三話、エマ
少女の名前はエマといいます。
エマのお父さんは貴族ではありませんがお城で働いています。
歴史編纂室というところです。
この国の初めから今現在、そしてこれからの歴史を記録していくお仕事なのだそうです。
たとえば、この国の一番最初の王様はこんな人でした⎯⎯とか?
二百年前に王様と貴族の大喧嘩がありました⎯⎯とか?
百年前の王子様はお隣の国の王女様と結婚しました⎯⎯とか?
つまり、この国の重要なことを本に書いて大切に記録しておくお仕事なのです。
お父さんはとても真面目で、たくさんの本棚のどこに何の記録があるかを全部覚えているので、とても頼りにされていました。
普段は少し頼りないけれど優しいお父さんは、お城の料理人の娘と愛しあって結婚しました。
二人の間には可愛い娘が生まれ、お父さんとお母さんとエマの三人で仲良く暮らしていたのです。
短い間でしたが……。
お母さんが亡くなったのは、エマが五歳の時でした。
お父さんは愛する妻の病気を治すために、名高いお医者様を訪ねたり、あちこちから薬を取り寄せたりしましたが効果はありませんでした。
その日からお父さんとエマは二人で力をあわせて、いろいろなものを乗りこえてきました。
お母さんを亡くした悲しみも、寂しさも、家事の大変さも、借金も⎯⎯。
そう、借金です。
お医者様をよんだり薬を取り寄せたりするために、お父さんは金貸しからお金を借りていたのです。
少なくない借金を返すために、お父さんはお休みの日にもお城の料理人から芋のかわむきの仕事を請け負ったり、倉庫の荷運びの仕事をしたりして働きました。
荷運びの仕事はヒョロッとやせたお父さんには無理だと、一日でクビになってしまいましたけれどね。
お父さんがお城で頑張っているので、エマも頑張ってめきめき家事の腕を上げました。
ところで、お父さんが借金をした金貸しにはお姉さんがいました。
三年前、そのお姉さんが夫から離縁されて娘二人とともに実家に戻ってきました。
金貸しは困りました。お姉さんたちはとてもわがままだったからです。
金貸しは人の良いエマのお父さんに三人を押し付けてしまおうと考えました。
そうして、エマが十歳になった時、お父さんは借金の返済の日を少し待ってもらうかわりに、金貸しの姉と結婚することになったのでした。
そうしなければ、借金の代わりにエマを連れていくと金貸しに言われてしまったからです。
エマの新しいお義母さんはお父さんよりも十五歳年上。上のお義姉さんはエマのお母さんが生きていれば同じ年だそうです。
新しいお義母さんと二人のお義姉さんたちは、家にやって来るなり、エマを召し使いのようにこき使いだしました。
「エマ、夕食はまだできてないの?」
「エマ。部屋の掃除がなってないわね。やり直しよっ!」
「高いドレスなんだから丁寧に洗うのよっ。傷めたらあんたの父親の借金に上乗せになるわよ」
「食事のテーブルが狭いのだから。私たちが先よ。エマはあとでゆっくり食事をしなさい」
そう言って、いつも三人はエマの分も残さず食べてしまうのですが……。
大丈夫です。
エマはいつもたくさん“味見”をしています。
料理ができあがる時にはもうおなかいっぱいだったりします。
掃除や洗濯も、将来どこかの召し使いの仕事に就職する時のための練習になります。
フリルやレースの付いたドレスなんてエマは持っていませんから、洗濯する時はとても良い勉強になるのですよ。
どんなに自分にきつくあたる人でも、お父さんより少しばかり年上でも、ただ、お父さんを大切にしてくれる人なら良かったのですが……。
エマはお義母さんがお父さんに笑顔を向けるところを見たことがありません。
三人は家では何もせず、ドレスやアクセサリーを新調しては、今日はお茶会、明日はパーティー⎯⎯と、毎日遊び歩いています。
そして、三人が浪費しているお金は、いつの間にかエマのお父さんの借金に本当に上乗せされているようなのです。
お父さんは少しでも借金を返そうと仕事を掛け持ちして働いていて、最近は家でゆっくり食事をするひまもありません。
⎯⎯私も仕事ができれば良いのだけれど……。十三歳になった今、お城の下働きの仕事なら、私にもできるのではないかしら?
エマがそう思っても、ぼろぼろの服では雇ってもらえないでしょう。
その前に、お城の門番に追い払われてしまうかもしれません。
家のお金はお義母さんが持っていて、エマは銅貨一枚すら持たせてもらえなかったので、古着の一枚も買うことができなかったのです。
年越しのお祭りで、お城の方はとてもにぎやかです。
三人は着飾ってお祭りにいきました。エマは庭で洗濯です。
お城の方を見て、エマはため息をつきました。
お父さんは舞踏会の会場で、慣れない給仕の仕事をしているのです。
本来のお仕事をちゃんとしたあとで、臨時雇いのお仕事をさせてもらっているのだそうです。
きっと真面目なお父さんはつまみ食いもせず、おなかペコペコで働いているのでしょう。
とても心配です。
そういえば、今日は食事の準備を急かされたので、あまり味見ができませんでした。エマのおなかがせつなげに鳴りました。
そんなときです。
エマの運命の使者は突然やって来ました。
「さあ、お祭りにいくのにゃ」
それは可愛い仔猫⎯⎯ではなく、黒髪に黒い瞳の、小さな魔女でした。
魔女はエマに魔法をかけてくれました。
きれいなドレス、いつのまにか髪も美しく結い上げられて、お祭りどころかお城の舞踏会に出席する貴族のお嬢様のようです。
でも……でも……エマが望むものは別のものでした。
もしかしたら、怒らせてしまうでしょうか?
おとぎ話のように、カエルにされてしまうでしょうか?
でも、おそらくこれが最初で最後のチャンス。
⎯⎯ここで勇気を出さなくちゃ!
「⎯⎯私を魔女様の弟子にしていただけないでしょうか?」
あの時、お父さんが必死に探しても手に入らない物がありました。
“魔女の秘薬”
どんな病気でも治してしまうと言われている薬です。
そんな物はおとぎ話だよ⎯⎯と誰もが言いました。
でも、おとぎ話の登場人物だと思っていた魔女が、げんに自分の目の前にいるのです。
自分が魔女になれたら、お父さんが病気になったときに、助けてあげることができるかもしれません。
エマはもう二度と大切なものを失いたくなかったのです。