こーちゃん…
「智ちゃん…」
あの頃と変わらない
彼女の部屋は、窓を開けると格子越しに湖が一望出来た。
炎が焼き尽くした部屋に彼女の痕跡は無かったが
窓から見える景色は、何一つ変わらない。
沢田智子は僕の叔母にあたる人だ。
彼女は初めて会った時から壊れていて
この病室が彼女の部屋であり全ての世界だった。
「こーちゃん、遊びに行こう」
遅くに生まれた彼女は姉である母より甥の僕に歳が近く
当時まだ妹が寛解すると信じていた母は見舞いの度に
小学生になったばかりの僕を彼女の話し相手に連れて行った。
僕は彼女が狂っている事は知らされてはいない…
いや、小学一年生では狂っていると言う意味を理解する事は
出来なかっただろう。
だから僕は、たまに変な事を言い出す身体の弱い親戚のお姉ちゃん位にしか思っていなかった。
彼女は高校生くらいの歳だったと思う。
二人は直ぐに仲良くなり僕は彼女を「智ちゃん」と呼び
彼女は僕を「こーちゃん」と呼んだ。
近藤だから、こーちゃんらしい…
彼女は僕と一緒に居る時だけは、多少変わった普通の娘だった。
だから、病院は僕が来る事を歓迎したし母はせっせと僕を連れて来たのだ。
「こーちゃん、よく来たねぇ」
夏休みはいつも白いワンピースと麦わら帽子で彼女は僕を迎えてくれた。
余程状態が良くなるのだろう、本来なら鉄格子に囲まれて暮らしている彼女に
病院は外出を許可したと言うか、フリーパスを許した。
彼女が行きたがる場所は決まって病室から見える湖だった。
町に行けば良いのにと母は言ったが、智ちゃんは頑なに湖へ行くと言う
「こーちゃん、湖に行こうよ…」