Part1「少女との出会い」
【国連管理都市・札幌──2052年4月】
四月は始まりの季節である。
それは遥か昔からそう決まっていて、もはや自然の摂理のようなもの。
新しい環境。新しい始まり。
今日は、今日こそは、平凡な自分を変えることができるような、大きな出来事が起こる。そんな一日になるのではないかと、期待が胸を高鳴らせる。
人生が変わってしまうような運命的な出会いや、物語の始まりっぽい『特別』な出来事が起きる日になるんじゃないかと、そう期待してしまう。
ひゅるり、と北風が吹いて頬を冷やす。
それで現実に引き戻された。
経験から言ってこういう期待は一度だって叶った試しがない。
自分にだけ都合のいいことなんて、現実にはそうそう存在しない。そんなこと、自分が一番分かっている。とはいえ、心のどこかではやっぱり期待してしまう。
平凡を嫌う平凡な高校生、波木正多はそういう人間だった。
「寒い、寒すぎる……」
もう何度、そんな分かり切った愚痴を呟いただろうか。
体が小刻みに震えている。
北海道の四月は他の地方とは全く異なる様相だった。
端的に言えば、まだ冬なのだ。
前に住んでいた新都という街も豪雪地帯に在って、冬になれば雪が積もる方だけど、それでも三月中にはすっかり溶けてしまう。
そんなわけで、しゃく、しゃく、ぺしゃり……と、今まさに足元で音を立てている溶け残った雪の存在が未だに信じられなかった。
歩道を進んでいくと、学校の敷地沿いに並んだ冬枯れの木々が目に入った。
本州であれば始まりの春を彩る桜たちも、北海道ではまだ一本も咲いていない。これが北海道にとって普通の四月なのだろうか。
だとしたら、少し寂しい気がする。
そんなことを考えながら顔を上げると、枝の隙間から姿を覗かせる四階建ての校舎が目に入った。そこに近づくにつれて心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。
何度転校を経験しても、全てが一から始まるこの瞬間、この孤独にだけは慣れそうにない。
期待と不安が入り混じり、胸のあたりをきつくする。
息を吸うと、澄み切った冬の匂い。
吐くと白くなって消えていった。
私立桜鳥高校の廊下はしんと静まり返っていた。
いまごろ在校生たちは新学期最初のホームルーム中で、校舎を歩いているのは真新しい濃紺色のブレザーに身を包む正多だけ。
転校生は在校生のHRが終わるまでは応接室で待機することになっている。手元の携帯端末に表示されている校内図を見ながら応接室を見つけると、軽くノックしてから扉を押した。
「── fühle mich unsicher ...... aber wahrscheinlich geht es mir gut ......」
室内から小さな声が聞こえてくる。
扉の向こう側に、金色が飛び込んできた。室内にいる先客──革張りのソファに腰かけるのは、後ろ姿でもはっきりと目立つブロンド髪の女の子。
「Was?」
そう呟きながら少女が振り返る。目が合って、思わず息を吞んだ。
ブレザーの上で揺れる長いブロンドヘアーとぱっちりと開かれた碧眼。そして、陶器のように透き通る肌──ヨーロッパ系の少女……いや、美少女だった。
あどけなさの残るやや幼い顔に、堀が深く整った目鼻立ち。
可愛らしさと綺麗さが奇跡的なバランスで両立している。現実感のない美しさに、正多は感想もなくただ圧倒されていた。
正多を認識した少女はまんまるの目をぱちくりさせた後、ソファーから立ち上がって、ずんずんと近づいて行った。
二人の身長はほとんど同じで、正面にくると目線がぴったりと合う。少女は首を傾げつつ、正多のことを上から下までじろっと観察した。
「ここに来たってことは、えーっと……キミも転校生?」
よく通る軽やか声で言うと更に顔を近づけてくる。
美少女との物理的な接近に戸惑いながら頷いて見せると、両手を優しく握られて何やら外国の言葉で話しかけられた。
「Ich freue mich, Sie kennen zu lernen......」
正多は混乱しっぱなしだった。すぐ目の前に美少女が居て、手をぎゅっと握られている。そして、何故か目をめちゃくちゃ見つめられているのだ。
余りにも距離が近い、近すぎる。透き通った海のような瞳と、その周りを彩る金色のまつげさえもはっきりと見える。……と、それよりも問題なのは彼女の言葉が何語か分からなくて返答できないことだった。
「え、あっ、あぁ間違えた! 日本語じゃないと!」
なんて返したらよいのか分からず困り顔を浮かべていると、少女は慌てて流暢な日本語を使い始めた。
