呼吸するから、先に行ってほしいなぁ」
「さてさて、みんなお待ちかねの転校生紹介の時間ですよ。二人とも~」
奈々が教壇の前でひょいひょいと手招きしているのが見える。
すっかり弱気になってしまったロッテに転校ベテランとしてのお手本を見せるべく、正多はわざとらしく堂々とした感じで教室の中に入って行った。
その様子を後ろから見たロッテは感心しつつ、遅れすぎないように深呼吸を済ませて一歩踏み出した。
「お決まりすぎるかもしれないけど、やっぱりまずは自己紹介をしてもらおうと思います」
正多が教室を少し進むと、後ろから足音が続く。
呼応するように「「おぉ」」と、生徒たちの感嘆の声が響いた。それがロッテに向けられたものであることは明らかだった。
「転校生の二人です。本州の高校から来た波木正多さんと、欧州連邦から来たシャルロッテ・ブラウンさん」
教壇の横に立った正多は教室を見渡してみるが、誰一人として自分のことを見ておらず、思わず苦笑してしまう。その視線はやはりロッテの方に集まっていたのだ。
横目でそんな「注目の的」に視線を向けてみると、ロッテは明らかに緊張していて俯いたままに居心地悪そうにそわそわとしていた。
視線に気が付いたロッテがちらりと横目を返してきて目が合う。正多は彼女を安心させるように頷いてから二年生の方に向き直り、口を開いた。
「新都の高校から転校してきました。波木正多です。これからよろしくお願いします」
「Das ist alles⁉」
ロッテの知るところ──マンガ知識──によれば、日本の学校における自己紹介では面白いことを言ったり、好物を言ったりすることが多いらしい。しかし、転校ベテランである正多の先例と言えば、名前と前の学校だけという実にシンプルなもので、「それだけ?」と思わず声が出てしまっていた。
「えっあっ、いや、えっと。わ、わたしはシャルロッテ・ブラウンです。ミュンヘンから来ました。よろしくおにぇがいします!」
そのままロッテは慌てて同じように自己紹介する。
正多が軽く頭を下げるのが見えたので、同じように勢いよく頭を下げた。簡潔な自己紹介には当然、難しいところなど一つもなくて、心の中でホッと一息つく。
顔を上げるのと同時に、生徒たちの軽い拍手がぱちぱちと響いた。
それで自分が──少なくとも変な子だとは思われずに──クラスに受け入れられたのだと分かる。視線を正多に向けてみると、彼は優しい笑みを浮かべていた。
「んじゃ、二人とも席について~」
指定されたのは正多の席は真ん中の列の一番奥、ロッテの席は窓側真ん中の席だった。
「さてさて、これでLHRは終わりね」
「ナナセンしつもーん」
締めようとすると、前方の席に座る女子生徒が手を上げた。
「ここに居るってことはナナセンが担任なんですか? 前は別の人になるって言ってたような?」
「うぇっ、あっ、ぇーと……。あっ! もう時間だから、私行かないと! 転校生の二人に体育館の場所を教えてあげてね! んじゃ、また後で!」
その質問に対して奈々は明らかに動揺したような声を出すと、それだけ言って逃げるように教室を後にした。
様子のおかしい奈々に対して少しだけ困惑する時間が挟まったが、それも一瞬のことで教室内は話声ですぐに騒がしくなった。
話し声と共に、二年生の多くは男女問わず我先にと転校生の席──もちろん、人気のある転校生の方──に向かって動き出していた。
金髪碧眼美少女転校生の陰に隠れたごく平凡な転校生といえば、もうすでに存在を忘れられたらしく、完全に独りぼっち。とはいえ正多の心配事と言えば自分のことではなく、ロッテは緊張せずに話せているかなと、それだけだった。
「なぁ、転校生。セーター、いやセイタだっけ」
不意に隣から声がした。全員に忘れられたと思っていたので驚きながら顔を向けると、隣の席に座っている青年がこちらを向いている。
「俺は録達史家って言うんだ。史家でいい」
声の主は四角いメガネと、おでこの出た短髪が特徴的な青年だった。
「あのブロンドの子のこと見てたのか? ま、あんな美少女の隣に立たされたんだから、惚れても仕方ないか」
「そういうんじゃないよ。ただ、話した感じ人見知りっぽかったから心配で」
「へぇ、もう話したのか」
「転校生同士だからね。ロッテの事が気になるんだったら、話して来たら?」
「あれじゃ俺が話すのは無理そうだ」
史家は肩をすくめる。
ロッテの周りは大混雑だった。席に座ったままの生徒たちも気になっているようで、二人のみならず皆が皆、そちらへと視線を向けている。
クラスの話題も当然ながらロッテでもちきりだ。
「それに、なんて話せばいいか分らんしな」と史家。
「日本語はペラペラだよ」
「いや、そういう意味じゃなくってな……。ま、それはいい。もし告白したいんなら、その時は協力してやるぜ。他にも困りごとがあったら言ってくれ。分からんことばかりだろ?」
「そんな予定はないけど。とにかく助かるよ」
「なぁに気にするな。ほら、学園物によくあるだろ? 転校生に学校の事情を教えてくれるお助けキャラ的な奴。それがおれの役割なのさ」
そう言うと、彼はニッと大きく口を開けて笑みを浮かべた。
録達史家と言う青年は、口調や表情は知的な人間のソレとは程遠いのだが、一方で何故かどことなくインテリ感がある。なんとも不思議な雰囲気のやつだった。