8 戦うエルメス
主との戦いの前に、ちょっと雑魚と戦ってみようと思った。
もしいきなり戦って、戦闘の勘が鈍っていたら困るし、というエルメスの判断で、リックたちもそれを支持した。
そして今、死にかけていた。
「ふっ、ふっ、ふっ」
荒い息は疲労よりも、むしろ恐怖によるものだろう。
汗か涙か良く分からないものが、リックの頬を流れている。
バットは蹴られて壁に打ち付けられ、そのまま動かない。
パルスは捻じれた片足のまま、槍を杖になんとか立っている。
メデスは決定的な打撃は受けていないが、鎧が歪むほどの攻撃を加えられていた。
リックは一人、変異種のオーガと向き合っていた。
ちなみにエルメスは数十歩後方で、三方向からやってきた魔物に一人で対処している。
エルメスの探知があるにもかかわらず、どうしてこのような状況になったのか。
理由は分からないが、事象としてはこうだ。
周囲の魔物四体が、一斉にこちらに向かってきたのだ。
当然の帰結と言うべきか、エルメスは数が多いほうに向かい、残りの一体をリックたちで足止めするように頼んだ。
そしてリックたちはほとんど一呼吸の間に、壊滅していた。
オーガという魔物は、別名が人食い鬼ともいう。
好んで人を食べるわけではないらしいが、殺した人間を食べるという習性があるのは確かだ。
初心者を抜け出したパーティーが、闇雲に手を出していい魔物ではない。だが防御に徹したならば、そうそう圧倒されることはないはずだった。
しかし人間に加護持ちや天才がいるように、魔物にも上位種とはまた違った変異種、特異種といったものが存在する。
このオーガは変異種に入る。特異種はそれこそ特異なものであるが、このオーガはあくまでもオーガの範囲にとどまっている。
だが決定的な変異があった。
それは威圧系のスキルを持っているということだ。
威圧スキル。精神に作用するスキルである。
ほとんど似たような効果を表すものとしては、圧力スキルなどがあるし、咆哮スキルなどでも同じ症状になったりする。
威圧されたものは心が萎縮し、体がうまく使えなくなる。そのわずかの間が、この惨憺たる結果を導いていた。
最も戦闘力の高いリックが残ったのは幸いであった。彼は直感スキルの命ずるままに、咄嗟に気を強く持っていた。
圧力は感じたが、それで動きを封じられたわけではない。仲間達がやられている間に、どうにか肉体の制御を取り戻す。
それにしても精神的に感じた圧力はあり、気力が削られた気はする。
「ふ~」
大きく息を吐いたリックは、当然ながら深く息を吸う。
ぴたりと震えが止まった。オーガがなぜか一息入れてくれたのが幸いであった。
リックは剣術スキルを5で持っている。
戦闘系スキルの何かを5で持っているというのは、おおよそ冒険者としては一人前だ。
もっとも地域によってはそれでは足りなかったり、むしろ過剰戦力であったりもする。
しかしこの剣術というのは、どういう内容であるのか。
リックは剣の技術を、本格的に学んだことはない。
もちろん先輩冒険者が酒の勢いでちょっとした技を教えてくれたりもしたし、毎日の素振りは欠かさない。
対人戦闘を想定した場合もあるが、相手が武器を持っているか、鎧を身につけているが、それらによって変わってくる。
魔物を想定した場合、必要となる技術はますます変わってくる。大型種を力任せに叩き潰す剣術で、敏速な虫系の魔物の相手は出来ない。
スキルとはいったい何なのか。
エルメスがはるか昔に抱いた疑問を、リックはこの死が眼前に迫る危機に瀕して、無駄に考えていた。
スキルには本当に様々なものがある。
そしてあるスキルをある程度高めたら、自然と他のスキルを得られるということがある。
たとえばリックは剣術を高めていく上で、対人戦闘というスキルを得た。
ほぼ同時に対魔物戦闘というスキルも持っている。
実はこれはさらに細分化されて、対人型魔物戦闘というスキルもあり、リックの場合はそちらのスキルの方が高い。
リックは持っていないが、対狼型魔物戦闘というスキルもあるらしい。
さて、果たしてスキルがどの程度このオーガに効果があるのか。
リックは剣を後ろに引いた。しかし先端はオーガに向けたままだ。
所謂突きの構えである。
オーガの武器は棍棒だ。大質量の木材だ。
ダンジョンの魔物がどうして武器を得るのかなどの疑問はあるが、棍棒というのは単純で効果的な武器だろう。
金属製のそれには劣るのかもしれないが、一撃で相手を殺せるならば、攻撃力は100でも200でも同じなのだ。
(問題は間合いか……)
いや、果たして先に攻撃できたとして、自分の剣はオーガの筋肉を貫けるのか。
オーガには技と言えるようなものはない。それだけはさすがに確かだろう。しかしそれでも、肉体的な圧倒的性能差がある。
リックが勝つには、オーガの攻撃より先に攻撃し、そしてそれを命中させた上で、防御を上回って致命傷を与える必要がある。
オーガの生命力というのはどういったものなのか、リックは知らない。
そもそもこのオーガが通常のものと同じとは限らない。既に仲間が倒されている以上、自分の手には余る可能性が高い。
だが、今、戦えるのは自分しかいない。
この一撃で倒せるかどうか、そんなことは関係ない、やるしかないのだから、やるしかないのだ。
自らを放たれる前の矢と仮定して、膝が軽く沈み込み――。