「っいch……じゃなくって、わたしの名前は、シャルロッテ・ブラウン。転校してきた二年生だよ! 日本語話せるよ! よろしく!」
「ど、どうも、ブラウンさん。波木正多、俺も二年生だよ」
「ってことはクラスメイトだ!」
シャルロッテ・ブラウンと名乗った少女は元気いっぱいに言った。
桜鳥高校は去年開校したばかりの小さな高校だ。全校生徒七十人ほどで、一学年に一クラスしか置かれていない。つまり、同学年は全員クラスメイトになるのだ。
「ナミキが家の名前だよね。よければ下の名前、セータ君って呼んでもいいかな? わたしたち、これからクラスメイトになるわけだし」
探り探りといった様子で提案してきたので、すぐに頷いて答える。すると少女シャルロッテはぴょんと飛び跳ねながら笑みを浮かべた。
「やった! セータ君! セータ君!」
少女は確認するように何度も名前を呼ぶ。
「あのね、わたしのこともロッテって、愛称で呼んでくれると嬉しいな」
「わかった……えと、これからよろしく、ロッテ?」
「うん、ロッテだよ!」
ややぎこちなくだが愛称で呼んでみると、ロッテは満足気な表情を浮かべた。
「セータ君! ヨロシク、ヨロシク!」
握ったままの手が上下にぶんぶん振り回される。
その勢いに圧倒されていると、ロッテはきょとんした様子で不思議がった。
「あれ、これじゃダメだったかな。初めましての挨拶って……ああ、ハグとかした方がいいのかも。うん、それがいい。普段はしないけど、親交のためなら!」
ロッテはそう一人で呟いて勝手に納得すると両腕をばっと大きく広げて一歩、また一歩と近づき始めた。この距離感ですらドギマギしているというのに、ハグなんてされたら心臓が持ちそうにない。
そうこうしている間にもどんどんと近づいてくるので、慌てて後ずさる。
「ちょ、ちょっと待って! 握手は良いけど、ハグは全然しないから」
「あ、ご、ごめんなさい。まだ色々と勉強中なの、日本文化は……」
強めに拒絶されたので、ロッテはしゅんと少し落ち込みながら腕を下げる。
「こっちこそなんかごめん。……えと、日本育ちじゃない?」
「うん。札幌にはこの前来たばかりだよ。わたしは南ドイツの出身で、ミュンヘン共和国に住んでたの。でもでも、日本語は三年間勉強してたよ!」
「流暢だったから、てっきり日本で育ったのかと」
「そうかな? 日本の人と話す機会は少なかったから、そう言ってもらえると嬉しいな」
ロッテは褒められたことにえへへ、と照れくさそうな表情を浮かべる。
「もし日本のことで分からないことがあれば言ってね」
ロッテはその言葉に反応して、ぱっと目を見開く。
「わたし……わたしね、日本の学校で独りぼっちになるんじゃないかって、ずっと心配で。だから、日本での友達の作り方を教えて欲しくって……。何て言えば友達になれるの?」
転校や編入を経験する学生は、誰だってまず一番に友達とか交友関係を気にするものだろう。
実際に正多だってそうだし、ロッテもまた同じであるようだった。彼女の場合はこれまで日本人との接点の無かったのだから、その不安はもっと強いものだろう。
「あっ、それとも、言わない方がよかったかな。こっちのコミュニケーションは、オクユカシが大事って、聞いたことあるし……」
ロッテは返答を待たずに呟くと、怯えるようにしゅんとする。
「友達が欲しいなら、普通にそう言えばいいだけで大丈夫だよ」
そんな様子を見かねてすぐに声をかけた。
「ヴァクィヒ? ……じゃあ、その。セータ君、友達になってくれる?」
ロッテは言われたことをさっそく実践することにした。向かい合って彼の目をまじまじと見つめながら、確認するように問いかける。
眉を八の字にして、いかにも不安気な面持ちの上目遣い。
その青い瞳に射抜かれて、思わずどきりとしてしまう。潤んだような瞳は異性に対する武器としてはかなりの威力だった。
「も、もちろん。俺たちはもう友達だよ。ロッテ」
心臓が高鳴る中で、しどろもどろになりながら何とか声に出す。
「やった! やった!」
返事を聞くや否や、ロッテは友達ができたことに歓喜してぴょんぴょん飛び跳ねている。友達になっただけだが彼女にとっては随分と大事のようだ。
心臓の音は収まってきたが、今度は照れくさくなってきて顔が熱くなった。
「あと、ハグは大切な人とだけしようね」
「それも分かったよ! 教えてくれてありがとう!」
ロッテは嬉しそうに言って、再び手をぎゅっと握ってきた。
こっちも指摘した方がいいのだろうか……。
迷いつつ、満更でもなかったので言わないことにした。