Part9「猫の手も借りたい」
翌朝になってロッテと共に校舎に入ると、上の階から何やら言い争う男女の声が聞こえてきた。
随分と白熱しているようで、声は一階のアトリウム全体に響き渡っている。その声──男の方も女の方も──には、か~なり聞き覚えがあったので、正多とロッテは駆け足で階段を上る。
飛び込んできたのは、廊下の真ん中で言い合いを続ける史家と彩里だった。
「と、に、か、く! やり方を変えて! 迷惑が掛からないようなやつに!」
「んなこと言われたって、効率的なんだ!」
「二人とも一体どうしたんだ?」
割って入ると、二人の視線が正多に向いた。
「あぁ、正多……。昨日ね、猫探しのことであたしの家に苦情が来たの。ポスターの猫探しに協力させてくる不審な高校生がいるって」
「別にいいじゃんか。ポスターで協力を求めるのも、子供に声をかけるのもおんなじだ」
史家が割り込むと、彩里は渋い顔をして、
「苦情の内訳は、子供が怪我したらどうするんだってのが三件。お菓子をあげるのは不適切だと二件。たぶん誘拐犯だっていうのが一件よ」
「過保護だな。公園で遊んだって怪我はするだろ」
「不審者情報まで出たってさ。『猫を探してくれたらお菓子をくれる、と男が声をかけた不審者事案』って。一体だれのことだろうね?」
「誰が不審者だ! こちとら堂々と制服着てるんだぞ! 高校生なんだぞ!」
「子供を使うのは無し! あたしはともかく、飼い主のおじいさんたちの立場まで悪くさせないでよ。明後日、土曜になればあたしも参加するから、それまでは二人で頑張って。お願いだから」
彩里は子供に言い聞かせるような声音で語り掛ける。
対する史家は不満げに口を開いた。
「悠長なこと言ってられるのか? 何日目だ、チョコちゃんが居なくなってから」
その反撃に彩里は明らかに動揺していたが、「と、とにかく、だめだから!」と言い残すと逃げるように教室に入っていった。
「文句ばっかいいやがって! 行動してるのは俺らなのに!」
「まあまあ、落ち着けって。実際、お菓子は少しまずかったかもな。不審者の常套句だ」
「でも子供たちのやる気が出ないだろ」
はぁと深いため息をつく。
口では平然と文句を述べていたが、実際のところ彩里の抗議はかなり堪えたようで、目に見えて落ち込んでいた。
「シカ君大丈夫?」
ロッテは三人の詳しい事情こそ分からなかったが、とりあえず落ち込んでいる史家に対して心配するように声をかける。
「ありがとう。大丈夫だ。ところでロッテちゃん、今日はどこの部活体験に行くんだ?」
「今日はね、ブンカ部だよ」
それだけ聞くと、史家は肩を落としたまま教室に向かった。
正多も教室の入り口でロッテと別れて自分の席に座る。ふと、隣の史家から呟き声が微かに聞こえてきた。
「ロッテちゃんの力を借りたかったんだが、流石にそう上手くはいかんよな……」
確かに子供たちの力を借りられないとなると人手不足は深刻だ。
明後日になれば彩里が来てくれるそうだが、史家の言った通り時間が経てば経つほど、チョコちゃんの身に何か起きるかもしれないのも確か。
「史家、どうする?」
「手法を変えるにしたって、地道に探す以外に手がねぇ。とはいえ、あんだけ子供がいても見つからなかった猫だ。二人だけじゃきついぞ」
「分かってるよ。でも俺らが協力を求められる人もいないし」
「ん、いや、まてよ。一人いるじゃん!」
それから時間が経って放課後。二人が向かった先はシュミットの待機室だった。
扉の横に設置されている固定端末のパネルを操作して『呼出』のタブに触れる。
「シュミット先生。録達史家です。部活のことで相談があるんですけど」
そう声を掛けると、端末から声が響いた。
「あぁ、キミか。……いま先客がいるんだけど、一緒でも大丈夫かい?」
声と共に扉がすーっと滑らかに開く。どうやら教員待機室の扉は他の教室の扉と違って、最新式の自動ドアらしい。
シュミットの教員待機室は物が少なく、質素な印象を受けた。特徴的な所と言えば、どこから持ってきたのか、簡易的なシンクがあることぐらい。室内にはデスクに腰かけるシュミットと、ソファーに座っているロッテの姿があった。
