私の妻
「検査の結果ですが……」
対面に座っている医者が口を開いた。私と妻は、町で最も大きな病院の診察室で、定期検査の結果をきいていた。
「旦那さんの方には大きな異常は見つかりませんでした。しかし、どうも奥さんの方に……」
「何か異常があったんですか」
私が医者に問うと
「ええ。実は内臓疾患が見つかりました。このまま放っておくと命にかかわるようなものです」
「なんですって!」
私は驚き、椅子から立ち上がって言ったが、医者の方は冷静だった。
「まあまあ落ち着いてください。一昔前ならドナーを探す必要がありましたが、今は治療法が確立されているのでたいしたことはありません」
「なんだ、そうなんですか」
私は椅子に座り直しながら安堵の息をはいた。妻が医者に尋ねた。
「どんな治療法なんですか」
「クローンを使った臓器移植ですよ。おそらくご存じだとは思いますが」
クローンを使った臓器移植。十年ほど前に確立され、現在は移植が必要な病気のほとんどで使われる治療法だ。患者の体細胞を採取してクローンを作り、そのクローンから必要な臓器を取り出して患者に移植するのである。ドナーを探す必要がなく、拒絶反応も起こらないので急速に実用化されたのだ。
妻は入院することになったので、病院の前で別れた。別れ際、妻は浮かない顔をしていた。
翌日、私は仕事の帰りに病院に寄った。医療ロボットが行きかう病院の廊下を進み、妻の病室にやって来た。中に入ると妻はベッドで寝ていた。個室なので中には妻しかいない。
ベッドわきの椅子に座って眠りに入っている妻の顔を見つめた。艶のある長い黒髪、二重のまぶたに乗った幾本もの長いまつ毛、ほんのり赤みの入った頬に、淡いピンクの唇。
私には不釣り合いなくらいに美しい妻の寝顔は眠り姫のようだった。
そのままぼんやりとしていると、妻が起きだした。大きく伸びをした後、ここが病室だと確認した妻は憂鬱そうな顔をした。
「移植手術が不安なのかい」
私がそう声をかけても妻は黙っていた。
「安心しろ。この手術の成功率は九十パーセント近い。私の同僚も、親父さんが同じ手術を受けたそうだが無事成功したといっていたよ」
「ねえ」
妻が唐突に口を開いた。
「手術の後、私のクローンはどうなるの」
「どうなるだって?そりゃ処分することになるだろうね。じゃないと国際法違反になる」
クローンを長期間生かすことは倫理的な問題があるので国際法で禁じられている。移植手術は特例だ。
「クローンって双子のようなものでしょう?それを処分するだなんて……」
「処分といっても、意識が戻る前に安楽死させるのだから痛みや苦しみは伴わない。心配することないさ」
「でも……やっぱり私、納得がいかないわ。自分の命を守るためだけに新たな命を作って、すぐに捨てることに」
「なにを言っているんだい君は。……まさか手術を受けないつもりかい」
震える声で私は尋ねたが、妻は何も言わず、下を向いていた。
妻の決心は固かった。私や医者は毎日妻を説得したが、妻は手術に応じなかった。
やがて、妻の体が病によって衰弱し始めた。それでも妻は手術を受けようとしなかった。移植手術以外に病気を治す方法がなかったため、私は妻が苦しんでいてもどうすることもできなかった。
数か月後、妻は死んだ。死に際、あれほど苦しんでいたのが嘘のように、やせこけた妻の顔は安らかだった。
葬儀を済ませ、家に帰ると電話が鳴った。私はすぐに電話に出た。
「もしもし」
「例のものが完成しましたので、すでにそちらにお送りしました。おそらく、もうすぐすると到着するでしょう」
「ああ、ご苦労。あらかじめ送っていた記憶のデータも注入したか」
「はい、問題ありません。しかし非合法な依頼だったので、お代は高いですよ」
「かまわん」
電話を切ると同時に、インターホンが鳴った。
急いで玄関に行き扉を開けると、妻が立っていた。
「あら、あなた。もうお帰りになっていたのね」
仕事帰りの服装で妻が言う。
「ああ、今日は早かったんだ。」
そういって妻を、いや、妻のクローンを抱きしめる。
君がこの光景を見たらなんて言うだろう。
やはり私には君がいない生活なんて考えられないんだ。だから、あらかじめ保存しておいた君の体細胞を使って君のクローンを作った。
非合法なのはわかっている。これから君を外に出すことはできないだろう。だが、私はそれでいいんだ。君さえいればいい。
そんなふうに考えながら私は妻のクローンに、いや、妻に言葉をかける。
「おかえり」