智ちゃんの死
「ダメだよ!ここは、ゆーえいきんし…」
僕の言葉などかまわず智ちゃんは立ち上がる。
ボートは激しく揺れ、僕は船体の縁を掴み必死で転覆を抑えた。
「智ちゃん!あぶないよ!」
ようやく揺れが収まり、僕は顔を上げるや彼女を怒鳴った。
最初に視界に入ったのは彼女の足元。
だが、彼女のサンダル履きの足元は脱ぎ捨てられたワンピースで見えない。
「智…ちゃん…?」
緑色を背景に彼女の白い裸体が…あった。
再びボートは揺れたが、僕は彼女がパンツを脱ぎ捨てる姿を唖然と見つめていた。
パンツは湖にしばらく漂ったあとユラユラと沈んでいく。
「こーちゃん…泳ごうよ…」
僕は目が離せなくて
彼女の裸を見つめたまま
固まっていた。
落水した音と飛沫、ギラギラ照り付ける太陽と空が一瞬視界に入り水泡に囲まれる。
体をバタつかせ水面に出るが恐ろしい勢いで
彼女は僕に掴みかかった。
「智ちゃ…智ちゃん!」
彼女は笑っていた…いや、笑った顔のままの表情だった。
巨大な水棲生物に水底に引き摺り込まれる様な恐怖
異変に気付いた母親の悲鳴が聞こえた。
次に覚えているのは桟橋の上…
僕達は売店の夫婦に助けられたらしい
母親のヒステリックな叫びが終始響く中で僕は智ちゃんを見ていた。
彼女は桟橋の上でバスタオルを体に巻き踞っている。
母親の罵声も僕も気にするでなく
転覆し腹を見せたままのボートを見ていた。
じきに病院から車が到着し、彼女は職員に促され立ち上がった。
「こーちゃん、また会おうね…」
僕は返事をしようとしたが、彼女の眼は湖に向かっていた。
これが彼女を見た最後となった。
彼女は、その翌年に火災で死んでしまったからだ。