「セータ君とシカ君だ! やっほー」
「先客ってロッテだったんだ」
「うん。いまね、シュミット先生からラテン語を教わってたの」
ロッテは二人に自分の隣に座るよう促す。三人で並んで座ると、長机の上に置かれた筆記用具とノート、そして古びた本が目に入った。
「へぇ、すごいなロッテちゃん。ラテン語って難しいんだろ?」
「すごく難しいってわけでは無くって、うーん、古文とか漢文とか、そういう感じかな?」
そう言って、二人に古びた本を見せる。
「これが読みたくて、教わってるんだ~」
その本には『Commentarii de Bello Gallico』というタイトルが書かれていた。
「ほう、ガリア戦記か。俺も日本語版なら読んだことあるよ」
「あっ、シカ君わかるの?」とロッテは目を丸くする。
「もっちろん。男の子はカッコいい物は何でも知ってるんだぜ?」
「ガリア戦記ってかっこいいのか?」
カエサルの書いた古い本のことなど、その有名なタイトルしか知らなかったので困惑する。どうにも史家は謎の知識をもっているようだった。
シュミットはデスクから立ち上がるとシンクの前に立って、二人分の紅茶を慣れた手つきで入れ始める。机の上には既にロッテの分であろうティーカップが置かれていた。
「見ての通り既に英語の採点と、シャルロッテのラテン語を同時並行でやっているんだ」
そう言いながら、シュミットは机には湯気の立つティーカップを二つ置いた。
正多と史家は感謝しつつ紅茶を受け取ると、さっそく事情を話し始めた。
しゅっ、しゅ、しゅっ。まる、ばつ、まる。
室内にはペン先の擦れる音が子気味よく響いている。
「……という訳でして。何かないですかね。猫を探し出す方法的な」
やんわりと一緒に探して欲しいというニュアンスを込めながら、史家が訊ねる。
「ロクタチ」
「なんです!」
「キミこれ0点だったから、次同じ点だったら補習ね」
「わかりました。帰ります」
史家がすっと立ち上がったので、慌てて抑えた。
「まてまて史家、帰るな。先生も先生で、お仕事で忙しいのは分かるんですけど、片手間でもいいので、もう少し猫探しに関係のある話をしてくれませんか……」
「別に意地悪してるわけじゃないよ。こう見えても、なんとアイデアを出したらいいか悩んでるんだ。あ、そうだ、ナミキ」
「なんです?」
「キミ、ロクタチの部活に入るんだったら、入部届を出してね」
「帰ります」
今度は正多が立ち上がったので、隣の史家とロッテが必死に静止する。
「まて正多! 落ち着け! あれは天然でやってる!」
「そうそう、シュミット先生はずっとあんな感じだから、本当に意地悪してるわけじゃないよ!」
ロッテも苦笑いという感じの表情で正多を落ち着かせると、彼を再びソファーに座らせた。
「でもでも、ネコ探しなんてマンガみたいだね!」
「漫画みたいに上手くいかなくて困ってるんだ。ロッテは何かアイデアない?」
「うーん……公園にネコちゃんの餌を置いておくとか?」
「それありかも。探しに行く前にコンビニで買っておこうか」
「いい案だけど金がかかるのはなぁ。高野が出してくれるなら文句はないんだが」
「あとは人手を何とかするところだな。ロッテは……あ、そうか、今日はダメなんだっけ」
「うん、ごめんね。この後はブンカ部の見学に行くの」
ロッテは申し訳なさそうにしゅんとする。
「いやいや、ロッテちゃんが謝る事じゃないぜ。先生の方はどうですか? 俺らと一緒に猫を探してくれません?」
シュミットは採点の手を止めると椅子をくるりと回して体を向けた。
「僕は見ての通り仕事がね。でも、代わりに手を貸してくれそうな人を紹介することはできるよ。……まぁ、役に立つかは保証できないけど。どうする?」
今はそれこそ猫の手も借りたい状況だったので、二人は提案を受け入れてシュミットが紹介してくれるという人物と会うことになった。
平日の午後という部活を行う時間帯はすごく暇らしく──その点だけですこぶる不安だったが──今日、すぐにでも会えるとのこと。
こうして猫探し二日目が始まり、二人は助っ人と合流すべく公園に向かった。