「お待たせ~」
そんな軽い声と共に、光の槍がオーガを貫いた。
振り返ったリックは、杖を向けていたエルメスの姿を認めた。
とっとっと駆けて来るその姿は、さすがにちょっと呼吸が乱れていた。
「悪かった。魔術を付与しておくべきだったな。すぐ治療するから」
無言のままリックは、エルメスの駆けて来た方を見た。
灯りがないのではっきりしないが、何かグチャリとしたものがあるようが気がする。
改めてエルメスを見ると、きっちりオーガに止めをさした上で、仲間の治療を行っていた。
「え、えええ? エルメスさん、治癒魔術使えるんですか!?」
そういえばリックたちには使っていなかったか。
「専門に勉強したわけじゃないが」
元は神殿で使っていただけだったのだが、効果の有効性を試すために、実践で色々試してみるうちに、ものすごく使えるようになっていた。
エルメスは凝り性なのだ。
気絶したバットが自然と目覚めるまで、治療した部位の確認のためにも休んでいたかったのだが。
「周りから魔物が集まってくるみたいだ。悪いがリック、バットを背負ってくれ」
エルメスは両手を自由にしておきたいし、そもそも体格でリックが優るので、怪我から治癒したばかりの二人を除くと、選択肢はない。
「エルメスさん、上に戻って外に出る手段探しませんか?」
よろよろのパルスが言う。槍の柄に罅が入っているので、もうあまり戦えない。体力的にも限界だが。
「……無理だな。上の方にどんどん魔物が湧いてきてる。ダンジョンってこんな感じなんだな」
絶望的な顔になる四人であったが、エルメスだけは平静だ。
魔法の袋の中から、にょきっと槍を出した。
「格安品だが、壊れかけよりは使えるだろ」
パルスはそれを持つと、不思議そうな顔をする。
「なんでこんなの持ってるんですか?」
「いや、魔術師だって魔術使わない場面あるだろ? 剣よりも槍の方が間合いが長いから何本か持ってるんだよ」
釈然としないが、助かったことは確かなので、パルスは槍を少し振り回してみる。
元の物より軽いが、穂先は磨いてあるので使えなくはない。
「壊れた方は持っておいてやるよ。穂先はそっちの方が良さそうだしな」
そう言ってエルメスは、いよいよダンジョンの最奥へと進むのであった。
灯りが見えた。
ダンジョンの外、魔境の奥深く程度の灯りだ。
そういえば今はどれぐらいの時間なのかと思うリックだが、腹具合からはそれほど経過してないようにも思える。
「主の部屋みたいなんだが……」
エルメスの言葉に緊張感を見せるパーティー。なにしろ先ほど、普通の個体に全滅させられかけたばかりである。
「主自体は……牛鬼か」
拍子抜けするリックたちである。
牛鬼。牛の頭を持つ魔物である。その身長はオーガよりも更に高く、もちろん魔物としての危険性もはるかに大きい。
だがオーガが普通に棲んでいるダンジョンとしては、主としての格はそれほど高くもなさそうに思える。
「厄介だな……」
「え? エルメスさん、牛鬼ってオーガより一つ上のランクですよね? 俺たちはともかく、エルメスさんなら楽勝じゃ?」
リックの疑問に容赦なくエルメスは答える。
「それはタウロスだな。外見で合致する部分があるからよく混同されるんだが、牛鬼は悪魔の一種だ」
悪魔。またも出てきた不穏な言葉に、リックたちは動揺する。
この世界の地下深くに存在するという、神により封印された存在。それが悪魔だ。
時折その封印の割れ目から、悪魔達は現れる。その脅威は最低でもオーガを上回る。
太古の昔、このパガン王国が建国される前に、このパガン半島の最も深き迷宮において、悪魔の王が復活したという。
それを封印するために大陸から渡ってきた戦士たちが、このパガン王国の王族や貴族の祖先だと伝えられている。
まあ悪魔王封印の英雄を祖とするのは、王家にとっては分かりやすい権威付けだ。
実際のところ悪魔王を封印した英雄自身は死んでしまって、その姉の子がパガン王国を興したというのが、ちょっとひねった設定である。
わざわざ正統性を弱めたところが、逆になんらかの真実を伝えているのではとエルメスは思うのだが。
「それに、ちょっと罠があるな」
ますます顔色が悪くなるリックたちだが、エルメスならば罠などどうにかしてくれる!
「主のいる広間は、魔術が発動出来ない仕掛けになってる」
リックたちは絶望した。
エルメスは強い。常識外れに強い。
リックたちが全滅しそうになるような魔物でも、ほとんど苦労せずに倒すぐらいにおかしい強さを持っている。
だがそれも、あくまで魔術師としてのものだ。魔術が使えないエルメスは、知識のすごい一般人ではないか。
いや確かにものすごい知識は持っているのだが、戦闘力としてはほとんど数えられないだろう。
「なんとか出来ないんですか? エルメスさんの魔術なしだと勝ち目がなさそうなんですけど」
「まあ心配するな」
エルメスはすたすたと歩いていく。リックたちもそれに続く。
洞窟状のダンジョンは、その広間だけは明らかに手が加えられたように平らであった。
天井から光が溢れるその部屋に、巨大な魔物が佇んでいる。
「魔術師でも、殴り合いが出来るやつはいるんだ」
そしてエルメスは広間に踏み入った。
エルメスだけぬるゲー。
次話「さらに戦うエルメス」サブタイの変更の可能性大。