四話、魔法の種
⎯⎯魔女様の弟子にしていただけないでしょうか?
エマの願いを聞いて、ターニャは顔をしかめました。
これまでに同じことを言ってきた人は何人かいました。
でも、その中で魔女の弟子になることができた者は一人もいません。
魔女の弟子になるには条件があるのです。
そもそも、ターニャは弟子などとりたくありませんでした。
それはもちろん、魔法の研究の時間が減ってしまうからです。
ターニャにも、かつて師匠の弟子だった時があるのですけれどね。
⎯⎯しかたない。
ターニャはため息をつきました。
魔女は弟子になりたいと申し出た者には必ず機会を与えなければならないという決まりがあるのです。
ターニャはエマの顔を見上げて胸をそらし、威厳をもって(いるつもりで)言いました。
「今からお前に“魔法の種”を植えつける。魔女の弟子になりたい者は、この種を芽吹かせなければならない」
ターニャが呪文を唱えると小さな光がエマの胸に吸い込まれていきました。
「期限は明日のお日様が顔を出すまで。種が芽吹かない時はあきらめなさい」
エマは光が消えた胸のあたりを両手で押さえました。
「どうすれば芽吹くのですか?」
ターニャはつんと顔をそらしました。
「自分で考えるのね」
そう言うと、ターニャはチラチラと降り続く雪の中に溶けるように消えていきました。
エマはあわてて小さな魔女を探しましたが、もうどこにも見あたりません。
雪の降り積もる寒い庭に、洗濯物が入ったたらいがあるだけです。
自分の服も、もとのつぎはぎだらけに戻っています。
⎯⎯夢を……見ていたのかしら?
エマは洗濯を終えると、とぼとぼと自分の部屋に上がっていきました。
エマが以前使っていた部屋は二人のお義姉さんたちの部屋になってしまったので、今のエマの部屋は屋根裏部屋です。
部屋の扉を開けたエマは、驚きに目を見張りました。
灯りも無く真っ暗で、小さなベッドが一つあるだけだったはずの部屋が、魔法のランプの眩い光に煌々と照らされています。
部屋の中央には見覚えの無い少し小さなテーブルが置かれていて、テーブルいっぱいにご馳走がのせられていました。
焼いた鳥の肉。魚料理。湯気のたったスープ。柔らかそうなパン。色とりどりのお菓子まで⎯⎯。
エマは叫びだしそうな自分の口を両手で押さえました。
⎯⎯夢じゃない。やっぱり夢じゃなかったんだわ。
そっとテーブルに近づきました。幻ではありません。とても美味しそうな良い匂いがしています。
その時、屋根裏部屋の扉がガチャリと開きました。
「エマ。これはいったい何なんだいっ!」
お義母さんとお義姉さんたちは、お祭りで誰からもダンスに誘われなかったため、つまらなくなって予定より早く帰って来たのです。
エマにやつあたりするために、わざわざ屋根裏部屋まで上がって来たのでしょう。
エマは三人に部屋から引きずり出され、雪の降る庭にもう一度放り出されてしまいました。
エマが勝手に食べ物を買ってきて、一人で食べようとしていたと思われたのです。
三人ともお酒に酔っていて、エマの話など聞く気も無いようでした。
家のドアにも、窓にも鍵がかけられ、中に入ることはできません。
あのご馳走は三人に食べられてしまうでしょう。そして三人とも眠ってしまって、朝まで目を覚まさないでしょう。
お酒に酔ってしまうといつもそうなのです。
お城は夜通しパーティーが続きます。お父さんは今夜は帰って来ません。
よその誰かに助けを求めようにも、小さな娘が夜中に外を出歩いたら、どんなひどい目にあうかわかりません。
都の中にも盗賊や人さらいはいるのです。
月も星も見えない雪の夜空はもう真っ暗で、庭はしんしんと冷え込んでいました。
遠くから聞こえる楽しげな笑い声が、庭の静けさを際立たせているようです。
エマは風をさえぎるために、家と庭木の間に潜り込みました。
そして、エプロンのポケットから嬉しそうにクッキーを一枚取り出しました。
部屋から引きずり出された時に、とっさに一枚だけポケットに突っ込んだのです。
上に赤いジャムがのった美味しそうなクッキーです。
サクッ⎯⎯エマの口の中で、クッキーがホロホロととけていきました。ジャムの甘さが絶妙で、さわやかな香りが口の中に残ります。
「美味しい」
エマはほんわりとした笑顔になりました。
ご馳走は夢でも幻でもなく、本物でした。
だとすると⎯⎯。
エマはそっと自分の胸を手で押さえました。
ここに“魔法の種”があるというのも本当なのでしょう。
目をつぶって種の場所をさがしてみました。胸の奥に何か少し温かいものがあるような気がします。
リンゴーン、リンゴーン、リンゴーン、リンゴーン……
教会の鐘が鳴りました。
都のあちこちから人々の叫び声や笑い声が聞こえてきます。目を覚ましてしまったらしい赤ちゃんの泣き声や眠そうなお母さんの声も⎯⎯。
新しい年が始まったのです。
不思議です。
だんだん寒さを感じなくなってきました。
⎯⎯ポカポカして……まるでお母さんに抱っこされているみたい。
暖かくてなんだか眠くなってきました。
⎯⎯眠ってはだめ。魔法の種を芽吹かせなくっちゃ。
でも、もう両目のまぶたが開きません。
エマは眠ってしまう前に、さっき食べたクッキーのことを思い出していました。
⎯⎯お父さん、何か食べられたかしら。あのクッキー、お父さんにも食べさせてあげたかったな…………。
◆◇◆◇◆
静かな庭に音も無く、カラスが舞い降りました。
カラスが羽をバサッと広げると、あっという間に人の姿に戻りました。
ターニャです。
ターニャは雪が嫌いなので、いったん家に帰って明日の朝もう一度来るつもりでした。
でも、何か嫌な予感がして、途中で戻って来たのです。
ついでに、エマのことについて、事情をよく知る関係者に話を聞いてきました。
こんな夜中に?
ええ、夜中のほうが話を聞きやすい相手もいるのですよ。
たとえば、ネズミとか、フクロウとか、モモンガとか。
みんな、いろんなことをターニャに教えてくれました。
ターニャが呪文を唱えると、庭に柔らかな光があふれ、光がおさまったあとにはお姫様が使うような天蓋のついた立派なベッドがありました。
ベッドの上には肌ざわりの良さそうな寝間着姿になったエマがフワフワの布団にくるまれてすやすやと眠っています。
雪はまるで遠慮するようにベッドの上を避け、冷たい風も天蓋の中には吹き込んできません。
魔法の天幕の応用です。あの天幕はターニャが開発した物だったのです。
ターニャは顔をしかめて屋根裏部屋を見上げました。
じつは、あのご馳走はターニャが年に一度の自分へのご褒美としてあとで食べようと楽しみにしていた物でした。
どれもターニャの大好物です。
料理店に注文して家に届けてもらったのを、魔法でこちらに取り寄せたのです。
おなかを空かせた健気な女の子に食べられるならばともかく、性格の悪い三人の酔っぱらいに食べさせるつもりなどさらさらありませんでした。
でも、もう全て三人のおなかの中に納まってしまったあとのようです。
お祭りでさんざんお酒を飲んで来たのでしょう。三人とも酔いつぶれて居間で寝ています。
ターニャは何かを思いついたようにニヤッと人の悪そうな顔で笑いました。
⎯⎯食べた分は役にたってもらわないとね。
ターニャのおなかがキュウッと鳴りました。
明けましておめでとうございます。